2014年7月12日土曜日

【西東詩集77】 Hatem


【西東詩集77】 Hatem


【原文】

Kann wohl sein! so wird gemeinet;
Doch ich bin auf andrer Spur:
Alles Erdenglueck vereinet
Find’ ich in Suleika nur.

Wie sie sich an mich verschwendet
Bin ich mir ein wertes Ich;
Hätte sie sich weggewendet
Augenblicks verlöre ich mich.

Nun, mit Hatem waers zu ende;
Doch schon hab’ ich umgelost,
Ich verkörpre mich behende
In den Holden den sie kost.

Wollte, wo nicht gar ein Rabbi,
Das will mir so recht nicht ein,
Doch Ferdusi, Motanabbi,
Allenfalls der Kaiser sein.


【散文訳】

それは、さうだらうよ!さう言ひたいのだね
しかし、わたしは他の道にゐるのだ
総ての地上の幸福は一つになってゐることを
わたしは、唯々ズーライカの中にのみ観ているのだ。

ズーライカが、わたしにその身を惜しみなく与へてくれると
わたしは自分自身が価値あるわたしであるのだ
もしズーライカが脇を向くと
直ちに、その瞬間その瞬間、わたしは、我を喪ふことでせう。

さて、ハーテムについては、これで終しまひ
しかし、わたしは既に籤を引き直したのだ
わたしは機敏に姿を変える
ズーライカの愛し味はう恋人にと

もしも、ラビ(ユダヤの法律学者)でさへさうでないところを
それは、わたしならば全く合点が行かないことだらう
しかし、フェルデゥシーやモタナッビについては
ひょっとしたら、皇帝は、合点が行くだらうよ。



【解釈と鑑賞】

大切なことは、恋人の人格であると、前の段で歌ったことに対する、ハーテムの返歌です。

最後の連のフェルデゥシーとモタナッビという人物は、それぞれ、前者は、期待してゐた詩人の手当が少なかったのを恨んで、シャーに対して侮辱的な言辞を吐いた詩人であり、後者は、独自の預言の言葉を以て、マホメット教へに対抗して現れた人物といふことです。

ゲーテのこころは、ラビにではなく(これまでも否定的に歌はれて来ましたので)、これらふたりの異端者にあることは、この屈曲した最後の連の表現に現はれてゐることなのです。

0 件のコメント: