2013年7月27日土曜日

Wenn mein Gedächtnis(もしわたしの記憶が):第31週 by Ismali Kadare(1936 - )


Wenn mein Gedächtnis(もしわたしの記憶が):第31週 by Ismali Kadare(1936 -  )



【原文】

Wenn mein Gedaechtnis

Und wenn mein müdes Gedächtnis
Wie die Strassenbahnen nach Mitternacht
Nur an den wichtigsten Haltestellen hält,
Werde ich dich nicht vergessen.

Ich werde mich an den stillen Abend
Erinnern,endlos in deinen Augen,
An das unterdrückte Schluchzen, auf meine Schulter gefallen
Wie Schnee, den man nicht abschütteln kann.

Die Trennung kam,
Und ich ging von dir fort.
Aber eines Nachts
Werden sich Finger in dein Haar einflechten,
Meine weiten Finger, kilometerlang.



【散文訳】

もしわたしの記憶が

そして、もしわたしの疲れた記憶が
路面電車のように、真夜中を過ぎて
ただ一番重要な停留所にだけ止るならば
わたしはお前を忘れはしないだろう。

わたしは、あの静かな夕べを
果てしなくお前の眼の中で思い出すだろう
押さえた嗚咽を、肩を落として
払い落とすことのできない雪のような嗚咽を。

別れが来た
そして、わたしはお前から去った
しかし、ある夜
指がお前の髪の中に入って行って、編み込むだろう
わたしの広い指が、キロメートルの長さで。


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。日本語です。日本にこの詩人の読者がいるのでしょう。


アルバニアの詩人です。

英語のWikipediaもひいておきます。


恋人と別れた感情を歌っています。

何か、その女性に恋々とした感情が、最後の連の譬喩(ひゆ)で、誠によく伝わって参ります。

また、この男が、その女性をどんなに愛していたか、いや愛しているのかも、また。





【西東詩集47-8】 無題8



【西東詩集47-8】 無題8


【原文】

FRAGE nicht durch welche Pforte
Du in Gottes Stadt gekommen,
Sondern bleib' am stillen Orte
Wo du einmal Platz genommen.

Schau dann umher nach Weisen,
Und nach Mächtigen, die befehlen;
Jene werden unterweisen,
Diese Tat und Kräfte stählen.

Wenn du, nützlich und gelassen,
So dem Staate treu geblieben,
Wisse! niemand wird dich hassen
Und dich werden viele lieben.

Und der Fürst erkennt die Treue,
Sie erhaelt die Tat lebendig;
Dann bewährt sich auch das Neue
Nächst dem Alten erst beständig.


【散文訳】

どの門を潜って、お前が神の町に入ったかを
問うてはならぬ
そうではなくて、そこで、お前が確かな地歩を占めた
静かな場所に留まりなさい

次に廻りをみて、賢い人間たちを探し
そして、命令する権力のあるもの達を探しなさい
賢い人間たちは、この行為と力を鍛えて鋼(はがね)にすることを
教えてくれるだろう。

もしお前が、人様の役に立って、そして平然として
かくも国に忠誠なままでいたならば、
知るが言い、誰もお前を憎むことなく
そして、多くのひとたちがお前を愛するだろうことを。

そして、君主が、その忠誠を認め
忠誠が行為を生き生きとしたものに維持する
何故なら、そうやって、新しいものが、
老いた人間の一番傍(そば)で、やっと不断に
真であることが実際証明されるのだから。


【解釈】

これと同じ知恵は、日本の国にもあります。

いつも世間でどのように生きて行くかが関心事です。

そこで、どのように自分の地歩を占め、普通に暮らしていて、新しく来た後世として、どのように認められるのか。

そのことを、ゲーテは、ここで歌っています。

味わいの深い詩です。

【Eichendorfの詩 36-2】Erinnerung (思い出)


【Eichendorfの詩 36-2】Erinnerung (思い出) 

【原文】

Erinnerung

                     2

Die fernen Heimathoehen,
Das stille, hohe Haus,
Der Berg, von dem ich gesehen
Jeden Frühling ins Land hinaus,
Mutter, Freunde und Brüder,
An die ich so oft gedacht,
Es Grüßt mich alles wieder
In stiller Mondesnacht.


【散文訳】

思い出

     2

あの遠い、故郷の高み
あの静かな、高い家
あの山、そこから眺めて
春がいつも国の中へと入って行くのをみた、その山
わたしが、かくも屢々(しばしば)思った
母、友達、そして兄弟
わたしに、総てのものが再び挨拶をする
静かな、月の夜の中で


【解釈と鑑賞】

思い出と題した詩の2つめです。全部で二つの詩からなる詩の最後の詩です。

一呼吸で、ひとつに連なっている詩です。

ものやひとの名前を列挙して、そうしてそれらに従属節を付加して、詩が成り立っている。

最後の2行は、いかにもアイヒェンドルフという感じがします。

静謐な月の夜という情景が。







2013年7月20日土曜日

【西東詩集47-7】 無題7



【西東詩集47-7】 無題7


【原文】

WIE ich so ehrlich war
Hab' ich gefehlt,
Und habe jahrelang
Mich durchgequaelt;
Ich galt und galt auch nicht,
Was sollt es heissen?
Nun wollt ich Schelm sein,
Tate mich befleissen;
Das wollt mir gar nicht ein,
Musst mich zerreissen.
Da dacht ich: ehrlich sein
Ist doch das Beste,
War es nur kümmerlich
So steht es feste.


【散文訳】

わたしは、このように率直な人間であったし、
それほどに、わたしは足りない人間で
そして、そのことが、長年に亘って
わたしを苦しめて来た。
わたしは、役に立ち、そして、また役に立たなかったが、
それは何を意味しているのだろうか?
さて今となっては、わたしは悪漢になってやろうか
そうすれば、わたしは物事に汲々とした人間になるだろう
それは、わたしの相容れるところではないだろうし
それをすれば、わたしが四分五裂してしまうに違いない
そこで、わたしは考えた:率直であることが
なんといっても一番良いことだ、と、
ただただ苦しかったということならば、
それは間違いのないことなのだ、と。


【解釈】

この詩から、次の連としての詩、その次の詩、またその次の詩と、連想として連続性がある詩が並んでいます。

ゲーテのこころの中では、これらは、勿論いままで訳して来たしもすべて、一連なりに連なっているのだと思います。

それをすれば、わたしが四分五裂してしまうに違いない

と訳した「違いない」のドイツ語は、musstですが、これをmuesstの意味と解して、そう訳しました。もし誤りであれば、ご教示下さい。

謙虚なゲーテの姿です。わたしもかくありたい。

Nachtgeraeusche(夜の雑音):第30週 by Conrad Ferdinand Meyer(1823 - 1898)




Nachtgeraeusche(夜の雑音):第30週 by Conrad Ferdinand Meyer(1823 - 1898)



【原文】

Nachtgeraeusche

Melde mir die Nachtgeräusche, Muse,
die ans Ohr des Schlummerlosen fluten!
Erst das traute Wachtgebell der Hunde,
dann der abgezählte Schlag der Stunde,
dann ein Fischer-Zwiegespräch am Ufer,
dann? Nichts weiter als der ungewisse
Geisterlaut der ungebrochenen Stille,
wie das Atmen eines jungen Busens,
wie das Murmeln eines tiefen Brunnens,
wie das Schlagen eines dumpfen Ruders,
dann der ungehörte Tritt des Schlummers.



【散文訳】

夜の雑音

わたしに夜の雑音を告げよ、ミューズ(詩の女神)よ、
うつらうつらともできぬ者の耳に氾濫する雑音を!
最初に、犬たちの、親しい警護のなき声が
次には、1時間毎に数える時計の響きが
次には、岸辺の漁師の対話が
次には何が?壊れることのない沈黙の、不確かな亡霊の音以外にはない、それは、
若者の胸の呼吸のような
深い泉のぶつぶつというつぶやきのような
鈍い舵(かじ)の響きのような
次には、うつらうつらの睡りが、そっと聞こえぬように入ってくるのだ。


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。日本語です。日本にこの詩人の読者がいるのでしょう。


スイスの詩人です。

英語のWikipediaもひいておきます。


一息に書かれた詩という感じがします。

訳してみれば、最初の2行が最初の文、残りの多量が二つ目にして最後の文という、たった2行からなる詩です。

詩の女神に求めた、夜の音を3行以下で列挙しているという構成です。

夜、寝ようとして寝られぬときに書いた詩なのかも知れません。





【Eichendorfの詩 36】Erinnerung (思い出)


【Eichendorfの詩 36】Erinnerung (思い出) 

【原文】

Erinnerung

Lindes Rauschen in den Wipfeln,
Voeglein, die ihr fernab fliegt,
Bronnen von den stillen Gipfeln,
Sagt, wo meine Heimat liegt?

Heut im Traum sah ich sie wieder,
Und von allen Bergen ging
Solches Grüßen zu mir nieder,
Dass ich an zu weinen fing.

Ach, hier auf den fremden Gipfeln:
Menschen, Quellen, Fels und Baum,
Wirres Rauschen in den Wipfeln -
Alles ist mir wie ein Traum.


【散文訳】

思い出

梢(こずえ)の中の心地よい葉ずれの音よ
飛び立って、遠く離れ行く、お前達、小鳥よ
静かな山頂の泉よ
我が故郷がどこにあるのか、言ってくれ。

今日夢の中で、我が故郷を再び見た
そして、総ての山々から
挨拶が、わたしの所に降りて来たので
わたしは泣き始めたほどだった。

ああ、この見馴れぬ山頂で
人間達、泉、岩、そして樹木
梢の中で混乱した葉ずれの音
すべては夢のように、わたしには思われる。


【解釈と鑑賞】

思い出と題した詩の1つめです。全部で二つの詩からなる詩です。

第1連の葉ずれの音は、優しい、心地よいものであるのに、最後の連の葉ずれは、混乱しているというところに変化があります。

第2連を読んでも、やはり、この詩人のこころには、何か外れたもの、異なるもの、異界にある自分というものがあるのに違いありません。








2013年7月15日月曜日

【西東詩集47-6】 無題6



【西東詩集47-6】 無題6


【原文】

MAERKTE reizen dich zum Kauf;
Doch das Wissen blaeher auf.
Wer im Stillen um sich schaut
Lernet wie die Lieb' erbaut.
Bist du Tag und Nacht beflissen
Viel zu hören, viel zu wissen,
Horch an einer andern Türe
Wie zu wissen sich gebühre.
Soll das Rechte zu dir ein,
Fühl in Gott was Rechts zu sein:
Wer von reiner Lieb' entbrannt
Wird vom lieben Gott erkannt.


【散文訳】

市場は、お前を刺戟して、買い物をさせる
しかし、知る事(知識)は膨れ上がる。
沈黙の中で、自分の廻りを見廻す者は
どのように愛が収穫するかを学ぶのだ。
お前は夜となく昼となく流される
多くのことを聞き、多くのことを知ることで
他の戸口へ行って、耳傾けるがよい
どのように知ることが適切なことなのかを
正しいものがお前にやって来るならば
神の中に、正義の幾ばくかがあることを感ぜよ
純粋な愛から燃え出る者は
愛する神によって認められるのだ。


【解釈】

この詩は、世俗の生活の中で、どのように生きるかを歌った詩だと言えるでしょう。

それも、知る事と愛する事を中心として、そのことを歌っています。

他の戸口へ行って、耳傾けるがよい
どのように知ることが適切なことなのかを

とある、他の戸口へ行って、耳傾けるがよい、という表現は、非常に質朴な、現実を失わない生活と実践の知恵を感じさせます。

Ich fuehre die Haut(肌を導く):第29週 by Patrizia Imperiali(1953 - )


Ich fuehre die Haut(肌を導く):第29週 by Patrizia Imperiali(1953 - )



【原文】

Ich fuehre die Haut

Ich fuehre die Haut
ich schäle dich
Artischockenherzen zart und behaart
zumAnbeissen weiss
zumBeschnuppern
Hase auf Schneehängen
ich werde dich aus dem Blau locken
mit Erdbeeren in der Hand.



【散文訳】

肌を導く

わたしは、肌を導き
お前の皮を剝(む)く
朝鮮アザミの心で、優しく、毛むくじゃらに
白くなるほどに噛み付き
くんくんと鼻で嗅いで、人のことを詮索して
雪の懸崖の上の兎になるほどに
わたしはお前を青い色の中から外へと誘い出すことだろう
オランダ苺を手に持って


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaはありませんでした。

イタリアの詩人です。

無題の詩でしたので、最初の一行を以て、敢えて題名としました。

最初の一行目の、肌を導くというのはどのような意味なのか。

この一行は2行目の文と関係があります。つまり、お前の皮を向く為に肌を、何かこう触っている。

くんくんと鼻で嗅いで、人のことを詮索して
雪の懸崖の上の兎になるほどに

とあるのは、それほどその身が詮索の中にもぐってしまって、兎と雪の識別がつかなくなるほどになるという意味でしょう。

恋愛詩ととることもできます。

【Eichendorfの詩 35】Wandernder Dichter (旅する詩人)


【Eichendorfの詩 35】Wandernder Dichter (旅する詩人) 

【原文】

Wandernder Dichter

Ich weiss nicht, was das sagen will!
Kaum tret ich von der Schwelle still,
Gleich schwingt sich eine Lerche auf
Und jubiliert durchs Blau vorauf.

Das Gras ringsum, die Blumen gar
Stehen mit Juwelen und Perln im Haar,
Die schlanken Pappeln, Busch und Saat
Verneigen sich im größten Staat.

Als Bot voraus das Bächlein eilt,
Und wo der Wind die Wipfel teilt,
Die Au verstohlen nach mir schaut,
Als waer sie meine liebe Braut.

Ja, komm ich mued ins Nachtquartier,
Die Nachtigall noch vor der Tür
Mir Ständchen bringt, Glühwürmchen bald
Illuminieren rings den Wald.

Umsonst! das ist nun einmal so,
Kein Dichter reist inkognito,
Der lust'ge Fruehling merkt es gleicht,
Wer Koenig ist in seinem Reich.

【散文訳】

旅する詩人

それが何を言いたいのか、わたしにはわからない!
閾(しきい)を跨いで静かに外に出るや
直ちに、一羽の雲雀(ひばり)が雲雀上がり
そして、青色の中を通って、上へ上へと歓声をあげて飛んで行くのだ

廻りの草も、花々も
髪に宝石と真珠をつけて、立っている
細いポプラや、灌木や、種子が
最も豪華な衣装をつけて、お辞儀をしている。

使者として露払いをしながら、小川は急ぎ
そして、風は梢を分け
水郷はこっそりとわたしを見遣る
恰もわたしの花嫁であるかの如くに

そうだ、わたしは疲れて夜営に入る
夜啼き鶯がまだ門の前にいて
わたしにセレナーデを運んで来、土蛍(つちぼたる)がじきに
廻りの森を輝かせる。

無駄なことさ!それはもうそうなっているのだから
どんな詩人も隠れて旅することはないのだ
陽気な春が直ぐに気付くのだ
誰がその王国の中で王であるのかを


【解釈と鑑賞】

一人称の話者が、詩人という設定です。

その詩人が旅立つために、家の閾を跨いで外に出るところから詩が始まります。

第3連の使者は、詩人がこれから来るぞという露払いの役をしているという意味でしょう。

最後の連の王国を支配しているのは、春とも読めるし、詩人である王自身とも読むことができます。敢えて、それと訳しました。

アイヒェンドルフ色満載の詩です。







2013年7月6日土曜日

【西東詩集47-5】 無題5



【西東詩集47-5】 無題5


【原文】

HABEN sie von deinen Fehlen
Immer viel erzählt,
Und für wahr sie zu erzählen
Vielfach sich gequält.
Hätten sie von deinem Guten
Freundlich dir erzählt,
Mit verstaendig treuen Winken
Wie man Bessres waehlt―
O! gewiss! das Allerbeste
Blieb mir nicht verhehlt,
Das fürwahr nur wenig Gäste
In der Klause zaehlt,
Nun als Schüler mich, zu kommen,
Endlich auserwählt,
Und mich lehrt der Busse Frommen
Wenn der Mensch gefehlt.


【散文訳】


奴らは、お前の欠点について
いつも沢山のことを語り
そして、その欠点が本当のことだと語ることに
幾重にも、奴らは、苦しんだ。

奴らが、お前の良い点について
親しげにお前に語っていたならばなあ
理解できるほど誠実な合図を以て
どのようにして、よりよいものを選択するのかを(語っていたならば)。

ああ、そうだ、最善のものは
わたしには、隠されてはいなかったのだ
なるほど、確かに、最善のものは、本当に少ない客人を
隘路の中で、数え
こうして、わたしを通いの生徒として数え
最後にわたしを選んだのであり、
そして、わたしに、罪の償いの利を教えるのだ
人間というものが間違えたときにはいつでも。



【解釈】

観察の巻の最初の詩としての七つ目の詩です。

第2連の最初の一行目に出て来るdas Allerbeste(最善のもの)が、最後まで、この連の動詞の主語です。

最善のものが先生、この話者が生徒という関係です。

人生の苦さを知っている読者には、味わいの深い詩だと思います。


Ein Schwimmer ist ein Reiter(泳ぐ者は騎士である):第28週 by Paul Snoek(1933 - 1981)


Ein Schwimmer ist ein Reiter(泳ぐ者は騎士である):第28週 by Paul Snoek(1933 - 1981)




【原文】

Ein Schwimmer ist ein Reiter

Schwimmen ist ein leichter Schlaf im wirbelnden Wasser,
ist lieben mit jeder noch brauchbaren Pore,
ist unendlich frei sein, zuinnerst triumphieren.

Und schwimmen ist die Einsamkeit mit Fingern betasten,
ist mit Armen und Beinen uralte Geheimnisse erzählen
dem immerzu alles begreifenden Wasser.

werde ich zum Schöpfer, der seine Schöpfung umarmt,
und im Wasser kann man nie ganz allein sein
und doch noch einsam bleiben.

Schwimmen ist ein wenig fast heilig sein.



【散文訳】

泳ぐ者は騎士である

水泳は、渦巻く水の中での軽い睡りであり
どの毛穴もまだ使うことができるので、いいものであり
果てしなく自由であり、内奥の一番奥では勝利することである。

そして、水泳は、指を使って孤独に触ることであり、
腕と脚を使って、太古の秘密を物語ることである
どこまでも総ての水つかまえて行くその水に向かって。

わたしは、自分の被造物を腕(かいな)に抱く創造主になり、
そして、水の中で、必ずしも一人で(孤独で)いることができず
そして、でも、まだ孤独のままでいることができるのだ。

水泳は、一寸ばかり、ほとんど神聖であることなのだ。


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


オランダの詩人です。

泳ぐものを最初の一行で、騎士だと定義しています。

哲学ならば定義(definition)といいますが、詩では隠喩(metaphor)となります。

最初と最後の一行が照応して、この詩を堅牢なものにしています。

水泳は、神聖なものである。それは何故そうかという理由が、この二行の間に歌われているというわけです。



【Eichendorfの詩 34-7】Wandersprueche (旅の箴言)


【Eichendorfの詩 34-7】Wandersprueche (旅の箴言) 

【原文】

Wandersprueche

       7

Der Wandrer, von der Heimat weit,
Wenn rings die Gruende schweigen,
Der Schiffer in Meereseinsamkeit,
Wenn die Stern aus den Fluten steigen:

Die beiden schauern und lesen
In stiller Nacht,
Was sie nicht gedacht,
Da es noch fröhlicher Tag gewesen.


【散文訳】

旅人は、故郷から遠くいる
周囲で、土地という土地が沈黙しているならば
船乗りは、海の孤独の中にいる
星が、上げ潮(満潮)の中から昇って来るならば

即ち、

二人は見、そして読む
静かな夜の中で
二人が思わなかったことを
それは、まだ楽しい日であったからという理由で。


【解釈と鑑賞】

この詩は、全部で7つの詩からなる詩篇の最後の詩です。

陸を行く旅人と、海を行く船乗りと。それぞれの特性、特徴を歌っています。

そうして、第2連では、それが何を意味するのかを、更に、歌います。

ここまで訳して来て、やっとこのアイヒェンドルフの詩集の10%を訳したに過ぎません。

しかし、この調子で続けたいと思います。