第52週: Mein Jahr by Conrad Ferdinand Meyer (1829 - 1898)
【原文】
Mein Jahr
Nicht von letzten Schlittengleise
Bis zum neuen Flockentraum
Zähl ich auf der Lebensreise
Den erfüllten Jahresraum.
Nicht vom ersten frischen Singen,
Das im Wald geboren ist,
Bis die Zweige wieder klingen,
Dauert mir die Jahresfrist.
Von der Kelter nicht zur Kelter
Dreht sich mir des Jahres Schwung,
Nein, in Flammen werd ich aelter
Und in Flammen wieder jung.
Von dem ersten Blitze heuer,
Der aus dunkler Wolke sprang,
Bis zu neuem Himmelsfeuer
Rechn' ich meinen Jahresgang.
【散文訳】
わたしの歳
橇(そり)の最後の軌跡はいうまでもないことだが、その軌跡から
新しい雪片の夢にいたるまで
わたしは人生の旅の地上で
満たされた、人生の空間を数える。
森の中に生まれる
最初の新鮮な歌について、だけではないが、その歌から
枝枝が再び鳴り響くまで
わたしの歳の期間は続いている。
葡萄圧搾場からは葡萄圧搾場へとではなく
わたしの歳の飛躍が廻っている
否、炎の中で、わたしは歳をとり
そして、炎の中で、再び若くなる。
暗い雲の中から飛び出した
今年の最初の雷から
新しい天の火に至るまで
わたしはわたしの歳の成り行きを計算する。
【解釈と鑑賞】
この詩人が、今年最後の、カレンダーの中の詩人です。
この詩人のWikipediaです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Conrad_Ferdinand_Meyer
この詩人は、スイスの詩人です。
歴史に造詣の深い詩人です。自分の才能を掴めるのに時間を要した遅咲きの詩人とあります。
そのような人生もまたよし。
題名のわたしの歳の歳は、英語でいうyear、年、歳という意味です。
最初の行の「橇(そり)の最後の軌跡」とは、子供のころからという意味です。また、そのことだばかりではなく、もっと他にも子供の頃の豊かな経験のあったことが「最後のではない」、nicht vom letzten XXという表現から思われます。
最後と最初にあるという状態のものを否定し、いつも今あること、また今あることの全体を、更に今あることが最初と最後のことであるということを、歌っています。それゆえに、最初と最後という言葉の前に否定詞を措いているのでしょう。
この詩を読むと、この詩人の、足が地に着いた人生というものを思います。
面白いのは、第3連で、「葡萄圧搾場からは葡萄圧搾場へとではなく」と歌っているところです。葡萄圧搾場からは同じ場所へではないということ。わたしなら喜んで葡萄酒の生まれる場所から同じ場所へと永劫回帰致しますが、この詩人はそうではない。酒を飲まない詩人だったのかも知れません。
歳末であり、年始であり、よい酒を酌(く)みつつ、歳を越したいものです。
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