【西東詩集25】 Nachbildung(模倣)
【原文】
Nachbildung
In DEINE Reimart hoff ich mich zu finden,
Das Wiederholen soll mir auch gefallen
Erst werd' ich Sinn, sodann auch Worte finden;
Zum zweitenmal soll mir kein Klang erschallen,
Er müsste denn besondern Sinn begründen,
Wie du's vermagst, Beguenstigter vor allen!
Denn wie ein Funke fähig zu entzünden
Die Kaiserstadt - wenn Flammen grimmig wallen,
Sich winderzeugend, gluehn von eignen Winden,
Er, schon erloschen, schwand zu Sternenhallen - :
So schlangs von dir sich fort mit ewgen Gluten
Ein deutsches Herz von frischem zu ermuten.
Zugemessene Rhythmen reizen freilich,
Das Talent erfreut sich wohl darin;
Doch wie schnelle widern sie abscheulich,
Hohle Masken ohne Blut und Sinn;
Selbst der Geist erscheint sich nicht erfreulich,
Wenn er nicht, auf neue Form bedacht,
Jener toten Form ein ende macht.
【散文訳】
模倣
お前の韻律の方法(風、種類)の中に入って、わたしは自分自身を見つけたいと願う
繰り返しが、わたしの気に入ることは必定だ
まづは、感覚と意義をみつけ、その次に言葉をみつけるのだ。というのは、
2度目になると、わたしには何も響かなくなること、これも必定であり
その響きは、感覚と意義について、次に特別な根拠を打ち立てなければならないからだ
お前がそうできるように、なによりも、もっと恩恵を享受して!
何故ならば、皇帝の町に火をつけるという能力がある一つの火花のように
もし炎が憤怒の情から沸騰し
風を起こしながら、自分の風で燃え盛るならば
響きは、既に消えて、星辰の大伽藍に消えていた
それほどに、永遠の灼熱を以て、お前を頼みにして、自らを貪り喰らい続けた
ドイツ人の心臓を、あらたに勇気づけるために
測りすました韻律は、もちろん、刺激的だ
才能のある人士は、それを間違いなく喜ぶ。
しかし、いかに素早く韻律が嫌厭することか
血も感覚もないただの空虚な仮面を
精神さへもが、歓んでいるようには見えないのだ
もし新しい様式を思って、
あの死んだ様式を終しまいにしてしまわないのであれば。
【解釈】
註釈には、これは1814年12月7日に書いた詩だとあります。12月の詩ということになるでしょう。
第1連の「2度目になると、わたしには何も響かなくなる」とは、それが自分自身のものにすっかりなってしまうという意味です。それ故に、響くものではなくなる。ハーフィスの技巧を自家薬籠中のものとしたということです。
その後の「感覚と意義について、次に特別な根拠を打ち立てなければならない」とは、詩人が自分の詩人としての生活の基礎を打ち立てることへの切望を述べています。
第2連の「皇帝の町に火をつけるという能力がある一つの火花」という表現は激越です。ゲーテの、ハーフィスへの思いが、それほどのものだということがわかります。自分をそのたった一つの火花に譬えています。ゲーテは自分の詩人としての蘇生、再生を、このペルシャの詩人とその詩に賭けていたのだと思われます。皇帝とは、今迄の数篇との関係でいえば、法律の頂点に立つ人間であり、また政治家であったゲーテの直属の人間です。ハーフィスに賭けるゲーテの気持ちの激しさと深さがわかります。
そうして第3連を読むと、今迄の様式とは全く異なった新しい詩の様式を生み出そうと、ゲーテが思っていることがわかります。
この詩の題名、Nachbildungを模倣と訳しましたが、死んだ様式のただ形式のみを真似る詩人であるならば模造と訳すべきであり、またこのゲーテのように全く新しい形式をその意義と感覚を以て創造しようとするのであれば、ハーフィスに倣(なら)ってという意味の模倣という訳になるでしょう。訳語は、後者を採りました。
0 件のコメント:
コメントを投稿