2012年12月1日土曜日

第50週: kie !dampfmasch! ne by Durs Gruenbein (1962 - )


第50週: kie !dampfmasch! ne by Durs Gruenbein (1962 -  )


【原文】

kie ! ne dampf masch! ne

Dieses Aechz-und-Grunz-Geraeusch,
Soll das meine Tochter sein?
Manchmal weint sie, tief enttäuscht,
Saugt statt Milch nur Heissluft ein.

Spaeter hoert man sie dann schnarchen,
Eine Spielzeugdampfmaschine.
Ach, es rührt selbst Patriarchen
Jede ihrer Leidensmienen.

Rot das Koepfchen, strampelnd stossen
Füße gegen taube Kissen,
Fünfmal Größer sind die Grossen,
Die von Blähungen nichts wissen.

Aus Verzweiflung muss man schielen,
Zittern wie die Aufziehmaus.
Durch die Nasenloch-Ventile
Strömt der Atem ein. Tagaus

Mahnt uns lange noch ihr Schnaufen,
Wie das anstrengt: Luft zu holen.
Eh die Kolben lautlos laufen,
Wird uns noch viel Schlaf gestohlen.


【散文訳】

蒸気機関車はもうたくさん

この悲嘆と唸(うな)る雑音
これが、わたしの娘だというのか?
時折、彼女は泣き、深く幻滅して
牛乳の代わりに、ただ熱い空気だけを吸い込む。

後になって、彼女が次に鼾(いびき)をかくのを聞く
それは、玩具の蒸気機関車
ああ、族長でさへも感動させる
彼女の苦悩の表情のどの表情もが

小さな頭は赤く、手足を動かしてもがくのは
両足であり、聾(つんぼ)の枕を蹴飛ばしている
5倍も大きいのは、大きいひとたちであり
そのひとたちは、放屁については知らないのだ。

絶望から、斜視になってしまうし
飼育している鼠のように震えなければならない
鼻の穴の弁(バルブ)を通じて
呼吸が流れ込んで来る。明けても暮れても

彼女の鼾は、もっと長い間、わたしたちに警告する
気合いを入れよというように:空気をくれよと
ピストンが音もなく動く前に
多くの睡眠がわたしたちから盗まれる。


【解釈と鑑賞】

この詩人のWikipediaです。


現代ドイツを代表する詩人です。

次にドイツ文学の世界でノーベル賞を授与されるのであれば、この詩人だと言われていると仄聞しております。

もともとは東ドイツの生まれです。最初の詩集などを読みますと、荒々しくも繊細なる野獣の詩という感じがしますが、YouTubeに載っている後年のTVインターヴューの動画を拝見しますと、何かこうすっかり角がとれて、もっと円熟に向かっている詩人になったなあという感じがします。

これは、子供が生まれて、その子供が風邪かなにかをひいいて、泣き叫ぶことを詩にしたものでしょう。

Fünfmal Größer sind die Grossen,
Die von Blähungen nichts wissen.
5倍も大きいのは、大きいひとたちであり
そのひとたちは、放屁については知らないのだ。

というのは、赤ん坊が屁をひったからといって、親は知ったことではないという意味です。そこまでの面倒はみられないというと言い過ぎですが、やってられないという感情は伝わります。

世の母親には、よく理解される詩ではないでしょうか。

この詩が何故12月の詩なのか、季節との関係は謎です。

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