2012年11月23日金曜日

【西東詩集24】 Fetwa(フェトヴァ)


【西東詩集24】 Fetwa(フェトヴァ)


【原文】

Fetwa

Der Mufti las des Misri Gedichte,
Eins nach dem andern, alle zusammen,
Und wohlbedächtig warf sie in die Flammen,
Das schoengeschriebne Buch es ging zunichte.

Verbrannt sei jeder, sprach der hohe Richter,
Wer spricht und glaubt wie Misri - er allein
Sei ausgenommen von des Feuers Pein:
Denn Allah gab die Gabe jedem Dichter.
Missbraucht er sie im Wandel seiner Sünden,
So seh er zu mit Gott sich abzufinden.

   
【散文訳】


フェトヴァ


ムフティがミスリの詩を読んだ
次々と読み、すべての詩をまとめて読んだ
そして、熟慮しつつ、それらの詩を炎の中に投げ込んだ
美しく書かれてあるその本は、滅んだ。


だれでも追放するぞ、と高位の裁判官は言った
ミスリのように話をし、そして思う者、ー その者のみが
炎の苦しみから、例外である
何故ならば、アラーは才能を、どの詩人にも与えたのであり
詩人が、その罪の彷徨の中に、才能を濫用するならば
詩人は、神とうまく折り合いをつけることに注目し、用心するがよい、と。



【解釈】

題名のFetwaとは、Wikipediaによれば、

ファトワー (Fetwa) とは、ムフティーと呼ばれる、ファトワーを発する権利があると認められたウラマー(イスラム法学者)が、ムスリム(イスラム教徒)の公的あるいは家庭的な法的問題に関する質問に対して、返答として口頭あるいは書面において発したイスラム法学上の勧告のことである。ファトワー自体には法的拘束力はないが、著名なムフティーによるファトワーはファトワー集に編纂され、各イスラム法学派の個別事例に対する見解を示すものとして重視された。

日本語では、ファトワーと呼ばれていますが、ドイツ語の発音をそのまま写して、フェトヴァと記することに致します。

前の同じ題名のファトヴァでは、Anklage(告発)、そして、Der Deutsche dankt(このドイツ人が感謝する)というふたつの詩と併せて、3つひとまとまりの詩の一部を構成していました。

そして、その文脈は、ゲーテの、法律家どもに対する告発の詩でした。その詩で法律と法律家を皮肉り、ハーフィスを置き、ハーフィスを規準にして、世間に真っ向から挑戦をしていました。

ハーフィスの言葉は、前のフェトヴァでは「あちらこちらで、小さな事柄についてもまた言っている法の境界の外側で。」そこにある小さきことについて、完璧なる真理を言っているというのです。そこにこそ、真理があるということが、ゲーテのこころでした。

さて、このふたつめのファトヴァは何を歌っているのでしょうか。

読んでみると、これは前のファトヴァとバランスをとったファトヴァになっていることがわかります。


Muftiとは、イスラム法の権威ある解釈者という意味です。Wikipediaがあります。:http://en.wikipedia.org/wiki/Mufti

Misriとは、わたしの手元にある西東詩集の註釈によれば、エジプトの人で(1617/18 - 1699)、宗教的な結社の創設者であり、政治的に危険な邪説を述べたために罰せられたとあります。

一連目と二連目は何か一見矛盾している連のように見えます。裁判官は、Misriの詩をすべて火にくべてしまうのに、Misriのように考えるものだけが、炎の苦しみから逃れて、例外となるといっています。

裁判官は、Misriの詩を消却することによって、この宗教家の才能の濫費とのバランスをとったということなのでしょう。その書物を焼き、そして、Misriを認めるということによって。

それが、最後の一行の意味なのだと思います。

ここに、かろうじて、ゲーテの自制心が働いています。







0 件のコメント: