2012年11月17日土曜日

【西東詩集22】 Der Deutsche Dankt(このドイツ人(ゲーテ)が感謝の意を表する)



【西東詩集22】 Der Deutsche Dankt(このドイツ人(ゲーテ)が感謝の意を表する)


【原文】

Der Deutsche Danke

Heiliger Ebusuud, hasts getroffen!
Solche Heilge wünschet sich der Dichter:
Denn gerade jene Kleinigkeiten
Ausserhalb der Grenze des Gesetzes
Sind das Erbteil wo er, übermütig,
Selbst im Kummer lustig, sich beweget.
Schlangengift und Theriak muss
Ihm das eine wie das andre scheinen,
Töten wird nicht jenes, dies nicht heilen:
Denn das wahre Leben ist des Handelns
Ewge Unschuld, die sich so erweiset
Dass sie niemand schadet als sich selber.
Und so kann der alte Dichter hoffen
Dass die Huris ihn im Paradiese
Als verklärten Jüngling wohl empfangen.
Heiliger Ebusuud, haste getroffen!

   
【散文訳】

このドイツ人(ゲーテ)が感謝の意を表する

神聖なるエブスードよ、お前はそれを成し遂げたのだ!
そのような聖なる人々になりたいと、詩人という者は自らに願っているのだ
何故ならば、丁度あのような(ハーフィスが歌ったような)たくさんの小さなことは
法律の境界の外にあって
遺産なのであり、そこでは、詩人は、高慢にも
苦悶の中にあってさへも陽気で、動くものだからだ。

蛇の毒とテリアク(ヨーロッパ中世の解毒練り薬)は
詩人の前に、あれやこれやと姿を変えて現れるに違いなく
ひとを殺すことは、あのこと、このことを治癒させることはない。
何故ならば、真実の人生とは、行為の永遠の無罪、無実なのであり、その無罪潔白が示すところによれば、それは
無罪潔白とは、自分自身以外の誰をも傷つけることがないからだ。
そして、このように、年老いた詩人が願うのは
永遠の処女が詩人を天国で、光輝き変容した若者として迎え入れることである。
聖なるエブスードよ、お前はそれを成し遂げたのだ!


【解釈】

わたしの読んでいる西東詩集の註釈によれば、この詩と、前のAnklage(告発)、そして、Der Deutsche dankt(このドイツ人が感謝する)という3つの詩は、ひとまとまりの3連作だと言っています。そのつもりで、この詩を読むことにしましょう。

前の詩は、ゲーテの、法律家どもに対する告発の詩でした。その詩で法律と法律家を皮肉り、世間に真っ向から挑戦をしていました。

お前達が正しいのではない、コーランの教えを血肉にして自由闊達な歌を歌う詩人、ハーフィスこそ、そうしてその遺髪をドイツにおいて継ぐ、このわたしこそ正しい者だというゲーテの声が聞こえて来ます。

さて、その次の詩では、ゲーテ自身がエブスードという名前の詩人に我が身を擬して、ハーフィスのようなレベルの詩作をすることを神に祈って、詩作をすることの罪のすべての赦しを乞うておりました。

さて、今回はこの3つ目の詩の最後です。

聖なるエブスードとは、ハーフィスの別称です。前回考察したようにエブスードとは、どうも無名の人の別称であるようです。

それが、聖なるハーフィスだということには、人生の深い意義と意味が隠れています。ゲーテはそのことを歌っている。そうして、無名の人間が法律の外にいて、如何に生き生きと生きているかを。

そのような詩人の姿を、この詩で、またこれら3つの詩で造形しているということになります。本当に法律よ糞喰らえ。

蛇の毒とテリアク(ヨーロッパ中世の解毒練り薬)の譬喩(ひゆ)は、前のフェトヴァという詩にも出て来て、これはゲーテのお気に入りの一句だと思われます。あるいは、出典がどこかにあるのでしょう。

蛇の毒とテリアクは、確かにわたしたちの生活の中にいつも繰り返し姿を変え、手を変え品を変えて現れます。蛇の毒を飲んではなりません。

そうして、詩人は言葉で歌を歌います。しかし、詩人の無罪無実はだれも人を傷つけません。しかし、法律は人を処刑し、死刑にする。

この強烈な対比で、詩人の詩がどれほどのものか、どれほど詩人の言葉は人を殺さないかを言い表しています。そして、それによって、天国の処女に光り輝く者として迎えられる。

聖なるエブスードよ、聖なる無名者よ、お前はそれを成し遂げたのだ!という最初と最後の一行には、ゲーテの、このドイツ人の万感の思いが籠められています。






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