2014年8月2日土曜日

【西東詩集80】 Hatem


【西東詩集80】 Hatem


【原文】

Hatem

Braeunchen, komm! es wird schon gehen;
Zöpfe, Kämme gross- und kleine
Zieren Koepfchens nette Reine
Wie die Kuppel ziert Moscheen.

Du Blondinen bist so zierlich,
Aller Weis’ und Weg’ so nette,
Man gedenkt nicht ungebührlich
Alsogleich der Minarette.

Du dahinten hast der Augen
Zweierlei, du kannst die beiden
Einzeln nach Belieben brauchen;
Doch ich sollte dich vermeiden.

Leicht gedrückt der Augenlider
Eines, die den Stern bewhelmen,
Deutet auf den Schelm der Schelmen,
Doch das andre schaut so bieder.

Dies, wenn jens verwundend angelt,
Heilend, nährend wird sichs weisen.
Niemand kann ich glücklich preisen
Der des Doppelblicks ermangelt.

Und so könnt ich alle loben,
Und so könnt ich alle lieben:
Denn so wie ich euch erhoben
War die Herrin mit beschrieben.



【散文訳】

ハーテム

花嫁よ、こちらへ来るがいい!もう事は定まったのだ
編んだ髪の房、大きい小さい櫛が
可愛らしい頭の、愛らしい清純を飾っている
丁度丸屋根が苔を飾るように

お前、ブロンド髪の可愛らしいお前は、かくも飾って愛らしく
すべての方法と道において、かくも愛らしいく
ひとが、直ちに、回教の寺院のミナレッテ(尖塔)を思い出しても
おかしいことではない。

お前は、その後ろに、ふたつの眼を持ち
お前は、ふたつの眼のそれぞれを、好きなように用いることができる
しかし、わたしはお前を避けずにはいられないだろう。

軽く、星を覆って天蓋となる目蓋のひとつが押されて
その目蓋は、いたづら者のうちの一番のいたづら者を指し示す
しかし、もうひとつの目蓋が、かくも正直に、誠実にものを見るのだ。

これなのだ、これが、もし、誰かを傷つけながら釣りをするならば
その傷を直しながら、滋養分を与えながら、これが自づと示されることになる。
二重の視線を欠いている者の
誰をも、わたしは幸福に賞賛することはできない。

そして、このように、わたしはすべてのひとたちを誉め称えることができるかも知れず
そして、このように、わたしはすべてのひとたちを愛することができるかもしれない
何故ならば、わたしがお前達を称揚したそのように
この女主人が、一緒に描かれたからである。



【解釈と鑑賞】

第2連で、ズーライカをイスラム教の寺院の高い尖塔に譬えているのは、この尖塔からコーランの朗唱が聞こえて来て、ひとびとがその尖塔に向ってお祈りをするからです。それほどに、ズーライカの魅力は、ひとびとに愛されるというのです。

第3連と第4連に歌ったことが、ゲーテの第5連でいう二重の視線の意味です。ズーライカは、ハーテムたるゲーテに対して、このような相反する二重の意味をもたらすのです。

この二重の意味で、世俗のひとたちを詩人は称揚する。そうしてそれは、ズーライカがわたしにすることと同じ二重の意味を持つ。世俗のひとたちを二重の視線で見る事は、そのままズーライカから受けた視線をそのまま返すことであり、その視線の在り方そのものの中に、既にズーライカが在るのだという、これが、最後の連の意味でありましょう。

第5連のjensの意味が不明です。

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