2015年7月29日水曜日

三島由紀夫の十代の詩を読み解く2:三島由紀夫の人生の見取り図



三島由紀夫の十代の詩を読み解く2:三島由紀夫の人生の見取り図

最初に、やはり、三島由紀夫のこの世での時間、その人生の全体を眺めることに致します。

三島由紀夫の『小説家の休暇』や『太陽と鉄』などのエッセイ群を読んで知った、三島由紀夫自身にの言葉よるその文学的活動活躍の時期の分類は次のようになります。

この場合、『裸体と衣装』に所収の『空白の役割』(1955年)というエッセイの中で三島由紀夫が言っている言葉、即ち「今かえりみると、私も一人の青年の役割を果たしていたことにおどろくのだが、青年期が空白な役割にすぎぬという思いは、私から去らない。芸術家にとって本当に重要な時期は、少年期、それよりもさらに、幼年期であろう。」という重要な言葉を考慮に入れて、幼年期を立てることをすると、次のような年表、年譜を得ることができます。[註1]

[註1]
このエッセイを書いた三島由紀夫の年齢は、1955年、30歳。従い次の年表でゆくと、(4)の古典主義の時代14年間の半ば、中間地点に差し掛かりつつあるところだということになる。


幼年期とは、強く言えば、文字になっていない、文字に残っていない自分の人生という意味である。即ち、自分の記憶の中にだけ存在する時代のことである。従い、三島由紀夫全集にも載っていないことになります。

(1)1925年~1930年:幼年時代~最初の詩『ウンドウカイ』(6歳)を書く前までの時代:0~5歳:6年間:『ウンドウカイ』(6歳)は、既に抒情詩である。

(2)1931年~1945年:6歳~20歳:15年間:最初の詩『ウンドウカイ』(6歳)を書いてから20歳までの抒情詩人の時代:15年間:古典主義の時代の三島由紀夫が贋の詩人だったとよんだ時代。即ち漢字で書く浪漫主義の時代。

(3)1931年から1949年:6歳~24歳まで:19年間:遍歴時代:上記(2)を含み、『仮面の告白』を書くまでの時代。(2)と(3)の差分の4年が、詩人から小説家に変貌しようとして集中的に努力をした時期ということになる。

(4)1950年~1963年:25歳~38歳まで:14年間:古典主義の時代:上記(3)のあとギリシャに旅をして、太陽と鉄を思い論じる古典主義の時代。この時代の範型とした作家は二人、森鷗外とトーマス・マン。やはり、三島由紀夫は、その作中の文学的な引用を見ても、そのドイツ語とドイツ文学という十代の文学的教養を読者と39年1月2日夜、川端康成宅で行われた新年宴会して理解することは、重要であると思われる。

(5)1964年~1970年:39歳~45歳まで:7年間:十代にハイムケール(帰郷)する時代:晩年:死とロマン主義の時代

すなわち、簡潔に書けば、

(1)幼年時代:1925~1930:0歳~5歳:6年間
(2)遍歴時代(抒情詩人の時代を含む):1931~1949:6歳~24歳:19年間
(3)古典主義の時代:1950~1963:25歳~38歳:14年間
(4)Heimkehr(ハイムケール、帰郷)の時代:1964~1970:39歳~45歳:7年間

ということになります。

しかし、古典主義時代の名作『金閣寺』(1956年)について語る三島由紀夫のドイツ哲学用語を元に、ドイツ語を使って、更にもっと簡明に書けば、

(1)幼年時代+遍歴時代:存在の時代:Sein(ザイン)の時代
(2)古典主義の時代:当為の時代:Sollen(ゾルレン)の時代
(3)帰郷時代:現存在の時代:Dasein(ダーザイン)の時代

と、このようになります。[註2]

[註2]
以下Wikipediaから:

三島は『金閣寺』連載中、自身の文体の変遷について、森鴎外の「清澄な知的文体」、「感受性の一トかけらもなく、あるひはそれが完全に抑圧されて」いる文体を模写することで、「自分を改造しようと試みた」とし[11]、「感性的なものから知的なものへ、女性的なものから男性的なものへ」、「個性的であるよりも普遍的」なものを目指したと語り、「作家にとつての文体は、作家のザインを現はすものではなく、常にゾルレンを現はすものだ」とし、自らが在るべきだと思う在り方(ゾルレン)を示すのが文体であり、その「知的努力」が主題と関わりを持てるとしている[11]

[11] 
『自己改造の試み - 重い文体と鴎外への傾倒』(「文學界」1956年8月号掲載) 『亀は兎に追ひつくか』(村山書店)


他方、敢えて安部公房の人生表を持って来て、付け合せれば、これは既に『安部公房と共産主義』、それから『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する』で明らかにしたところですが、安部公房の人生も次のようになっていて、三島由紀夫に大変よく似ております。

(1)存在の時代:0~1947年:24年間:0歳~23歳:存在に隠棲している時代:詩人とリルケの時代
(2)存在から出発する時代:1948~1969年:22年間:24歳~45歳:存在から社会や国家に向かう時代
(3)存在へ回帰する時代:1970~1993年:24年間:46歳~68歳:三島由紀夫の切腹を契機に、リルケの詩と自分の十代の詩の世界に回帰する時代

これをこのまま、

(1)ザインの時代
(2)ゾルレンの時代
(3)ザインへの回帰の時代:ハイムケールの時代

と呼んで、一向に差し支えがありません。

二人の異なるのは、(3)のハイムケールの時代に、三島由紀夫はダーザイン(現存在)に、『花ざかりの森』に回帰するに対して、安部公房は、やはり、ザイン(存在)に、リルケとリルケに倣い、更にそれを陰画に変形させた自分の詩の世界に回帰するということ、ここが誠に、それぞれの独自の思考論理と感性とによる相違であるのです。

しかし、なぜ二人の人生のそれぞれの時期が、このようによく似ているのか、そっくりなのかということは、大変に興味ふかいことで、これは後日の考察と致します。

勿論、どのような人間であれ、このような3つの位相を経るのではないかと問われたら、それを否定することはできないからです。

さて、上のような三島由紀夫の年譜、年表を念頭に置きながら、十代の三島由紀夫の詩を、これから読むことにいたします。

この場合、勿論、上の年表に暗示されているように、三島由紀夫もまた、安部公房と同様に、生涯詩人(それも、安部公房と同様に反時代的な詩人)でありましたから、折に触れ、またわたしの知見を得るところに従って、小説や戯曲やエッセイへの言及をし、それらとの関係もまた論ずることに致します。

(続く)




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