2013年1月24日木曜日

Wenn die Kälte zu gross wird(寒さが余りに大きくなるならば):第5週 by Paula Ludwig(1900 - 1974)




Wenn die Kälte zu gross wird(寒さが余りに大きくなるならば):第5週 by Paula Ludwig(1900 - 1974)




【原文】

Wenn die Kälte zu gross wird
dann stossen auch sie
die geduldigen Voegel
einen Schrei aus
eh das Herz ihnen still steht.


【散文訳】

Wenn die Kälte zu gross wird
dann stossen auch sie
die geduldigen Voegel
einen Schrei aus
eh das Herz ihnen still steht.

もし寒さが余りに大きくなるならば
彼らも、つまり
忍耐強い鳥達も
一声の叫びを発する
彼らの心臓が静かになる前に



【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


オーストリアの作家であり、画家でもありました。

この人の人生も、大変なものがあります。

父と母は別居していました。しかし、母親が早くになくなり、3人の子供達は父に引き取られます。この父親のもとでの14年間は、読書三昧の生活をしたということです。この時代が一番幸せな時代であったのかも知れません。そのように見えます。

その後、最初は役者を目指し、ある画学校の寝床しつらえ係や、アトリエの助手として働きます。生活するためでした。1917年に、父親の不明の息子をひとり産みます。

その後、ミュンヘンへ出て、今様の言葉で言えば、シングルマザーの世話をしていた赤十字のお世話になります。

1920年前後のミュンヘンで、トーマス•マンの子供達、クラウス•マンとエーリカ•マンの知遇を得、盛んに詩を絵(素描)を出版することを薦められます。こうして1921年に、最初の水彩画が公けになりました。この間、自分の絵を売ったり、その他芸術にかかわる仕事をして、糊口をしのぐ生活をしておりました。

1923年にベルリンへ移り。ブレヒトやクルト•チュヒョスキー、リンゲルナッツ、ヴァルデマール•ボンゼルスの知遇を得ます。そして、Yvan Gollと恋に落ちる。その恋愛書簡集は、ふたりの間の息子が焼き捨ててしまい残っておりません。

1927年から1935年に、「天国の鏡」、「暗い神に。愛の年間詩集」、「生活の本と夢の景色」を出版します。

ナチスの圧迫から、逃亡の生活を余儀なくされ、スイスとフランスに逃げますが、その後ブラジルに亡命して、そこに住んでいた妹のところに身を寄せます。リオデジャネイロとサンパウロに住みました。この期間は、1940年から1953年まで。

この亡命生活の間も、作家活動は止む事無く継続されました。

1953年にヨーロッパに帰国。しかし、健康が害されていて、アルコール依存の状態になっていました。この時代の詩、「飢餓の花は、灰色の壁に咲く」、「眠りの木々は、朽ちた石の上に合図する」を書きました。
オーストリアでは、国籍の恢復が認められませんでした。ドイツでも、その反セミティスム(反ユダヤ主義)の故に、非難されました。パウル•ツェラが翻訳することになっていた恋人Gollの詩、Chansons malaisesをドイツ語に翻訳しようとしたからです。

その後、宿無しの暮らしを送り、住む家もなく、Goetzis, Duesseldorf, Wetzlarを転々としました。ダルムシュタットで、1974年1月27日に亡くなりました。墓は、そこのWaldfriedhof、敢えて訳せば、森の墓地にあるということです。

このような人生を振り返ると、この詩も非常に圧縮され、緊張した魂の叫び、それが鳥達の叫びであると感じます。単純で短い詩であればこそ、一層。


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