by Axel Sanjose
【原文】
So viel Wirsing auf der Welt,
so viel Vorstellung und Wille,
so viel Wahn, so viel Promille -
alles wegen Macht und Geld
Ach, es ist ein weites Feld:
So viel Wahl und so viel Wehe
So viel Wespen, so viel Ehe -
nichts dabei, das ewig haelt.
Wer hat alles das bestellt?
So viel Wermut, Waldorf, Wiener,
Widder, Wagen, Kleinverdiener -
So viel Wirsing auf der Welt.
【散文訳】
世界には、こんなに一杯のキャベツが、
こんなに一杯の表象と意志が、
こんなに一杯の狂気、こんなに一杯の千毎に、が、
すべては、権力と金のせいだ。
ああ、一面、広い畑だ。
こんなに一杯の選択と、そして、こんなに一杯の苦痛が
こんなに一杯の雀蜂、こんなに一杯の結婚が
そのくせ、永遠にもつものなんて、ひとつもありやしないのだ。
だれが、すべてこういったものを、こういう風にしたのだ?
こんなに一杯のニガヨモギ(苦痛の種)が、ヴァルドルフが、ウィーン野郎が
オチンチンピンピンの雄羊が、自動車が、小銭稼ぎが
世界には、こんなに一杯のキャベツが。
【解釈】
Wirsing、ヴィルシングをキャベツと訳しましたが、実際にはキャベツではありません。
その方がイメージが伝わると思って、そう訳しました。
キャベツに似ている、こういう野菜です。畑に一杯生えている。
http://de.wikipedia.org/wiki/Wirsing
日本名は、ちりめんたまな、と言います。
作者は、ちりめんたまな、ヴィルシングが畑一面に一杯あるのをみて、これらの連想を働かせたのだろう。
第1連の「千毎に」、それだけ多いので、千の単位で計らなければならないほど一杯だという意味でしょう。
第2連は、歌われている通り。雀蜂も視界に入って来たのでしょう。
第3連の最初の行の問いは、答えを期待していない。
原文3行目のWermutという言葉は、にがよもぎというヨモギを指すが、転じて苦痛の種という意味がある。
このにがよもぎから自動車まで、ドイツ語では皆、W、ヴェーという音で始まる連鎖、連続になっている。決して綺麗な音の連続ではない。
Wirsing、ヴィルシングがWで始まるので、それを意識無意識になぞったと思う。
Widder、ヴィッダーは、雄羊という意味。それも去勢されていない雄羊のこと。それで、こんな訳にしたが、訳し過ぎたかとも思わないでもないが、こうでも訳さないと繋がらない。雄羊は、そんな人間を指しているともとることができる。
Wagen、ヴァーゲンも、今なら自動車だが、もし古い時代ならば、幌馬車のような車も含めて、馬車という意味かも知れない。
いづれにせよ、これら第3連で挙げられているものは、こうしてみると、皆荒々しい、乱暴なものであると思われる。
Waldorfも同じイメージに連なるものだと思うが、これが何を指すのかわからなかった。わかる方はご教示下さい。
ウィーンの人間が荒々しいというのは、多分この詩人がドイツ語の詩人ではないからだと思う。
オーストリアと敵対的な関係にある国の詩人ではないだろうか。作品の書かれた年代がいつだったのか。
インターネットで調べたが、このひとの名前は出てこなかった。
Alex Sanjoseと書いたが、本当には、最初の名の最初のAの上と、Sanjoseの最後のeの上に、フランス語でいうアクサンテギュに似た記号がついていて、最初のものは、左上から右下に、後のものは、右上から左下に、線がチョンと降りている。
小銭稼ぎと訳した原語は、Kleinverdienerであるが、論理で解釈すると、小金持ち程度のある種の金持ちなのか、文字通りに小さく、少なく稼ぐものなのか、二通りあって、一寸わかりかねるが、多分、後者の意味だと思う。いや、前者の意味でも、やはり、面白いと思う。その方がよいか。
うまい日本語がないので、上のように訳した。
ひょっとしたら、場合によっては、安い棒給生活者をそう呼ぶことがあるかも知れない。
こうしてみると、Wirsing、ヴィルシングという野菜は、繁殖力旺盛な野菜なのだろう。
上のWikipediaの説明では、種類に違いはあれ、一年中採れる野菜と見えます。
追伸:今気が付きましたが、カレンダーの各詩の裏側に作者の生年月日が書かれています。それによれば、この詩人は1960年の生まれです。
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