昨日、このことを書こうと思ったのが、途中で焼き芋屋の声が聞こえてきたので、筆が逸れてしまった。
今日は、まだ明るいので、焼き芋屋の声は聞こえこない。
上に題としたのは、連句、冬の日の5つめ、最後の歌仙、田家眺望の中での杜国の句です。
この歌仙の杜国の句は、どれもいい。
その中でも感覚的にピンと来て、特に気に入ったのが、この句です。
そうしたら、banさんの註解に下記の荘子の典拠あることを示され、むべなるかな。banさん曰く、これを引用するとタクランケが喜ぶだろうということを知っていたと。率直に嬉しい。惹かれますよ、このエピソード。このものの考え方。
われは、塗中に尾を確かに曳いております。
詩は、尾を塗中に曳くものの最たるものだな。
俳句も全く然りであります。
高等な連想の芸術。この意義や深し。
以下、http://1st.geocities.jp/ica7ea/kanji/zhuangzi2.html からの
引用です。
【原文】
莊子釣於濮水。楚王使大夫二人往先焉,曰:「願以竟内累矣!」莊子持竿不顧,曰:「吾聞楚有神龜,死已三千歳矣。王巾笥而藏之廟堂之上。此龜者,寧其死為留骨而貴乎?寧其生而曳尾於塗中乎?」二大夫曰:「寧生而曳尾塗中。」莊子曰:「往矣!吾將曳尾於塗中。」
【読み下し】
莊子、濮水に釣す。楚王、大夫二人をして往きて先(みちび)かしむ。曰わく、願わくは竟(境)内を以て累(わずら)わさんと。莊子、竿を持ち顧(かえりみ)ずして曰く、「吾れは聞く、楚に神龜あり、死して已に三千歳。王、巾笥(きんし)してこれを廟堂(びょうどう)の上に藏すと。此の龜は、寧(むし)ろ其れ死して骨を留(とど)めて貴(たっと)ばるることを為さんか、寧ろ其れ生きて尾を塗中に曳(ひ)かんか」と。
二大夫曰わく、「寧ろ生きて尾を塗中に曳かん」と。
莊子曰わく、「往け。吾れ將(まさ)に尾を塗中に曳かんとす」と。
【解釈】
荘子が濮水のほとりで釣りをしていた。そこへ楚の威王が二人の家老を先行させ、命を伝えさせた(招聘させた)。
「どうか国内のことすべてを、あなたにおまかせしたい(宰相になっていただきたい)」と。荘子は釣竿を手にしたまま、ふりむきもせずにたずねた。
「話に聞けば、楚の国には神霊のやどった亀がいて、死んでからもう三千年にもなるという。王はそれを袱紗(ふくさ)に包み箱に収めて、霊廟(みたまや)の御殿の上に大切に保管されているとか。しかし、この亀の身になって考えれば、かれは殺されて甲羅を留めて大切にされることを望むであろうか、それとも生きながらえて泥の中で尾をひきずって自由に遊びまわることを望むであろうか」と。
二人の家老が「それは、やはり生きながらえて泥の中で尾をひきずって自由に遊びまわることを望むでしょう」と答えると、荘子はいった。
「帰られるがよい。わたしも尾を泥の中にひきずりながら生きていたいのだ」
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