2011年1月31日月曜日

いつも、こうだ。

権力、それは様々に、大なり小なりとあるが、その権力のひとつにと、今はいっておこう、それに頼った人間の言葉が、段々と、また日々、駄目になって行く、腐敗して行く様をみることは、つらいものがある。

直近の経験では、それはある若者の言葉であるが、これは、年齢を問わないことであると思う。(それ故に、若さを惜しめよ。)

言葉が古びないということ、即ち、ひとのこころに、どの時代の今も新鮮にいきいきとして響いて来るということ、これはどういうことであろうか。

このためには、どのような人生をそのひとは送るものだろうか、送るべきなのだろうか、或いは送ったのだろうか。

反権力もまた、権力に頼っているのである。反、であるが故に。

それは、愚かである。

わたしが、いいたいことは、最初の3行に尽きる。

権力とは何か。

政治的な権力を権力と今言うならば、それに一番近いのは、詩人である。詩人の名前が、民族、人種、地域で、何と呼ばれようとも。

こととものに、名前をつけて、ひとつの文を創造することのできるものが、権力者でないわけがあろうか。

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