2011年1月22日土曜日

Selbst(自己):第5週

Selbst(自己):第5週

by Hans Keilson


【原文】

die alte heilige sprache
der propheten
ist nicht mehr
wenn das auge versteint
die hand entkernt
in welcher sprache werden wir fluchen und beten

ich bin kein mensch
ich bin ein tier
das angst hat

fuerchtet euch nicht vor mir
gebt mir bei lebzeit
eine ruhstatt


【散文訳】

預言者の古い神聖な言葉は
もはやない
目が、見たものを石と化す場合には
手が、触れたものの芯を抜き取ってしまう場合には
どのような言葉でわたしたちは呪ったり祈ったりしたらいいのだろうか

わたしは人間ではない
わたしは不安を抱えている
一匹の動物である

わたしを恐れないでください
生きている間は
安息の場所を恵み給え


【解釈】

この詩人は、1909年の生まれ。

エリアス・カネッティ、小林秀雄、埴谷雄高と同じ世代のひとです。

他にも名のある芸術家はいると思います。

読んで、その通りの詩だと思います。

訳についていくつかのことを書いておきます。

「目が、見たものを石と化す場合には」と訳した「見たものを石と化す」の「石と化す」のドイツ語は、versteinen。これは辞書にはない言葉です。

語幹はstein、石なので、それに基づいて、そのように訳しました。

「石と化す」も「芯を抜き取ってしまう」も、これらの動詞は他動詞であるにもかかわらず、原文には目的語がありません。敢えて、目的語を補って、散文訳としました。

最後の連をなすふたつの文は、命令形です。

しかし、この詩全体が大文字を使わず、すべて小文字で書いてあるために、この命令形で命令している相手が、親称の複数形なのか(お前たちよと呼びかける)、敬称で祈っているのかが不明確です。

さらに、しかし、最後の連には、何か、この話者のこころのありかたが出ていると思う。

丁寧な、対象に敬意を払った願い。

それゆえ、後者、即ち敬称で訳しました。

しかし、なお、前者で訳すこともできると思う。

その場合の訳は、

わたしを恐れないでくれ
生きている間は
安息の場所を与えてくれ

と、こうして訳してみると、この話者の呼びかける相手のひとたちには、何かはっきりとしたイメージがあるのかも知れないと思われる。

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