2009年10月30日金曜日

オルフェウスへのソネット(VII)

VII

RÜHMEN, das ists! Ein zum Rühmen Bestellter,
ging er hervor wie das Erz aus des Steins
Schweigen. Sein Herz, o vergängliche Kelter
eines den Menschen unendlichen Weins.

Nie versagt ihm die Stimme am Staube,
wenn ihn das göttliche Beispiel ergreift.
Alles wird Weinberg, alles wird Traube,
in seinem fühlenden Süden gereift.

Nicht in den Grüften der Könige Moder
straft ihm die Rühmung lügen, oder
daß von den Göttern ein Schatten fällt.

Er ist einer der bleibenden Boten,
der noch weit in die Türen der Toten
Schalen mit rühmlichen Früchten hält.

前のソネットの最後の行の賞賛という言葉を受けて、ソネットVは、

賞賛という言葉から始まります。

【散文訳】

賞賛すること、これだ。賞賛するように決められている者、

オルフェウスは、石の沈黙の中から生まれる鉱石のように、

現れた。オルフェウスのこころは、ああ、人間たちにとっては

果てしない葡萄酒の圧搾機、過ぎ行く圧搾機だ。

神的な例がオルフェウスを捕まえるならば、その度に、

塵芥(ちりあくた)に接していても(触れていても)、

声は、オルフェウスのいうことをきかないということはない。

オルフェウスの感じている南の地で熟成して、

すべては、葡萄の山となり、全ては葡萄の房となる。

腐敗の王たちの墓穴の中では、賞賛することが嘘であるといって

オルフェウスを責め、罰することはないし、また

神々から一つの影が落ちて来るからという理由で、

オルフェウスを罰することはないのだ。

オルフェウスは、死者たちの戸口の中に、

もっとずっと中に入っていって、賞賛に値する果実を盛った鉢を

手に持っている、留まる使者のひとりなのである。

【解釈】

一体このソネットは何を歌っているのだろうか。

1連の

オルフェウスのこころは、ああ、人間たちにとっては

果てしない葡萄酒の圧搾機、過ぎ行く圧搾機だ。

という文は、オルフェウスは、ものごとのエッセンスを抽出するといっているのでしょう。それも、第2連を読むと、どうもオルフェウスは、塵芥であろうと、オルフェウスの歌う声に触れれば、葡萄の山になり、葡萄の房になるようですから、それを圧搾機にかけて、葡萄のエッセンス、すなわち葡萄酒を搾り出す者が、オルフェウスだということになります。「過ぎ行く圧搾機だ」とあるのは、オルフェウスが、既に見たように、変身してやまない、ここにはいない存在だからでしょう。

毎日葡萄酒が飲めるのならば、わたしはオルフェウスと一緒にいたい。しかし、それは無理なのだな、やはり変身して、その場を次から次と転ずるからだ。それに、それでは、酒を味わう時間がない。こうして考えてみても、オルフェウスは、無私の存在だということがわかる。変なわかりかたかも知れないが。

「腐敗の王たち」と訳した、この王様たちが、一体何者なのかが、今この文を書いているときに、わかりません。墓穴とあるので、いづれにせよ、生前は栄華を極め、死者となって今は墓の中に横たわっているのでしょう。この詩から言って、この王たちは、死の世界で、裁きの権利を持っているようです。

また、「神々から一つの影が落ちて来るからという理由」とは、何をいっているのでしょうか。神々という、誤謬のない、煌々と輝いている世界の存在から影が落ちるということは、あり得ないことの譬えなのでしょう。

最後の連は、

オルフェウスは、死者たちの戸口の中に、

もっとずっと中に入っていって、賞賛に値する果実を盛った鉢を

手に持っている、留まる使者のひとりなのである。

と歌われていますが、これは、何を歌っているのでしょうか。

やはりわかることは、オルフェウスは、何かの使者であって、それも留まる使者たちのひとりであるということです。留まる死者の留まる、bleiben、ブライベンという言葉は、悲歌にも出てくる、リルケの好きな言葉のひとつです。この世の変化とは無縁に、いつまでも同じ場所にいるという意味です。辞書には、そうは書いていませんが、リルケが独自に概念化した、リルケ好みの言葉です。

使者とあると、悲歌の2番でも、青年は、人間の旅姿に身をやつした大天使とともに、戸口に立ち、父親の代理として、いわば使者として、旅立つところでした。戸口は、旅立つということ、そうして使者ということばと一緒にひとつの連想をなす、リルケの詩世界のことばなのだと思います。

オルフェウスは、豊かな果物を盛った鉢を、あるいは皿を手にしている。そうして、死者たちの家々の中、奥深くにまで入ってゆくことができるのです。この詩の文脈からいうと、オルフェウスは、賞賛するために、死者たちの戸口の奥深くへと入っていく、そのような不変の使者だということになります。賞賛すべき立派な果物を持って。

オルフェウスと死者たちの関係はどのようなものなのか、これは、もう少しソネットを読みながら、考えてゆかなければなりません。悲歌のことを思い出すならば、オルフェウスは青年でありますから、それだけの理由で、死者とはとても親しい関係を有しているのだと思い当たります。リルケの意識の中では、この組み合わせは、無理のない、自然なものなのです。

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