2009年10月12日月曜日

オルフェウスへのソネット(III)

III

EIN Gott vermags. Wie aber, sag mir, soll
ein Mann ihm folgen durch die schmale Leier?
Sein Sinn ist Zwiespalt. An der Kreuzung zweier
Herzwege steht kein Tempel für Apoll.

Gesang, wie du ihn lehrst, ist nicht Begehr,
nicht Werbung um ein endlich noch Erreichtes;
Gesang ist Dasein. Für den Gott ein Leichtes.
Wann aber sind wir? Und wann wendet er

an unser Sein die Erde und die Sterne?
Dies ists nicht, Jüngling, daß du liebst, wenn auch
die Stimme dann den Mund dir aufstößt, — lerne

vergessen, daß du aufsangst. Das verrinnt.
In Wahrheit singen, ist ein andrer Hauch.
Ein Hauch um nichts. Ein Wehn im Gott. Ein Wind.

【散文訳】

神様ならばできるだろう。しかし、おい、男がひとり、

弦が狭く張ってある竪琴を、神さまの後をおって、

潜り抜けることなどどうやってできようか。この男の

感覚は、分裂する(二つに分かれる)。ふたつの、こころの

道の交差するところには、アポロのための寺院など立って

いないのだ。

聖なる歌、お前がその男に教えるのは、欲求ではない、

求めることではない、かろうじて到達できるものを

求めることではない。(歌うとは、そのように容易に手に入る、

到達できることではない。)聖なる歌、歌うことは、今ここに

こうしてあることだからだ。神にとっては、安きもの、安きことである。

さて、われわれ人間は、一体いつ存在するのだ?そうして、いつ、

われわれの存在に、大地と星辰を向けることを、この男は

するのだろうか?若き者、オルフェウスよ、お前が愛するということ、

たとえ声が、愛することで、お前の唇からほとばしり出たとしても、

お前が愛するということでは、それは、ないのだ。忘れることを

学びなさい、お前が声高らかに歌ったということを忘れることを。

それは、失われ、消えてしまう。真実に歌うということ、それは

また別の息吹だ。何ものをも求めぬ、そっと吐く息だ。神様の中を吹く風だ。

すなわち、風。

【解釈】

1.やはり、この詩は、話者が重要な役割を演じている。話者は、オルフェウスでは

ない。その話者が、オルフェウスに直接呼びかけたり、間接的に歌ったりしている。

2.「ふたつの、こころの道の交差するところには、」と訳したところに似た箇所が、ずっと後の、ソネットXXIXの第3連の第2行に出てくる。ここにもSinn、ジン、感覚という言葉が出てくるので、このふたつのソネットは照応し、対応し、互いに響きあっていると思う。それが、本当は何を意味しているのか、これを考えることが、このソネットを理解する道筋のひとつだと思う。解釈があれば、お教えください。

2.そこで、アポロのための寺院がたっていないということは、何を言っているのだろうか。アポロは、オルフェウスの父親ということである。父のための寺はたっていないという文である。これは、オルフェウスと父親の何か特別な関係を示しているのだろうか。リルケは、この文で、一体なにを言いたいのか。多分わたしの知識の少ないことによって、理解することができないのだろう。これも、解釈があれば、どなたか、お教えください。

4.「聖なる歌、歌うことは、今ここにこうしてあることだからだ。」という文は、デゥイーノの悲歌6番第3連第2行にある

Sein Aufgang ist Dasein.

彼(英雄)の上昇は、今ここにこうしてあることだ

という一行と同じ意味を有している。悲歌をソネットの解釈のために利用することができる。

悲歌のこの部分でも、星辰が出てくる。悲歌のこの箇所では、英雄は、死者、若い死者に不思議なほどよく似ていると歌われている。時間の持続が英雄を刺激することはない、絶えず攻撃することはないのだという。何故ならば、彼の上昇は、今ここにこうしてあることだからだ、というのである。

ここでも言われていることは、英雄の行為は、無私の、無償の行為であるということである。それは、絶えずわが身を危険にさらる行為であり、星辰、それがなにも本当の星辰であるとしてではなくとも、星辰に相当するものの中に、そのような像の中へと歩み入るのが英雄なのだと、悲歌では歌われている。同様に、オルフェウスもまた、そのような人間ならぬ人間として、そのようなありかたであるのだと、リルケの創造した話者は、歌っているのだ。それが、真実の中で歌うことだ、と。それは、容易なわざではないのだと、話者は言っている。

最後のHauch,ハウホ、息、息吹とは、リルケらしい言葉である。悲歌では、同じ言葉が、atmen、アートメン、息をするという動詞として、繰り返し出てきたことを思う。

何も求めるのではない、という箇所は、悲歌の2番の冒頭そのものである。

こうしてみると、リルケは、悲歌を書きながら、このソネットにおいて、もっと静かな調子で、同じ思想を展開したのだと理解することができる。

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