2016年4月16日土曜日

第16週:groteske(グロテスクな女)by Else Lasker-_Schüler(1869-1945)

第16週:groteske(グロテスクな女)by  Else Lasker-_Schüler(1869-1945)





【原文】

Seine Ehehälfte sucht der Mond.
Da sonst das Leben sich nicht lohnt.

Der Lenzschalk springt mit grünen Füssen
Blühheilala über die Wiesen.

Steif steht im Teich die Schmackeduzie.
Es sehnt und dehnt sich Fräulein Luzie.


【散文訳】

自分の伴侶を、月は探してゐる。
といふのは、人生は大抵は報はれないものだから。

春のゴロツキが、青々とした足でぴょんぴょん飛び跳ねて
草原を超えて(草原に)、花咲かりのハイララの花が氾濫してゐる

硬直して池の中に立つてゐるのは、蒲(がま)
ルーシーが憧がれ、そして伸びてゐる。


【解釈と鑑賞】

この詩人は、ドイツ語の詩人です。ユダヤ人で、今Wikipediaを見れば、そのためにドイツを出て、最後はエルサレムの墓地に埋葬されました。モダニズムと表現主義を女性の側から代表する詩人であると紹介されています。以下Wikiの記述です。

ドイツ語のWiki:

英語のWiki:

表現主義の詩人とあるやうに、最初一読して理解が行かぬ詩でした。それは、なぜかといふと、言葉の選択が何か非常に狭い場所にある意味を選択して、何かもっと広い意味を持たせようとしていることと、逆に広い意味の言葉を選択して、何か逆に狭い、限定されて特殊な意味を表現しようとしてゐるからです。連想の幅が非常に広いといふことです。

それから更に気づくことは、文法上の性(gender)を十分に意識して詩を書いてゐる事です。

これらの事を段落ごとに見てみませう。大事な事は、この詩の題名が、グロテスクな女という題名である事です。それも、ドイツ語の原題は、正書法でいへば、die Groteskeとなるところを、無冠詞にして、しかもGroteskeではなく、名詞の最初の文字を小文字にしてgroteskeとしてゐます。

無冠詞であれば、何か儚(はかな)い、所在なげな、放り出されてゐるやうな女といふ感じがします。またその言葉が小文字で始まるのであれば、それは正書法から外れてゐるわけですから、規格外の、社会から外れて、小さく生きてゐるかといふ感じがあるやうに思ひます。

これらの観点から、連を一つ一つ見てみます。

Seine Ehehälfte sucht der Mond.
Da sonst das Leben sich nicht lohnt.
自分の伴侶を、月は探してゐる。
といふのは、人生は大抵は報はれないものだから。

この連の第一行は、男性名詞の月が主語になつてゐます。従い、最初の自分の伴侶とは、品詞の性を思へば、女性名詞である太陽でありませう。それも、最初の伴侶と訳したドイツ語は、直訳すれば婚姻関係の、夫婦の、半分といふ意味ですから、尚一層そのやうに考へることができませう。

二行目のsonstは、大抵はと訳したものですが、もっと突っ込んでいへば、男だけではつまらぬものだからなあ、人生はといふ気持ちがあつて、大抵はそんなものだから、男だけでは、一人やもめでは生きるには割が合わないといふ意味です。

このやうに考へる男を詩にして歌ふ女の詩人はグロテスクだといふのでせうか。

第2連は、

Der Lenzschalk springt mit grünen Füssen
Blühheilala über die Wiesen.
春のゴロツキが、青々とした足でぴょんぴょん飛び跳ねて
草原を超えて(草原に)、花盛りのハイララの花が氾濫してゐる

と訳しましたが、春のゴロツキと訳したLenzschalkは、春がゴロツキだといふ意味です。あるひは、ゴロツキの春といふところです。が、しかし、語構成の順序は、春のゴロツキです。

何故、春はゴロツキで、どうしやうもない男であるのかと言へば、青い足をもつてゐるからであり、日本語でも青い奴といへば、若造で物事の道理を知らない若い男を言ふのと同じやうに、grün(英語のgreen)といふ色もドイツ語では、青二才の青といふ意味があります。さうして確かに、春がLenzといふ男性名詞であれば、その季節は生命が一斉に湧き上がつて、青い色の足でぴょんぴょんと跳ねるがごとくに乱暴粗雑なのでありませう。

この女性の詩人は、從ひ、対極にある静謐を求めてゐるのでせう。

花盛りのハイララの花とあるハイララの写真を掲げます。これはハワイの踊りの花の首飾りで有名な其の花であると見えます。これが静謐な何か静かで、詩人の心を慰さめるものの代表です。





Steif steht im Teich die Schmackeduzie.
Es sehnt und dehnt sich Fräulein Luzie.
硬直して池の中に立つてゐるのは、蒲(がま)
ルーシーが憧がれ、そして伸びてゐる。


Steifという第一行冒頭の副詞を、硬直してと訳しましたが、この女性詩人が表現主義と呼ばれる詩作をするのであれば、また一般的にいつても詩の一行は多義性はもとよりあるものですから、これを情緒に寄せて、頑なにと訳すことも場合に(文脈に)よつて十分に可能です。文脈といふのは、あなたの解釈次第といふ意味です。

最初の行の主語であるdie Schmackeduzieとは、手元の木村・相良の辞書にもなく、ネットの翻訳辞書のサービスに訳されず、二つの言語の間に落ちてゐる名詞ですが、これはどういふ植物かと言へば、日本語でいふ蒲(がま)の穂を持つた、蒲のことと思はれます。ここでもこの詩人は文法的な性を意識してゐて、この蒲は女性名詞なのです。

ドイツ語の世界から持つて来たdie Schmackeduzieの写真です。





日本語の世界から持つて来た蒲の写真です。




Steif steht im Teich die Schmackeduzie.
Es sehnt und dehnt sich Fräulein Luzie.
硬直して池の中に立つてゐるのは、蒲(がま)
ルーシーが憧がれ、そして伸びてゐる。

この最後の行のルーシーと英語風に訳した乙女の名前は、正しくはドイツ語ではルツィエと呼びます。このルーシーまたはルツィエといふ女性の名前は、広くヨーロッパに流布してゐて、ドイツ語のWikiによれば、次のやうな名前です。

Luzie ist ein weiblicher Vorname.
Ursprünglich vom lateinischen Lux (Gen. Lucis, f.) herkommend, zu dt. „das Licht“, ist die Schreibweise mit Z die germanische Variante des Namens mit dieser Bedeutung, wie sie zum Beispiel in Deutschland und Skandinavien Verwendung findet. Diese Variante ist nicht zu verwechseln mit romanischen Varianten des Namens, wie etwa Lucia (ital.) oder Lucie (fr.). Im Abschnitt Varianten des Artikels "Lucia" finden sich weitere, zumeist romanische Varianten.

ルツィエといふ女性の名前は、光を意味してゐます。英語のWikiではもつと次のやうに書いてあります。

Lucy is an English and French feminine given name derived from Latin masculine given name Lucius with the meaning as of light (born at dawn or daylight, maybe also shiny, or of light complexion). Alternative spellings are Luci, Luce, Lucie. Lucy is also an American, Australian, Canadian, English, Irish, Scottish, Welsh and French surname.


これを読みますと、”as of light (born at dawn or daylight, maybe also shiny, or of light complexion)”とありますから、やはり夜明けの光か、夕暮れの光か、何か明確な昼と夜の間にある曖昧模糊としてある時間を意味するLuzie、ルツィエ、ルーシーでなければならなかつたのでありませう。それ故にこそ、上に述べましたやうに、この詩の題名のgroteskeは、無冠詞でなければならず、

無冠詞であれば、何か儚(はかな)い、所在なげな、放り出されてやうな女といふ感じがします。またその言葉が小文字で始まるのであれば、それは正書法から外れてゐるわけですから、規格外の、社会から外れて、小さく生きてゐるかといふ感じがあるやうに思ひます。

と上で書いた通りの女性を歌つてゐるのです。

しかしまた、of light complexionとありますから、複雑精妙な光を放つ存在でも、このgroteskeは、あるのでありませう。

しかしそれでもなお、月は太陽を求め、春はハイララの花を求め、これらは自然の男女の一対の姿であるのに対して、最後の連では、人間の女性であるルーシーは、光の存在として、華やかにではなく、池の中に凝つとして堪えて、頑なにあるまでにも、しかし、それらの一対のあり方を求めて、これを憧れ、身の丈を伸ばしてゐるのだ。

これが、この詩の解釈といふことになりませう。

現代にも十分に通じる詩だと思ひます。

もし当時と異なる解釈があり得るとしたら、この女性と男性の関係を全て交換しても、ひよつとしたら此の詩が成り立つといふのが、今時のご時勢であるかも知れぬといふところでありませうか。




2016年4月9日土曜日

第15週:Lied(歌)by William Shakespeare(1564 - 1616)

第15週:Lied(歌)by William Shakespeare(1564 - 1616)





【原文】

Komm, du König, weinbekränzt,
Bacchus, dessen Auge glänzt,
Du verjagst die Leitgedanken!
In den Locken Efeuranken,
Trinkt, bis alle Welten schwanken,
Trinkt, bis alle Welten schwanken!


【散文訳】

さあ、来い、お前、王たるものよ、葡萄の葉の王冠をかむり
バッカス神よ、その両眼は輝いてゐるぞ
お前は、お前を導く思想のままに、これを狩り行くのだ!
きづたの蔓(つる)の、女の巻き毛やうな其の中で
飲めや、すべての世界が揺れ動くまで
飲めや、すべての世界が揺れ動くまで!


【解釈と鑑賞】

この詩人は、世界に名にし負ふシェークスピアです。今Wikipediaを見れば、16世紀の、従いバロックの詩人であり戯曲家であると、改めて思いました。

日本語のWiki:

英語のWiki:

しかし、何故かうも酒の歌といふのは、いいのでせうか。飲め!と書かれてゐる文字を見ただけで、嬉しくなる。

男には註釈不要の歌です。それから、呑兵衛の女性にも。

女性の美しい巻き毛に譬えられてゐるキヅタの蔓の写真です。




きづたの中で飲めやといふのは、狩りは森の中で行ひますから、このきづたの写真の方が実感があるかもしれません。






2016年4月2日土曜日

第14週:Unerwartet(思ひ掛けずに)by Nora Gomringer(1980- )


第14週:Unerwartet(思ひ掛けずに)by Nora Gomringer(1980- )





【原文】

Stand keiner an der Wand
Am Tor
Vor der Stadt
Stand keiner, sah keiner
Kam ich nicht, blieb fern
War noch nach Jahren
Kein Gespräch
Lief eine Strecke ohne das Gras
Flach zu drücken, hinterliess
Nichts, schon nichts an, war
In keiner Frau gezeugt
Kein Gedanke
An mich hielt einen wach,
Der die Kerze löscht
Und sein Lager teilt
Unerwartet


【散文訳】

誰も壁に立つてゐなかつた
門にも
町の前の
誰も立つてはゐなかつた、誰も見てはゐなかつた
私は来たのではない、遠くに離れてゐたのだ
何年も経つてもまだ
誰とも会話がなかつた
草が平らにならないやうにして、
一区間を駆けてみたが、何も
後に残さなかつた、もう最初から何にも突き当らなかつた、なかつた
どの女の中にも生まれなかつた
どんな考へも
或る男を夢見ることなく覚めたままに抱きしめてゐた
蠟燭を消して
そして、その寝床を分けてくれる男を
思ひ掛けなくも


【解釈と鑑賞】

この詩人は、ドイツ語の詩人です。父親がスイス人、母親がドイツ人。ともに教養のある両親の唯一の娘とあります。そのやうな説明で始まるWikipedaです。


最後の一行をなす一言、思ひ掛けなくもといふのが効いてゐます。即ち、何かを狙つて何かを得るといふのではなく、何か為にする行為を好むのではなく、全く純粋にゐて、無私で、しかし此の詩を読む限り何かかう、從ひ心中苦しさうで、さうしてそのやうな自分を実は反対に抱きしめて呉れるそんな男を求めてゐる。「或る男を夢見ることなく覚めたままに抱きしめてゐた」と最後から4行めに、女性である自分が抱きしめるのだと歌つてはゐるものの。

男にも幻滅してゐたのでせうか、異性には何も期待しないほどに。女性の孤独といふものも、何か、日本語ならば、もののあはれを感じるとふところではないでせうか。

人は偶然に頼つて生きられるほど強くはない。



2016年3月28日月曜日

第13週:Was sollen wir tun mit dieser Abwesenheit(私たちは、この不在で何をすべきなのだらうか?)by Abbas Baidun(1945- )


第13週:Was sollen wir tun mit dieser Abwesenheit(私たちは、この不在で何をすべきなのだらうか?)by Abbas Baidun(1945- )


【原文】

Was sollen wir tun mit dieser Abwesenheit? 
Was macht der Fluss mit diesem Wasser: 
Verschlucken kann er es nicht.
Was machen wir mit dieser Abwesenheit?


【散文訳】

私たちは、この不在で何をすべきなのだらうか?
河といふ奴は、この水で何をするのだ?つまり、
河は水を呑み込むことはできないのだ。
私たちは、この不在で何をすべきなのだらうか?


【解釈と鑑賞】

この詩人は、アラビアの詩人です。パレスチナの人です。

Wikiはありませんでしたが、ベルリン新聞に、この詩人の記事が載つてをりましたので、一番最後にドイツ語のまま引用してお伝へします。翻訳もしたいところですが、私の怠惰を赦されよ。やはり、この記事にはゲーテの最晩年の名品『西東詩集』(『West-Oestlicher Divan』)が出て参ります。ドイツ民族がアラビアの世界に触れ、これを輸入して学んだゲーテの時代以来の交流の歴史がやはりあるのです。

この詩人の写真をGoogleで探し、この人かといふ写真が出て参りましたが、しかし何か政治家の写真のやうでもあります。一番下段に引用した新聞記事を読みますと、この詩人はパレスチナ国家の正式な詩人と呼ばれてをりますので、やはりその国情からいつても、そのやうな地位にあり、大変政治的であることを普通に生きてゐる詩人であるのでせう。

さて、上のことを念頭に置いて、冒頭の一行を読みますと、「私たちは、この不在で何をすべきなのだらうか?」と訳した一行が、この詩の要なのでせう。

「私たちは、この不在で何をすべきなのだらうか?」とは何を言つてゐるのでせうか?

この不在が常にあつて、本来ならここにゐるべき何かがないといふことを、しかし嘆くのではなく、河と河と呼ばれる、仮に器と河を考へて呼びますと、その器の中を流れる水との関係で歌つてゐる。

流れてゐる水を、さう折角その器である河には水が流れてゐて、それが本来の河である筈なのに、この河は其の水を飲むことはできない。

この河をパレスチナといふ国と読み、その中にある民のことを歌つた詩と解することもできませうが、しかし、詩は更に含みの多い言語表現ですから、それ以上の世界の中に、もしその国家があるならば、あることでありませう。

私たちは、この不在で何をすべきなのだらうか?と私は敢へて直訳調に訳しましたが、しかし本来の日本語でいふならば、私たちは、この不在をどうしたら良いのだらうか?といふ意味になります。

以下、Berliner Zeitung(ベルリン新聞)からの記事の全文の引用です。この記事を読みますと、この時集まった、謂わば詩の世界のドイツ・アラビア詩人の会議に参加した双方の詩人と批評家の名前は次のやうなものです。

ドイツの詩人と批評家たち:
(1)詩人
Hans Magnus Enzensberger
Durs Grünbein
Volker Braun

(2)批評家
Jens Jessen
Lothar Müller

アラビアの詩人たち:
Adonis aus Syrien
Sargon Boulus aus dem Irak
Abbas Baidun
その他アラビアの女性詩人たち


Krummdolch und Schleier: Ein deutsch-arabisches Dichtertreffen in Jemen Inspirierender Selbsthass

Wenn man Goethe mit arabischen Buchstaben schreibt und dieses Wort dann auszusprechen versucht, klingt es wie "Rute". Von "Rute" war viel die Rede auf dieser denkwürdigen Konferenz arabischer und deutscher Dichter, Kritiker und Medienvertreter, die vergangene Woche in der jemenitischen Hauptstadt Sanaa stattfand. Schließlich gilt der Verfasser des "West-östlichen Divan" als Schutzpatron deutsch-orientalischer Völkerverständigung, und glaubte man der Eröffnungsrede des jemenitischen Ministerpräsidenten, war es Goethe höchstselbst, der zu dieser Konferenz eingeladen hatte. Entsprechend zahlreich waren sie angereist, die westlichen und die östlichen Dichter, Büchnerpreisträger darunter wie Hans Magnus Enzensberger, Durs Grünbein oder Volker Braun, klingende arabische Namen wie Adonis aus Syrien oder Sargon Boulus aus dem Irak. Fünf Tage lang lasen sie sich Gedichte vor und debattierten über die Zukunft der Lyrik und den richtigen Umgang mit dem Fremden.Einen exotischeren Schauplatz als den Jemen hätte man sich kaum denken können. Man fühlte sich weniger an einen anderen Ort, als in eine andere Zeit versetzt, einen Orient, wie er orientalischer nicht denkbar ist. In tiefes Schwarz geschleiert huschten Frauen, von denen man allenfalls die Augen sah, durch die Gassen der Altstadt von Sanaa, die für ihre atemberaubende Skyline aus mittelalterlichen, schmuckvoll verzierten Wohnhochhäusern berühmt ist; und ehe man sich versah, fanden sich dieselben Frauen im Konferenzsaal wieder, lüfteten ihren Schleier und trugen moderne Gedichte vor. Hagere alte Männer mit Krummdolch hinter einem breiten Gürtel sah man in den Bergdörfern im Hinterland von Sanaa; am nächsten Morgen debattierten ihre Söhne und Enkel, westlich gekleidet, im Sheraton Hotel über die Frage, ob sich die Dichtung in einer globalisierten Welt als autonome Ausdrucksform bewahren könne. Hier stimmten die deutschen Kritiker - unter ihnen Harald Hartung, Jens Jessen und Lothar Müller - mit ihren arabischen Kollegen überein: Gerade die Lyrik sei so kulturspezifisch, dass sie sich stärker als alle anderen Literaturformen den Globalisierungstendenzen widersetze. Doch bis zuletzt haftete dieser Konferenz etwas Surreales an, und man rätselte, welche Motive ein so armes Land wie den Jemen dazu getrieben haben, ein Treffen wie dieses auszurichten. Ging es darum, das Image des Jemen als Touristenziel wieder aufzuwerten, nachdem das Land durch mehrere Entführungen in Misskredit geraten war? Doch das Unwahrscheinlichere dürfte eher der Grund sein: Eine in unseren Breiten kaum vorstellbare Wertschätzung für Dichtung, gepaart mit dem Wunsch des Jemen, in der arabischen Welt und in Europa nicht mehr nur als kulturelles Brachland betrachtet zu werden.Es dauerte eine Weile, bis es zwischen den deutschen und den arabischen Dichtern zu einem echten Dialog kam. Man beschnupperte sich zunächst aus der Distanz offizieller Höflichkeit und wechselseitiger Ehrenbezeigungen. Verwundert vernahmen die Deutschen, mit welcher Leidenschaft viele Araber ihre Gedichte vortrugen, und wie die Lesungen ein ums andere Mal von Beifallsbekundungen unterbrochen wurden. Irritiert vernahmen die Araber, wie unterkühlt gerade die berühmteren der deutschen Dichter ihre Texte vortrugen, oft so wenig dem Publikum zugewandt, dass es schien, sie läsen nur für sich selbst.Doch dann, als es schon fast dem Ende zuging, startete die Konferenz durch. Plötzlich blieb es nicht mehr beim bloßen Verlesen der Thesenpapiere, sondern die Teilnehmer begannen, vehement zu diskutieren. Die Frage wurde aufgeworfen, ob Goethe heute noch als Vorbild für einen vertieften Dialog zwischen Ost und West tauge, und die Statements fielen überraschend kritisch aus. Plötzlich kam es zu einer glücklichen Verzahnung der Diskussionsbeiträge Jens Jessens ("Die Zeit") und des libanesischen Dichters Abbas Baidun über den Selbsthass als Konstitutionsbedingung für den literarischen Diskurs im Westen wie in der arabischen Welt.Jetzt fielen auch die oft krassen Qualitätsunterschiede zwischen den arabischen Dichtern auf. Die offiziellen Staatsdichter des Jemen, die mit großem Pathos auftraten, lösten bei den deutschen Zuhörern, die sich ein Urteil gegen Ende der Konferenz zutrauten, offenes Schmunzeln aus, während die jüngeren jemenitischen Dichterinnen, die zu Anfang unscheinbar in den hinteren Reihen saßen, unter ihren schwarzen Gewändern, aber mit wunderbar gelassenem Ton und intellektueller Schärfe Texte vortrugen, die auch in der Übersetzung noch überzeugten. Dichtung - dies vor allem konnte man lernen - fusioniert nicht so leicht wie Banken und Automobilkonzerne. Aber die Verhandlungen haben begonnen.Im Konferenzsaal lüfteten die Frauen dann ihre Schleier und trugen moderne Gedichte vor.STEFAN WEIDNER Transmediterranes Poesiebündnis: Hans Magnus Enzensberger, Adonis und Durs Grünbein.




2016年3月21日月曜日

第12週:Rezept(レシピ)by Wlofgang Hildesheimer(1916-1991)


第12週:Rezept(レシピ)by Wlofgang Hildesheimer(1916-1991) 




【原文】

Rezept

Feiertägliche Gäste kocht man am besten
In einem großen Topf von Eisen, auf dessen
Blankgescheuerter Außenwand man male.
Man male kühn, in strotzenden Farben,
Die sieben Menschenalter und, wenn noch Platz ist,
Ein kleines Haus, -

(このブログの機能上、うまく上の6行の隣に置くことができませんが、原文では、上の6行の右隣に少し空白を置いて、次の6行が一行一行対応するやうに置かれてをりますので、合わせて鑑賞下さい。あるひは、それぞれの詩をひとつのまとまりとして考へて、上の詩が主たる詩であれば、次の詩は補助詩として読むこともできます。)

Und zwar gesehen durch die Brille eines Kochs
Aus Leidenschaft; eines Kochs, der vor Selbstgekochtem
So wenig zurückschreckt wie vor festlichen Gästen, -
Der Topf ist gross, doch fehlt der Deckel.
Auch einen Boden hat er nicht. Und dadurch gleicht sich
Alles wieder aus.


【散文訳】

祝祭日に来るやうな客たちを料理するのに一番いいのは……a
鉄の大きな鍋の中であり、その鍋の……b
ぴかぴかに光るまで磨いた外側の壁の上に、絵を描くのだ。……c
思ひ切つて大胆に描くのがいい、はち切れる色彩をたくさん使つて……d
七つの代々を、そして、まだ描く余地があるならば、……e
一軒の小さな家をー……f

(このブログの機能上、うまく上の6行の隣に置くことができませんが、原文では、上の6行の右隣に少し空白を置いて、次の6行が一行一行対応するやうに置かれてをりますので、合わせて鑑賞下さい。あるひは、それぞれの詩をひとつのまとまりとして考へて、上の詩が主たる詩であれば、次の詩は補助詩として読むこともできます。)

a. なるほど、確かに、料理人のメガネを通して見た風情であるのだが
b. 情熱から。自分自身で料理された料理人の情熱から(そのように見た風情であるのだが)。
c. お祝ひに招待された客たちの前でのやうに、それほどに驚いて身を引くことがなく
d. この鍋は大きいが、しかし、蓋がないのだ。
e. この鍋は底もまたないのだ。そして、それによって、
f. すべてが再び相殺になつて、元の木阿弥。


【解釈と鑑賞】

この詩人は、ドイツの詩人です。



前回の詩にご婦人の日常に接するものの一つとして料理のレシピが歌はれてゐたので、今度もそのつながりでせうか、題名そのものがレシピといふ題名の詩が選ばれました。

主たる詩の方を読めば、この大きな鍋は7代に亘つて代々使はれるものなのでせう。さうして、それぞれの代で、何か新しい料理上の工夫もなされて、料理も、レシピの根底は変わらずに、しかし、斬新なものになつて行くかのやうです。

他方、今度は補助詩である二つ目の(原文では右隣の)6行を読めば、この主たる詩は、料理人の眼鏡を通してみた景色であって、それも自分で自分を料理してしまった料理人の情熱に発したものであるといふのです。

「c. お祝ひに招待された客たちの前でのやうに、それほどに驚いて身を引くことがなく」といふ一行の意味は、このやうに見て参りますと、その料理人は、そのやうに眼鏡を通してそのやうな情景を見てゐても、なんら驚くことがなく、その驚き方の様子は丁度、何かお祝ひごとに招待されてやつて来る客たちのやうに驚かないと言つてゐるのです。

さて、この料理人の目にする大きな鉄の鍋、これを使つて料理をつくるわけですが、ところが、この鍋には蓋もなければ鍋底もない。外側に7代に亘る人間たちが描かれてゐるだけである。だけであるといひませうか、そのやうな鍋である。

從ひ、そもそも料理をすることは、この鍋ではできないといふことになつてゐて、それは遂には、何故かといふと、すべてが再びご破算になつて、7代もなにもへつたくれもなくなつてしまふからだといふのです。

しかし、そもそもを考へて、主たる詩の方の最初の一行を改めて読みますと、これは「祝祭日に来るやうな客たちを料理する」ための鍋なのでありました。

人間たちを料理するための鍋ですから、鉄でできてゐて、大きくなければならず。また確かに情熱も大いに必要でありませうし、さうでなければ、とてもやつてゐられないでせうし、それにそもそも此の料理人は、まづ自らが自らを料理した料理人であるといふ料理人であるのです。

この上の段落の最後の自分を自分で料理したという料理人であることが、主たる詩と従たる詩の並列してならんで読むことのできる、そのあとのすべての詩行を成り立たせてゐる理由であると、わたしは思ひます。

ご破算の大きな鍋。安部公房ならば、方舟さくら鍋、とでも名付けたでありませうか。さくら鍋と言へば、これは馬肉でありますから、鍋の中には馬が登場して、安部公房の世界が始まつたかも知れません。

このやうに更に考へて来ますと、このやうな大きな鍋とは、自分で自分を料理した此の料理人のことであるのかも知れません。つまり、何でも、時間を超えて、料理してしまふ大鍋。






2016年3月12日土曜日

第11週:Frauenfunk(ご婦人放送局)by Marie Luise Kaschnitz(1910-1974)


第11週:Frauenfunk(ご婦人放送局)by Marie Luise Kaschnitz(1910-1974)






【原文】

Frauenfunk


Eines Tages sprech ich im Rundfunk
Gegen Morgen wenn niemand mehr zuhört
Meine gewissen Rezepte

Gießt Milch ins Telefon
Laßt Katzen hecken
In der Geschirr spülmaschine
Zerstampft die Uhren im Waschtrog
Tretet aus euren Schuhen

Würzt den Pfirsich mit Paprika
Und das Beinfleisch mit Honig

Lehrt eure Kinder das Füchsinneneinmaleins
Dreht die Blätter im Garten auf ihre Silberseite
Beredet euch mit dem Kauz

Wenn es Sommer wird zieht euren Pelz an
Trefft die aus den Bergen kommen
Die Dudelsackpfeifer
Tretet aus euren Schuhen

Seid nicht so sicher
Dass es Abend wird
Nicht so sicher
Dass Gott euch liebt.


【散文訳】

ご婦人放送局

ある日、わたしは放送局で話をする
朝方に、誰ももう聴いてゐないときにいつも
わたしのあるレシピのことについて

牛乳を電話の受話器の中に注ぎます
猫たちを盛(さか)らせて子供をつくらせます
食器洗い機の中で
洗濯桶の中で時計たちを搗(つ)き砕きます
自分の靴を脱ぎなさい

桃にパプリカで味付けをしなさい
そして、腿肉(ももにく)には蜂蜜で味付けしなさい

子供達に、雌狐が1x1で何匹といふ掛け算の九九を教へなさい
庭で、葉っぱの銀色の面に合わせて、葉っぱを廻しなさい
梟(ふくろう)と相談しなさい

夏になつたら、毛皮を着なさい
山の中からやつて来るあの者たちに会ひなさい
バグパイプの演奏者たちに
自分の靴を脱ぎなさい

そんなに確かだとおもつてはいけない
夕方になるといふことが
そんなに確かだとおもつてはいけない
神があなたたちを愛してゐるなどとは



【解釈と鑑賞】

この詩人は、ドイツの詩人です。




この詩のカレンダーを製作した出版社が敢へて強調する言葉を赤にしたのか、それとも詩人自身が最初から赤にしたのか、いづれにせよ、題名のご婦人からして赤字ですので、それに関した言葉が詩文の中で赤になつてゐると理解することにしませう。さうすると、

1。レシピ
2。猫たち
3。食器
4。洗濯槽
5。子供たち
6。庭
7。毛皮
8。靴
9。愛すること

これらが、ご婦人たち、即ち結婚した世の女性たちに親縁のものたちであるといふことになります。

かうして眺めますと、如何にもそのやうに見えます。

最初の第1連の出だしと連そのもの、それに続く第2連は、いい。さうしていつのまにか引き込まれて行つて、最後の少しばかり深刻な4行の連に逢着する。

この詩人によれば、これも生きるためのレシピであるといふことなのでありませう。

勿論、このレシピは、昼前には放送することはできず、「朝方に、誰ももう聴いてゐないときにいつも」話すべきレシピでなければならない訳です。

かうして考へて参りますと、題名のご婦人放送局とは、家庭にゐるご婦人方のための放送局といふ意味ですから、そのやうに訳する方がよいのかも知れません。あるひは、ご婦人専門の放送局といふ意味ならば、そのままでもよいといふことになります。








2016年3月8日火曜日

第10週:Wenn es nur einmal so ganz stille wäre(もしたった一度でもこのやうに静かであるならば)by Rainer Maria Rilke(1875-1926 )


 第10週:Wenn es nur einmal so ganz stille wäre(もしたった一度でもこのやうに静かであるならば)by Rainer Maria Rilke(1875-1926 )





1900年頃のリルケ


【原文】

Wenn es nur einmal so ganz stille wäre,
Wenn das Zufällige und Ungefähre 
verstummte und das nachbarliche Lachen,
wenn das Geräusch, das meine Sinne machen,
mich nicht so sehr verhinderte am Wachen-

Dann könnte ich in einem tausendfachen
Gedanken bis an deinen Rand dich denken
und dich besitzen (nur ein Lächeln lang),
um dich an alles Leben zu verschenken
wie einen Dank.



【散文訳】

もしたった一度でもこのやうに静かであるなら
もし偶然のものと曖昧なものが
黙るならば、そして、隣にある笑ひが、
もし、私の五感の立てるさやけき音が
私の目覚めることを、かくも非常に妨げることがないのであるならー

さうしたなら、私は千倍の
思想思念の中で、お前の縁(へり)に至るまで、お前のことを考へて
さうして、お前を所有する(ただ一度の微笑の時間の長さだけ)ことができるかも知れない
お前を、全ての命に対して贈り物と成すために
感謝を贈り物と成すやうに


【解釈と鑑賞】


この詩人は、著名なドイツの詩人です。



この詩にも、リルケらしい言葉が出て参ります。

1。静けさ
2。さやけき音
3。千倍
4。縁(へり)

さうして、これらの言葉に関係して、

5。命
6。贈りもの
7。感謝

リルケが生涯求めたものの一つが、静けさです。

この静けさがどうやつて生まれるのかと言へば、それは、私の五感の立てるさやけき音によるのです。

この詩では、リルケはdas Geräuschと、名詞を使つてゐますが、動詞として使ふ時には、es rauschtと言ひ、rauschen、ラウシェンといふ動詞として表します。

さやけき音、さやさやといふ音が、リルケにとつて、またドイツ民族にとつて、どのやうな音であるのかについては、以下「リルケの『形象詩集』を読む(連載第3回)~『ハンス・トマスの60歳の誕生日に際しての二つの詩』Zwei Gedichte zu Hans Thomas Sechzigstem Geburtstage『月夜』~(もぐら通信第34号)」より再掲します。

「この、ドイツ語でいうrauschen、ラウシェンという動詞が、一体ドイツ人にとって、またドイツ民族にとって、その響き通りにどのような意味を持つ言葉であるかを、まづ最初に説明をしてから、両手を揚げることの意味についてお話をします。以下「リルケの『形象詩集』を読む(連載第3回)~『ハンス・トマスの60歳の誕生日に際しての二つの詩』Zwei Gedichte zu Hans Thomas Sechzigstem Geburtstage『月夜』~(もぐら通信第34号)」より再掲します。


「さて、「さやけき音」と訳した此のドイツ語では、rauschen、ラオシェンと発音される言葉の説明を致します。何故ならば、この言葉と此の発声の音は、ドイツ人にとっては、大変神聖な尊い言葉であり音であるからなのです。

どの詩人の詩を読んでも、このrauschen、ラオシェンという言葉が出てくると、それだけで一つの世界が生まれるのです。この音は、ドイツの森の中で樹木の葉擦れの音であり、自然の中を流れる潺湲(せんかん)たる川の流れの音なのであり、何か神聖性を宿している事物の立てる音だと詩人が思えば、そこに其のような神聖なる事物として存在が現れるのです。勿論、詩のみならず、散文の世界でも同様です。ドイツ人は何かこう、自然の中で閑(かん)たる中にささやかに響く、何か神聖な感覚を、この言葉と其の響きに、持っているのです。

わたしたち日本人の世界の言葉で言えば、さやさや、さやけさ、皐月(さつき)の此の五月の月の「さ」、早乙女の「さ」に当たるような神聖なる音なのです。この「さ」の音を、そっとあなたの口から息とともに発声してみると、あなたは安部公房スタジオの一員になることができるでしょう。」


このさやさやいふ音を、身振り手振りとの関係で、まさに歌つた詩が『形象詩集』にありますので、お読みください。


また、リルケの千倍といふ言葉の使ひ方をみますと、『形象詩集』第2巻第1章の最初に置かれた『飾り文字』と題する詩は、次のやうなものです。これをご覧になると、千倍と縁(へり)といふ言葉が縁語であることが判ります。


Gieb deine Schönheit immer hin
ohne Rechnen und Reden.
Du schweigst. Sie sagt für dich: Ich bin.
Und kommt in tausendfachen Sinn,
kommt endlich über jeden.

お前の美をいつも放棄し、犠牲にせよ
計算も議論もすることなく。
お前は沈黙する。美はお前のために、こう言うのだ:わたしは存在する。
すると、美は、千倍の意義を以って、やって来る
遂に、一人ひとりの人間を超えて、やってくるのだ。


千倍であるといふ事は、何かを、それがお前と呼ばれる二人称の相手であれ、その極限までを考へることである。さうして、一個の人間の限界を踏み越えることであるといふことなのです。

何故この詩のカレンダーの編者が、この詩を、この月の詩として選んだのか。それは、やはり春になつて、小川が流れ、さやさやと音立てて水が流れ始めるからではないでせうか。