2015年3月15日日曜日

Zu einem Besuch(ある訪問に際して):第12週 by Melih Cevdet Anday(1915 ー 2002)

Zu einem Besuch(ある訪問に際して):第12週 by  Melih Cevdet Anday(1915 ー 2002)


【原文】

Wenn ich zu einem Besuch ginge
Wenn man mir ein sauberes Bett richtete
Wenn ich alles, auch meinen Namen vergäße
Und einschliefe...


【散文訳】

もし、わたしがある訪問に際して、尋ねて行き
もし、わたしに清潔な寝床を設(しつら)えてくれ
もし、私が、総てのものを、わたしの名前も、忘れるとしたら
そして、眠りに入るとしたら...


【解釈と鑑賞】

この詩人の、Wikipediaです。トルコのの詩人です。

トルコ語のWikipedia:http://tr.wikipedia.org/wiki/Melih_Cevdet_Anday

接続法II式で書かれた詩です。

即ち、この世の話ではない。

単純な詩ですが、味わいのある詩です。

現実は、すべてこの逆で、

わたしは誰をもおとなふことなく
わたしは清潔な寝床をしつらえてもらえず
私は、総てを記憶し、自分の名前さへも覚えなければならず
そして、眠りが浅い

といふことになりませうか。

2015年3月7日土曜日

【西東詩集108】 MATHAL NAMEH BUCH DER PARABELN(寓話の巻)


【西東詩集108】 MATHAL NAMEH   BUCH DER PARABELN(寓話の巻)


【原文】

VOM Himmel sank in wilder Meere Schauer
Ein Tropfe bangend, grässlich schlug die Flut,
Doch lohnte Gott bescheidnen Glaubensmut
Und gab dem Tropfen Kraft und Dauer.
Ihn schloss die stille Muschel ein.
Und nun, zu ewgem Ruhm und Lohne,
Die Perle glänzt an unsers Kaisers Krone
Mit holdem Blick und mildem Schein.

BULBULS Nachtlied, durch die Schauer,
Drang zu Allahs lichtem Throne,
Und dem Wohlgesang zu Lohne
Sperrt’ er sie in goldnen Bauer.
Dieser sind des Menschen Glieder.
Zwar sie fühlet sich beschränket;
Doch wenn sie es recht bedenket,
Singt das Seelchen immer wieder.


【散文訳】

天から来て、荒々しい海の驟雨の中にあって、沈んだのは
一雫(ひとしづく)、恐れながら、無残にも満潮を打つた
しかし、神は、信仰心の謙虚な勇気を褒めた
そして、その雫に力と持続を与へ給ふた。
その雫を、静かな貝殻が、その身の内に閉ぢ込めた。
そして、かうして今や、永遠の名声と褒賞となつて
真珠が、わたしたちの皇帝の王冠に輝いてゐる
高い眼差しと、柔和な輝きを以って。

ブルブル鳥の夜の歌が、驟雨を貫いて
アッラーの輝く玉座に押し寄せた
そして、ブルブル鳥の歌う褒賞への賛歌を遮(さへぎ)つて
アッラーは、その真珠を黄金の鳥籠の中に閉ぢこめた。
鳥籠は、人間の四肢だ。
成程、真珠は限られたやうに感じるが
しかし、雫が正しくそのことを熟慮する度に
小さな魂は、繰り返し繰り返し歌ふのだ。


【解釈と鑑賞】

この詩は、寓話の巻の最初の出だしの、露払ひの詩で、無題です。

この冒頭の詩そのものが、この巻の意図を表してゐます。

天から落ちた一滴の雫が貝殻の中で真珠になり、それが更に黄金の鳥籠の中に入れられて、小さな魂、即ち真珠が、歌を歌ふといふ構図です。

人間の四肢の中に宿る魂を、結局小さな美しい一個の真珠に譬えた 詩だといふことになりませう。




Der Reisbecher(旅行用の杯):第11週 by Conrad Ferdinand Meyer(1825 ー 1898)


Der Reisbecher(旅行用の杯):第11週 by  Conrad Ferdinand Meyer(1825 ー 1898)




【原文】

Gestern fand ich, räumend eines
 längstvergeßnen Schrankes Fä-
  cher, Den vom Vater mir vererb-
   ten, meinen ersten Reisebecher.
    Währenddes ich, leise singend,
     reinigt' ihn vom Staub der
     Jahre, War's, als höbe mir
     ein Bergwind aus der Stirn
      die grauen Haare, War's,
       als dufteten die Matten,
       drein ich schlummernd
       lag versunken, War's, als
       rauschten alle Quelle,
        draus ich wandernd
          einst getrunken.


【散文訳】

昨日、わたしは、長い事忘れていた戸棚の
棚を整理してゐて、父がわたしに遺してくれた
わたしの最初の旅行用の杯を見つけた。
その間、わたしは、小声で歌を歌ひながら
長年の埃(ほこり)をほろつて、それを綺麗にしたが、
それは、恰も山岳の風が、わたしの額の中から吹いて来て
わたしの灰色の髪の毛を吹き上げるかの如くであり、それは、
恰もアルプスの牧場(まきば)が香り高く香つて
その中に、わたしは微睡(まどろ)みながら
沈んで、横たわつているかの如くであり、それは、
恰もすべての泉が、さやけき音を立ててゐて
わたしは、その泉から旅に出てゐて、その途上で
嘗てその水を飲んだことがあるかの如くであつた。


【解釈と鑑賞】

この詩人の、Wikipediaです。スイスの詩人です。

日本語のWikipedia:http://goo.gl/6DVFBD
ドイツ語のWikipedia:http://de.wikipedia.org/wiki/Conrad_Ferdinand_Meyer

この詩の行の配列は、上のドイツ語の原文で示したやうに、旅行用の杯の姿をかたどってゐるものです。日本語の訳ではそれは再生できませんでした。

実に、味わひのあるいい詩だと思ひます。

この旅行に持参する杯、コップとはどのやうなものなのかを写真でお見せして、その形象(イメージ)をご覧ください。

古さうなものを選びましたが、今ではプラスチツク製のものが主流のやうです。











【Eichendorfの詩107】Die Freunde5(友達5)の1


【Eichendorfの詩107】Die Freunde5(友達5)の1 
  

【原文】

          1

Seh ich des Tages wirrendes Beginnen,
Die bunten Bilder fliehn und sich vereinen,
Mögt ich das schöne Schattenspiel beweinen,
Denn eitel ist, was jeder will gewinnen.

Doch wenn die Strassen leer, einsam die Zinnen
Im Morgenglanze wie Kometen scheinen,
Ein stiller Geist steht auf den dunklen Steinen,
Als wollt er sich auf alte Zeit besinnen:

Da nimmt die Seele rüstig sich zusammen,
An Gott gedenkend und an alles Hohe,
Was rings gedeihet auf der Erden Runde.

Und aus dem Herzen lang verhaltne Flammen,
Sie brechen fröhlich in des Morgens Lohe,
Da Grüß ich, Sänger, dich aus Herzensgrund!


【散文訳】

わたしは、昼間の混乱した始まりを目にする
多彩な形象が逃亡し、四散し、そして一つに成る
わたしは、この美しい影絵を泣きたい
といふのも、ひと誰もが獲得したいと思ふものは、虚栄であるからだ。

とはいへ、通りといふ通りが空虚に、屋根が孤独に
朝日の光の中で、彗星のやうに輝くならば
静かな精神が、暗い石畳の上に立つている
恰も古い時代を思ひ出すかの如くに。

さあ、そこで、魂は武装をして身を引き締める
神を祈念しながら、さうして、周囲にあつて、
地上の円の上で繁栄する全ての高みを思ひながら

さうして、こころの中からは、長く保たれた数々の炎が
陽気に、朝の烈火の中に押し入るのだ
そこで、わたしは挨拶をする、お前歌い手よ、お前に、こころの底から!


【解釈と鑑賞】

連詩5篇からなる詩『友達』の第5の詩です。

この第5の詩が更に3つに分かれています。その最初の詩が、これです。

第1連では、昼間の世界は虚栄に満ちたものであることが歌われています。この昼間の世界は影絵の世界であるという。これは全く、世間の目から見れば倒立し、倒錯したものに見えますが、しかし、この方が真実であり、真理なのです。

さうして、「恰も古い時代を思ひ出すかの如くに」静かな精神が、暗い石畳の上に立っているのだといふ。この恰も(als ob)とある以上、この精神のたっている暗い石畳という場所には時間がないのですし、それ故に、この精神は静かなのです。沈黙せる精神といってもよいでせう。

しかし、やはり朝が来る、さうして昼が来る。そのために、魂は武装をして、どのように生きるかが歌われているのが、第3連と第4連です。

訳していて思ふことは、この詩のドイツ語は、言葉としてみると、全くその通りで、即ち話者であるアイヒェンドルフと径庭がなく、言葉の方がアイヒェンドルフだということです。










2015年3月1日日曜日

【西東詩集107】 Sommernacht(夏の夜)


【西東詩集107】 Sommernacht(夏の夜)


【原文】

             Dichter

NIEDERGANGEN ist die Sonne,
Doch im Westen glänzt es immer;
Wißen möcht ich wohl, wie lange
Dauert noch der goldne Schimmer?

             Schenke

Willst du, Herr, so will ich bleiben,
Warten außer diesen Zelten;
Ist die Nacht des Schimmers Herrin,
Komm ich gleich es dir zu melden.

Denn ich weiß du liebst das Droben,
Das Unendliche zu schauen,
Wenn sie sich einander loben
Jene Feuer in dem Blauen.

Und das hellste will nur sagen:
》Jetzo glänz ich meiner Stelle,
Wollte Gott euch mehr betragen
Glänztet ihr wie ich so hellte.《

Denn vor Gott ist alles herrlich,
Eben weil er ist der Beste,
Und so schläft nun aller Vogel
In dem gross- und kleinen Beste.

Einer spitzt auch wohl gestängelt
Auf den Besten der Zypresse,
Wo der laue Wind ihn gängelt
Bis zu Thaues luftiger Nässe.

Solches hast du mich gelehret
Oder etwas auch dergleichen,
Was ich je dir abgehörtet
Wird dem Herzen nicht entweichen.

Eule will ich, deinetwegen,
Kauzen hier auf der Terrasse,
Bis ich erst des Nordgestirnes
Zwillings- Wendung wohl erpasse.

Und da wird es Mitternacht sein,
Wo du oft zu früh ermunterst,
Und dann wird es eine Pracht sein,
Wenn das All mit mir bewunderst.


                 Dichter

Zwar in diesem Duft und Garten
Tönet Bulbul ganze Nächte,
Doch du könntest lange warten
Bis die Nacht so viel vermöchte.

Denn in dieser Zeit der Flora,
Wie das Griechen-Volk sie nennet,
Die Strohwitwe, die Aurora,
Ist in Hesperus entbrennet.

Sieh dich um! sie kommt! wie schnelle!
Ueber Blumenfelds Gelänge! -
Hüben hell und drüben helle,
Ja die Nacht kommt ins Gedränge.

Und auf roten leichten Sohlen
Ihn, der mit der Sonne entlaufen,
Eilt sie irrig einzuholen;
Fühlst du nicht ein Liebe-Schnaufen?

Geh nur, lieblichster der Söhne,
Tief ins Innre, schliess die Türen;
Denn sie möchte deine Schöne
Als den Hesperus entführen.


      Der Schenke (schläfrig)

So HAB’ ich endlich von dir erharrt:
In allen Elementen Gottes Gegenwart.
Wie du mir das so lieblich gibst!
Am lieblichsten aber daß du liebst.


                       Hatem

Der schläft recht süß und hat ein Recht zu schlafen.
Du guter Knabe! hast mir eingeschenkt,
Vom Freund und Lehrer, ohne Zwang und Strafen,
So jung vernommen wie der Alte denkt,
Nun aber kommt Gesundheit holder Fülle
Dir in die Glieder dass du dich erneust.
Ich trinke noch, bin aber stille, stille,
Damit du mich erwachend nicht erfreust.


【散文訳】

       詩人

沈んでしまったな、太陽が
しかし、西の方は、相変わらず明るく輝いているぞ
わたしは知りたいのだ、どれ位長く
まだ続くのかな、この黄金の輝きは?

       酌人

旦那、もしお望みならば、わたしはここに留まって
このテントの外で待っていたいと思いますよ
夜が、輝きの女主人になったら
直ぐに旦那のところに来て、報告しますよ。

というのも、旦那があの上のものが好きだと知っているからですよ
無窮のものを見るためにね
もしこの二つ(あの上のものと無窮のもの)が、青の中にあるあの火をお互いに褒め合うならば

そして、最も明るいものが、ただこう言うだけなのさ
》今これから、わたしは私の地位を輝かせるのだ
神が、お前たちをもっと支えたいと思うならば
お前たちは、わたしがこのように明るいのと同様に輝くであろう。《

というのもは、神の御前では全ては素晴らしく、荘厳であり
まさに、神が最善の者であるという理由によって
そういう訳で、このように、こうして今やすべての鳥達が眠っているですから
大きな、そして小さな 最善の中で。

ある者は、実際間違いなく、支柱の棒に取り付けられて尖(とが)る
糸杉の最善最良のものの上で
そこでは、純粋な風が、その者を(手引き紐で幼児に歩行を教えるように)歩き方を教える
その者が、タウエの、風に吹かれる湿気に到るまで

かくなるものを、旦那はわたしに教えて下さった
或いはまた、何かそのようなものを教えて下さった
嘗て旦那から聞いたことは
こころから消え去ることはありませんよ。

わたしは梟(ふくろう)なのですよ、旦那のために、このテラスの上にとまって、うづくまっている梟でいたいのですよ
わたしが、やっと北の空の星辰の
双子座の回転を捕らえるまではね。

そうなれば、それは夜中なのであり
そこ(夜)では、旦那はしばしば余りに早くに人を元気づけ
そうなれば、それは壮麗、豪奢なことになりますよ
これらすべてが、おいらと一緒に人を驚かせるならば。

      詩人

なるほど、この芳香と庭の中には
ブルブル(ペルシャの鳴鳥)の声が、いつも夜通し響いている
しかし、お前は長い間待つがいいのだ
夜がかくも たくさんのことをする力を出すまではな。

というのも、フローラ(花と春の女神)のこの季節の中では
ギリシャ民族がそう(フローラと)呼んだわけだが
藁の未亡人、即ちアウローラ(曙の女神)が
ヘスペルス(宵の明星、金星)の中で燃え尽きるのだからな。

お前の周りを見てみるがいい!アウローラが来るぞ!何という速さだ!
花の野原のその場所一面に!ー
こっちも明るい、あっちも明るい
そうだ、その通りだ、夜が押し籠められている。

そして、赤い軽い足裏で
太陽と一緒に逃げて行ったヘスペルスを
アウローラは、思い違いをして追いつこうと急ぐのだ
お前は、愛の喘ぎを感じないか?

ひたすらに行け、息子の中の最愛の息子よ
深く(居酒屋の)中に入るのだ、扉という扉を閉めるのだ
というのも、アウローラは、ヘスペルスよりもお前の美しさを
誘拐したいからなのだ。


      酌人(眠た気に)

さあ、こうして、やっと、旦那を待ち焦がれていたものを手に入れたってわけでさあ
神の現在する其のあらゆる要素の中にいてね。
旦那が、それを、このおいらに、何と愛らしく与えてくださることか!
最も愛らしいのは、しかし、旦那が愛するということなんですよ。

      ハーテム

こいつは、まさしく甘く眠っていて、そうして、眠る権利があるというものだ
お前、善き子供よ!お前はわたしに酒をついでくれたのだったな
友と教師から、強制もなく罰もなく
お前は、老人が考えるように斯くも若いと知ったのだが
さて、しかし、こうなってみると、優美な充実たる健康がやって来る
お前の四肢の中にな、そうすると、お前は新しくなるのだ
わたしは、まだ酒を飲むぞ、しかし、静かに、静かにしているのだ
お前が覚醒しながら、わたしを喜ばせることのないようにな。


【解釈と鑑賞】

この詩を読むには、この詩人の酒の飲んでいる居酒屋の前には庭園があると思って下さい。そうしてこの庭の中には、夜鳴く、他の詩にも出てきたあのブルブルという鳥が鳴いているのです。

そうして、日がな一日詩人はこのペルシャの居酒屋で酒を飲み、飲み疲れてうつらうつらしている。眠っているのか起きているのか。そうして、そこに酌人がいる。そのような情景を思って下さい。

さて、昼が終わり、夜が始まる、この間(あわい)の時間についての詩人の言葉で、この長い詩は始まります。

第2連の最後から2行目の、

夜が、輝きの女主人になったら

という此の女主人とあるのは、夜が女性名詞だからです。

第3連の、

あの上のものと無窮のもの

とあるこの言葉の意味は、前者、即ちあの上のものとは、既に到来した夜であり、後者、即ち無窮のものとは、遥か地平線に逃れ行く昼の太陽の残光であろうと思います。

この二つのものが共有する此の間(あわい)の時間の色を、

青の中にあるあの火

とゲーテは歌っているのです。

このような目的のない詩こそ、優美な詩、装飾の詩、言葉の最高の技能、即ち藝術という術たる技能を駆使した作品というべきでありませう。

よい時代など詩人には一度もありません。大切なことは、時代に抗して、トーマス・マンの言葉を借りれば、trotzdem、そうであるにも拘らず、それに打ち勝って、作品をものすることが大切なことなのです。

そのために、この時代のゲーテは、ハーフィスの力を借りたということであり、しかし、その動機以上に、やはりこの東西の混交し、融合した此のドイツ語の詩は素晴らしい。と、そう思います。

今の日本で、このような詩を書く詩人がいるかどうか。この詩を読んで、そう思いました。

この詩が、SAKI NAMEH, DAS SCHENKENBUCH、即ち居酒屋の 巻の最後の詩です。









Sieben Häute(7つの皮膚):第10週 by Sarah Kirsch(1935 ー 2013)


Sieben Häute(7つの皮膚):第10週 by  Sarah Kirsch(1935 ー 2013)



【原文】

Die Zwiebel liegt weißgeschält auf dem kalten Herd
Sie leuchtet aus ihrer innersten Haut daneben das Messer
Die Zwiebel allein das Messer allein die Hausfrau
Lief weinend die Treppe hinab so hatte die Zwiebel
Ihr zugesetzt oder die Stellung der Sonne überm Nachbarhaus
Wenn sie nicht wiederkommt wenn sie nicht bald
Wiederkommt findet der Mann die Zwiebel sanft und das
     Messer beschlagen


【散文訳】

玉葱が、白く皮を剥(む)かれて、冷たい竃(かまど)の上にいる
玉葱は、その内側の皮膚の中から発光していて、その横にナイフがある
玉葱は一人、ナイフは一人、その家の主婦は
泣きながら、階段を走って降りたが、それほど、玉葱は
主婦を苦しめたのだ、或いは、隣家の上の太陽の位置が、主婦を苦しめたのだ
もし主婦が再び戻って来なければ、もし主婦がぢきに
再び戻って来なければ、夫は玉葱が柔らかくなっているのを見つけ、そして、その
ナイフが錆びているのを見つける


【解釈と鑑賞】

この詩人の、Wikipediaです。ドイツの詩人、それも東ドイツの詩人です。ベルリンの壁の崩壊も経験した詩人です。

日本語のWikipedia:http://goo.gl/u2NdEY
ドイツ語のWikipedia:http://de.wikipedia.org/wiki/Sarah_Kirsch

7つの皮膚という題名ですが、これは何を意味しているのでしょう。

隣家の上の太陽の位置が、主婦を苦しめたのだ、とありますので、日本語で言えば
隣の家の芝生は青く見えたということ、何か隣の家の家庭は明るく太陽の光に照らされて
いたということ、それに対して、この主婦の家は暗く、太陽の陽が差し込まないので、
主婦は孤独で一人、ナイフも一人で孤独、しかし、太陽の代わりに、玉葱が内部から
光を発して、毎日毎日仕事をする台所を照らしてくれているということなのでしょう。

そうして、その玉葱は、例によって涙腺を刺激しますから、このことに掛けて、詩人は
主婦の苦しみからなのか、この玉葱が光を発してくれていて自分を救ってくれていることに
涙したのか、泣きながら階段を降りて外へ走り出るのです。

しかし、こうしてみると、台所が階段の上にあるというのも解せません。従い、この詩の第一行の竃は、二階のこの主婦の部屋にあるのでしょう。しかし、ということは、この主婦は、この玉葱を二階の自分の部屋の竃の上の置いていたということになります。何故ならば、玉葱は内部から光を発して、その暗い部屋を照らしてくれたからでしょう。二階に竃など本来ありませんから、それほどこの女性は孤独であったということなのです。

この女流詩人は、同じ詩人の夫と離婚をしておりますので、その前に書いた詩ではないかと思います。


かうしてみますと、冒頭の問い、即ち、7つの皮膚という題名ですが、これは何を意味しているのでしょうか、という問いに答えることができます。

玉葱のように7つの皮膚を持って自分は、生活に堪えに堪えたけれども、もうその数々の皮を剥いて、自分は裸になりたいし、なったのだと、そうして、家を出るのだ、もう毎日料理をして来たナイフも孤独に錆びついているのだと、そのように、この詩は言っているのではないでしょうか。



【Eichendorfの詩106】Die Freunde4(友達4)


【Eichendorfの詩106】Die Freunde4(友達4) 
  

【原文】

Schalkhafte Augen reizend aufgeschlagen,
Die Brust empört, die Wünsche zu verschweigen,
Sieht man den leichten Zelter dich besteigen,
Nach Lust und Scherzen durch den Lenz zu jagen.

Zu jung, des Lebens Ernste zu entsagen -
Kann ich nicht länger spielen nun und schweigen,
Wer Herrlichs fühlt, der muß sich herrlich zeigen,
Mein Ruhen ist ewig frisches Wagen.

Lass mich, solang noch trunken unsre Augen,
Ein'n blühnden Kranz aus den vergangenen Stunden
Dir heiter um die weiße Stirne winden;

Frag nicht dann, was mich deinem Arm entwunden,
Drück fest den Kranz nur in die muntern Augen,
Mein Haupt will auch und soll den seinen finden!



【散文訳】

悪戯(いたず)っぽい目を、魅力的に開けて
望みについては沈黙するほどに、胸は憤激して
軽い(側対歩で歩む婦人用の)馬に、お前が乗馬するのをみる
春の中を通って、陽気と冗談を狩るために。

生の持つ真剣さを捨てるには、余りにも若すぎるー
わたしは、これ以上長く、遊ぶことは今やできず、そして沈黙することができないのだろうか?
素晴らしいものを感じる者は、素晴らしく自分を示さねばならない
わたしの休息は、永遠に新鮮な馬車である。

わたしたちの眼が、未だに酩酊している間は、
過ぎ去った数々の時間の中から生まれた花咲く一個の王冠を、
明朗に、お前の白い額に巻かせてくれ

そして、お前の腕(かいな)からわたしをもぎとったものが何かを問うな
その王冠を、しっかりと、ただ陽気な眼の中に押し入れよ
わたしの頭(こうべ)もまたそうしたいと思い、そして、その頭の王冠を見つけることになるのだ!


【解釈と鑑賞】

連詩5篇からなる詩『友達』の第4の詩です。

後手に廻りましたが、この連作の詩のそれぞれには、誰それに宛てられたということが、その冒頭に示されています。

最初の詩には、特定の宛名がありませんので、この詩は、その後に続く4つの詩の意味を歌った詩だということになります。

ふたつめと三つ目の詩は、An L...と、Lで始まる友人に宛てられたものです。四つ目の今回の詩は、An Fraeulein...と書かれていて、詩の第二連の一行のこの書き出しを併せて考えますと、十代の少女だと思われます。

その愛らしい姿を、詩人は、乗馬をしているときに目にしたのでしょう。そして、季節は春です。

第2連の最後の行の、

わたしの休息は、永遠に新鮮な馬車である。

とは、言い換えれば、いつも新鮮に進むこと、そのような者であることが、わたしの休息であり、安らぎなのだ、という意味です。

この一行は、その前にある、この女性が馬に乗っていることから言われたことです。

最後の連には、

そして、お前の腕(かいな)からわたしをもぎとったものが何かを問うな

とありますから、愛し合ってから実際に別れたのか、しかしそうではなく、この少女と距離をおいて、もはや自分はそのような少女と一緒にいるような人間ではないと思って、そのように歌ったのか、これは解釈が分かれるところでしょう。

しかし、最後の連の最後の一行がありますので、詩人のこころは、この少女から離れることはないのです。

以上は、少女と思って解釈しましたが、しかし、20代の初めの女性と思っても、よいと思います。

夢が現であり、うつつが夢であるような詩です。アイヒェンドルフは、そのように生きたのでしょう。

そうして、最初の詩に戻って、この詩を読むと、アイヒェンドルフの、この女性に対するこころが一層よく判ります。以下に引用します。最初の連が、今回の詩の最初の連に照応していることがお分かりでしょう。


誰でも、大波の上で眠ってゐる者がゐれば、その者は
一人の、優しく揺り籠に揺られている子供なのであり
生の深さを知らず
甘く夢見る余りに、盲目である。

しかし、数々の嵐が、この者を捕(とら)まへる
野生の踊りと祝宴の場で
高く、暗い数々の通りで
間違つた世界が、この者を唆(そそのか)す:

この者は、勇敢に活動することを学ぶ
夜と崖を通り抜けて
この者は、操縦桿を握るのだ
確実な、真剣なこころを以つて

この者は、本物の芯が備わってゐて
陽気と苦痛で試される
この者は、神と星々を信仰する
この者こそ、わたしの船の船乗りならむ!