2013年4月13日土曜日

【Eichendorfの詩 31】Schoene Fremde (美しき見知らぬ婦人)


【Eichendorfの詩 31】Schoene Fremde (美しき見知らぬ婦人) 

【原文】

Schoene Fremde

Es rauschen die Wipfel und schauern,
Als machten zu dieser Stund
Um die halbversunkenen Mauern
Die alten Götter die Rund.

Hier hinter den Myrtenbaeumen
in heimlich daemmernder Pracht,
Was sprichst du wirr wie in Traeumen
Zu mir, phantastische Nacht?

Es funkeln auf mich alle Sterne
Mit gluehendem Liebesblick,
Es redet trunken die Ferne
Wie von kuenftigem, grossem Glueck!


【散文訳】

美しき、見知らぬ婦人

木々の梢(こずえ)が、さやさやと鳴き、戦(おのの)いている
恰も、この時に
半分沈んだ壁を巡って
古い神々が団欒しているかのように。

ここ、ミルテの木々の後ろで
密やかに暮れ行く荘厳の中で
お前は何を迷って夢の中でのように話をしているのか
このわたしに、幻想的な夜に

わたしに向けて、すべての星々が瞬いている
輝く愛の眼差しを以て
陶然として、遠さが語っている
未来の、大きな幸福についてのように!


【解釈と鑑賞】

題名は、美しき見知らぬ婦人ですが、この詩を読むと、この婦人とは、第3連、最後の連に出て来るdie Ferne(女性名詞)、遠さのことであるかも知れません。

とすると、これは随分と抽象的な詩だということになります。

或いは、解釈によっては、遠さを擬人化して歌を歌ったということになるでしょう。

しかし、擬人化というよりは、既に『夜というもの』(Die Nacht:http://shibunraku.blogspot.jp/2013/03/eichendorf-28die-nacht-die-nacht-wie.html)という詩のところで書きましたが、die Minne、ミンネ(愛の)婦人という、中世の言葉と同じように、それはもはや擬人ではなく、一個の独立した生き物として、人間のように、ここにあり、そこにあるということなのだと思います。

アイヒェンドルフの詩が、如何に言語と人間にとって本質的なものであるかがわかると思います。

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