2015年4月13日月曜日

【Eichendorfの詩112】 In das Stammbuch der M.H., Akrostichon mit aufgegebenen Endreimen(M.H.の記念帳の中に、放棄された脚韻を持った沓冠(くつかぶり)) 
 

【Eichendorfの詩112】 In das Stammbuch der M.H., Akrostichon mit aufgegebenen Endreimen(M.H.の記念帳の中に、放棄された脚韻を持った沓冠(くつかぶり))  
 

 

【原文】


Ist hell der Himmel, heiter alle Wellen,
Betritt der Schiffer wieder seine Wogen,
Vorüber Wald und Berge schnell geflogen,
Er muss, wohin die vollen Segel schwellen,
In Duft versinken bald all liebe Stellen,
Zypressen nur noch ragen aus den Wogen,
Herüber kommt manch süßer Laut geflogen,
Es trinkt das Meer der Klagen sanfte Quellen.
Nichts weilt. - Doch zaubern Treue und Verlangen,
Da muss sich blühender alte Zeit erneuern,
öffnet die Ferne drauf die Wunderlichtung,
Ruht dein Bild drin, bekränzt in heil'ger Dichtung.-
Fern laß den Freund nach Ost und West nur steuern,
Frei scheint er wohl - du hältst ihn doch gefangen!



【散文訳】

明朗に、天はあり、明朗に、すべての波はあり
船乗りは、再び、自分の波に乗り
森と山々を過ぎて、速やかに飛び
船乗りは、満帆の膨れ上がる方へと行かねばならず
芳香の中にやがて沈むのは、すべての愛する場所であり
数々の糸杉は、からうじて、数々の大波の中から聳え立ち
こちらへと飛んで来るのは、幾多の甘い音であり
海は、嘆きの柔らかな源泉を飲んでゐる。

何物も留まらないーしかし、信頼と欲求は、魔法を使ひ
すると、より一層花咲いて、懐かしい古い時代が新たになり
遥かな距離が、それに加へて、奇蹟の間伐を開き
お前の姿が、その中に憩い、神聖なる詩の中で冠が授けられてありー
遥かに遠く、東と西に向かつて、友をただ導けよ
友は確かに自由に見えるーお前は友を、しかし、友を捕まへたのだ!





【解釈と鑑賞】

記念帳というのは、どこかを訪れて、そこに来訪の記念と印として自分の名前などを書く、そのような帳面をいいます。

M.H.というのは女性名詞でありますから、これは誰か女性を訪ふたのか、または女性名詞で表される館を訪れたものなのでありませう。

その帳面の中にぢかに書き込んだ詩という意味です。

そして、この詩は、最初から脚韻を踏むことを放棄している、あきらめている、そのような詩だというのが、その題名の意味です。

沓冠(くつかぶり)というのは、その詩の各行末または各行頭の文字を集めると詩題または語句となる、そのやうな詩形の事で、沓冠体とか、折句(おりく)ともいふと辞書にあります。

してみますと、この詩の各行末にある斜字体の文字を抜き出して並べると、次のようになるでせう。

Wellen, Wogen, geflogen, schwellen.
Stellen, Wogen, geflogen, Quellen.
Verlangen, erneuern, Wunderlichtung, Dichtung.
Steuern, gefangen!

更に、文を意識して書き換え、まとめ、翻訳すると、次のやうになります。

数々の波、数々の大波が、飛ぶやうに膨れ上がる。
数々の場所、数々の大波が、飛ぶやうに湧き出でる
欲求を新たにせよ、奇蹟の間伐と詩作をせよ。
操縦し、導くのだ、囚われたままで!

奇蹟の間伐と訳した、この間伐という語は、ドイツの森で、森の中に太陽の光を入れる為に、木を切り倒して、小さな間合いの空間を森の中に作り、そこに光を求めて生育する植物たちを育て、結果として森を守るための措置をいいます。

そのような間伐の写真を掲げます。これで、形象(イメージ)が伝わるのではないでせうか。









2015年4月12日日曜日

Die Abweisung(拒絶):第16週 by Ida Gerhardt(1905 ー 1997)

Die Abweisung(拒絶):第16週 by  Ida Gerhardt(1905 ー 1997)
 






【原文】

Ich schreibe mit der Rabenfeder,
mein Herr.
Mein Herz, Ihr Herz
Ihre Ehre, meine Ehre
haben nichts gemein.
Ich schreibe mit der Rabenfeder.
Ich schreibe mit der Rabenschwaerze
das Zeichen: Nein.


【散文訳】

私は、烏の羽根で書くのです、
ご主人さま
わたしの心臓、あなたの心臓
あなたの名誉、わたしの名誉
これらは、みな何も卑しいものではありません。
わたしは、烏の羽根で書くのです。
わたしは、烏の黒い色で書くのです
この印を:否。



【解釈と鑑賞】

この詩人の、Wikipediaです。オランダの詩人です。

Wikipedia:http://nl.wikipedia.org/wiki/Ida_Gerhardt


この詩人の写真をふたつ掲げました。

最初のものは、若いときの写真、後のものは、もっと歳をとってからの写真です。

前者は、やはり生硬で、硬い表情で、如何にもこの詩を書きそうな女性ですが、
後者は、そうではない顔つきになっています。

しかし、人間はそう簡単には変わりませんから、それは同じ人間の顔であるのでしょう。

わたしが二つの写真を掲げたのは、やはりこの女性の人生に興味を抱いたからです。何故
この詩を書いたのかということなのです。

このご主人様という呼びかけは、やはり直接本人に言ったのではなく、この女性がこころの中で言った言葉です。

そうして、このご主人さまという相手は、何か自分が部下であるか、召使であるかという場合もあることでしょうが、しかし、自分の父親であることもあるのではないかと思いました。即ち、暴君のような父親です。

しかし、そこから、にもかかわらず、この詩が生まれたということなのです。もし、わたしの推測が正しいのであれば。

詩の生まれる契機と場所は、やはりこのような契機と場所であるのかもしれないと思います。

2015年4月5日日曜日

【西東詩集112】 CHULD NAMEH BUCH DES PARADIESES(天国の巻)


【西東詩集112】 CHULD NAMEH  BUCH DES PARADIESES(天国の巻)


【原文】

VORSCHMACK

DER echte Moslem spricht vom Paradiese
Als wenn er selbst allda gewesen wäre,
Er glaubt dem Koran, wie es der verhiesse,
Hierauf begründet sich die reine Lehre.

Doch der Prophet, Verfasser jenes Buches,
Weiss unsre Mängel droben auszuwittern,
Und sieht dass, trotz dem Donner seines Fluches,
Die Zweifel oft den Glauben uns verbittern.

Deshalb entsendet er den ewigen Räumen
Ein Jugend-Muster, alles zu verjüngen;
Sie schwebt heran und fesselt, ohne Säumen,
Um meinen Hals die allerliebsten Schlingen.

Auf meinem Schoß, an meinem Herzen halt ich
Das Himmels-Wesen, mag nichts weiter wissen;
Und glaube nun ans Paradies gewaltig,
Denn ewig möcht ich sie so treulich küssen.


【散文訳】

予感

本物の回教徒が、天国について語っている
恰も、この男自身が、そこに居たことがあるかの如くに
コーランが与えると約束するままに、コーランを信じている
その上に、純粋な教えが成り立ち、正しさを証明している。

しかし、預言者、あの書物(巻物)の編者は
天上で、わたしたちの窮乏を風化させることができ
そして、その預言者の呪いの雷(いかづち)にも拘らず
疑いが、しばしば、わたしたちの信仰を苦いものにし、みぢめなものにすることを見ている。

それ故に、預言者は、永遠の数ある空間に
一人の青春の模範を、すべてを若返らせるために、送り出す
青春は、こちらに向かって浮かんでやって来て、躊躇することなく
わたしの首の周りに最も愛する輪を掛けて、つなぐのだ。

わたしの膝の上に、わたしの心臓に、わたしは
天国の本質を抱いて、それ以上何も知りたくはない
そして、わたしは今や、天国を力強く信じているのだ
というのは、永遠に、わたしは青春に、誠実に口づけしたいからだ。


【解釈と鑑賞】

この巻が、西東詩集の最後の巻です。

全部でこの最初の詩も含めて、9篇の詩からなっています。どれも長い詩であるのは、ゲーテの思いが、それだけあるということなのでしょう。

さて、第一連の、

Er glaubt dem Koran, wie es der verhiesse,
コーランが与えると約束するままに、コーランを信じている

というこの行を、コーランが与えると約束するままにと訳しましたが、この従属文は、接続法II式ですので、コーランが実際に約束する言葉が語られる其の語る様子が彷彿とするのですが、この感じが日本語にはなりません。ままに、と訳した理由であり、翻訳の限界の一つです。

天国に持ってくるのが、やはり青春であるとは、これがゲーテなのでしょう。老いではなく、若さである。

これが、最初の予感という詩の主題です。

第一連の、

本物の回教徒が、天国について語っている
恰も、この男自身が、そこに居たことがあるかの如くに

とある、この本物の回教徒は、ゲーテ自身の思いを凝らした者でありませう。或いは、ゲーテそのひとだと言ってもよいのだと思います。






2015年4月4日土曜日

Fruehlingswinde(春の風):第15週 by Heinric van Veldeke(1150 ー 1190/1200)


Fruehlingswinde(春の風):第15週 by  Heinric van Veldeke(1150 ー 1190/1200)






【原文】

Wieder will der Lenz
sich nahen,

Der die Voegel
all erfreut;

Es entbrennt
ein Liederstreit,

Dass sie würdig
ihn empfahlen.

Mit den Schwingen
soll der Saar

Winken nun
dem lauen Winde;

Heute ward ich
an der Linde

Neuen Laubes
schon gewahr.


【散文訳】


再び、春が
近づいてきたいといっている

鳥たちをみな喜ばせる春が

鳥たちの歌合戦が
燃え立ち

鳥たちは、ふさわしく
春を迎い容れる

翼を以って
アアル河は

今や、合図をせずにはいられない
純粋な風に向かって

今日、わたしは
菩提樹のそばで

新しい葉群に
既に気づいたのだ。


【解釈と鑑賞】

この詩人の、Wikipediaです。オランダの詩人です。


Wikipedia:http://nl.wikipedia.org/wiki/Hendrik_van_Veldeke


この詩人は中世の、そうしてこの写真をWikipediaで見ると、騎士であったのでしょう。冒頭の、ヨーロッパの中世らしいその絵をご覧ください。

また、銅像のこの詩人です。



ヨーロッパの中世らしい、質朴で、単純で、いい詩です。

アアル河は、スイスを流れる河です。

アアル河の小鳥たちも鳴き騒ぐ季節となったのでしょう。







【Eichendorfの詩111】Sängerfahrt(歌手の旅) 
 



【Eichendorfの詩111】Sängerfahrt(歌手の旅)  
 

 

【原文】


Kühlrauschend unterm hellen
Tiefblauen Himmelsdom
Treibt seine klaren Wellen
Der ew'gen Jugend Strom.

Viel rüstige  Gesellen,
Den Argonauten gleich,
Sie fahren auf den Wellen
Ins duftige Frühlingsreich.

Ich aber fass den Becher
Dass es durchs Schiff erklingt,
Am Mast steh ich als Sprecher,
Der für euch alle singt.

Wie stehen wir hier so helle!
Wird mancher bald schlafen gehen,
O Leben, wie bist du schnelle,
O Leben, wie bist du schön!

Gegrüßt, du weite Runde,
Burg auf der Felsenwand,
Du Land voll großer Kunde,
Mein grünes Vaterland!

Euch macht ich alles geben,
Und ich bin fürstlich  reich,
Mein Herzblut und mein Leben,
Ihr Brüder, alles für euch!

So fahrt im Morgenschimmer!
Sei's Donau oder Rhein,
Ein rechter Strom bricht immer
Ins ew'ge Meer hinein.



【散文訳】

冷たくさやけき音を立てて、明朗なる
深い青色をした天の成す大聖堂(ドーム)の下で
その清澄なる波波を駆るのは
永遠の青春の河だ。

たくさんの鎧甲冑をまとった仲間達が
古代ギリシャ神話のアルゴ号の乗組員たちと同様に
波の上を行く
香り高き春の帝国の中へ。

わたしは、しかし、この杯を摑み、すると
船中を渡って鳴り響く音がする
帆柱に、わたしは演説者として立つ
お前たち皆のために歌う演説者として。

わたしたちは、ここで如何に明朗に立っていることか!
多くのものたちは、ぢきに眠りにつかずにはいないのだ
おお、生よ、お前は如何に速いものか
おお、生よ、お前は如何に美しいものか!

わたしは挨拶したのだぞ、お前、幅広い円陣よ
岸壁の上の城よ
お前、偉大な知識に満ちた国
我が緑なす祖国よ!

お前たちに総てを、わたしは与えたい
そして、わたしは君侯のごとくに豊かだ
わたしの心臓の血と、わたしの生命は
お前たち兄弟たちよ、総てお前たちのものなのだから!

このように、朝の輝きのなかで走るがいい!
ドナウ河であれ、ライン河であれ
本当の大河は、いつも砕けて
永遠の海の中へと入って行くのだ。



【解釈と鑑賞】

青春を歌った歌です。

解釈不要の、アイヒェンドルフらしい詩というべきでありませう。




2015年3月29日日曜日

【西東詩集111】 PARSI NAMEH BUCH DES PARSEN(パルシー教徒の巻):VERMÄCHTNIS ALTPERSISCHERN GLAUBENS


【西東詩集111】 PARSI NAMEH BUCH DES PARSEN(パルシー教徒の巻):VERMÄCHTNIS ALTPERSISCHERN GLAUBENS


【原文】

VERMÄCHTNIS ALTPERSISCHERN GLAUBENS

Welch Vermächtnis, Brüder, sollt’ euch kommen
Von dem Scheidenden, dem armen Frommen,
Den ihr Jüngeren geduldig nährtet,
Seine letzten Tage pflegend ehrtet?

Wenn wir oft gesehen den König reiten,
Gold an ihm und Gold an allen Seiten,
Edelstein’ auf ihn und seine Grossen
Ausgesät wie dichte Hagelschlossen,

Habt ihr jemals ihn darum beneidet?
Und nicht herrlicher den Blick geweidet,
Wenn die Sonne sich auf Morgenflügeln
Darnawends unzähligen Gipfelhügeln

Bogenhaft hervorhob? Wer enthielte
Sich des Blicks dahin? Ich fühlte , fühlte
Tausendmal, in so viel Lebenstagen,
Mich mit ihr, der kommenden, getragen,

Gott auf seinem Throne zu erkennen,
Ihn den Herrn des Lebensquells zu nennen,
Jenes hohen Anblicks wert zu handeln
Und in seinem Lichte fortzuwandeln.

Aber stieg der Feuerkreis vollendet,
Stand ich als in Finsternis geblendet,
Schlug den Busen, die erfrischten Glieder
Warf ich, Stirn voran, zur Erde nieder.

Und nun sei ein heiliges Vermächtnis
Brüderlichem Wollen und Gedächtnis:
Schwerer Dienste tägliche Bewahrung,
Sonst bedarf es keiner Offenbarung.

Regt ein Neugeborner fromme Hände,
Dass man ihn sogleich zur Sonne wende,
Tauche Leib und Geist im Feuerbade!
Fühlen wird es jeden Morgens Gnade.

Dem Lebenden übergebt die Toten,
Selbst die Tiere deckt mit Schutt und Boden,
Und so weit sich eure Kraft erstrecket
Was euch unrein dünkt es sei bedecket.

Grabet euer Feld ins zierlich Reine,
Dass die Sonne gern den Fleiß bescheine
Wenn ihr Bäume pflanzt, so sei’s in Reihen,
Denn sie lässt Geordnetes gedeihen.

Auch dem Wasser darf es in Kanälen
Nie am Laufe, nie an Reine fehlen;
Wie euch Senderud aus Bergrevieren
Rein entspringt, soll er sich rein verlieren.

Sanften Fall des Wassers nicht zu schwächen,
Sorgt die Gräben fleissig auszustechen;
Rohr und Binse, Molch und Salamander,
Ungeschöpfte! tilgt sie miteinander.

Habt ihr Erd’ und Wasser so im Reinen,
Wird die Sonne gern durch Lüfte scheinen,
Wo sie, ihrer würdig aufgenommen,
Leben wirkt, dem Leben Heil und Frommen.

Ihr, von Müh zu Mühe so gepeinigt,
Seid getrost, nun ist das All gereinigt,
Und nun darf der Mensch, als Priester, wagen
Gottes Gleichnis aus dem Stein zu schlagen.

Wo die Flamme brennt erkennet freudig:
Hell ist Nacht und Glieder sind geschmeidig,
An des Herdes raschen Feuerkräften
Reift das Rohe Tier- und Pflanzensäften.

Schleppt ihr Holz herbei, so tut mit Wonne,
Denn ihr tragt den Samen irdscher Sonne;
Pflückt ihr Pambeh, mögt ihr traulich sagen:
Diese wird als Docht das Heilge tragen.

Werdet ihr in jeder Lampe Brennen
Fromm den Abglanz höhern Lichts erkennen,
Soll euch nie ein Missgeschick  verwehren
Gottes Thron am Morgen zu verehren.

Da ist unsers Daseins Kaisersiegel,
Uns und Engeln reiner Gottesspiegel,
Und was nur am Lob des Höchsten stammelt
Ist in Kreis’ um Kreis dort versammelt.

Will dem Ufer Senderuds entsagen,
Auf zum Daranwend die Flügel schlagen,
Wie sie tagt ihr freudig zu begegnen
Und von dorther ewig euch zu segnen.

WENN der Mensch die Erde schätzet,
Weil die Sonne sie bescheinet,
An der Rebe sich ergötzte,
Die dem scharfen Messer weinet -
Da sie fühlt dass ihre Säfte,
Wohlgekocht, die Welt erquickend,
Werden regsam vielen Kräften,
Aber mehreren erstickend —:
Weiss er das der Glut zu danken
Die das alles lässt gedeihen
Wird Betrunkner stammelnd wanken,
Mäßiger wird sich singend freuen.


【散文訳】


古代ペルシャの信仰の遺言

どんな遺言が、同胞(はらから)よ、お前たちのところに来ることになっているのか
あの分かつ者から、あの貧しい敬虔なる者から
お前たち、より若い者たちが、忍耐強く養った其の者から
お前たちが、その者の最後の日々を大切にしながら、尊敬している其の者から


わたしたちは、王が騎行するのをよく見かけたが、そのたびごとに
王には黄金が、すべての場所には黄金が
王と王の高官たちの上へ、宝石が
密に詰まった雹(ひょう)の粒のように、種子が播(ま)かれた


お前たちは、それ故に、嘗(かつ)て王を羨望したのではないか?
そして、(王を視る)その視線をもっと楽しませなかったのではないか
太陽が朝の翼に乗って
ダルナベンド山脈の数限り無い、山の頂きの丘々に

弓なりになって、立ち上がった其の度ごとに?誰が
その光景を見るのを止めただろうか?わたしは感じた、感じたのだ
幾千回も、かくも沢山の人生(生命)の日々の中で
わたしが、太陽と一緒に、そのやって来るものと一緒に、運ばれるのを

玉座の上にゐる神を認識するために
神を、生命の源泉の主人と呼ぶために
あの高貴な姿に価するように行動するために
そうして、神の光の中で、更に前へと逍遥するために。

しかし、火の円環は、完成して登ったのだ
わたしは、闇の中でのように、目が眩(くら)んで、立ってゐた
胸を打ち、新鮮になった四肢を
わたしは、額を前にして、大地に投げた。

さて、こうして今や、神聖なる遺言は
同胞(はらから)の意志と記憶のために
(神への)重たき奉仕の、日々の維持(勤め)であれ
さなくんば、(神の)啓示など不要であった。

新しく生まれた者が、敬虔な両手を動かすと
この者を直ちに太陽に向けようと
体と精神を、火の浴湯の中に浸(ひた)せ!
日々の朝の(神の)恵みを感じることになるのだから。

生きている者に、死者たちを譲るがいい
動物さへをも、瓦礫と土で覆ふのだ
そして、お前たちの力の伸びて及ぶ限り
お前たちにとって不純に思えるもの、これは覆われてあれ。

お前たちの野原を、優美な純粋なるものの中へと埋めるのだ
太陽が、喜んで勤勉を照らすために
お前たちが数々の樹木を植えるのであれば、秩序正しく植えるがいい
何故ならば、太陽は、秩序立てられたものを繁栄させるからだ。

水もまた、数々の運河の中にあって
走ることにも、純粋であることにも、決して不足することはない
お前たちから、センデルート河が、鉱山警察管区の中から外へと
純粋に飛び出して来るように、センデルート河は、純粋に消失する運命にあるのだ。

水の柔らかな瀧を、弱めないようすることに
数々の墓を勤勉に掘って、中のものを取り出すことに心を砕きなさい
葦とヨシを、井守(イモリ)と蜥蜴(とかげ)を
これらの汲めど尽きないものたち!これらを、互いに互いを使って、消去しなさい。

大地と水を、そのように、純粋なるものの中に持ちなさい、そうすれば、
太陽は、喜んで、空気を貫いて輝き
太陽は、大地と水にふさわしいように受け入れてくれて
生命を働かせ、生命に安寧とご利益を授けてくれる。

お前たちは、苦労から苦労へとかくも苛(さいな)まれているが
慰められてあれ、こうして今や、宇宙が純粋になったのだから
そうして、今や、人間は、僧侶のように、果敢にも
神の似姿(火花)を、石の中から(鑿を加えて)打ち出すことが許されているのだから。

炎が燃える場所で、喜んで認識するがいい、即ち
夜は明るく、四肢は柔らかく、しなやかになり
竈(かまど)の性急な火の諸力に触れて
生(なま)のものが、動物や植物の液体を熟成させるのだ。

お前たちの材木をひきづって持って来い、歓喜を以って、そうするのだ
というのは、お前たちは、地上の太陽の種子を運んでいるのだからだ
お前たちのパムベー(綿花)を引き抜くがいい、そうして、のびのびと気持ちよく、こう言うがいいのだ:
パムベー(綿花)は、ランプの芯として、神聖なるものを運ぶことになるのだ、と。

お前たちは、どのランプの燃え盛る 中にも
敬虔に、より高貴な光の反照を認識するならば
神の玉座を、朝になって礼拝することを
不運や災難が拒むことはないのだ。

そこで、(ランプは)わたしたち此の世の身分の者の持つ皇帝の印章ということになるのだ
わたしたちと天使たちにとっては、純粋な神の鏡だ
そして、最高のものの賞賛にのみ吃るものが
環(わ)になり 環を重ねて、そこに集まっているのだ。

わたしが、センデルード河の岸辺を断念して
ダランヴェンド山脈を目指して、両の翼を以って羽ばたきたい
その山々が朝を迎える通りに、山々に喜んで出逢うために
そして、そこから永遠に、お前たちを祝福するために。

もし人間が大地を大切に思うならば
何故ならば、太陽は大地を照らすという理由で
鋭いナイフに(切られることに)泣くことになる其の
葡萄の蔓に慰めを得て、太陽は楽しむのであるという理由で
そうであれば、太陽は、葡萄の蔓の樹液が
よく煮立てられて、世界を慰めながら
たくさんの力の元で活発に動くようになる
しかし、それ以上多くのものを窒息させながらー
ということを感じるのである。即ち、
もし人間が、それを、こういったこと総てを繁栄させる炎熱に感謝することができるならば
酔っ払いは、吃りながら、よろめき歩くことになり
もっと節度をもって、歌いながら、楽しむことになるだろう。


【解釈と鑑賞】

これは、古代ペルシャの拝火教、ゾロアスター教の僧侶の言葉を詩に仕立てたものです。

第一連の、

あの分かつ者から、あの貧しい敬虔なる者から
お前たち、より若い者たちが、忍耐強く養った其の者から
お前たちが、その者の最後の日々を大切にしながら、尊敬している其の者から

と謳われている、これらの者とは、この僧侶たる話者でありましょう。

この者は、分かつ者、関係を裁断するものであり、同時に貧しく敬虔なる者だと呼ばれています。興味ふかいことは、この者を、より若い世代が育てるのだと歌われていることです。

この分かつ者という呼び名は、最後から二つ目の連の、

わたしが、センデルード河の岸辺を断念して
ダランヴェンド山脈を目指して、両の翼を以って羽ばたきたい
その山々が朝を迎える通りに、山々に喜んで出逢うために
そして、そこから永遠に、お前たちを祝福するために。

という言葉からわかるように、最後にはセンデルード河の流れる町を遠く離れて、ダランヴェンド山脈の中に行って、そこで永遠の命を得て、そのより若いものたちを祝福するのだというのです。

巻末の註釈によれば、センデルード河は、Ispahanという都市の中を流れている河で、その源泉は、ダランヴェンド山脈の中にあるとのことです。ペルシャの古代の旅行記にはそうあると書いております。

そうして、このイスパハンという都市の南に、ダランヴェンド山脈があります。

このゲーテの詩の背景にある歴史的事実は何かといえば、それは、アッバス朝のシャーのうち、偉大なるシャーと呼ばれたシャーの時代に、このシャーがそれまで迫害されて、また所払いにあっていた古い宗教の信者たちを、自分の王宮のある町、即ちイスパハンの、城壁の外にあるGaurabadという土地を譲り、そのために、古い宗教の僧侶である此の詩の話者もイスパハンを出て、従い、最後から二連にあるように町を去り、「センデルード河の岸辺を断念して」「ダランヴェンド山脈」を目指して飛翔することになったということなのです。

恐らく、イスパハンの、城壁の外にあるGaurabadという土地では生きて行けないことであったのでせう。そのような苛烈な植民、移住であったのでせう。

ですから、この巻一巻を当てた此の詩は、年老いた拝火教の僧侶が、若者たちに別れを告げる 遺言の詩であるということができるのです。

それ故の、この詩の題名なのです。

この詩を読みますと、ゾロアスター教の教えは、太陽を礼拝し、その火を尊び、火がすべてを消滅させると共に、すべてを純化してくれる火の中の火であるということです。

しかし、他方、第十一連に、

水もまた、数々の運河の中にあって
走ることにも、純粋であることにも、決して不足することはない
お前たちから、センデルート河が、鉱山警察管区の中から外へと
純粋に飛び出して来るように、センデルート河は、純粋に消失する運命にあるのだ。

とあるように、火を打ち消す水の流れもまた純粋であり、消失する、純粋なものは消失すると考えられています。

最後から3つめの連の、

そこで、(ランプは)わたしたち此の世の身分の者の持つ皇帝の印章ということになるのだ
わたしたちと天使たちにとっては、純粋な神の鏡だ
そして、最高のものの賞賛にのみ吃るものが
環(わ)になり 環を重ねて、そこに集まっているのだ。

とある最後の行の 環は、炎の環であるかも知れません。

しかし、そうとっては、あるいは意味が狭くなるかと思いましたので、そのままに訳しました。この環は、しかし、闇の中にあって、確かに炎の環を含むものだと思います。

この地上にある相反するもの、相矛盾するものをそのままに尊び、その対立と矛盾を炎によって浄化する、それも第七連にあるように、

同胞(はらから)の意志と記憶のために
(神への)重たき奉仕の、日々の維持(勤め)であれ

というこころを以って、日々精進する生活を通じて、その浄化があるということなのです。

この一巻をそのまま、このような一篇の詩を以って当てたゲーテの意図や如何に。これは、このままゲーテの遺言であることは間違いがないでありませう。

詩人は、このように自国からも距離ををかずにはゐられないのです。

次回は、西東詩集最後の巻、天国の巻に入ります。




Psalm(聖歌):第14週 by Hanns Dieter Hüsch(1925 ー 2005)

Psalm(聖歌):第14週 by  Hanns Dieter Hüsch(1925 ー 2005)
 


【原文】

Ich bin vergnügt
Erlöst
Befreit
Gott nahm in seine Hände

Meine Zeit
Mein Fühlen Denken
Hören Sagen
Mein Triumphieren
Und Verzagen
Das Elend und die Zärtlichkeit

Was macht dass ich so fröhlich bin
In meinem kleinen Reich
Ich sing und tanze her und hin
Vom Kindbett bis zur Leich

Was macht dass ich so furchtlos bin
An vielen dunklen Tagen
Es kommt ein Geist in meinen Sinn
Will mich durchs Leben tragen

Was macht dass ich so unbeschwert
Und mich kein Trübsal hält
Weil mich mein Gott das Lachen lehrt
Wohl über alle Welt.


【散文訳】


わたしは満足している
救済され
自由である
神が其の 両の御手に引き取ったのだ

わたしの時間(時代)
わたしの感情、わたしの思考
わたし聴聞、わたしの発言
わたしの勝利
そして、わたしの落胆
悲惨と恋情

わたしがかくも陽気でいるのは何故だ
わたしの小さな帝国の中で
わたしは、歌い、あちこち行ったり来たりと踊り廻っている
子供の寝床(ベッド)から屍体に至るまで

わたしがかくも恐れ知らずでいるのは何故だ
たくさんの暗い日々に
ある精神が、わたしの感覚の中に入って来て
わたしを生命(人生)の中を運ぶというのだ

わたしがかくも不平を鳴らさずに
そして、わたしを、どんな悲嘆も捉えないのは何故か
なぜならば、わたしに、わたしの神が笑うことを教えるからだ
大いに全世界を笑うことを



【解釈と鑑賞】

この詩人の、Wikipediaです。勿論ドイツの詩人です。

Wikipedia:http://de.wikipedia.org/wiki/Hanns_Dieter_H%C3%BCsch

この詩人は何よりもキャバレティス トでありました。キャバレーでのその語りと音楽を、この動画で視聴することができます。

http://goo.gl/PkPJiR

キャバレーというのは、日本の世界とは異なり、女性が侍って接待するような場所ではなく、それは日本語の世界ならば、寄席というべきものです。ですから、この動画は、ドイツの寄席で話し、客席を笑わせる此の詩人の姿です。

最後の連には、この詩人が子供のころ、足の格好が生まれつき良くなくて、何度も手術を受けたとWikipediaにあるように、スリッパも履けず、靴も普通のものは履けないので、友達がいなかったとありますので、そのような幼年時代の反映があるのでしょう。

それ故に、キャバレティストであるのでしょう。