2011年12月11日日曜日

Die Eklipse by Eiya Iwata (1952 - )第52週



Die Eklipse by Eiya Iwata (1952 - )第52週

【原文】

Oh, die Dunkelzeit, die Finsternis, die Eklipse, heute Abend
Das Spiegel, das so dunkel sein darf und
das mich so verschluckt, gerade wo
wir eine Feier haben. Das Fest,
Das musikalisch gefeiert wird, gerade wenn
Ich Dir zuhöre, hier, wo
Du die Geige spielst.

Das Spiegel spiegelt sich ewig wieder
In der Dunkelheit, in mir, wo ich mich beruhen darf.

Im Spiegel spiegelt sich die Dunkelheit wieder
In der Ewigkeit klar.

Bin ich hier endlich gerettet?

【散文訳】

皆既月食

ああ、闇の時間よ、闇よ、皆既月食よ、今宵の
鏡よ、かくも暗くあることをゆるされていて、そして
我が身を飲み込む、丁度その場所
わたしたちが祝祭している場所で。祝祭よ、
楽の音が鳴り祝福される、丁度その時
わたしがお前に耳傾ける、ここ、
お前がヴァイオリンを演奏するここで。

鏡は永遠に鏡に映って映し合う
暗闇の中、即ち、わたしの中で
わたしが憩うことのゆるされる、わたしの中で。

鏡の中で、暗闇は、互いに鏡に映って映し合う
永遠の中で、清澄に。

わたしは遂にこの場所で救済されているのだろうか?

【解釈】

自分の詩を解釈することは、むつかしいものである。

追伸:
Facebookのドイツ語好きの友達の呼びかけに応じて、今日の皆既月食をテーマに、生まれて初めてドイツ語で詩を書きましたので、ご披露します。

いつもは他の詩人たちの詩ばかりですが、今日は自分で、原文、散文訳、解釈とつけてみませう。

2011年12月10日土曜日

Weihnachten(クリスマス):第52週


Weihnachten(クリスマス):第52週

by Joseph von Eichendorff (1788 - 1857)


【原文】

                                     Markt
                              Und Strassen
                            Stehn verlassen,
                      Still erleuchtet jedes Haus,
              Sinnend geh ich durch die Gassen,
                     Alles sieht so festlich aus.
                An den Fenstern haben Frauen
           Buntes Spielzeug fromm geschmueckt,
        Tausend Kindlein stehn und schauen,
    Sind so wunderstill beglueckt.
Und ich wandre aus den Mauern bis hinaus ins freie Feld,
Hehres Glaenzen, heiliges Schauern! Wie so weit und still die Welt!
 Sterne hoch die Kreise schlingen, Aus des Schnees Einsamkeit
         Steigt’s wie wunderbares Singen - O Du
                               Gnaden-
                               Reiche
                               Zeit!


【散文訳】

市場も
通りも
ひとひとりいない
どの家も、静かに明りがついている
すべては、かくも祝祭日らしくみえる。
窓辺では、婦人たちが
色とりどりの玩具を、敬虔に、飾り付けた
たくさんの子供たちが、立って、そして、みている
みな、かくも静かに祝福されている。
そして、わたしは、町の城壁から外に出て、野外、野原の中へと歩き出る
高貴な輝き、神聖な戦慄!世界は、かくも広々と、静かなのだ!
星辰は高く、星々の軌道はうねっている、雪の孤独から
素晴らしい歌声が立ち上がるーおお、お前
恵み
豊かな
時間よ!


【解釈】

この詩人は、ドイツ文学史に名のある詩人です。

ドイツ語のWikipediaです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Joseph_von_Eichendorff

わたしは20代の初めに、この詩人のTaugenichtsについての、Taugenichtsの書いた文章を作品とした作品を一部読んだことがあります。

このひとは、ドイツ文学史の上ではロマン主義の思潮に分類されている詩人です。

しかし、このことの当否は問わず、Taugenichts、即ち役立たず、馬鹿、愚者というモチーフは、今に至るまでわたしの人生の主調低音となっております。

そこには、どんなに豊かな世界が広がっているか。

この歳になって、Eichendorffにに惹かれる自分自身を発見するとは、驚きでした。

このクリスマスの詩は、このカレンダー53編のうちで、わたしが一番好きな詩です。

味わって下さると、誠にありがたく思います。

追伸:
詩の文字で象っているのは、カレンダーの通りに、クリスマスツリーです。

2011年12月3日土曜日

Ich dachte ich sterbe so fror ich(死ぬと思った、それほど、身も心も凍えた):第51週


Ich dachte ich sterbe so fror ich(死ぬと思った、それほど、身も心も凍えた):第51週

by Sarah Kirsch (1935年生まれ)


【原文】

Weh mein schneeweisser Traber
Mit den Steinkohlenaugen
Der perlendurchflochtenen Maehne
Den sehr weichen Nustern
Den schoengewaltigen Schatten
Ging durch! Lief
Drei Abende weiter war nicht zu bewegen
Heimzukeren. Nahm das Heu nicht
Wahllos frass er die Spreu

Ich dachte ich sterbe so fror ich.


【散文訳】

可哀想に
わたしの雪の白さの真っ白な馬
石炭の黒さの真っ黒な目をして
真珠で編まれたたてがみをして
とても柔らかい鼻翼をして
美しいほどに力強い影をしていた
走り抜けた!走った
3日3晩 動かなかった
戻って来なかった。干草を食べなかった
仕方なく、藁くずを食べた

わたしが死ぬと思った、それほど、身も心も凍えた


【解釈】
これは、自分の愛馬が死ぬことを悲しんだ詩です。

わたしが死ぬと思った、それほど、身も心も凍えた

という最後の一行は、馬が死んで行くことを我が身のこととして感じたこころを表しています。

それほど好きな馬だった。

その思いがひしひしと伝わって来る詩だと思います。

この詩人のWikipediaです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Sarah_Kirsch

このWikipediaを読むと、この詩人は(日本語でいうならば)東ドイツの文芸家協会の理事をつとめましたが、Wolf Biermannを東ドイツから追放したことに抗議した声明を発表したことから、その地位を追われ、その他わたしも実際に見聞きした抑圧を受けました。

今抑圧と書きましたが、その意味は、盗聴、恫喝、恐喝、検閲等々であったことでしょう。

1977年に一人息子と一緒に西ベルリンへ脱出しております。

脱出の中身がどのようなものであったかは記述がありません。

共産党の一党独裁という語るも愚かな政治制度(これをしも制度とはいはむや?制度とは人間の為にー再度言う、為にーあるものだ)の中で書かれたこのような叙情詩の価値を、一層わたしは思うものです。

詩人はそうしているだけで詩人であり、どこにいても、どのような状況下にあっても、それだけで価値ある存在です。





2011年11月26日土曜日

Einfkaufen gehen in Muenstereifl(ミュンスターアイフルへ買い物に行く):第50週


Einfkaufen gehen in Muenstereifl(ミュンスターアイフルへ買い物に行く):第50週

by Jochen Arlt (1948年生まれ)

【原文】

Fuer Manfred Hausin

Gebn Se mir bitte
N Viertlpfund Winter
Aber nich zu feucht

Mit etwas Morgnfrost
Vielleicht und
Viel sonnign Tagn
Fuer mich und fuer die Kinder
Etwas Schnee
Dass wir Schlittnfahrn koenn

Mit wenig Matsch
und gefrorn’n Pfuetzn
Mit Knecht Ruprecht
Und Zimtstern’n
Mit vier schlesischn Weisswuerstn
Und zwei Glaesern Schampanjer
Am Heiligabnd

Und bevor ichs vergesse
Mit etwas
Ergriffnheit


【散文訳】

マンフレート・ハウシンのために

わたしに、どうか
4分の1ポンドの冬を
くれないか
でも、湿気が多すぎないような冬を

ひょっとしたら、少し朝の霜のある、そうして
わたしと、子供たちのための
たくさんの太陽燦燦の日々のある、
少し雪のある、そんな冬を
そうしたら、橇(そり)遊びができるから

泥濘(ぬかるみ)は少なく
そして凍りついた水溜りのある
クネヒト・ループレヒトと
肉桂の星々のある、
聖夜に
4つのシュレージエン地方の白ソーセージと
2杯のシャンペンのある、そんな冬を

そして、わたしが忘れる前に
何か感動のある、そんな冬を


【解釈】

これは、方言で書かれています。

詩人の名前もその土地の名前らしい名前です。

この詩人のドイツ語のWikipediaです。写真も載っています。

http://de.wikipedia.org/wiki/Jochen_Arlt

これを読みますと、シュレージエン地方で生まれた詩人です。

それで、白ソーセージ、Weisswuerstn、ヴァイスヴルストゥンも詩の中に出てくるのでしょう。

ああ、食べたいものです。


Muenstereiflは、地図では次のような場所にある町です。

http://www.bad-muenstereifel.de/seiten/index.php

これはこの町のホームページです。

Bad Muenstereiflというのが正式な町の名称なのでしょう。

また、ドイツ在住の方のブログに、今のドイツのクリスマスの市の動画が掲載されていましたので、紹介致します。

これは、如何にも歳末のドイツの市場、Weihnachtsmarkt、ヴァイナハツマルクトという感じが致します。

http://oosyuu.wordpress.com/

ああ、ドイツに行きたくなって来ました。

来年、あなたと一緒に、ドイツに行きましょう。

ミュンスターアイフルへ買い物をするために。





2011年11月19日土曜日

Dezember(12月):第49週

Dezember(12月):第49週

by Lars Gustafsson (1936年生まれ)


【原文】

Dezember war immer ein Monat,
in dem man eigentlich aufhoerte zu sein.
Man wurde eine Parenthese im Dunkel,
mehr nicht.
Laternen wurden angezuendet, Lampen und Kerzen.
Aber sie waren so offensichtlich
unzureichend
gegen die steigende Flut der Dunkelheit.
Leicht versteht man
eine urspruenglichere,
eine heidnische Weihnachtsbotschaft:
Mit Fackeln und Flammen um jeden Preis
ein Sonnenlicht zurueckzuholen

dessen Wiederkehr sich nie von selbst verstand.


【散文訳】

12月はいつも
ひとがそもそも存在することを止める月だった。
ひとは、暗闇の中で括弧になり、
それ以上のものではなくなった。
ランタンに火が灯された、ランプにも、蝋燭にも。
しかし、これらのものは、明らかに
暗闇の、いや増しに上昇して来る洪水に対しては
不十分だった。
容易に、より根源的な
異教的なクリスマスの知らせを人は理解する。
つまり、篝火と炎とで、何が何でも
太陽の光を取り戻すのだ。

その光は、決してひとりでには戻って来ないのだった。


【解釈】

この詩人は、スウェーデンの詩人です。

この詩人の英語のWikipediaです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Lars_Gustafsson

先日の第45週の詩「秋の魔女」はリトヴィアの詩人、これはスウェーデンの詩人。

これらの詩には、何か、異教的な匂いが芬芬(ふんぷん)とします。

12月。冬。暗闇の支配する季節。人間。火。抵抗。戦い。

この詩では、春の到来は、思いの外です。全く期待されていない。

わたくしは北海道で12月に生まれました。

この詩の持つ雰囲気は、わたしの故郷の雰囲気にとても似合っていますし、とても通い合うものがあります。

北海道からアリューシャン列島を伝わり、シベリア大陸を経てスエーデンへと、何者かが往来しているのでしょう。時間を空間を超えて。

それは、やはり12月の、冬の闇であり、それに抗する人間の意志、即ち光りを求めてやまないこころだと思います。

そう思って、この詩を読むと、実に象徴的な詩だと思えるのです。

他方、誠に実感の籠った現実的な詩であることのままに。



2011年11月12日土曜日

Die Schwierigkeit(難しい事):第48週


Die Schwierigkeit(難しい事):第48週

by Heinrich von Kleist (1777 - 1811)


【原文】

In ein grosses Verhaeltnis, das fand ich oft, ist die Einsicht
leicht, das Kleinliche ists, was sich mit Muehe begreift.

【散文訳】

大きな関係の中を洞察することは、よく見たことがあるが、易しいことなのだ、
小さいものこそ、苦労して解るものなのである。


【解釈】

この詩人は、小説家でもあり、劇作家でもあります。

ドイツ文学史に名前のある作家です。

ドイツ語のWikipediaです。写真が載っています。

http://de.wikipedia.org/wiki/Heinrich_von_Kleist

これは、箴言詩という範疇に入る詩だと思います。

大きな関係の中を洞察することは、易しく(それは何度も見た)
小さいものこそ、苦労してわかる当のものだ

と訳することもできるでしょう。

この箴言の訳を考えるのに、Googleで検索していて、ドイツ語の詩人たちの箴言のウエッブページを見つけました。

http://gedichte.xbib.de/Kleist,+Heinrich+von_gedicht_Epigramme+(II).htm

20代の初めに、ドイツ文学の先生に言われて、クライストの短編はすべて読んだことがあります。

どの作品も直接法のない、間接話法の文章であったことだけ、そうして何か悲劇的な感情だけが強く記憶に残っております。

クライストの短編にご興味のある方は、アマゾンで日本語で手に入りますので、お読みになってはいかがでしょうか。



2011年11月5日土曜日

母:第47週

母:第47週

by Friederike Mayroecker (1924年生まれ)

【原文】

meine Mutter mit den offenen armen
wenn sie mich grueszte wenn ich zu ihr kam

meine Mutter mit den zaertlichen Worten
wenn ich sie anrief dasz ich nicht kommen koenne

meine Mutter mit dem abgewandten Gesicht
als sie noch sprechen wollte aber es nicht mehr konnte

meine Mutter mit den geschlossenen Augen
als ich zu spaet kam sie ein letztes mal zu umarmen


【散文訳】

わたしの母は、腕を広げている
いつも、母のところへ行って、わたしに挨拶してくれるときには

わたしの母は、優しい言葉をかけてくれる
いつも、わたしが声をかけて、行けないよというときには

わたしの母は、顔をそむけている
まだ話したいのに、それ以上できなかったときに

わたしの母は、目をつむっている
わたしが遅くなって、母を最後に抱きしめることができなかったときには、


【解釈】


ドイツ語の表記から受ける印象は、この小人は少女で、まだ文章もうまく書けないような年齢の子供だということです。

何か、言葉の表記に稚拙な感じがします。

それは、詩人がそう表現しているのかも知れません。

こんな詩人です。写真が載っています。

http://de.wikipedia.org/wiki/Friederike_Mayr%C3%B6cker

こちらは、英語のWikipediaです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Friederike_Mayr%C3%B6cker

最後の連は、お母さんがもう亡くなっているのかも知れないと思わせる言い方にもなっています。