安部公房は、19歳のときに「僕は今こうやって」を、20歳の時に「詩と詩人(意識と無意識)」というエッセイを書いている。
「僕は今こうやって」というエッセイは、一言でいうと、18歳のときに書いた「問題下降に依る肯定の批判」で論じた内と外の問題に加えて、それ以外に「転身」または「変容」と呼ぶ個人の意識の次元変位的なありかたの重要性に言及したものである。
「詩と詩人(意識と無意識)」(20歳)は、「問題下降に依る肯定の批判」(18歳)を、「僕は今こうやって」(19歳)で言及した転身または変容の問題を、存在論の観点から論じ、まとめたエッセイである。安部公房の思考する問題は18歳のときのエッセイを離れることがない。継続的に、意識して、問題下降と概念から生への没落を自分の頭で考え抜いたのだ。その到達点が「詩と詩人(意識と無意識)」である。これは、人間とその意識のあるべき姿を論じた存在論であるが(安部公房は認識論的に論ずることがない)、これと表裏一体となって、無名詩集ができている筈である。その吟味は後日にしようと思う。少なくとも、特に哲学用語のよく出て来る初期の小説は、そのイメージも、比喩も、言わんとするところも、「詩と詩人(意識と無意識)」を読むことで理解することができる。また哲学用語を使わない小説であれ、このエッセイを読むことで、晩年に到るまで、その小説が何故そのようなイメージや比喩や、従ってそのような文体で書かれているかを理解することができる。このエッセイを読むと、安部公房は、10代から晩年に到るまで、終始一貫、首尾一貫していることが解る。
本題を少しはずれるが、1947年6月17日付(安部公房23歳)の中の肇宛て書簡の中で、無名詩集について「此の詩集で僕は一応是迄の自分に解答を与へ、今後の問題を定立し得た様に思っております。」と書いている。中の肇は、成城高等学校の時代から、安部公房の哲学的な思索について議論をしてきた友人達のうち、特に重要な友達である。その成果が無名詩集であるといっている。他方、そうやって議論もし、その間思索してきたことの成果は、「詩と詩人(意識と無意識)」(20歳)にまとめられていると考えてよいと私は思う。
その事を証明するのは、1947年7月5日付中の肇宛て書簡の中の、次の文章である:「僕が最初に実存哲学なるものを発見したのは、キエルケゴールやハイデッガーに於いてよりもむしろ、リルケとニーチェに於いてだつた。しかし是は勿論実存哲学とは名付け得ないかも知れない。とにかく僕は其處から出発した。そして四年間.......僕の帰結は、不思議な事に、現代の実存主義とは一寸異つた実存だつた。僕の哲学(?)を無理に名づければ新象徴主義哲学(存在象徴主ギ)とでも言はうか、やはりオントロギーの上に立つ一種の実践主ギだつた。存在象徴の創造的解釈、それが僕の意志する所だ。」
(続く)
自分自身の人生を生きるために、自分の言葉を持て。そして、歳とともに、過激になれ。世界を変形させる為に。Have your own words to live your unique life! And be radical as you are getting older in order to transform the world!
2010年3月27日土曜日
18歳の安部公房
1942年12月に、18歳の安部公房は、「問題下降に依る肯定の批判ー是こそは大いなる蟻の巣を輝らす光である―」というエッセイを書いている。全集で5ページと少しの分量。
このエッセイは、一言でいうと、人間としての個人の判断の根拠を問うものだ。その問いを問題といっている。問題下降とは、その解答を現実の今ここに見つける努力のことをいっている。当時の友人のひとり、中の肇宛ての1943年10月26日付の書簡では、「概念より生への没落」と表現している。この友人宛てのその他の書簡も読むと、この成城高等学校時代に読んだのは、ニーチェとリルケ(その形象詩集)である。Untergangとドイツ語を使っている手紙もある。いづれにせよ、この没落はツァラツゥストラの没落に比されている。
さて、冒頭の題の意味は、このような問題下降により、この私のこのように今ある現実を肯定することで時代と社会を批判するという事をいっている。批判するためには、「動かなくてはならない。そして動かさなくてはならない。手を、指を、そして目と鼻を。」といっている。このような行為を、安部公房は、座標なき判断と呼んでいる。これを真の反省といい、自覚的な努力といい、「自覚の最初の自覚的発生」といい、「基底となる可きもの―例えば人間存在ーに迄立ち戻る」ことと言っている。この座標なき判断は、当の個人が行う「総ての判断は指で触れ,目で見た上で為されねばなら」ない。そうして「其処に始めて最も小さな最初の肯定が生れる」といい、 このような肯定を「否定的問題下降の絶対的肯定」と、18歳の安部公房は、呼んでいる。これが冒頭の題の前半、主題部分の意味である。
また、座標なき判断は、宇宙のすべてを知る事ができない天文学に喩えて、この批判の方法は、同時に「全体的な学の形式を取る事が要求される」といっている。後年は,あるイメージの周りに、それまでのあれこれの断片が結晶するのだといっていることと同じことが言われている。ひとことでいえば、この批判の方法とそれによって生れる作品は、体系的でなければならないということ、構造的でなければならないということである。
さて、その批判の対象となるものは何かというと、その対象となるものについていっているのが、題の後半、副題部分の「大いなる蟻の巣」である。人間のつくっている社会の全体を蟻の巣に擬している。大いなるとは、文中では偉大なると言い替えられていて、この形容詞は勿論Ironie, アイロニーである。安部公房のHumor、ユーモアを感じる。人間は偉大なる蟻であり、その構成する社会は、偉大なる蟻の巣である。「実を云えば現代社会はそれ自体一つの偉大なる蟻の社会に過ぎないのだ。無限に循環して居る巨大な蟻の巣。而も不思議に出口が殆ど無いのだ。」
と、ここまでエッセイの文を引用してみると、殆どその後の安部公房の小説や作劇の世界の要約であるかのように思われる。遅くとも、この18歳のときには、既にして、後年の安部公房の発想の型は、その比喩も含めて出来上がっているように思われる。このとき、ユ―プケッチャという虫も生まれていたに違いない。従って、箱舟さくら丸も。
さて、その蟻の社会の出口を求める座標なき判断が、「出口を求める」行為であり、「大いなる蟻の巣を輝らす光である」、その方法なのだ。その方法によって自覚的に生れる場所を、安部公房は「遊歩場」と呼んでいる。安部公房の諸作品の主人公達が求めた、これは、場所ではなかろうか。
この場所は、「一定の巾とか、長さ等があってはいけないのだ。それは、具体的な形を持つと同時に或る混沌たる抽象概念でなければならぬ。」(概念から生―混沌―へ、生から概念へという思考のプロセスと、そうやって生れる作品のイメージと構造)
この場所は、始めにあったものではなく、「二次的に結果として生じたもの」(晩年のクレオール論を読んでいるような気がする)であって、その理由によって都市の中から直接その外、郊外に接続しているものであり、「範囲的」に郊外地区を通ってゆくものであってはならない。それは、何故かというと、市外にある「森や湖の畔に住う人々が、遊歩場を訪れる事があるからだ。遊歩場は、都会に住む人々の休息所になると同時に、或種の交易場ともなるのだ。」(ここのところの原文は、後年の安部公房の小説を読んでいるような感に捕われる。)
当時安部公房の接して居た直かの社会、すなわち高等学校は、かくあらねばならない場所だと主張している。勿論、現実はそうではないといっている。
「それに、現代はそれ以上の事に関しては、私に沈黙を要求する。結局要は問題下降の唯一無条件的肯定のみになるのである。」当時の「現代」とは戦時下であり、対外的、社会的な批判は赦されていなかっただろうから、こうして、かくあることを体系的に考える(本当は思弁といいたいけれども)ことしか、できなかったといってるのだ。
このエッセイの中で、同じ試みをした先人の名前として、ニーチェとドストエフスキーの名前が挙げられている。
このエッセイをまとめると以上のようになるだろうか。
思考のメモ:交易、交換とはエロティックな行為である。なぜなら、それは互いを未分化の状態におくことになるからだ。
このエッセイは、一言でいうと、人間としての個人の判断の根拠を問うものだ。その問いを問題といっている。問題下降とは、その解答を現実の今ここに見つける努力のことをいっている。当時の友人のひとり、中の肇宛ての1943年10月26日付の書簡では、「概念より生への没落」と表現している。この友人宛てのその他の書簡も読むと、この成城高等学校時代に読んだのは、ニーチェとリルケ(その形象詩集)である。Untergangとドイツ語を使っている手紙もある。いづれにせよ、この没落はツァラツゥストラの没落に比されている。
さて、冒頭の題の意味は、このような問題下降により、この私のこのように今ある現実を肯定することで時代と社会を批判するという事をいっている。批判するためには、「動かなくてはならない。そして動かさなくてはならない。手を、指を、そして目と鼻を。」といっている。このような行為を、安部公房は、座標なき判断と呼んでいる。これを真の反省といい、自覚的な努力といい、「自覚の最初の自覚的発生」といい、「基底となる可きもの―例えば人間存在ーに迄立ち戻る」ことと言っている。この座標なき判断は、当の個人が行う「総ての判断は指で触れ,目で見た上で為されねばなら」ない。そうして「其処に始めて最も小さな最初の肯定が生れる」といい、 このような肯定を「否定的問題下降の絶対的肯定」と、18歳の安部公房は、呼んでいる。これが冒頭の題の前半、主題部分の意味である。
また、座標なき判断は、宇宙のすべてを知る事ができない天文学に喩えて、この批判の方法は、同時に「全体的な学の形式を取る事が要求される」といっている。後年は,あるイメージの周りに、それまでのあれこれの断片が結晶するのだといっていることと同じことが言われている。ひとことでいえば、この批判の方法とそれによって生れる作品は、体系的でなければならないということ、構造的でなければならないということである。
さて、その批判の対象となるものは何かというと、その対象となるものについていっているのが、題の後半、副題部分の「大いなる蟻の巣」である。人間のつくっている社会の全体を蟻の巣に擬している。大いなるとは、文中では偉大なると言い替えられていて、この形容詞は勿論Ironie, アイロニーである。安部公房のHumor、ユーモアを感じる。人間は偉大なる蟻であり、その構成する社会は、偉大なる蟻の巣である。「実を云えば現代社会はそれ自体一つの偉大なる蟻の社会に過ぎないのだ。無限に循環して居る巨大な蟻の巣。而も不思議に出口が殆ど無いのだ。」
と、ここまでエッセイの文を引用してみると、殆どその後の安部公房の小説や作劇の世界の要約であるかのように思われる。遅くとも、この18歳のときには、既にして、後年の安部公房の発想の型は、その比喩も含めて出来上がっているように思われる。このとき、ユ―プケッチャという虫も生まれていたに違いない。従って、箱舟さくら丸も。
さて、その蟻の社会の出口を求める座標なき判断が、「出口を求める」行為であり、「大いなる蟻の巣を輝らす光である」、その方法なのだ。その方法によって自覚的に生れる場所を、安部公房は「遊歩場」と呼んでいる。安部公房の諸作品の主人公達が求めた、これは、場所ではなかろうか。
この場所は、「一定の巾とか、長さ等があってはいけないのだ。それは、具体的な形を持つと同時に或る混沌たる抽象概念でなければならぬ。」(概念から生―混沌―へ、生から概念へという思考のプロセスと、そうやって生れる作品のイメージと構造)
この場所は、始めにあったものではなく、「二次的に結果として生じたもの」(晩年のクレオール論を読んでいるような気がする)であって、その理由によって都市の中から直接その外、郊外に接続しているものであり、「範囲的」に郊外地区を通ってゆくものであってはならない。それは、何故かというと、市外にある「森や湖の畔に住う人々が、遊歩場を訪れる事があるからだ。遊歩場は、都会に住む人々の休息所になると同時に、或種の交易場ともなるのだ。」(ここのところの原文は、後年の安部公房の小説を読んでいるような感に捕われる。)
当時安部公房の接して居た直かの社会、すなわち高等学校は、かくあらねばならない場所だと主張している。勿論、現実はそうではないといっている。
「それに、現代はそれ以上の事に関しては、私に沈黙を要求する。結局要は問題下降の唯一無条件的肯定のみになるのである。」当時の「現代」とは戦時下であり、対外的、社会的な批判は赦されていなかっただろうから、こうして、かくあることを体系的に考える(本当は思弁といいたいけれども)ことしか、できなかったといってるのだ。
このエッセイの中で、同じ試みをした先人の名前として、ニーチェとドストエフスキーの名前が挙げられている。
このエッセイをまとめると以上のようになるだろうか。
思考のメモ:交易、交換とはエロティックな行為である。なぜなら、それは互いを未分化の状態におくことになるからだ。
安部公房の処女作
安部公房について思うことを箇条書きにメモして後日の備えとしよう。
1。処女作には、その作家のすべての芽があるといわれる。その通りで、終りし道の標にという作品は、その後の安部公房の作品のプロットの原型になっている。それは、どのようなプロットであるか。
(*)それはひとことでいうと孤児の文学である。
2。これは、家長に、つまり長男に生まれついたことを否定する男の書いた小説だ。従い、この作家の書く小説は、消極的な(そういう意味では屈折した、裏返しの)家族小説、一族小説である。だから、偽の父親も出て来る。
3。安部公房の小説には、主人公が陰陽ふたりいる。
4。ノート形式での叙述。
5。芥川賞を受賞した作品、壁、これを第二の処女作と呼べるとしたら、やはりこの作品にもその後の安部公房の諸作品に登場するイメージが書かれているからだ。試みに列挙すれば:無名の主人公、病院、便所、箒をもった老人、制服、泥棒と探偵、洞窟と迷路、偽の父親、自分の部屋(空間)、そこからの脱出、自己から自己へ、ノアの箱舟。
1。処女作には、その作家のすべての芽があるといわれる。その通りで、終りし道の標にという作品は、その後の安部公房の作品のプロットの原型になっている。それは、どのようなプロットであるか。
(*)それはひとことでいうと孤児の文学である。
2。これは、家長に、つまり長男に生まれついたことを否定する男の書いた小説だ。従い、この作家の書く小説は、消極的な(そういう意味では屈折した、裏返しの)家族小説、一族小説である。だから、偽の父親も出て来る。
3。安部公房の小説には、主人公が陰陽ふたりいる。
4。ノート形式での叙述。
5。芥川賞を受賞した作品、壁、これを第二の処女作と呼べるとしたら、やはりこの作品にもその後の安部公房の諸作品に登場するイメージが書かれているからだ。試みに列挙すれば:無名の主人公、病院、便所、箒をもった老人、制服、泥棒と探偵、洞窟と迷路、偽の父親、自分の部屋(空間)、そこからの脱出、自己から自己へ、ノアの箱舟。
2010年3月21日日曜日
埴谷雄高の死霊という作品について
おお、そうだ、今日埴谷雄高の死霊を読み終えたことをここにしるしておこう。
死霊を一言で言えば、三輪家の異母兄弟が存在(das Sein)に挑戦する話しということができる。
登場人物のひとりひとりが語る宇宙の話はおもしろく、興味が尽きない。これは、ひとりひとりが奇譚を語るという着想と体裁で話しを作っても面白かったと思う。(例えば、ETAホフマンのSerapion Brueder(セラピオン同盟))しかし、埴谷雄高はそれでは満足しなかったのだ。
やはり、最後に難解な問いのひとつは、男女の仲、男女のことだったのだと思う。この作品が、遠大なるSpiel、遊び、遊戯であることを願う。作者の真剣であることの程度とは無関係に、言葉の本来の性質と働きによって、この作品はSpielになっている。最後に虚体がでてきてから、更にのっぺら坊の宇宙が意志を以って出てくるということになると、やはりそうなったかという思いがします。つまり、収まりがつかなくなったのだ。それで充分ではないかとわたしは思う。
素晴らしいことは、自同律の不快、すなわち「わたしはわたしである。」と、人間はいえない現実と事実に抗して主人公たちが戦いをはじめ、それを延々と書くことができたことだと思う。
その間に現れるイメージ、形象は素晴らしい。この空間を綾どるイメージを抜きに、この作品は成立しなかっただろう。そうであれば、それは単なる論理の散文になってしまいます。つまり、これが、埴谷雄高の詩であることが素晴らしいことなのだ。
この空間を綾どる数々の形象の、従属文に従属文を幾つも重ねる様式、スタイルに、埴谷雄高というひとを、わたしは見るのだ。今まで、このような垂直の階層構造を幾重にも備えた従属文で一つの文を構成した作家はいないと思う。日本人の文は、いつもそれを平面的に開いて、助詞「が」と「、」を以って「が、」で以って接続しながら、文章を展開するのだ。その方がわかりやすいから。
このことは、暗に、埴谷雄高の至った宇宙像を示しているとわたしは思う。この小説の構想は20代に胚胎したものであるから、若き埴谷雄高の無意識に至った宇宙の姿だといってよいと思う。
そうしてまた、このひとは、日本語の構造にも挑戦したひとだということになると思う。
わたしも、このように挑戦してみたいものだ。わたしが今ポルノ小説を書きたいと漠然と思っていることも、この埴谷雄高の影響下にあり、また関係のあることのひとつなのだと思う。これはレヴィナスの女性観を否定して、ボードレールの女性観を肯定することになるかも知れないけれども。埴谷雄高というひとは禁欲的なひとだった。レヴィナスもボードレールも否定した。
まだまだ思うところあり。とても、書ききれない。そうやって、沈黙して、想念が熟成して、時間をかけて、わたしの言葉になるのであろう。それが埴谷雄高のいう精神のリレーであることを願っている。
死霊を一言で言えば、三輪家の異母兄弟が存在(das Sein)に挑戦する話しということができる。
登場人物のひとりひとりが語る宇宙の話はおもしろく、興味が尽きない。これは、ひとりひとりが奇譚を語るという着想と体裁で話しを作っても面白かったと思う。(例えば、ETAホフマンのSerapion Brueder(セラピオン同盟))しかし、埴谷雄高はそれでは満足しなかったのだ。
やはり、最後に難解な問いのひとつは、男女の仲、男女のことだったのだと思う。この作品が、遠大なるSpiel、遊び、遊戯であることを願う。作者の真剣であることの程度とは無関係に、言葉の本来の性質と働きによって、この作品はSpielになっている。最後に虚体がでてきてから、更にのっぺら坊の宇宙が意志を以って出てくるということになると、やはりそうなったかという思いがします。つまり、収まりがつかなくなったのだ。それで充分ではないかとわたしは思う。
素晴らしいことは、自同律の不快、すなわち「わたしはわたしである。」と、人間はいえない現実と事実に抗して主人公たちが戦いをはじめ、それを延々と書くことができたことだと思う。
その間に現れるイメージ、形象は素晴らしい。この空間を綾どるイメージを抜きに、この作品は成立しなかっただろう。そうであれば、それは単なる論理の散文になってしまいます。つまり、これが、埴谷雄高の詩であることが素晴らしいことなのだ。
この空間を綾どる数々の形象の、従属文に従属文を幾つも重ねる様式、スタイルに、埴谷雄高というひとを、わたしは見るのだ。今まで、このような垂直の階層構造を幾重にも備えた従属文で一つの文を構成した作家はいないと思う。日本人の文は、いつもそれを平面的に開いて、助詞「が」と「、」を以って「が、」で以って接続しながら、文章を展開するのだ。その方がわかりやすいから。
このことは、暗に、埴谷雄高の至った宇宙像を示しているとわたしは思う。この小説の構想は20代に胚胎したものであるから、若き埴谷雄高の無意識に至った宇宙の姿だといってよいと思う。
そうしてまた、このひとは、日本語の構造にも挑戦したひとだということになると思う。
わたしも、このように挑戦してみたいものだ。わたしが今ポルノ小説を書きたいと漠然と思っていることも、この埴谷雄高の影響下にあり、また関係のあることのひとつなのだと思う。これはレヴィナスの女性観を否定して、ボードレールの女性観を肯定することになるかも知れないけれども。埴谷雄高というひとは禁欲的なひとだった。レヴィナスもボードレールも否定した。
まだまだ思うところあり。とても、書ききれない。そうやって、沈黙して、想念が熟成して、時間をかけて、わたしの言葉になるのであろう。それが埴谷雄高のいう精神のリレーであることを願っている。
2010年3月18日木曜日
革命について
今日も閑暇ありとて、あれこれと先日来あたまを去来することを考え続けている。
昨日のつれづれ草にて、言語機能論が存在論をその内に含んでこれを統合して全体をなしているという話をしましたが、今日はその続きです。
あるひとの影響で、カントについての文章を最近あれこれと眼にすることが多いのであるが、その中にカントの著作中の言葉として、自分の起こした哲学上の革命は、コペルニクスの革命に匹敵するという言葉があるということを読みました。
コペルニクスは、天が動いているのではなく、実は大地が動いているのだということを発見し、天体の運動の法則を導いた。あるいは、順序は逆かもしれません。(いつも革命的な発見は、時間の順序を前後する。あるいは、もっと言えば、時間的な順序に無縁である。)
カントは、自分の考え、即ち、絶対的な空間と時間があるのではなく、それは認識によって生まれる、従い、相対的な空間と空間であるということ、時間や空間が存在するのではなく、認識がそれらを存在せしめているのだと考えを逆転させ、回転させたことを、そのように自負を以って述べています。
昨日も述べた言語機能論というのは、西洋の哲学史の上で、回天の革命的な考え方がその根底に隠れています。(今調べてみると、ヴィトゲンシュタインは、アインシュタインやリルケやトーマス・マンとまったく同じ時代の人間であり、哲学者です。同じ意識、同じ思想を密かに共有しているとわたしは考えております。)
さて、その隠れている考え方とは何かと言えば、近代の西洋の哲学者たちが、理性が概念をつくると考えてきた考えをひっくり返して、概念が実は理性を創造しているのだという考え方です。(概念とは何か、です。)
アリストテレス以来の内包と外延の論理学は、言語の働き、即ち機能の結果生まれた意義と意味の分類です。その意義と意味がなぜ生まれたのかということを考えると言語は機能だという考えに至る。それは、言語とは何かと問うことの回答です。
この問い自体は、ソクラテス以来変わらないものです。そうして概念を定義する。すなわち、そうして主語と述語で表すということが、既に言語を機能として考えている成果であり、証左なのです。
今日、Wikipediaでヴィトゲンシュタインの生涯の著作の簡単なる記述を読みましたが(わたしも実際に著作のほんの一部を日本語で読んだことがありますが)、それによれば、既に哲学論理的論考(Logisch-philosophische Abhandlung)の附番(番号のつけ方)が示しているものは、晩年に至ったと世上言われているSprachespiel(言語遊戯、言葉は遊びだ、言葉が遊戯しているという考え方)という思想と全く同じであることを知りました。
それは、この哲学者が上に名前を挙げた論文で7つの命題を挙げ、それを階層構造で附番をつけたというこの表現形式そのものが、そのことを示しているのです。それは、1, 1.1, 1.2, 1.3....., 7, 7.1, 7.2, 7.3.....という附番のつけ方のことです。この附番の構造こそがこの哲学者の主張したかったこと、これが宇宙だといいたかったことなのだとわたしは思います。実は、命題の中身などどうでもよい。この形式だけが大切なのだと。そう、ヴィトゲンシュタインは思っていたのではないでしょうか。
何故ならば、このような階層化することそのことが、何かを機能化することに他ならないからです。この機能化するときの思考プロセスが(以前も言及しました)論理積、掛け算なのです。時間と無縁の思考プロセス。垂直の旅。
(この階層化、この機能化は、語のレベルでは内包と外延、論理積と論理和になり、文のレベルでは話法の問題となります。これは後日また。)
こうしてみると、ヴィトゲンシュタインの思想は若いときから晩年まで、変化することなく、首尾一貫していると思います。最初に、若年に、思想の萌芽があったのでしょう。
概念が理性を、認識を生み出すというこの考えは、西洋哲学においてのみならず、密かに広くこの世界に革命を起こしていることをわたくしに念じ、思わせしめる。(社会現象をこれによって説明してみよう。)
言語機能論(意味形態論)とは、言葉の意味は使い方によって決まるという考えです。
この単純な、概念の関係に関する考えが、どれほど豊かな思想であるか。
今思うに、そのひとつの素晴らしい例として、ドイツ語の世界では意味形態論といって関口存男さんという語学の天才がその成果をわたしたちに伝えてくれておりますが、その話はまた別のところで。今日は、これまで。
So weit fuer heute. ゾー・ヴァイト・フュア・ホイテ。
昨日のつれづれ草にて、言語機能論が存在論をその内に含んでこれを統合して全体をなしているという話をしましたが、今日はその続きです。
あるひとの影響で、カントについての文章を最近あれこれと眼にすることが多いのであるが、その中にカントの著作中の言葉として、自分の起こした哲学上の革命は、コペルニクスの革命に匹敵するという言葉があるということを読みました。
コペルニクスは、天が動いているのではなく、実は大地が動いているのだということを発見し、天体の運動の法則を導いた。あるいは、順序は逆かもしれません。(いつも革命的な発見は、時間の順序を前後する。あるいは、もっと言えば、時間的な順序に無縁である。)
カントは、自分の考え、即ち、絶対的な空間と時間があるのではなく、それは認識によって生まれる、従い、相対的な空間と空間であるということ、時間や空間が存在するのではなく、認識がそれらを存在せしめているのだと考えを逆転させ、回転させたことを、そのように自負を以って述べています。
昨日も述べた言語機能論というのは、西洋の哲学史の上で、回天の革命的な考え方がその根底に隠れています。(今調べてみると、ヴィトゲンシュタインは、アインシュタインやリルケやトーマス・マンとまったく同じ時代の人間であり、哲学者です。同じ意識、同じ思想を密かに共有しているとわたしは考えております。)
さて、その隠れている考え方とは何かと言えば、近代の西洋の哲学者たちが、理性が概念をつくると考えてきた考えをひっくり返して、概念が実は理性を創造しているのだという考え方です。(概念とは何か、です。)
アリストテレス以来の内包と外延の論理学は、言語の働き、即ち機能の結果生まれた意義と意味の分類です。その意義と意味がなぜ生まれたのかということを考えると言語は機能だという考えに至る。それは、言語とは何かと問うことの回答です。
この問い自体は、ソクラテス以来変わらないものです。そうして概念を定義する。すなわち、そうして主語と述語で表すということが、既に言語を機能として考えている成果であり、証左なのです。
今日、Wikipediaでヴィトゲンシュタインの生涯の著作の簡単なる記述を読みましたが(わたしも実際に著作のほんの一部を日本語で読んだことがありますが)、それによれば、既に哲学論理的論考(Logisch-philosophische Abhandlung)の附番(番号のつけ方)が示しているものは、晩年に至ったと世上言われているSprachespiel(言語遊戯、言葉は遊びだ、言葉が遊戯しているという考え方)という思想と全く同じであることを知りました。
それは、この哲学者が上に名前を挙げた論文で7つの命題を挙げ、それを階層構造で附番をつけたというこの表現形式そのものが、そのことを示しているのです。それは、1, 1.1, 1.2, 1.3....., 7, 7.1, 7.2, 7.3.....という附番のつけ方のことです。この附番の構造こそがこの哲学者の主張したかったこと、これが宇宙だといいたかったことなのだとわたしは思います。実は、命題の中身などどうでもよい。この形式だけが大切なのだと。そう、ヴィトゲンシュタインは思っていたのではないでしょうか。
何故ならば、このような階層化することそのことが、何かを機能化することに他ならないからです。この機能化するときの思考プロセスが(以前も言及しました)論理積、掛け算なのです。時間と無縁の思考プロセス。垂直の旅。
(この階層化、この機能化は、語のレベルでは内包と外延、論理積と論理和になり、文のレベルでは話法の問題となります。これは後日また。)
こうしてみると、ヴィトゲンシュタインの思想は若いときから晩年まで、変化することなく、首尾一貫していると思います。最初に、若年に、思想の萌芽があったのでしょう。
概念が理性を、認識を生み出すというこの考えは、西洋哲学においてのみならず、密かに広くこの世界に革命を起こしていることをわたくしに念じ、思わせしめる。(社会現象をこれによって説明してみよう。)
言語機能論(意味形態論)とは、言葉の意味は使い方によって決まるという考えです。
この単純な、概念の関係に関する考えが、どれほど豊かな思想であるか。
今思うに、そのひとつの素晴らしい例として、ドイツ語の世界では意味形態論といって関口存男さんという語学の天才がその成果をわたしたちに伝えてくれておりますが、その話はまた別のところで。今日は、これまで。
So weit fuer heute. ゾー・ヴァイト・フュア・ホイテ。
言語機能論
今日も移動書斎にてレヴィナスおじさんの「全体性と無限」を読む。
読むと始原なるものが出てくる。これは有限と無限の区別に先立つものだという。とても、よくわかる。
結局、こうして今までレヴィナスを読んできて、おもしろいと思って読んでいる。この人は、わたしが考えてきたことの何か本質に触れている発言をしているのだということを思う。所有、家、始原なるもの、無限なるもの等々。
しかし、今日19:30分に知ったことは、結局、存在論という論は、古代ギリシャ以来の歴史をひっくるめて、わたしの言葉で一言で言えば、その論は、als obの論だということである。それは、「恰もそうである如くある」ことについての論であるということである。そうして、それは、すべての存在論は、言語機能論に収まるということを意味している。
存在論的に語るひとが、いつも認識をおろそかにするのは何故であろうか。
最近何かの文章で読んだが、西洋の哲学の主流は歴史的に存在論だということである。カントは違ったといっている。カントは認識論に舵を切った哲学者だと。これは本当であろうか。本当だとしても嘘だとしても、上に書いたことには間違いがないと思う。
ヴィトゲンシュタインを大切にする哲学者達がいるとしたら、それは存在論を離れる(否定するのではなく)論だということになる、というのが上のわたしの論なのであるが、どうであろうか。
何故ならば、ヴィトゲンシュタインも言語機能論だからです。
言語機能論とは、何も難しい論ではなく、その言葉の意味は使い方によって定まるという考え方です。
何をいいたいか、レヴィナスを読んで知る現象学や存在論は、ドイツ語でいうals obの論だということが言いたい。「恰もなになにの如く存在する」という論じ方、ものの見方の世界です。
その他共感するところが多々あり。こうして、何とか最後まで読むことができそうな予感がします。
今日もなにか大いに飛躍したような気がするが、わがうちなる世界にては首尾一貫しているのであります。これを乱すのは恋心と酒のみである。これらは、外部があるということを神聖にも示してくれるから。
読むと始原なるものが出てくる。これは有限と無限の区別に先立つものだという。とても、よくわかる。
結局、こうして今までレヴィナスを読んできて、おもしろいと思って読んでいる。この人は、わたしが考えてきたことの何か本質に触れている発言をしているのだということを思う。所有、家、始原なるもの、無限なるもの等々。
しかし、今日19:30分に知ったことは、結局、存在論という論は、古代ギリシャ以来の歴史をひっくるめて、わたしの言葉で一言で言えば、その論は、als obの論だということである。それは、「恰もそうである如くある」ことについての論であるということである。そうして、それは、すべての存在論は、言語機能論に収まるということを意味している。
存在論的に語るひとが、いつも認識をおろそかにするのは何故であろうか。
最近何かの文章で読んだが、西洋の哲学の主流は歴史的に存在論だということである。カントは違ったといっている。カントは認識論に舵を切った哲学者だと。これは本当であろうか。本当だとしても嘘だとしても、上に書いたことには間違いがないと思う。
ヴィトゲンシュタインを大切にする哲学者達がいるとしたら、それは存在論を離れる(否定するのではなく)論だということになる、というのが上のわたしの論なのであるが、どうであろうか。
何故ならば、ヴィトゲンシュタインも言語機能論だからです。
言語機能論とは、何も難しい論ではなく、その言葉の意味は使い方によって定まるという考え方です。
何をいいたいか、レヴィナスを読んで知る現象学や存在論は、ドイツ語でいうals obの論だということが言いたい。「恰もなになにの如く存在する」という論じ方、ものの見方の世界です。
その他共感するところが多々あり。こうして、何とか最後まで読むことができそうな予感がします。
今日もなにか大いに飛躍したような気がするが、わがうちなる世界にては首尾一貫しているのであります。これを乱すのは恋心と酒のみである。これらは、外部があるということを神聖にも示してくれるから。
2010年3月16日火曜日
話法について
tab21号が届く。その中に秋川さんの散文あり。
その最後のところにある「過去の無償性」、「現在の有償性」という言葉に感ずるものがあったので、敷衍して考えてみたいと思った。
現在の有償性とは、現在という時間は、または現在という時間の中にあるものが、交換関係にあるということを言っている。これは正しいのではないか。
現金を手にしているとは、いつも現在という時間を手にしているということだ。この場合、現在という時間は、交換可能性ということである。貯蓄ということも、お金を貯めるということであるから、それはいつでも現金として引き出して、何かと交換できるという可能性の備蓄であるということになる。つまり、現在という時間を備蓄しているのだ。違うだろうか。
お金が増大すればするほど、人間は、自分の現在が増えると、実はこころのどこかで、考えているのではないだろうか。つまり、永遠の命を手に入れることができると考えているのではないだろうか。そうして、ついには、命よりもお金の方が大切だと思い違いをする。または、無限の富に憧れる。(あるいは、永遠の生命に憧れ、それを手に入れたいと古来思ってきた。)
しかし、この考えは、無限大に拡散し、放散するので、まとまりを欠いている。まとまりを欠いているとは、全体がないということである。(確かに、やはり、ソクラテスのいうように、お金をただ多く持っていてもだめで、お金の使い方を知らなければならないということは真理だと思われる。)
現在とは、常に、時間と空間によって表わされる、あるいは示される、交換可能性をいうのではないだろうか。だから、可能性であるので、現在は、実際には、存在しない。だから、直ぐ過ぎてしまうように思う。そうして、直ぐ忘れる。わたしたちは、毎日可能性に生きているということになる。可能性が現実、現実は可能性だということになる。
これに対して、過去の無償性はどうであろうか。
すべて現在の有償性と反対だと考えてみると、それは、時間と空間の現在的な交換可能性から無縁の性質だということになる。
過去が時間だとして(現在と同じように)、過去とは、時間と空間に規定されない、交換可能性のない、だから、交換不可能性の何かである。ということになる。その何かの性質を無償性ということになる。
確かに過去は戻って来ない。戻って来ないという感覚は、何かと交換が不可能だということである。
そうして、無償の時制である過去形から、人間は時間を欠いた接続法II式、仮定法、非現実話法を創造する。これは何度考えても不思議なことである。それは、非現実の世界であり、時間は過ぎないのであるが、厳然としてあるのだ。交換不可能の過去から、過去ですらない交換不可能の世界を創造する。そのような世界は忘れない、忘れられない。ときには、永遠にあるように思われる。
これは、わたしたち人間の発話行為、言語活動、思考行為は、無償性を基礎にしているということなのだろう。大切なのは、論旨ではなく、スタイル、様式、形式なのだ。わたしたちは何に触れているのだろう。
わたしは何を書いているのだろうか。
わたしが上に書いてきた考えは、モード、モーデ、話法という考えなのである。
この考えでゆくと、何故わたしたちが時間と空間の一点を互いに決めて会うことができているかというと、わたしたちのこの会っている今の上の階層のもうひとつの時間に、この今会っている時間が時計を合わせている、支配されているからであり、つまりわたしたちの支配者がいるのであり、またその支配者が会っているわたしたちを従属文に入れて被支配文を作っているからなのだ、という考えになるのだ。被支配文とは、この現実(と見える)の世界のことである。
わたしたちはその支配者に永遠に会うことができない。
しかし、実はその永遠の支配者とは、わたしたち自身ひとりひとり、私という一人称のことなのである。(私とは何か。)だから、現実には、可能性を現実たらしめようとして、わたしたち人間は言語を使ってひとを動かそうとするし、実際に動かしているし、そうしてこのようなことはほとんど誰も考えようとしていない。ただ動かすことを考えているだけだ。
詩を書くということは、そういうこととは全く無縁のことである。
わたくしの中にいる王が詩人を必要とするのだ。言葉の鎮静作用。
その最後のところにある「過去の無償性」、「現在の有償性」という言葉に感ずるものがあったので、敷衍して考えてみたいと思った。
現在の有償性とは、現在という時間は、または現在という時間の中にあるものが、交換関係にあるということを言っている。これは正しいのではないか。
現金を手にしているとは、いつも現在という時間を手にしているということだ。この場合、現在という時間は、交換可能性ということである。貯蓄ということも、お金を貯めるということであるから、それはいつでも現金として引き出して、何かと交換できるという可能性の備蓄であるということになる。つまり、現在という時間を備蓄しているのだ。違うだろうか。
お金が増大すればするほど、人間は、自分の現在が増えると、実はこころのどこかで、考えているのではないだろうか。つまり、永遠の命を手に入れることができると考えているのではないだろうか。そうして、ついには、命よりもお金の方が大切だと思い違いをする。または、無限の富に憧れる。(あるいは、永遠の生命に憧れ、それを手に入れたいと古来思ってきた。)
しかし、この考えは、無限大に拡散し、放散するので、まとまりを欠いている。まとまりを欠いているとは、全体がないということである。(確かに、やはり、ソクラテスのいうように、お金をただ多く持っていてもだめで、お金の使い方を知らなければならないということは真理だと思われる。)
現在とは、常に、時間と空間によって表わされる、あるいは示される、交換可能性をいうのではないだろうか。だから、可能性であるので、現在は、実際には、存在しない。だから、直ぐ過ぎてしまうように思う。そうして、直ぐ忘れる。わたしたちは、毎日可能性に生きているということになる。可能性が現実、現実は可能性だということになる。
これに対して、過去の無償性はどうであろうか。
すべて現在の有償性と反対だと考えてみると、それは、時間と空間の現在的な交換可能性から無縁の性質だということになる。
過去が時間だとして(現在と同じように)、過去とは、時間と空間に規定されない、交換可能性のない、だから、交換不可能性の何かである。ということになる。その何かの性質を無償性ということになる。
確かに過去は戻って来ない。戻って来ないという感覚は、何かと交換が不可能だということである。
そうして、無償の時制である過去形から、人間は時間を欠いた接続法II式、仮定法、非現実話法を創造する。これは何度考えても不思議なことである。それは、非現実の世界であり、時間は過ぎないのであるが、厳然としてあるのだ。交換不可能の過去から、過去ですらない交換不可能の世界を創造する。そのような世界は忘れない、忘れられない。ときには、永遠にあるように思われる。
これは、わたしたち人間の発話行為、言語活動、思考行為は、無償性を基礎にしているということなのだろう。大切なのは、論旨ではなく、スタイル、様式、形式なのだ。わたしたちは何に触れているのだろう。
わたしは何を書いているのだろうか。
わたしが上に書いてきた考えは、モード、モーデ、話法という考えなのである。
この考えでゆくと、何故わたしたちが時間と空間の一点を互いに決めて会うことができているかというと、わたしたちのこの会っている今の上の階層のもうひとつの時間に、この今会っている時間が時計を合わせている、支配されているからであり、つまりわたしたちの支配者がいるのであり、またその支配者が会っているわたしたちを従属文に入れて被支配文を作っているからなのだ、という考えになるのだ。被支配文とは、この現実(と見える)の世界のことである。
わたしたちはその支配者に永遠に会うことができない。
しかし、実はその永遠の支配者とは、わたしたち自身ひとりひとり、私という一人称のことなのである。(私とは何か。)だから、現実には、可能性を現実たらしめようとして、わたしたち人間は言語を使ってひとを動かそうとするし、実際に動かしているし、そうしてこのようなことはほとんど誰も考えようとしていない。ただ動かすことを考えているだけだ。
詩を書くということは、そういうこととは全く無縁のことである。
わたくしの中にいる王が詩人を必要とするのだ。言葉の鎮静作用。
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