三島由紀夫の十代の詩を読み解く10:イカロス感覚1:ダリの十字架(2):6歳の詩『ウンドウクヮイ』
「磔刑の基督」は、刑架がキュビズムの手法で描かれてをり、キリストも刑架も完全に空中に浮遊して、そこに神聖な形而上学的空間といふべきものを作り出してゐる。左下のマリヤは完全にルネッサンス的手法で描かれ、この対比の見事さと、構図の緊張感は比類がない。又、下方にはおなじみの遠い地平線が描かれ、夜あけの青い光が仄かにさしそめてゐる。
(三島由紀夫「ダリ『磔刑の基督』」)
ここで三島由紀夫の言つてゐることを箇条書きにして整理してみませう。
1。「刑架がキュビズムの手法で描かれて」ゐること。
2。「キリストも刑架も完全に空中に浮遊して」ゐること。それが、
3。「神聖な形而上学的空間といふべきものを作り出してゐる」こと。
4。「左下のマリヤは完全にルネッサンス的手法で描かれ」てゐること。従い、
5。キュビズムの手法とルネッサンス的手法の、「この対比の見事」であること。手法の対比のみならず、
6。この対比から生まれる、更にやはり対比的な、「構図の緊張感は比類がない」こと。また、
7。上方の闇に対して、「下方にはおなじみの遠い地平線が描かれ、夜あけの青い光が仄かにさしそめてゐる」こと。
この7つのことを、上の引用した短い文章の中に、実に凝縮して贅沢に、三島由紀夫は述べてをります。
この7つのことで、三島由紀夫が述べてゐることを、たつた一言でいふならば、それは、対比的な様式と其の緊張感いふことです。
もつと言へば、対比的な様式と其の緊張感の存在する只今、この時、この一点といふ意味です。或ひはまた、
対比的な様式と其の緊張感の均衡によつて生まれ、存在する此の只今の交点、交差点といふ、時差の交差点といふ意味です。
この交差点を、即ちザイン(存在、Sein)と呼んでもよいでせう。
この交点、交差点の生まれたときに、三島由紀夫は「比類がない」といふのです。この同じ「比類がない」といふことを、既に、学習院初等科に入学した6歳の平岡公威は、「面白い」といふ言葉を使つて、このダリの絵と同じ「比類がない」「対比の見事さと、構図の緊張感」の交差点を、初めて経験した小学校の運動会のこととして、次のやうに歌つてをります。
「ウンドウクヮイ
(一)
一バンアトカラ二バンメノ十ジツナヒキ
オモシロイカツトフウセンフハリフハリフハリ
(二)
一バンアトカラ二バンメノ十ジツナヒキ
オモシロイムカデノヤウニゴロゴロゴロ」
この詩を片仮名からひらがなに直して、もう少し文字として視覚的に分かりやすく変形させてみてから、考察に入ります。
「運動会
(一)
一番後から二番目の十字綱引き
面白い勝つと風船ふはりふはりふはり
(二)
一番後から二番目の十字綱引き
ここで、上のダリの十字架と同じ評言にある、詩の構成要素をあげてみると、次のやうになるでせう。
(1)繰り返しによる様式の対比による対称性と対照性の効果を既に知っており、そのことに美と抒情と快感を覚えていること。この場合、
(2)様式との対比による対称性と対照性とは、風船と百足の対比によつて、次の対称性と対照性を表現してをります。
1⃣天と地(地面)
2⃣上昇と下降
3⃣軽さと重さ
4⃣勝ちと負け
5⃣始めと終わり((一)と(二)といふ配列によって意識される)
(3)交差点のある十字形に興味と関心を持っていること。
(4)現実の出来事に対して、面白いと(いふ言葉を使って)思ひ、表現していること。ダリの十字架に対する「比類がない」ことに相当する賛嘆の言葉であること。
(5)独特の数の数え方、即ち、最後から数えて、その最後の数を勘定に入れて、下る(降順の)数を数えること。即ち、数を勘定するときに、一番最後から引き算をして勘定するといふこと。[註1]更に、このことから即ち、
(6)最初に最後を考えた事
[註1]
『研究』といふ15歳の詩の最後の一行は、「老博士」が「時間と数がずれるのを、耳にされるのである。」(決定版第37巻、564ページ)とあり、同時に此の博士は生きながらに「御自身の顱頂骨(ろちやうこつ)から蹠(あなうら)へ、一本の鉄の焙棒(あぶりぼう)をつきさして」ゐる死者として歌はれてをり、また同様の主題で『美神』という短編小説にも、やはり「R博士」が、自分しか知らぬ数字の秘密の差異が、時間の中で意味を持つてゐると密かに思つてゐたにもかかはらず、話の最後に其れが否定されることによつて悶死するといふ話である。
また『近代能楽集』の中の『道成寺』にも、衣裳戸棚の競(せ)りの値段が、時間の中で時間とともに終局(最後)に向かつて数字が列挙されてゆくといふ比較的長い科白のやりとりがある。
決定版第37巻の詩群には、これらの他にも、雪の降り積む丈の数字を挙げてあるとか、その他数字と時差といふ主題と動機は幾つも歌われてゐる。三島由紀夫は、数字を列挙してゆくときに、その数字と数字の(時間の中での)差異に美と叙情を覚えるのです。
最後の(6)については、運動会のプログラムがこのとき幾つあつたものかはわかりませんが、仮に10の演目があったとして、最初から9番目というか、または最後から一つ目というのか(わたしならばかう言ふかも知れない)、はたまた三島由紀夫のように、最後の演目を勘定に入れて、最後から二つ目といふかによって、ものの考え方が異なります。
また、(二)の連の詩で、
「ムカデノヤウニゴロゴロゴロ」
と言っているのは、これは(一)の連では、勝つとどうも、勝ちを祝って風船が飛ばされたようですから、対比•対照的に、今度は負けた場合には、負けた組がごろごろごろと、地面に転がって「百足のやうに」負けを認める仕草を表したのではないでせうか。
しかし、芋虫ならば「ゴロゴロゴロ」と転がるという形容に相応しい。何故ならば、脚がないから。しかし、百足(むかで)では、脚がたくさんあるでせうから、果たして「ゴロゴロゴロ」と百足のやうに転がる事ができたものか。
と、このやうに考え参りますと、6歳の三島由紀夫が言い表したかつたことは、百足は脚が幾つもあって、本来は「ゴロゴロゴロ」と転がることのできない生きものであるにも拘らず、敢えてその脚をものともせずに、「ゴロゴロゴロ」と転がるといふこと、これが面白いと言つてゐるのかも知れません。
あるいは、さうやつて「ゴロゴロゴロ」と転がる子供達の全体の、そのたくさんの脚をばたばたさせる様を、一匹の百足に例えたと理解することもできます。『世界中の海が』(決定版第37巻、34~36ページ)という9歳のときの詩には、この発想がありますから、この解釈も現実的に可能でありませう。
とすれば、(一)の連の風船は、百足の脚のやうな障害もなにもなく、自然に楽々と天に昇って行けるといふことを、反対に、三島由紀夫は歌っていることになります。百足は地を這ひ、風船は天に昇る。
このやうな様式を支える対比•対照的な、或は両極端に論理を展開して言語に変換するといふものの考え方は、既にこの6歳の時には確立していたということができませう。
かうしてみますと、叙景の対象は運動会であり、小学生の子供の公の世界の催事(何故ならば昔は家族総出で重箱なども持参して見物にも来た事でありませうから)であつて、それがいかにも経験的には狭く幼い感じがするやうに此の詩を読む大人である読者の目には見えませうが、しかし、そのやうに、この詩はもはや既にして相当に高度な詩なのです。
高度なといふ意味は、様式化されてゐて、一つの言葉に幾つもの関係が掛けられてゐて、従い連想が連想につながつていて高度であり、詩になつてゐるという意味です。
一つの言葉に幾つもの関係が掛けられてゐとは、つまり、通り一遍の叙景ではなく、実に立体的な叙景になっているといふこと。のみならず、6歳の少年平岡公威の対比•対照的な両極端の論理も盛つてゐて、さうなつてゐるといふ、そのやうな高度な詩になつてゐるのです。
たつたの4行で、これだけの論理と感情を盛つた平岡公威といふ子供の言語能力は、当時傍にいた大人達にも知られることはなかつたのではないでせうか。あるいは、大人たちは、冒頭に引いた三島由紀夫のダリの十字架への評言の本質が、この詩に既にあるとは、勿論、少しも気がつかなかつた。
この詩の持つ以上のような素晴らしさ、即ち論理的な骨格(構造)と感情の移入は、いや此の二つによる感情の発露、即ち三島由紀夫にとつての現実感ある現実は、その後の一生を貫いて、作品の中に現れてゐるのです。
全く同じことが安部公房についても言ふことができます。
安部公房の一桁の学齢の小学生のときに奉天で書いた詩が、安部公房の読者のために、今二つ残つてをります。やはり、安部公房の場合も、これらの詩は、一生の安部公房の死後の遺作に至るまでの作品群を貫いて生きております。今、『夜』と題した詩を再度引いて、解説を致します。
上で三島由紀夫の詩の特徴として挙げたことはみな、そのまま安部公房の詩の特徴として当て嵌まります。
「夜
「クリヌクイ クリヌクイ」
カーテンにうつる月のかげ」
この安部公房の詩が三島由紀夫の詩と異質であるのは、後者が、
「オモシロイカツトフウセンフハリフハリフハリ」とか、
「オモシロイムカデノヤウニゴロゴロゴロ」
といつたやうに、音と言葉の繰り返しに、安部公房のやうな一文字の空白がなく、連続していて継ぎ目がないといふことです。
この違いは、これから先々に述べるところで段々とお分かり戴けることと思ひますが、二人の本質的な相違を其のまま示してゐるのです。何か先の戦争の後に登場したふたりは、誠に運命的な相補的な、補完関係にある典型的なふたりであるといふ以外にはないやうに思はれます。
勿論、安部公房も、この「クリヌクイ クリヌクイ」に、美と叙情を感じてをり、この繰り返しを呪文だと考へ、この呪文を唱へることによつて空間的な差異(隙間や歪み)の中に存在を招来し、次に此の存在の方向へと読者が向ふように立て札を立て(さうして実際に立て札を絵や写真として作品中に置いて)、さうして主人公は存在の迷路をさ迷い、最後には人攫(さら)ひにあつて、その存在の次元から失踪して、次の次元へと姿を消してしまふといふのが、すべての安部公房の作品の物語の組み立て(構造)なのです。
この場合、上の二行の詩の示す通りに、安部公房の世界は時間を捨象した空間的な、部屋という空間の存在論の世界です。さうして、「クリヌクイ クリヌクイ」といふ繰り返しに、美と叙情と呪術性を感ずる。[註2]
[註2]
「クリヌクイ」の詩の他に、もうひとつの詩が現存してをります。それは次の『風』と題した詩です。ここには、安部公房の繰り返しがあります。以下、『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する(後篇)』(もぐら通信第33号)より引用してお届けします。:
「クリヌクイ」の詩の他に、もうひとつの詩が現存してをります。それは次の『風』と題した詩です。ここには、安部公房の繰り返しがあります。以下、『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する(後篇)』(もぐら通信第33号)より引用してお届けします。:
「 風
風が
僕のほうぺった なで ゆく
凍ったお手で なで ゆく」
この書き方は、小学校時代の恩師である宮武城吉という先生という方の教えであるのでしょうか、或いは当時の国語の教科書が其のように文字を表記していたのでしょうか、句点を使わずに、一文字空白をおいていて、これはこのまま十代の安部公房の詩の書き方になっているばかりではなく、1947年の『無名詩集』を通り、例えば1962年の小説『砂の女』へ、更に1967年の戯曲『友達』の中で歌われる「友達のブルース」の歌詞の書き方にまで遠く及んでいます。傍線筆者。
「ジャブ ジャブ ジャブ ジャブ
何んの音?
鈴の音
ジャブ ジャブ ジャブ ジャブ
何んの声?
鬼の声」
(『砂の女』全集第16巻、156ページ)
「夜の都会は
糸がちぎれた首飾り
あちらこちらに
とび散って
あたためてくれたあの胸は
どこへ行ってしまった
迷いっ子 迷いっ子」
(『友達』全集第20巻、425ページ)
この一文字の空白を空けて同じ言葉を繰り返すという安部公房の一行は、次のことを示しています。
1。同じ言葉の繰り返し(循環)のときに使うこと
2。その空白の両端に配置される言葉は、等価であること。従い、
3。この空白は、一種の接続詞、見えない透明な上位接続の機能を果たしているということ
4。その透明な上位接続による繰り返しに、安部公房は叙情を感じていること
『砂の女』の「ジャブ ジャブ ジャブ ジャブ」という繰り返しを、このようにして眺めてみると、
5。この一文字の空白を間に挟んだ繰り返しは、呪文であること
そうして、このように考えることができるであれば、1991年最晩年の小説『カンガルー・ノート』の最後にある次の詩も、呪文なのであり、呪文である以上、この繰り返しによって、安部公房は何かを呼び出そう、招来しようとしているということになります。
「(オタスケ オタスケ オタスケ オタスケヨ オネガイダカラ タスケテヨ)」(全集第29巻、188ページ)
この小説の結末部を読むと、これはこの括弧の中の繰り返しの直前にある詩の内容からして、主人公が人さらいにさらわれることを願っている繰り返しであり、人さらいを呼び出そう、招来しようという呪文であることが解ります。
そうして、実際に最後は、時間のない上位接続(論理積:conjunction)の場所、即ち「北向きの小窓の下で/橋のふもとで/峠の下で」人さらいにさらわれて、最後のページをめくると、そこには存在の方向への立て札である「新聞記事からの抜粋」が、死亡記事として引用されているという趣向になっています。
これに対して、三島由紀夫の場合は、二連の詩の、特に「一バンアトカラ二バンメノ十ジツナヒキ」(「一番後から二番目の十字綱引き」)といふ行が示す通りに、時間の中での数字の勘定の差異、即ち数字を勘定することによつて生まれる時差に、三島由紀夫の世界は生まれる、さういふ意味では、時間的な認識論の世界です。さうして、「フハリフハリフハリ」とか、「ゴロゴロゴロ」といふ繰り返しに、美と叙情と呪術性を感じ、それを「オモシロイ」、「比類がない」と感じるのです。
十代の詩人三島由紀夫が、ヘルダーリンとリルケの詩に惹かれる理由は、これらのドイツ語の詩人の詩は、上の三島由紀夫の言葉と詩の特徴をすべて備えているからです。何故なら、リルケの詩は、存在と其の存在への循環(繰り返し)を歌ひ、ヘルダーリンの詩は、三島由紀夫の詩がさうであるやうに、自然の諸要素を歌ひ上げて、さうして、其の生命の源への還流(繰り返し)を歌ふからです。
さうして、三島由紀夫と安部公房を比較して興味深いのは、前者はヘルダーリンを相対的に好んで、自分の作品の中にも引用して表立てるほどであるのに対して、後者はリルケを相対的に好んで、自分の作品の中には引用もせず表立てずにゐたほどに(例外は『名もなき夜のために』ですが)、それぞれに深くそれぞれの詩人の世界に互ひに一層深く親炙してゐたといふことです。ここでも対比・対照的な二人です。
さて、二人の比較論は、取り敢へず此処までと致しませう。これからも比較する機会は訪れませうから。
以下に、決定版第37巻に十字、十字形、十字架、交差点など、総てこれらを両極端の切り結ぶ差異と云ふならば、明瞭に表立つてまた一見隠れてしかし露わに此の差異の形象の出てくる詩を、思ひつくままに列挙して、後日此の形象を、また此の形象との関係で別の三島由紀夫の主題と動機を、詳細に論じるための備忘と致します。
十字の交差点の形象の他にも、繰り返しそのものは、三島由紀夫の詩には、無数に無数に出て参ります。いや、十字の交差点は、上のやうに繰り返しの交点であると考へれば、ダリの十字架もまた静寂の時間の無い空間の中の繰り返しの形象であるのです。その他にある無数の、繰り返しによつて生まれる交差点の言葉が、さうであるやうに。
安部公房ならば、ザイン(存在、Sein)の十字路に立つてゐると、間違いなく言ふところです。
以下ページ数は、その形象の出てくる決定版第37巻のページ数です。細かく拾いますと、まだ他にもあることは間違いありません。
1。『ウンドウクヮイ』:17ページ:6歳
2。『高庇塚塋歌(かうひちようえいのうた)(長編叙事詩)』:135ページ:12歳
3。『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』:207ページ:13歳
4。『三 十字路の吐息』:286ページ:13歳
5。『独白 廃屋の中の少女』:296ページ:14歳
6。『誕生日の朝』:328ページ:14歳
7。『風と私』:330ページ:14歳
8。『美の五つの二行詩』:338ページ:14歳
9。『轢死 《モンタアジュ型式》』:472ページ:15歳
10。『風の日 〈童謡〉』:475ページ:15歳
11。『さびれた愛へ』:503ページ:15歳
12。『研究』:564ページ:15歳
13。『石切場』:566ページ:15歳
14。『美神 古典の形を借りて』:588ページ:15歳
15。『馬』:691ページ:16歳