2015年2月22日日曜日

Trennung(分離):第9週 by Erich Fried(1921 ー 1988)


Trennung(分離):第9週 by  Erich Fried(1921 ー 1988)


【原文】

Der erste Tag war leicht
der zweite Tag war schwerer
Der dritte Tag war schwerer als der zweite

Von Tag zu Tag schwerer
Der siebente Tag war so schwer
daß es schien er sei nicht zu ertragen

Nach diesem siebenten Tag
sehn ich mich
schon zurück


【散文訳】

一日目は、簡単だった
二日目は、もっと辛(しん)どかった
三日目は、二日目よりも更に辛どかった

毎日毎日一層辛どくなる
七日目は、かくも辛どかったので
堪えて持ちこたえることができないように見えた

この七日目の後で
わたしは自分自身を
振り返るのだ


【解釈と鑑賞】

この詩人の、Wikipediaです。オーストリアの詩人です。

http://goo.gl/EBS0Vc

聖書の、神がこの世界を創造することを下敷きにして書かれた詩だということになります。

そうして、このように一週間を生きることの辛さを、週末の7日目の1週間の反省を歌っております。

ドイツ語のschwerは、重いという意味、重いということから、難しい、難儀だという意味です。しんどいという日本語の方が感じが出るように思いましたので、そのように訳しました。

この詩を読んであたらめて気づきましたが、1週間をひとつの単位として生活するということは、キリスト教の世界観、宇宙観を受け容れて毎日を生活するということを意味しています。

このキリスト紀元歴は、相当わたくしたち日本人にストレスと歪みをもたらしているのではないかと、わたしは思います。

やはり、イスラムの文明がイスラム歴を相変わらず使用することの意義は実に深く大きいというべきでありませう。日本にも和暦があり、紀元節の神武天皇建国以来の皇紀がありますので、これを再び採用することの意義は同様に深く大きいものがあると、わたしは思います。

西暦では、今年は2015年でありますが、皇紀で言えば、2675年であり、イスラム歴(ヒジュラ歴)で言えば、1436年となります。こんなウエッブサイトを見つけました。その冒頭に「キリスト紀元の西暦のみを押し付ける偏狭におちいららないために。」とあります。ご覧あれかし。:http://www.nunochu.com/matsuri/newyear.html

しかし、それにしても、この詩の題名は何故Trennung、分離であるのでしょうか?

何と何が分離し、別れ、分けられるのでしょうか?

聖書と日常に生きる私でしょうか、神と私でしょうか。

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