2015年2月21日土曜日

【Eichendorfの詩105】Die Freunde3(友達3)


【Eichendorfの詩105】Die Freunde3(友達3) 
  

【原文】

Mit vielem will die Heimat mich erfreuen,
Ein heitres Schloß an blaugewundnem Flusse,
Gesell'ge Lust, Mitwill und frohe Musse,
Der Liebe heitres Spiel, süß zu zerstreuen.

Doch wie die Tage freundlich sich erneuen,
Fehlt doch des Freundes Brust in Tat und Muße,
Der Ernst, der herrlich schwelget im Genuss,
Des reichen Blicks sich wahr und recht zu freuen.

Wo zwei sich treulich nehmen und ergänzen,
Wächst unverdeckt das freudige Werk der Musen.
Drum lass mich wieder, Freund, ans Herz dich drücken!

Uns beide will noch schön das Leben schmücken
Mit seinen reichen, heitern, vollen Kränzen,
Der Morgenwind wühlt um den offnen Busen!


【散文訳】

たくさんのもので以って、古里はわたしを喜ばせたいと思っている
青く渦巻く河の傍の明朗なる城
社交の陽気、元気発剌と愉快な安楽
甘く気散じするという、愛の明朗なる遊び。

しかし、日々が親しく(友のように)日々新たになるように
何と言っても、友の胸には、行為と安楽の中にあっても
真剣が、
豊かな眼差しを真にそして正しく悦ぶという享楽に
素晴らしく耽るという真剣が、欠けている

二人が誠実にお互いを取り、そしてお互いを補い合う場所で
隠れようもなく、ミューズ(文藝の女神)の喜びの作品が育つ。
それ故に、再びわたくしをして、友よ、お前を心と胸に押し当てせしめよ!

わたしたち二人を、人生が未だ美しく飾りたいと思っているのだ
その生の豊かな、明朗な、満ち足りた数々の王冠を以って
朝の風が、開いた胸襟の周りを巡って掘り返すのだ。


【解釈と鑑賞】

連詩5篇からなる詩『友達』の第3の詩です。

第2連にある、


豊かな眼差しを真にそして正しく悦ぶという享楽に
素晴らしく耽るという真剣

という此の真剣を友のものとすることが、この詩の歌い手の友情だということになるのでしょう。

第1連は、いつもながらのアイヒェンドルフの世界です。このような詩行を訳すと、いつも何かこころが慰められることが、実に不思議なことです。

やはり、詩人らしいことは、第4連(最終連)にあるように、das Leben、即ち生命、生、人生というものが、今の人が考えがちであるように自分の制御できる対象ではなく、そうではないことが最初から明らかであるが故に、ふたりが友として第3連に歌われた関係を、即ちミューズの女神の作品が生まれて成長することができたならば、豊かな明朗な満ち足りた数々の王冠で飾ってくれるということ、このような生命に対する感謝のこころのあることだと、わたしは思います。

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