2011年10月1日土曜日

Berlin(ベルリン):第40週


Berlin(ベルリン):第40週


by Johann Leohard Frisch (1666 - 1743)


【原文】

Kan Berlin
in diesem Land forthin
sich mit vielen Dingen
hoeher als vordero schwingen?
Ey so sagt man, wie von seinem Rom Virgil,
Dass Sie sich auch so hoch erheben wil,
als Cypressen uebersteigen
Buesche, so zur Erd sich neigen.

Ja, dieweil des Baeren Bild
Fuellet ihren Wappen・Schild,
Als ein Zeichen, das zugleich Viel der Edlen in dem Reich
Auch viel hoh- und grosse FuerstenHaeuser fuehren,
wird diss Gleichniss auch dem Baeren wol gebuehren.
Wie sich dessen Krafft ueber andre Thier erhebt,
Dass das staerckste Kind von dessenlben Klauen bebt,
Wie der Baer auch geht auf zweyen Fuessen,
Da viel andre Thier viere brauchen muessen,
Wie er seine Brust erhoeht,
Wann er wie die Menschen steht,
So hebt sich Berlin empor
Unter aller Staedte Chor.
Wie nun jeder Stand der Stadt
Theil an diesem Baeren hat,
Welcher nicht ein einig Glied
Ohne starcke Nerven zieht,
So verbleibt das eine Theil,
Welches als ein veste Gaeul
Den Coerper richtig traegt,
Wann er den Gang so regt,

Und weil zu diesem Stand
auch unsre Schul gehoeret,
So wird sie mit beehret,
auch wol durch dieses band
an den Fuessen
Bleiben muessen.


Dem Lehrer = Stand,
Dessen Knie
Spat und frueh
durch den Sand
Ohn Verdruss
Waden muss,
Auch damit
Seinen Feind,
Eh ers meynt,
Zu Boden tritt.



【散文訳】

ベルリンは、
この国でずっと
多くのものたちと一緒に
以前より高く飛躍することができるだろうか?
それはできるさ、とひとはいう
ヴェルキリウスが、その愛するローマを歌ったように
ベルリンもまた、高くなりたいと思っていると
糸杉が成長して
叢林を超えて、地上へと頭を下げるように

そうさ、だから、熊の像が
ベルリンの、紋章入りの盾を満たしている
帝国の中の貴族たちの多くを導き、同時に
また多くの高貴で偉大な王侯領主の家々を導く象徴として
この譬喩(ひゆ)は、実際、誠に熊にふさわしいものだ
どれ程、その力が、他の動物達を凌駕しているかを見よ
同じ爪をもった動物たちのうちで一番強い子供が活発に動くことをを見よ
熊がいかに実際2本脚で歩くかを見よ
多くの他の動物たちは、4本脚を必要としなければならないのに
熊がいかにその胸を昂然と高く持するかを見よ
いつ熊が人間のように立つかを見よ
このようにベルリンは高く立ち上がる
あらゆる都市の合唱の下で

さてこうして、国中の都市のどの地位も
この熊、ひとつの四肢とて
強い神経がなく動くことはないこの熊に
拠っているので
熊が道を揺るがして進むときには
確かな馬として体をしっかりと運ぶ部位(足)は
いつも変わらず地に付いている

そして、ベルリンのこの地位には、
わたしたちの学校もまた帰属しているので
学校もまた、一緒に尊敬を受け
実際、確かに、この絆によって
揺るぎないものにならなければならないのだ

ベルリンの地位は
教師としての地位であって
その膝は
遅かれ早かれ
砂を深く踏んでも
立腹などせずに
対処しなければならないし
また、それによって
その敵を
敵が思うより早く
地面に叩き伏せるのだ





【解釈】

この詩は、カレンダーの上では、熊の形をかたどって描かれています。

その熊は、向かって右を向き、両の手を前に伸ばして、詩にあるように、2本脚で立っています。

この詩の書体は、普通みるすっきりしたアルファベットの文字ではなく、古い花文字(Fraktur)で書いてあります。Fraktur、フラクトゥーアでと読みます。

久し振りに花文字で読みました。

このひとのWkipediaです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Johann_Leonhard_Frisch

これを読むと、この詩人は、当時のプロイセン芸術アカデミーを設立する当初活躍をした、アカデミーの有力な会員でした。

鳥や魚のスケッチを描き、説明を付して、体系立った書物を公刊したとあります。

特に有名な業績は、昆虫と鳥の銅版画で、これは、孫の代になって完成を見たということです。

このような経歴から、この詩の後半で、教育に触れることは然るべき理由のあることだと思います。

最後の連の「立腹などせずに対処しなければならない」の「対処する」は、原文では、wadenという動詞ですが、これは辞書に見当たらず、Googleでも検索できず、当たり障りのない訳をつけました。

お解りの方は、ご教示下さい。

ベルリンは、1871年にプロイセン国王が皇帝となってドイツ帝国が成立し、ベルリンはその首都となりましたが、それ以前のこの詩の書かれた時期には、ドイツの他の諸都市を凌いで、大きく発展するところであったのでしょう。

ベルリンのひとたちの意気と望みがよく伝わる詩だと思います。

今の日本の詩人は、余りに個人的過ぎて、このような詩を書きませんが、わたしは、詩人は、その役割のひとつとして、このような詩を書く社会的使命と役割を本来持っているものだと思っております。

この詩は、当時のひとびとのこころ、ベルリンという一個の共同体のこころを表現しています。

当時から今に至るまで、その間冷戦の時代には不幸にも東西ベルリンに分割されていましたが、その苦しみを乗り越えて、依然として、ドイツ民主共和国の首都の役割を担っています。

2 件のコメント:

岩田英哉 さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
岩田英哉 さんのコメント...


川端さん、木村相良に載っていなかったのですよ。

あっ、グリムの辞書があったな。と思って調べると、あった!
WATEN, verb. schreiten, besonders durchs wasser.

Wadenはwatenの意味なり。水の中を跋渉するという意味なり。

川端さん感謝です。