2011年10月6日木曜日

Steve Jobsの訃報に接して


Steve Jobsが亡くなった。

今日その最初の知らせをFacebookで知った。

一瞬驚いたが、それは、静かな驚きだった。

惜しいひとを亡くした。もっと長生きして欲しかった。

まだ、56歳である。

8月4日に会長に退いたので、最後の最後まで仕事をしたということだろう。以て瞑すべし。

最初にわたしがMacintoshを使って仕事をしたのは、30歳のときだった。世に出た年だった。

今から、28年前ということになる。

機種の名前は、SE/30。

小さくて、コンパクトで、縦型の素敵なpersonal computerだった。

本当にpersonal computerという名前にふさわしいコンピュータだった。

実に使いやすかった。

マニュアルの英語も、素晴らしく簡素簡潔で、わかりやすいマニュアルだった。文化を持った文体があった。

それまで、こんな素晴らしいマニュアル、つまりコンピュータの説明書を日本語の世界で読んだ事がなかったので、尚一層驚いたのだと思う。

この後、Macintoshのマニュアルと同じ位、簡潔な文体でわかりやすく書かれたマニュアルは、Unixのマニュアルだけである。

Mac OS Xで、Appleは、UnixベースのOSに切り替えたが、それは必然的な、設計思想の類似性の高さと親近性が多いに関係があったのだと、素人ながら思っている。

SE/30を使っていた当時、何かの記事で読んだのだが、このマニュアルは、アメリカの東部から西部に向かってヒッチハイクをしてカリフォルニアにやって来た若い女性が製作したのだと聞いた。

さもありなむと思うほど、コンピュータの外観のデザインも、マニュアルも、何もかも素晴らしく、自由闊達な印象が深かった。

カルフォルニア、という感じがとてもする。

Macintoshを持つということ、Mac userであるということは、普通と違った特別なことであった。勿論、今もそうである。

使っていて、こんなに楽しいコンピュータはない。

Windowsは、人間がコンピュータに合わせて仕事をしなければならないが、Macintoshは、人間がコンピュータを使い、コンピュータが人間に合わせてくれて、コンピュータと交流をさえしているという感じがする。

大体、立ち上がるのに3分もかかるようなWindowsは、商品とはとても言えない。

今わたしはiMacでこの文章を書いているが、ゼロから立ち上げて、30秒で立ち上がる。

Macintoshは、リンゴの種類の名前である。

出来上がった、このpersonal computerになんと言う名前をつけようかとミーティングをしているときに、机の上にリンゴがあって、それがMacintoshという種類のリンゴであった。よし、これで行こうということになった。

このエピソードも、実に当時の草創期のApple社の生き生きとした息吹を伝えるものとして、今でも時折、何かの折に思い出すことがある。

Appleのリンゴの商標。

カリフォルニアの、シリコンバレーの息吹。

John Lennonが亡くなったときも、同じ思いをしたように思う。

この思いは、ああもうこのひとの生きた姿に接することがなくなった、ああこのひとの作品にリアルタイムで接することが永遠にできなくなったという思いである。

生きたそのひとと、同じ時代の空気を吸う事、そのひとの業績に接してその恩恵を受けることの喜びを知る事、こういうことが、もはやなくなったのだ。

同じ思いを、安部公房という天才が亡くなったときにも味わった。

今度は、Steve Jobsである。

思えば、わたしの人生において、8年前の無職の時代に、Apple本社のSteve Jobs宛に求職の手紙を書いたということが、この天才と唯一無比の楽しい、個人的な思い出になった。[スティーブ・ジョブズに求職活動をした話

Steve Jobsよ永遠なれ。

どうも、ありがとう。



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