2011年3月22日火曜日

3月22日(戦後詩)

風邪の具合よろし。風邪のこと、それから地震のことありとて、この数日間、誠に信じがたきことなれど、一滴の酒も飲んでいない。

芭蕉七部集ひさごを繰り返し読む。

東明雅先生の「連句入門」をまた読む。

この本は、誠によき本であると改めて思ふ。

3月16日の「なにぬねの?」の我がブログにて、

淡々と職場で仕事をしながら考えたことであるが、この天災、即ち地震、津波、そして福島原発の事故の日本人に齎(もたら)した意義は、第2次世界大戦、或いは大東亜戦争で敗北して生まれた戦後の思考空間、言論空間の、完全なる崩壊だということです。

と書いたが、今日も、俳諧を読みながら、やはり、同じ思ひを深くするものなり。

解酲子さんが、3月16日の同じブログにて、

それまでは当たり前の風景だったものが、まったくありきたりでなくなる経験をした。

と書かれているが、これは如何なる文脈にてもあらん、詩人の直観(直感ではない)は、正しいのである。

同じ直観から発せられた言葉を、この、なにぬねの?にて、幾つも読んだ。

詩の世界ということでいえば、この天災、即ち、この地震、この津波、この原発の事故と共に、戦後詩の時代は、終わったのである。

東北三陸沖の地層地殻の変動とともに、詩の言葉の地層地殻も変動したのである。

言葉の地軸が動いたのだ。

(これは譬喩である。しかし、詩人よ、このときに思へよ、譬喩とは何かを。)

こう思い、わたしは瀬尾育生の戦争詩論を今日アマゾンで註文した。

当時この詩論の出たときに、詩人たちは沈黙をし、或いは、批評した詩人の批評の言葉は惨たるものであった。

何が書いてあるかわからなかったのだ。

ある若い女性詩人の現代詩手帳の批評文など、あわれであったと今思う。

語学ができるできないの問題ではないのだ。

他方、瀬尾さんのドイツ語のルビが、戦後の日本でどれだけの威力を持つか、瀬尾さんが思っているほど、わたしは全然楽観的ではないけれども。

若い詩人の間でも、戦争という経験と、それから発する言葉の継承が途絶えたということを、上の若い女性の詩人の批評は示していたのである。

今思い出しながら、書くと、この女性も、瀬尾さんのいうことを、自分の狭い経験と社会学的な知識とで理解しようとしたということであるが、百聞は一見に如かず、とても、今回の経験と体験には叶わない。

言葉だけに頼っている人間の限界である。

ということが、今わかる。

更に、他方、それ故に、戦争の言葉を用いる詩人が出現しても不思議ではないと、その批評を読んだ当時、そう思われた。

戦争とは何かである。

なにぬねの?において、わたしは既に答えを、言語の立場から書いているので、何もいうことはない。繰り返すと、

戦争と性愛とは、言語の立場からみると、同じ起源に因るのである。

恐ろしいことだ。

片や、死の恐怖、片や快楽。

明日から、また職場に向かうが、さて、どうなるか。

わたしたちの日常は、少しも日常ではないということが明らかになった今、バランスを保つということは、誠に、難しいことである。

banさんのおっしゃる通り、ゆっくり、というのが、ひとつの心的態度だと、わたしも思ふのである。

戦後詩は死んだのだ、と、だれかが譬喩のうちの隠喩を使っていうのであろうか?

それが、詩人であればこそ、素晴らしい。

とわたしは、そう思うのです。

瀬尾さんの本の到着を楽しみにしているタクランケです。

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