第1章
II-2から4連
残りの2連から4連を読んでみる。各連づつ、散文訳をつけてみる。事前の予想では、訳をつけてみたら、それで終わってしまって、解釈とか鑑賞とか感想とか、なにも書けなくなっているかも知れないけれども。
Und schlief in mir. Und alles war ihr Schlaf.
Die Bäume, die ich je bewundert, diese
fühlbare Ferne, die gefühlte Wiese
und jedes Staunen, das mich selbst betraf.
そうして、(その娘は)わたしの中で眠った。そして、すべては彼女の眠りであった。
木々、わたしがいつも驚嘆している木々が、この感じることのできる距離が、感じている草原が、それから、わたし自身を打った驚きのひとつひとつが。
Sie schlief die Welt. Singender Gott, wie hast
du sie vollendet, daß sie nicht begehrte,
erst wach zu sein? Sieh, sie erstand und schlief.
娘は、世界を眠った。歌っている神よ、お前はどのようにして、さあ起きよう、目覚めようと願わないように、娘を完成したのだ?見よ、娘は立って、そうして眠っていた。
Wo ist ihr Tod? O, wirst du dies Motiv
erfinden noch, eh sich dein Lied verzehrte? —
Wo sinkt sie hin aus mir?... Ein Mädchen fast...
娘の死は、どこにあるのだ?ああ、お前は、お前の歌がみづからを食い尽くさぬ前に、このモチーフをまだ発明することになるのだろうか? 娘は、わたしの中から外へと出て、どこに沈んでゆくのだろうか? ほとんど娘であるものが…..
2連から見てみよう。この語り手の中に娘が眠っている。すべては娘の眠りだったという文をドイツ語では書けるのだなあ。日本語で書いても、やはり同様に意味があるのだろうか。この意味は、解釈すると、娘が世界を夢見るという文ならわかるが、世界を眠るというのであるから、娘が世界を眠らせたという意味なのか、そうして眠らせた結果世界が眠っているのか、実はよく、うまく言えない。しかし、この文は何か深いことをいっているように思うのだが。
木々や距離や草原の例を列挙していることから感じ考えると、世界は娘の眠りであるとは、わたしたちの廻りに現実に存在するものがすべて、眠りそのものからなっているという意味に解釈することができる。娘が眠っているから(夢ではない)、ものとして存在している、眠りであるものたち。
3連目をどうやら先走って考えてしまったようだ。娘は世界を眠っている。神が娘をこのように眠らせていることがわかる。しかも、立って眠っていたとは。
時間、時制、tenseの話をすると、2連と3連の時間は、過去である。過去の事実として語り手は述べている。
4連に来ると、時間は、現在形に戻る。と、こう考えて来ると、語り手は、時間の中を自由に行ったり来たりして話しをしているようだ、いや歌っているようだ。
4連目でわからないのは、語り手であるわたしの中から娘が出て行くと、沈んでいくということである。何故沈んでいくのだろうか。この問いの答えは、また後のソネットの中に出てくるのであろうか。
そうして、やはり、最後にも出てくる、ほとんど娘である娘という表現、これは何を言いたいのかということである。前回は、性の文化した後の乙女に近づけて読んだが、あるいは逆に少女、子供としての女の子に近づけで読むべきなのだろうか。わからない。リルケは何を言いたいのか。
それから、文法的なことを言えば、娘というドイツ語、Mädchen、メートヘェンは、中性名詞であるのにもかかわらず、リルケは、それを彼女、sie、ズィーで受けているということである。中性名詞ならば、es、それが、で受けたり、所有代名詞ならば、sein、彼の、で受けるのではないかと思うが。こういうことがあるのだという例であろうか。
それから、もうひとつ、文法的におもしろいのは、3連の
O, wirst du dies Motiv
erfinden noch, eh sich dein Lied verzehrte?
ああ、お前は、お前の歌がみづからを食い尽くさぬ前に、このモチーフをまだ発明することになるのだろうか?
というところである。従属文の動詞が過去形で、主文の動詞が未来形(あるいは現在形)になるのだろうかということである。これは、書いていく順序が前から書いていくわけであるから、意識がそのように動く、変化するということなのであろう。わたしたちが日本語で書いていても、ありそうである。
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