2009年9月21日月曜日

オルフェウスへのソネット1部の第2連から第4連


2連から第4連を見てみる。最初は1連1回のブログとおもっていたけれども

こうして読み始めると、連と連にわたってひとつの文があるので、なかなか

そうも行かない。これらの連を散文的に分解してしまっては、やはり駄目なのだろうなあ。

むつかしいところです。

Tiere aus Stille drangen aus dem klaren
gelösten Wald von Lager und Genist;
und da ergab sich, daß sie nicht aus List
und nicht aus Angst in sich so leise waren,

最初のTier aus Stilleとは、一体どういう意味なのだろうか。静けさ、静寂の中から生まれた動物たちと読める。そのような動物たちがいるのだと合点する以外にはない。

それとも、生まれたとまでは言わないが、静寂の中にいたのだが、そこから外へと出てきた動物たちという意味もあるから、そうなのか。いづれにせよ、ausという前置詞は、リルケの好きな、favouriteな前置詞。悲歌でもそうだった。内から外へ出ると、苦しいこともあるが、しかし、それはよきことなのだ。

Aus dem klaren geloesten Waldというのがよくわからない。森があって、森である以上は、動物がたくさん棲んでいて、それは当然klar、英語でいうclear、清澄であって、geloest、ゲレスト、動物たちの糞で汚れているという、そういうイメージが最初からあるのだろうか。最初からというのは、森に定冠詞がついているから、そう思ってみたのだが。あるいはリルケのことだから、案外に掛け言葉になっているかも知れない。

前者のklar、クラール、明るい、澄んだ森というのは、森そのものが本来持っているイメージなのだろうか。それとも、この沈黙から生まれでた動物たちが棲むからそうなのだろうか。

後者のgeloest、ゲレスト、糞をされた森というイメージはどうなのだろうか。これは、糞をされた森という解釈で正しいのだろうか。それとも、動詞loesenという意味から、解き放たれた森という解釈が正しいのだろうか。つまり、それまでその森の中にいて、そこから外に出ることを禁じられていたものたちが、そこから外に出るようになった、そのような森という意味。

うーん、どうも、後者の意味の方が、この場合は通るかも知れない。清澄で糞にまみれたというイメージも、個人的にはおもしろいと思うのであるが、どうもそうではないようだ。

こうして考えてくると、リルケの意識の中では、森とは、何か禁忌のある、何かが魔法によってなのか閉じ込められている空間なのだろうか。

そうすると第2連の前半2行は、次のような散文訳になる。

Tiere aus Stille drangen aus dem klaren
gelösten Wald von Lager und Genist;

沈黙の中から生まれてきた動物たちは、清澄な、禁忌を解き放たれた森、

寝床と巣であった森からから外へと切迫したように走り出た。

(続いて来る2行は、)

und da ergab sich, daß sie nicht aus List
und nicht aus Angst in sich so leise waren,

そうすると、そこで、はっきりとしたことは、この動物たちは、

悪い企みや不安なこころから、自分自身の中にそっと静かにしているのではなかったということなのであり、

(という訳になる。続いて、第3連は、)

sondern aus Hören. Brüllen, Schrei, Geröhr
schien klein in ihren Herzen. Und wo eben
kaum eine Hütte war, dies zu empfangen,

(とあり、これを訳すと、)

そうではなく、聞くというこころから、そのように静かであったということなのである。唸ったり、叫んだり、咆哮したりすることは、その動物たちのこころの中では、小さいことに思われた。そうして、これ(このような状態)を受け容れてくれるまさにほとんどひとつの小屋もなかったところに、

(続けて第4連へ、文のつながりのままに訳すと、)

ein Unterschlupf aus dunkelstem Verlangen
mit einem Zugang, dessen Pfosten beben, —
da schufst du ihnen Tempel im Gehör.

暗い欲求から生まれた、隠れ場所、避難場所があったのであり、

この場所には、そこへと至る通路があるのだが、その柱は

激しく震えているのだ――そこで、お前は、動物たちのために

聴覚の中に寺を建立したのだ。

以上が最初のソネットの全体です。第3連にあるGeroehr、ゲレール、ということば、これをわたしは咆哮と、その語感から訳しましたが、これは仮の訳で、辞書には載っていない言葉です。ご存じの方があれば、お教えください。

悲歌の場合には、リルケが動物を持ち出すと、それはいつも人間の限界との関係で、理想の状態を持っている生き物として描かれ、歌われていますが、悲歌をソネットの註釈に使ってみると、ここでもそのような対比が考えられていると解釈することができます。人間の世の、悪いたくらみや奸智、不安ということから、静かにしていたのではない動物たち。

そのような動物たちのために、オルフェウスは、その竪琴と歌声で、聞こえる寺、聴覚の中に寺を建立したのだというのです。この寺はちょっとやそっとでは動かず、壊れない建物と考えるべきなのでしょう。

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