2010年3月31日水曜日

Hart Craneよ 2

さて、昨日に引き続き、今日は、Chaplinesqueのタクランケによる、散文訳の全訳です。今日のページの最後の追伸2にあるように(そうして、わたしはこの解釈の方が正しいように、訳し終えた今思いますが、それでもなお見直して、このブログの上で手を言えることにします。


Chapinesque
チャップリン様式(自分一人の様式ではなく)

Chaplinesqueのタクランケによる、散文訳の全訳(version1.2)です。

We will make our meek adjustments,
Contented with such random consolations
As the wind deposits
In slithered and too ample pockets.

僕らは、決してほめられたことではないが、しかし、景気の風や人の機嫌の風の吹き廻しで、ブヨブヨ、ヌルヌルの金持ちの財布、今だって唸るほどありあまっているのに、それでもまだ入る、そんな財布やポケットに、お金が溜まるにあわせて生まれるその場凌ぎの慰めの言葉と戦いながら、そんなことばに魂を売るまいと、僕らのような人種に特有の、優しい、そして人を恨むわけでもなく忍耐強い、誰のためでもなく、しかし規則正しい解決を図ろうとする。

For we can still love the world, who find
A famished kitten on the step, and know
Recesses for it from the fury of the street,
Or warm torn elbow coverts.

僕らは、世界をまだ愛することができるのだから、階段の途中に、
昇ろうとしたのか降りようとしたのか解らないが、しかし、その途中でもう腹を空かして飢え死に寸前になって動かない子猫を、誰か見つけてくれないか、見つけないことはないだろう、そして、こいつのために、お金儲けの事業で喧(やかま)しい表通りのビジネス街の怒りから、幾らでも避難場所のあることを、誰か知っているだろう、その筈だ。そうでなければ、暖かな、ボロボロの服を身にまとい、それでもいいから(”襤褸(ぼろ)は着ててもこころは錦”)、その肘と肘を組んで(弱いものを護るための)環をつくる密やかな同盟のあることを、誰か知っているだろう。知らないわけがない。

We will sidestep, and to the final smirk
Dally the doom of that inevitable thumb
That slowly chafes its puckered index toward us,
Facing the dull squint with what innocence
And what surprise!

僕達は、正面から当たらずに、身をかわそうとし(あるいは、身をかわして、サイドステップを踏み)、いよいよとなったら作り笑いの最後の奥の手は、僕達がどうしても逃げようのない、あの権力者、そいつが古臭て黴のはえたような(愛情も無くなってしまったように)カサカサに乾いて皺のよった(法律書の)見出し、社会の絶対分類指標(”お前達が幾らどうなっても、こいつは変わらないのさ”といわんばかりに)、その皺を何度も何度も、僕達に向けて、ゆっくりと(嫌みたっぷりに)、これ見よがしに延ばして見せるあの権力者の制定した法令という奴(”ほら、ここには、そう書いてあるだろう!”)、こいつを、性的な比喩も交えて言葉遊びで洒落のめし、解釈に時間を掛けさせて、軽くいなして取り引きすることだが、しかし、鈍感で、反応も遅くて、精神的な斜視に、今度は直面するのは、僕らの方だ。それも何という無知蒙昧、何ってこった、ここまで酷いのか(僕らの冗談が通じないのだ)。

And yet these fine collapses are not lies
More than the pirouettes of any pliant cane;
Our obsequies are, in a way, no enterprise.
We can evade you, and all else but the heart:
What blame to us if the heart live on.

しかし、こういった、強権的にやられての、繊細な意気消沈、意志阻喪、これらは、どれひとつとっても、決して嘘ではない(”ここには嘘がない。”)。それは、どんなに幾ら曲げられても折れることない、(あのパスカルのいった)蘆、その蘆(すなわち、人間)が、バレーのピルエットをやって、一本脚でクルクル独楽のように激しく素早く回転するその踊りの(訓練されて獲得する表現)様式以上のものだ。
僕らの刑死、その死刑の儀式は、ある意味では、事業ではない。
(法令書には、そうしろと書いてあるのだからな。しかし、だからこそ、また、それにもかかわらず、別の意味では、僕らが死刑になり、法律に則った儀式に従うというのは、これは、立派な一個の社会的な事業なのさ。)
僕達は、戦略的に、お前達を正面から攻めること、正面衝突を避けて、サイドステップを踏むことができるし、それは、その他にも何だって、やろうとおもえば、そうやって身をかわすことができる、しかし、心臓だけは別だ(”それは、お前達にもできないことなのだ。ここが、僕達とお前達の共通の場所だ”)。つまり、心臓が脈拍を打っているのに、だれが、こうすることが悪いといって、僕達を責める奴がいるか、いるわけがない。お前達にできるか?できるわけがない。

The game enforces smirks; but we have seen
The moon in lonely alleys make
A grail of laughter of an empty ash can,
And through all sound of gaiety and quest
Have heard a kitten in the wilderness.

ゲームをするならば、ゲームの規則があるから、いやでもその最高法規の執行命令を受け容れて、相手に点を取らせまいとし、相手のミスを誘い、嫌やでも応でも、(僕らの願う本来の規則正しい解決を図ろうとしながらも、やはり)作り笑いを作るが、しかし、僕達が実際にみて来たのは何かといえば、賑やかな笑い声の(小文字で書いた、世俗の)聖杯を、灰皿代わりに使われてそこに打ち捨てられていた(空虚な、空しい)空き缶から作ったのは、ビジネス街の表通りから一本裏に入った寂しい通りに映る月であり、そして、陽気なドンチャン騒ぎと世俗の騎士道の聖杯探求の賑やかな音や響きを通じて、その音響のどこからでも絶えず聞こえて来たのは、人間がまだ脚を踏み入れたことのない未開拓の領域、即ち荒野にあって、今にも飢え死に寸前の、一匹の子猫の鳴き声なのだ。

追伸1:

そうか、このスタンザの第4連、だから、お前は、自分の死場所を、陸の上ではなく、つまり法律の適用され、死刑の儀式の執り行われる社会ではなく、海の上、まだ脚をだれも踏み入れたことのない海の領域で、船から身を投げて、更に生きようとしたのだな。お前の詩を読んで、それが、よく解った。お前のいう「僕達」は、Japonesiaを創造するから、お前もまた、やって来てくれないか、Hart Craneよ。お前の名前はいい名前だ、本来、硬い鶴さんだ。硬鶴。コウカク。今度は、風がどっちを吹こうが関係ない、コウカク泡を飛ばして議論をしよう。

追伸2:
詩人が言葉を曖昧に使うわけがない。それは、散文人と同じだ。とならば、"Our obliquies are, in a way, no enterprise."の訳も、もうひとつの訳は、こうなる。

僕達が自分で自分の死刑執行をしても、それは、ある意味では、事業などではない、ビジネスではない。(だから、別の意味では、全く一個の独立した事業、ビジネスではなく、社会やひとの為になる仕事なのだ)。

もし追伸1にあるように、お前が海で投身自殺したことを、言葉と行為を1:1で対応させようとした、青春の名誉、規則、enterprise、企図を、このような一本の考える蘆の真実として、言葉の訓練に訓練を重ねて、バレーのピルエット以上に、もしお前がそのように表現しようとしたのであれば、
それは、この第4連にある通りに、最後のサイドステップっだったのだね。

Hart Craneよ

Hart Craneよ

わたしは、もう50を超えたから、貴君をお前呼ばわりしてもいいだろう。
ドイツ語ならば、Sieではなく、Duを使って、初っ端からあなたを呼称するのだ。

わたしは、お前の年齢も、それから出自も、育った町も、いつ生まれていつ死んだのかも、何も知らない。蕃さんが楽天ブログに書いてある、若くして船から投身自殺をしたことしか知らない。それ以外は、君については、何も知らないのだ。僕は、君の言葉だけ、君のテキストだけを読むことにしよう。それが順序だ。何故なら、君は言葉から生まれたからだ。そうして、その逆の人生ではなかったからだ。

しかし、他方、これは、永年の間の、わたしの、あらゆる人に対する礼儀であり、礼節であった。言葉だけから、そのひとを知ること。言葉の側からだけ、まづその人に知り合うこと。それから、その他のことを知りはじめること。無理なく、自然に。こうして、お前に呼び掛けながら、自分自身のことに触れることになるのは、不思議なことだ。これが、僕の君に対する挨拶だ。

(*)
GoogleでChaplinesqueという言葉を検索すると、チャ-リ-チャップリンの映画のDVDの一式の謳い文句が最初に僕のパソコンの画面に出て来たところをみると、これは君が流行らせたか、あるいはsuffixの力を借りて、映画会社が別に思い付いたかどちらかだろう。なぜならば、あとの被検索文のまとまりは、すべて君と君の詩のことだったから。今この2004年12月18日に、世界中に、でも英語圏だけだが、君のこの言葉を引用したウエッブサイトが13,300あるのだ。先月、2004年の11月に、chaplinesqueという言葉、chaplineque crane hartという君の名前、これらを求めて英語圏で検索した回数は、それぞれ33足す26で、59回。君は、11月には、英語の世界で、59回も必要とされたのだ。

さて、はじめよう。

分析は、いつも結果だ。君の詩は起承転結でできているが、君はそれを意図したわけではない。しかし、とても、論理的な詩だ。論理的とは、繊細という意味だ。

君は、縁語の達人だ。でも、詩人だから当たりまえだ。ざっと、読みながら、あちこちに飛んで、挙げれば、こうなるか。


(1) (deposit, pockets)
(2) (wind, recess)
(3) (wind, (wing), coverts)
(4) (wind, recess, index)
(5) (wind, deposit, recess, enterprise)
(6) (sidestep, evade)
(7) (fury, coverts)
(8) (coverts, game)
(9) (coverts, fury, game)
(10) (sidestep, coverts, recess, evade, no enterprise, obsequies, fine collapses)
(11) (doom, thumb)
(12) (thumb, index)
(13) (chafe, pucker)
(14) (squint, obsequies, fine collapses)
(15) (recess, coverts, evade, inevitable, x)
(16) (game, enterprise)
(17) (doom, enforce)
(18) (doom, enforce, cane)
(19) (grail, quest)
(20) (smirk, laughter)
(21) (laughter, gaiety)
(22) (laughter, sound)
(23) (love, the heart, squint, innocence)
(24) ((moon, kitten), (quest, grail))

最後の(24)、これがChaplinesqueの意味。Thomas Mannならば、Ironieといっただろう。

これは、独身者の詩だ。きっと20代の。トーマスマンが20代に書いた短編の世界によく似ている。その芸術家像によく似ている。ということは、その詩人や散文家の求めた人間像に、よく似ている。そうして、その人間と社会との関係の図柄が。勿論ことばは大いに違う。とても違う。それから、この詩人は、トーマスマンなんかより、ずっとよく実業の世界にいたら仕事をしていた筈のひとだ。

この詩人は、株式の売買の世界にでもいて仕事をした人なのだろうか?
アメリカ人ならば、ニューヨークのひとだろうな。生まれも育ちもニューヨークか。それとも、田舎から来て大都会にやって来たのか。


今日は、まづここまで。今日一日君のこの詩を眺めながら、明日の原稿を考えることにしよう。

それでは、また明日。


追伸:Hart Craneの詩は、次の通り。

Chaplinesque

We will make our meek adjustments,
Contented with such random consolations
As the wind deposits
In slithered and too ample pockets.

For we can still love the world, who find
A famished kitten on the step, and know
Recesses for it from the fury of the street,
Or warm torn elbow coverts.

We will sidestep, and to the final smirk
Dally the doom of that inevitable thumb
That slowly chafes its puckered index toward us,
Facing the dull squint with what innocence
And what surprise!

And yet these fine collapses are not lies
More than the pirouettes of any pliant cane;
Our obsequies are, in a way, no enterprise.
We can evade you, and all else but the heart:
What blame to us if the heart live on.

The game enforces smirks; but we have seen
The moon in lonely alleys make
A grail of laughter of an empty ash can,
And through all sound of gaiety and quest
Have heard a kitten in the wilderness.

2010年3月27日土曜日

安部公房の詩を読む2

わたしは、前に、このように書いた。

「詩を読んで(理解をして)、何をわたしは書けばよいのだろうか。

ふたつの考え方があると思う。ひとつは、安部公房の人生の総体を考えて、その詩が一体安部公房という人と、その人の人生にとって、またその後の諸作品にとって、どのような価値があるかを考える立場。もうひとつは、詩を独立した作品として、それを詩のみとして、その価値を考える立場。」

もうひとつの立場があるということに、その後あれこれと考えて思い到った。それは、歴史的に、通史的に、詩作品の価値を考える立場である。これは、詩史の上で、安部公房のその試作品は、どのような価値を有するかを考えることになるだろう。

「没我の地平」と「無名詩集」の安部公房は、またそれらの作品は、日本の詩の歴史の上で、どのように考えられるのだろうか。こう考えてみて、ひとつのことだけははっきりしている。それは、安部公房の作品は、どれも戦争詩ではないこと、戦争という国家間の戦いや、そのために動員される日本人達、日本人の大人達や青少年達の姿を歌ったものでは、全然ないということだ。むしろそのような政情とは別に、それに背をむけるようにして、リルケに学びながら、思弁的、観念的な世界に集中している。「没我の地平」の二つ目の詩は、次のようなものである。

理性の倦怠

八つの手をもて織りなせる
七つに光る魔の網よ
吾が怖るゝは汝が綾の
無形の夢の誘ひにあらず

沈黙して待てる恐怖の墓
面つゝむ美貌の面紗(きぬ)よ
夕べ渇きに湖辺(うみべ)に走る
吾が獣群を拒むのは誰

おゝ此の涯なしの死の巣ごもり
受動の傷に此の血失せ
昼の転身(みがへ)に果つる迄
天の没我に息絶ゆる迄


安部公房は、作家として名をなしていた1967年(昭和42年)に、昭和20代に書いた短編集「夢の逃亡」の著者による後書きで、「リルケというのは私にとって、じつは第二次世界大戦中のシンボルだったのだ。いま考えてみると、あのシンボルが意味しているものは、「死者の平和」だったような気もする。死となれあうために、私が選んだ、死の国への案内図だったのだ。私の戦後は、こんなふうに、まず死のイメージから出発しなければならなかったのである。」と書いている。

第2次世界大戦の戦時下にあって、「問題下降に依る肯定の批判」(1942年。安部公房18歳)や「詩と詩人(意識と無意識)」(1944年。20歳)を書いて理性的に自分の人生を考えていた安部公房は、他方、詩作品という形で、その理論篇を実作によって実践していた。安部公房の詩の理論からいっても、また当時の時代状況からいっても、10代の終わりから20代の始めにかけての安部公房にとって、現実と理想とは、詩人については前回書いた通りの姿であり、
詩作をするということについては、上の詩にある通りの姿であったと思われる。

この詩は何を歌っているのか。

題名にある通り、理性というものの倦怠の姿を書いている。それは、如何様に書かれているのか。

八つの手をもて織りなせる
七つに光る魔の網よ
吾が怖るゝは汝が綾の
無形の夢の誘ひにあらず

この第1連がむつかしい。「八つの手をもて織りなせる 七つに光る魔の網よ」というのが、もう解らない。これはリルケの形象詩集からの本歌取り、または引用なのであろうか。いづれにしても、ここで問題なのは、網であり、それが人間にとって「魔の網」だということだ。「汝」は、この網に対する呼び掛け。わたしは、この魔の網を恐ろしいと思っているのでは無いといっている。この網の綾は、「無形の夢」を誘うようである。わたしは、その誘い、誘惑が恐ろしいと思っているのでは無い。それは、いいのだ。そうではなくて、

沈黙して待てる恐怖の墓
面つゝむ美貌の面紗(きぬ)よ
夕べ渇きに湖辺(うみべ)に走る
吾が獣群を拒むのは誰

とあるように、恐ろしいのは、「沈黙して待てる恐怖の墓」である。これを次の連では、「此の涯なしの死の巣ごもり」といっている。

おゝ此の涯なしの死の巣ごもり
受動の傷に此の血失せ
昼の転身(みがへ)に果つる迄
天の没我に息絶ゆる迄

転身(みがへ)については、既に理論篇にて説明した通り。これは詩人の技であり、努力である。転身という無私の行為、そういう意味では、没我の行為の果てに見える第3の客観、これを発見することが詩人の仕事である(こう書いてみると、この方法は、安部公房の散文の比喩の作文の秘訣であるかのように思われる)。それを「昼の転身(みがへ)に果つる迄 天の没我に息絶ゆる迄」といっている。この「世界―内在」と「世界内―在」の次元変換の繰り返し、繰り返す詩人の行為の様子を、「おゝ此の涯なしの死の巣ごもり」と嘆いているのだ。第3の客観、すなわち確たる詩的イメージ、詩的形象を発見できない詩人にとって、それがかなわない限り、詩人のいる場所は、「沈黙して待てる恐怖の墓」である。この墓に入ること、陥ることが、恐ろしいのだと、そう歌っている。

それでは、

面つゝむ美貌の面紗(きぬ)よ
夕べ渇きに湖辺(うみべ)に走る
吾が獣群を拒むのは誰

これは、何をいっているのだろうか。

「面つゝむ美貌の面紗(きぬ)」は、「沈黙して待てる恐怖の墓」の言い変えである。事物の外面を包む、美しいきぬのような言葉があるが、その言葉の指し示す何ものか、これは絶えず逃亡しようとし、その名辞の指し示す固定した範囲を逸脱しようとし、逃れようとする意志のある生物だ。名づけられぬ生物、意志のある夢であり、言語の本質だといっている。わたしのそのような意志の表出を拒むのは誰か、もしそのような誰かがいるとすると、わたしの恐れるものこそは、そのようなものである。なぜならその誰かにわたしが屈すると、忽ちにして、わたしの行為の場所は、名前だけの墓場になってしまうからだ。そのような墓場を詩人は恐れる。

この詩の第2連を理解するには、後年「夢の逃亡」と題して、昭和20年代に安部公房が書いた短編をまとめた中に、本題となっている作品「夢の逃亡」を読むと、これが、そのまま、名前と意味(安部公房にとって意味は生物であり、生命であり、絶えず動いて生きているものだ)の関係で、説明され、形象化され、物語られている。夢の逃亡は、1949年(昭和24年)の作品、安部公房25歳の作品である。「没我の地平」は、1946年、昭和21年、安部公房22歳のときの詩集。無名詩集は、その一年後の詩集である。この「理性の倦怠」で歌われたことは、そのまま3年後に、散文に展開されて、物語られているということになる。どうか、この作品を読んでもらいたい。

さて、題が「理性の倦怠」であるとは、そのような獣達に振り回されるようにして(「受動の傷に此の血失せ」)、しかし尚、第3の客観、すなわち没我の果てに見えるものを言葉で表現するということができるまで(「昼の転身(みがへ)に果つる迄 天の没我に息絶ゆる迄」)、詩人の繰り返す次元変換、すなわち転身を「此の涯なしの死の巣ごもり」であることを、既に最初から詩人の理性は読んでおり、知ってしまっているのだという意味である。その仕組みを知っているのになお、知っていて行わねばならぬ、その苦痛と倦怠を歌っている。

こうして考えてくると、第1連、

八つの手をもて織りなせる
七つに光る魔の網よ
吾が怖るゝは汝が綾の
無形の夢の誘ひにあらず


確かに、詩人の恐れるものは、魔の網の綾が美しく誘う無形の夢などではないということがわかる。無形の夢こそ獣達であり、それは詩人の恐れるものではなく、むしろ求めるものであるからだ。

安部公房は、この「理性の倦怠」を、無名詩集では、「倦怠」と改題して、次のように詩も改作して、歌っている。

倦怠

蜘蛛よ
心の様にお前の全身が輝く時
夢は無形の中に網を張る
おゝ死の綾織よ
涯しない巣ごもりの中でお前は幻覚する
渇して湖辺(うみべ)に走る一群のけだものを


「八つの手をもて織りなせる 七つに光る魔の網よ」というような難しい表現はなくなっている。その代わり、蜘蛛がこの網の主人公となっている。この詩を読むと、この倦怠という題のもとに歌われた蜘蛛とは、ほとんどその後の安部公房の小説の主人公の意識であるかのように見える。

さて、「没我の地平」と「無名詩集」の間は、1年間であるが、このように、前者の作品が、後者の作品に継承的に反映されているばかりでなく、一層洗練され、そうして安部公房自身が自分自身の表現を獲得していると考えることができる。これが前者と後者の関係の一部ではないだろうか。

安部公房の詩を読む1

前回までに読み解いた18歳から20歳にかけての、安部公房のいわば詩と詩人に関する理論篇をもとにして、作品を読もうと考えた。しかし、これがなかなかむつかしいことだった。もし理論篇の実践版として、詩作品を読んだとして、この詩のここは、理論篇のこのことをいっているのだと、そう読みそう書いたとして、それが一体なんであろうかと、そう思ったのである。それでは、理論篇の3つのエッセイを読めばよいことで、しかし、それでは、他方、安部公房の詩を読んだことにはならないだろう。詩とは何か、なぜ安部公房は詩を書いたのだろうか、詩を書くという行為は何であり、それはどのようなことなのだろうか、また今度は詩を読むとはどういうことなのだろうか。これらのことを考えずに、安部公房の詩を論ずることはできないと考えた。また、さらに、詩を論ずると書いたが、詩を論ずるとは一体何事だろうか。これもよく解らないのである。詩を論ずるとは、詩を読むことが前提になるので、まづ詩を読むとはどういうことなのかについての解答が必要だろう。また、さらに、詩を読むためには、詩作品がなければならないから、詩を書くとはどういうことで、詩を書くひとはどのような人かを考えなければ、ならないだろう。

この最後のところの問いについては、安部公房の詩と詩人に関する理論篇で、すでに読んだところである。こうしてみると、読んだとは、理解したということだということがわかる。

こう考えてくると、安部公房の詩を読むために、安部公房自身による理論篇を用いることをすればよいということが考えられる。さて、このとき、詩を読んで(理解をして)、何をわたしは書けばよいのだろうか。

ふたつの考え方があると思う。ひとつは、安部公房の人生の総体を考えて、その詩が一体安部公房という人と、その人の人生にとって、またその後の諸作品にとって、どのような価値があるかを考える立場。もうひとつは、詩を独立した作品として、それを詩のみとして、その価値を考える立場。どうだろうか。後者の場合は、その理論篇が、どれほどよく作品に形象化されているか、形式と実質、音韻(リズム)と意味が調和して、よく書かれているかを読むことになるだろう。これは分析だろうか。詩を分析して、頭で理解をしても、詩を理解したことにはならないのではなだろうか。それとも理解という言葉から言って、理詰めで知ったら、それを理解というのだろうか。それだけでは、わたしには何かが足りないように思われる。やはり、詩の読者としては、わたしがなぜ安部公房の詩に惹かれるのだろうとか、なぜ安部公房の詩を読むのだろうとか、そういったことについて明らかに、わたしが知られるということでなければ、やはり、わたしが安部公房の詩を論ずる意味は、ないのではないだろうか。このような読みかたを何というのであろうか。鑑賞というのだろうか。感想を書くというのだろうか。

ところで、わたしは安部公房の詩が好きなのだろうか。何かその詩に強く惹かれて、この筆を執っているのだろうか。そのように問うてみると、そうではないということがわかる。

わたしが、安部公房の詩を読む目的は、わたしの関心は散文家としての安部公房にあって、なぜこのようなエッセイ、このような小説、このような劇作をなす人が、18歳から25歳の間に詩という形式に惹かれて詩作し、ふたつの詩集、ひとつは没我の地平、もうひとつは無名詩集を編んだのかということを知りたいということにあるし、やはり、そのような安部公房という人間をよりよく、またもっとよく知りたいということにあるということが、こうして書いてみると、わかる。また、従って、このような詩作によって、安部公房は一体何が言いたいのか、言っているのか、それを知りたいということでもある。

没我の地平は、1946年、安部公房22歳のときの詩集、無名詩集はその翌年1947年作者23歳のときの詩集である。これらの間に前後して、詩集に収められなかった詩がある。この没我の地平という題名については、後で触れることがあると思うので、早速没我の地平から、最初の詩を以下に引用し、読んでみよう。

詩人

小さな庭よ
ほのかなる日々の微笑よ
お前を見つめ
生に窪みを抉るのは
此の私達
詩人の使命なのだ

巡り移(うつろ)ふ孤独から
尚ほもはるかな存在へと
外面(も)を内に置き換へるのも
亦私達
詩人の使命なのだ

見つめ給へ
此の様々な現象(あらわれ)を
何事もないさゝやきを
口から口を交わす時
それでも私達は其の中に
限り無い変容を為し遂げる
此の小さな言葉の窪みにも
けれど大きな存在の空虚が
ひそみあふれてゐはしないか

まして二人が
共に語らふ詩人である時
静かな黄昏が身の内に
夢を包んで凝結し
限りない夜空の星が
二つの半球を埋めつくす

此の様に
外の面が内を築きあげ
移ふ生身で悲哀の壷に
歓喜の光を注ぎつゝ
久遠の生に旅立つ事が
吾等詩人の宿命(さだめ)ではないか


この詩は、すでに「詩と詩人(意識と無意識)」を読解したところを、そのまま詩に書いたものだということがわかる。何も特別な注釈が必要なく、あるいは、この詩こそ、あの詩と詩人論の要約であり、エッセンスだということもできる、そのような性格の詩である。
それでも、少し思うところを述べてみよう。

小さな庭よという庭への呼びかけで始まっているのは、やはり意味のあることであって、なぜか安部公房の発想の型には、もともと始めにあるのではなく、2次的なものとして結果したものに対する執着がある。執着ということばが適当かどうかは、わからないが、そう今ここではいっておく。あるいは、そのようなものに対する憧れや、何かとても価値があると考える思考である。これは、すでに「問題下降に依る肯定の批判」では、遊歩場としてでてきたものである。庭がなぜそうかといえば、家があって、庭は、それに付属するものとして2次的なものとしてあるからだ。わたしはそのように思う。

そうして、そのような交流の場所を創造する詩人の行為は、生の窪みを言葉で抉ること、また外面を言葉で削っていって、内面、すなわち無意識または夜との界面を明確にすることで、なりたつ行為である。この行為が変容であるのは、これが、詩人と事物の世界内在(世界-内在と世界内-在との統合概念、統合用語)のありかたを、詩人自身の転身によって、または変容によって、事物もまた繰り返し変容せしめることで表現する、安部公房の言葉でいえば、第3の客観を現出せしめることだからである。

静かな黄昏が身の内に
夢を包んで凝結し
限りない夜空の星が

と、詩人安部公房がうたうとき、すでに外は内にあり、内は外にある。

二つの半球とは、双眸、ふたつの目のことをいっている。この比喩は、あるいはリルケから来るのかもしれないが、安部公房が、よく使う言い回しである。半球といいたいのは、目というよりも、その空間的な形状から、外と内を想像できるからであろうと思う。

移ふ生身で悲哀の壷に
歓喜の光を注ぎつゝ

とあるが、この壷という概念と用語も、安部公房の好みのもので、後年になっても、蛸壺の思想(1949年)と題してエッセイにしているほどである。この好みもやはり内外と人間の意識を論じる格好の素材であったからだろう。しかし、また、ここでは、むしろ1948年7月4日中田耕治宛書簡にいわれている「リルケが歌った涙の壷のような眼」を踏まえて言っているのだとわたしは考える。わたしはリルケの本歌を知らない。もしご存知の方がいたら、お教えいただければと思う。

そうして、このようにいい、そういう以外には、注釈のしようもないほど、「詩と詩人(意識と無意識)」でいわんとしていることを体現した詩である。

さて、この詩は、独立した詩としてみた場合に、その価値はどうなのだろうかと問うてみよう。少なくとも、わたしにとって価値があるのは、安部公房という若者が、詩とはこのようなものであり、詩人、すなわち典型的な人間とは、このような存在だと、その考えを明確にしてくれていることにあるだろう。わたしの「詩と詩人(意識と無意識)」の理解の正しかったことを証明してくれる作品としても、また、価値があると考えている。

19歳、20歳の安部公房4

第2章の世界内在に移る。

上述した如く、自己の内面と外面の間に窓がある。「正しくは此の窓は吾等の心の反照たる鏡なのではないだろうか。」と安部公房は問い、そうだという。そうして、この窓もまた、人間の在り方なのだというのである。この内面と外面の境域、無意識と意識、夜と昼の間に人間は生存し、また詩人であれば、存在者として、そこにいる。さて、そうして、その窓に映ったものは、窓が人間の在り方という体験的解釈を通じてのものである以上、「<<かく見ゆる>>」外界も、そのような窓に制約された性格を付加されているものである。したがい、また外界は、この窓に「かく見ゆる」が如く帰属しているのだ。これが安部公房の主張である。

さて、外界の形象が窓に帰属するとして、その形象は、何を意味するのかを、次に問うている。この問いを立てるとき、「心の部屋」(内面。無意識の世界)にいる人間は何を思い、どうするのか。それを転身という一言でいっている。その転身という言葉の後に続く文章は、実際に安部公房が少年時代を通じて体験をしてきた事実を言葉で書いているとしかいいようがないものである。いいかえがきかない。あるいは、既に創作になっているとしかいいようがない。安部公房の詩や小説の比喩に典型的な文体のように。あるいは、ひとことでいえというならば、それは詩、である。すこし長いが(それでもこのような文章の3分の1である)引いて見よう。

「これを深く見つめた時、実は吾等の魂に、あの心の部屋に、云う可からざる急激な転身が突如として始まるのだ。ふと気付いて見れば、常に形象に伴ってのみ現れるものと思われていた彼の意味・内容が、何時か一人形象を離れて無限の空間の中に漂っている。それはもう自分達の手の届かない遠くの空へ、星の中に混じって混沌の中へ沈んでいる。それに気がついて吾等はまるで悪夢から醒めた時のように肌をすくめて暗いあたりのひろごりを眺めまわすのだ。そうすると急に闇が恐ろしくなる。始終その暗いひろごりが深さを増して、一刻一刻重くなり、今にも自分を圧しつぶしてしまいそうに思われて来るのだ。きっとあかりをつければ落ち着くに異いない、そう思って業々起きだして灯をともす。」

ここで詩的表現以外には書きようがなかったことは、前節までに得た結論、すなわち、「世界内ム在」と「世界―内在」は、動態的な入れ籠構造(次元変換)になっていて、詩人は、この構造の境界域を、外面を削りながら、消しゴムで消しながら、内面、できるだけ無意識に迫ったその境界面に達する努力を行い、それによってまた、この入れ籠構造は永遠に循環するということなのだ。「こうして世界内―在者としての我は、世界―内在者としての自我までひろがったのだ。」このような生に対する方法を学んだものとして、安部公房は、このような引用の後に、R.M. Rilkeの名前を出して、Herbst(秋)という詩を念頭に於いて、その形象を書いている。

この人間の在り方は、安部公房は、限り無く続くと次のように書いている。

「しかし、より高次の人間の在り方である展開は自ら次元を上へ上へと乗り越えて、限り無き円を回転し続けるのだ。世界内―在にも世界―内在にも留まる事無しに、交互に素速く点滅する光の中を無言の儘に行きすぎるのだ。」「夜も世界も、展開に於いて次元から次元へと転身する行為に於いて、その行為者のみが触れ得るものなのである。静止するものは一つとて無い。総ては巡る。そして其の回転自体も固定した観念としては消滅する。総ての流れは不連続な点の列である。」「そして、夜が、一瞬に於いてその体験的現存在の直覚として捉えられたとき、その一瞬に於いてこそ、彼の果てしなく繰り返して止まなかった世界内=在と世界=内在とは、止揚されて、人間の在り方としての純粋な世界内在となるのだ。」

ここまで読んで来、書き来ると、最後はこのように20歳の安部公房の言葉を引用するだけで、その意図するところを理解するには、もはや十分だとわたしには思われる。

この世界内在を、安部公房は、RilkeのDinge(事物)の持つ永遠の客観性といっている。これは、また、そのまま安部公房のリルケの理解といってもよいだろう。

「世界内在とは一瞬に於ける夜の具体的直覚である。」この次元転換に当たる夜の、従って無意識の、具体的な直覚が、外面を削られ、消しゴムで言語化された、安部公房の独特のイメージと比喩であり、その文体(スタイル)を創造するということなのだろう。


別のいい方をすれば、この「夜の具体的直覚」とは、何を直覚しているのかというと、次のことである:「即ち、現存在は、無数の異なれる次元の断層である。そして直覚とはその幾枚もの透明な硝子板を上からすかし見ることである。その光無き全体こそ正しく夜なのである。」

このような「かく在り」、「かく見る」現存在(das Dasein)は、このように宇宙の全体とむすびついている、連絡しているのだと、安部公房はいっているのだ。このイメージと、このようなイメージを喚起する比喩、そして同時にそのような作品の構造が、安部公房の真骨頂なのである。それゆえ,安部公房の作品は、その細部も含めて,多様な解釈を可能にしている。

以上の安部公房の詩と詩人に対する理論篇の理解を得た訳で有るが、これを以て、その後の安部公房の作品や発言をより良く理解することができることと思う。実際に、全集の第1巻の483ページにある1948年5月3日付のMEMORANDUM 1948と題したメモ中の、夜の会にての花田清輝と野間宏との議論についても、このふたりが何をいい、安部公房がどう考え、答えていたか、相当抽象的な、難解なメモであるが、これとてもよく解るのである。1948年辺りから、他の作家達との交流が始まり、安部公房は詩から小説へと活動を移すけれども、安部公房が無名詩集を生涯大切にしたことを思えば、やはり生涯詩への関心を失うことなく、散文の場合にも(特にその独創的な比喩において)、その道筋は終始,首尾一貫している筈だとわたしは思う。

さて、18歳から20歳の安部公房、詩作をしていた時代の安部公房の作品を読解して得た、安部公房の詩と詩人に対する考え方(この場合、詩人を人間と置き換えても同義である)をもとにして、できることは何であろうか。無名詩集の解釈、安部公房独特の比喩の分析と文体、モチーフと作品の構造を論ずることなど、まだまだ色々とありそうである。

さて、以上理論篇を終わったので、次は、実践篇として、安部公房の詩を読解してみたいと思う。あるいは、鑑賞してみたいと思う。

19歳,20歳の安部公房3

さて、それでは、再び真理とは何だろうか。これが第3節の題である。しかし、安部公房は詩人であって、まづ冒頭にこのように書かねば、論理の展開ができないのだ。

「真理とは曠野に流れる蘆笛の音である。真理とは心理の仮面である。」と。

さて、真理とは何か。それはどのようなものであるのか。安部公房曰く、真理は次の2つの姿をとるといっている。

(1) 真理は真虚の尺度である(コンピュータが普及した今ならば、真偽というだろう)。
(2) 真理は開示性(段階的な次元的展開)を有する。

そうして,真理は、このようであるものであるにせよ、「真理は否定、肯定の圏外にあるものである。真理自体は存在でもなければ、非存在でもない。真理はその有要性、不要性に不拘、敵、味方に不拘、人間の関係者であるという性格を失わない。」何故ならば,真理は、主観を前提にし、主観的な体験を、次元展開することで存在するものだからだ。同じことをまた、「要するに真理は人間の在り方の一性格なのである。」といっている。

安部公房の立場は、次の第4節で人間の在り方を論じるために、真理を「人間の関係者」にすることにある。このことから、人間の持つべき態度として、転身という、次元展開の継続的な姿勢が第4節で言われることになる。

さて、「要するに真理は人間の在り方の一性格なのである。」ということを証明するために、安部公房は、次の文を持って来て説明しようとしている。

「真理は人間の憧憬である、と言う事の中には真理がある。」

最初の真理と後の真理が全く同じ意味ならば、循環、そうでないならば、次元展開だと安部公房はいう。それは、そうだろう。さて、そうして、前者の場合、すなわち循環という場合はあり得ないという。何故ならば、人間には意志があるから、憧憬とは「永遠に人間の手中には入るべからざるものである」からだ。ここで、安部公房は強引に、形式論理学的な解釈ではなく、あくまでもその意味に関する人間性格的な解釈に固執している。そして、真理と憧憬という言葉に。更に、この「~の中に真理がある。」という命題の形式に。

他方、この命題の形式に対応して、「A....は真理である」という文は、「一定の法則的なものとして理性の支配下に置かれて終う。」といっている。これは普通の命題の形式。

だから、安部公房があくまでいいたいのは、前者の「~の中に真理がある。」という命題の形式の方であって、この命題の中にあるふたつの真理は異なるということがいいたいのだ。「此の二つの真理は明らかに次元的相違を持つのである。」という。それは、そうだろう。だから、どうだというのか、一体安部公房は何がいいたいのか。

実は、無意識は(ニーチェの先生のショーペンハウアーならば一言で意志といったことだろう)、様々に展開して、単にこの前者の命題のような2次元の文の場合であっても、とどまることなく、この二つの真理の間に様々な解釈できる文を生成するのだといっている。安部公房は全部で5つの解釈の例を挙げている。(ここの論理展開はむつかしい。一応いいたいことはわかるが、この意味論的な―といっていいと思うけれども―解釈に強引にもってゆくところが、わたしも完全に理解はできていない。)

そうして、証明し得たことは、「真理は人間の在り方である。」ということだと主張している。これが、「第3の客観に到る上述の方法を踏襲して、終に」達した結論である。

しかし、この節の冒頭を詩的文で開始したように、この節の終わりにもまた、安部公房はこのように言わざるを得ない。これが安部公房の詩とは何か、詩人とは何かの解答なのである。詩(無意識の中、意識の下にあると思われる)というものを言語で定義することができないのだ。言語を使って、夜といったように象徴する以外にいいようがないのだ。さて、

「第三の客観とは、正しき主観の上昇的次元展開の極限であった。そして此処には一種の詩的体験が必要なのである。」

そうして、その詩的体験の例として、次に引用する母と子(父親ではない)の比喩は、いかにも安部公房らしいと私は思う。このような体験ができる人間が詩人なのだ。

「そして子が母に選択的に属すると同時に、それから分離して新しき世代の独立者になる如く、此の客観も、其処に収斂して行った主観の個別的性格から離れて、何時か宇宙的な詩的体験として、是も亦純粋な人間の在り方に昇華されて行くのである。」

そうして、この節の最後には、次節と次章の結論を既に先取りして次のように書いている。

「即ち、此の世界内―在と世界―内在との一致した諸々の次元展開の極限に於いては、客観と真理とは、単に人間の在り方の表現的相異として認識せられるのである。」

「世界内―在」と「世界―内在」は、動態的な入れ籠構造(次元変換)になって、詩人は、この構造の境界域を、外面を削りながら、消しゴムで消しながら、内面、できるだけ無意識に迫ったその境界面に達する努力を行い、それによってまた、この入れ籠構造は永遠に循環する。この構造を安部公房は18歳の「問題下降に依る肯定の批判―是こそは大いなる蟻の巣を輝らす光である―」において「実を云えば現代社会はそれ自体一つの偉大なる蟻の社会に過ぎないのだ。無限に循環して居る巨大な蟻の巣。而も不思議に出口がないのだ。」と書いているのだと私は思う。

さてこの節の結論は、次のような文で締めくくられ、第4節へと繋がっている。

「かくて総ての現象表象は、唯一つの人間の在り方の次元的循環に回帰するのだ。そして此の事を更に明確ならしむる為、吾等は<<人間の在り方>>を、その表象並びに内容について更に批判展開せねばなるまい。」

安部公房のおもしろい特徴は、こうして書いて来てみると、「総ての現象表象」と書いておきながら、決して認識するという用語を使用しないことだ。そうではなく、存在論的にだけ考えて(勿論表象を存在論的に論じることはできるけれども)、人間の在り方に関係させて論ずることだ。

この第3節で到った結論は、いうまでもなく、安部公房の小説や作劇の抽象的・哲学的な説明になっている。これを実存主義というかどうかは、考えていることが、これほど自明であれば、どうでもいいことのように思われる。

第4節の概要を述べる。

さて、人間の在り方である。これは、これまで述べ来った通り、解説した通りである。安部公房がこの節で強調するのは、態度である。それは体験的態度、すなわち「考える事よりも見つめる事、学ぶ事、そして批判する事」である。また、この態度は、「問いかける者の態度」と呼ばれている。「問い掛けの在り方=態度の昇華こそ、人間の在り方を決するのである。」それは、どのような態度であるか。前節までは、言語の側から無意識を意識化し、次元転換を繰り返すひとを詩人と呼んでいたが、この節では、前節の第3の客観に到る方法を駆使して得られる無意識、すなわち夜による自己の自覚と、果てしない次元変換のすえに到達する純粋な意識的な客観の把握とを、自己承認という言葉で統一的に表している。この時、安部公房はハイデッガーというドイツの哲学者のいう「実存の日常性、即ち現存在の優位性」といういいかたで、自説の補強をしている。「その日常性が純粋に取り上げられて生存者の選択性をその本質に於いて展開した時、そこに在るのが自己承認なのである。」これは、上述の母と子の比喩を、自己承認という言葉を使って、いいかえたものである。言おうとするところは変わらない。

そうして、どうしても安部公房は、無意識というよりは、やはりただただ夜といいたい。このような象徴的な言い方以外には、できないといっているかのようだ。「夜は決して理性の作品ではない。又体験から割り出されたものでもない。体験自体なのである。夜はまねかれた客人ではない。夜は此の部屋に満ちる空気である。総てをかくあらしめるもの、それが夜である。」「夜はかくあらしめるものであった。」「此の<<かくあらしめる>>は意識され得るものでないことは明らかである。」

さて、このような夜と、人間の在り方の関係や如何に。このふたつはもともと、その本質において同じものだと、安部公房はいう。夜はものという「対象化的手法」に依ったというのに対して(恰も夜に意志があるかのようだ)、人間の在り方は、夜が「<<かくあらしめる>>」という(人間に及ぼす)行為的表現であるというだけだからだ。「つまり、人間の在り方は夜であり、夜は人間の在り方なのである。」

ここの所の安部公房の論理展開のむつかしさ、あるいは苦しさは、徹頭徹尾認識論を排除して議論を進めようとしているからだとわたしは思う。ショーペンハウアーならば、意志と表象としての世界といっただろう。そうして、認識論と存在論で、このふたつのことを論じただろう。

さて、「問いかける者の態度」をもって、「此の展開された日常性への没落の中にのみ此の此の人間は捉えられるのだ。」そこで、初めて、人間は、「存在者」になるのだ。そのとき「人間の在り方」が本来の意味で実現する。この実現を、安部公房は、「体験的象徴」といっている。この在り方は、夜と同じ「記号的象徴」である。

この第4節で安部公房のいいたかったことは、こうして読んで来ると、結局、夜のことであり、人間の在り方であり、存在者である詩人のことであり、そのような詩人の象徴的な在り方のことである。それを何故か、自己承認ということばを使用して、再度繰り返して、今までのことを纏めてみたと読むことができる。

第2章の世界内在に移る。

(続く)

19歳、20歳の安部公房2

もうひとつ、「詩と詩人(意識と無意識)」を読む前に、「僕は今こうやって」の論旨をまとめてみよう。ここで、安部公房は、外面と内面とその境界面または接触面について書いている。僕が感じたり、また僕はと発話するか、または「僕は」と文字で書いたとしても、それはすべて外面にあるものだという(「詩と詩人(意識と無意識)」では、外面を意識と呼び、内面を無意識と呼んでいる。無意識を夜と呼んでいて、「夜は亦定義され得るものでもない。」と言われている)。そうして、安部公房は、この接触面を見極める事が大切だと主張している。この面は、「努力して外面を見詰め、区別し、そしてそれを魂と愛の力でゆっくりと削り落として行く事なのだ。」

この短い見開き2ページのエッセイで主張しているのは、ただこれだけである(その哲学的な思考展開は、「詩と詩人(意識と無意識)」において、更に執拗に行われている)。この外面を内面と区別し、外面を削り落して行って、内面(無意識)とのぎりぎりの面を見つけること、これを同じエッセイの中では、「いわんや言葉は、唯生の窪(くぼみ)を外面から削りとる事丈なのだ。」と言っている。このように見ること、その見方(「生を思考する方法」)を、安部公房は、リルケのマルテの手記に見たと言っている。

おもしろいことは、安部公房が、言葉とは「唯生の窪を外面から削り取る事丈」であり、「マルテの手記は外面から内面の為の窪みをえぐり取ろうとする努力の手記」だと言っていることである。「詩と詩人(意識と無意識)」を読むと一層明瞭なのであるが、安部公房は認識論的に思考しない。時間を捨象して、存在論的にものごとを論ずる。これが安部公房の思考の特徴である。これは安部公房という人が、数学に秀でていたこと、特に幾何学が好きだったことと関係のあることだと思う(初期の小説のなかのあるものには、位相幾何学の好きな中学教師というのも出て来る)。

(*)「安部公房の劇場」(ナンシー・K・シールズ著。新潮社刊)22ページにも、次のように言われている:「ノノ安部の純粋数学、とりわけ非ユークリッド模型の研究を伴う位相幾何学に寄せるか愛着も、それに劣らず重要であった。安部のイメージの多くは詩的な数学的観察から生まれており、その観察が、安部の神経を張りつめた精密な調査の下で、思いがけないものの性状を典型的にあばいて見せていた。砂丘のような現象、昆虫、檻、微笑、鞄は、研究され尽くしていた。時空という抽象概念は、何にもまして安部の心を占領していた。安部はそういう抽象概念を量子物理学者のように熟考していた。ノノ」

言葉とは「唯生の窪を外面から削り取る事丈」。安部公房というひとは、削って書いたということになる。このひとにとって書く事は意識と無意識の境界面を見極めるために言葉で外面を削り取るという仕事であった。これを後年「消しゴムで書く」と言っている。ここまで概念化すると、「消しゴムで書く」という文も、比喩ではなく、事実その通りの行為だと思われる。

「詩と詩人(意識と無意識)」では、この内面と外面の接触面にある、永遠にそのふたつを隔てているもの、そうしていて外面が内面にその「外界の形象を送り込んで来る」当のものを窓と呼んでいる。勿論この窓は疑うべき対象であり、「果たして此の窓ガラスは透明に外界の形象をありの儘に吾等の孤独の部屋に送り込んで来るのであろうか」と否定的な自問としていわれる。この問い立てからして既に安部公房の世界だ。勿論、窓はそうではなく、「吾等の心の反照たる鏡なのではなからろうか」というのが、20歳の安部公房の結論である。このように考える安部公房の世界は再帰的(recursive)である。

(*)この窓の議論は当時の友人達とした形跡があり、中の肇宛て書簡(1943年12月6日付)では、「ノノ新しい登場人物。別離と窓氏」とある。これは、1943年、安部公房19歳のときの議論。また同時に議論されている別離という言葉も、安部公房にとっては大切な言葉であり、概念であった。無名詩集の最後は、別離に関するリルケの引用で終わっている(「別離は出発の始めである」)。

(*)安部公房には最後まで心の中に少年が棲んでいた。上記ナンシー・K・シールズに対し、ある時、安部の多忙を理由に遠慮したにもかかわらず、羽田国際空港までわざわざ見送りに来てくれて、言ったはなむけの言葉:「長旅だから、だれか見送る人が必要なんだ」

この先へ行く前に、このエッセイの全体を眺めてみよう。このエッセイは、2つの章から成っており、第1章は、真理とは何か、主観と客観、人間の在り方について、第2章は、世界内在について論じられている。このエッセイの題からいって、これは、(詩、詩人)と(意識、無意識)を論じたエッセイだということをこころに銘記しておこう。

結論からいうと、第1章は、第2章を準備し、書くためにある。結論は、世界内在を論じた第2章である。「僕は今こうやって」では、メモ書きのように書かれてあったものが、ここでは存在論的にもっと突っ込んで論じられている。キーワードは、世界内在(これは「世界内―在」と「世界―内在」の統合概念。このふたつものの往来と次元の転位を、安部公房は詩人の「転身」と呼んでいる。これはまた、安部公房がイメージや比喩を創造する方法論、methodology、でもあった)、人間の在り方、態度、かく見ゆる、次元、転身(「僕は今こうやって」では「変容」とも言いかえられていた。「詩と詩人(意識と無意識)」では、次元展開とも言い変えられている。)である。これらのことについては後述する。

さて、第1章を見て見よう。第1節は、真理とは何か。ここでは、ひとことでいうと、その議論の仕方はともあれ、真理は客観的な絶対的、唯一のものではなく、相対概念であり、従って複数あるということを言っている。もし真理がそうであれば、人間は不安になり、その「意識は自己懐疑の嘆きの裡に、自分に先行するものを求めようとする。」そうして、そのようにもとめられた真理は、ふと気付いてみれば、「やはり、冷たい木枯しにたわむれつつ、一人冬の中に置き忘れられている。」よりほかないのだ。それは何故かを説明するために、安部公房は主観と客観ということを第2節で論ずるのだ。そうして、第3節で「再び真理とは何か?」と題して、真理と意識、従って、無意識の問題を論じ、第4節で人間の在り方を論じて、第2章の世界内在における次元展開、詩人の変身を論じている。

第2節では、主観と客観とは無意識の世界、夜においては分離することはできないといっている。

また「主観・客観はやはり未解決の儘で差し出された両手の凹みの中に残されていたのだ。」(この両手の凹みというイメージは、安部公房がリルケの形象詩集の中で一番好きだと1943年11月14日付中の肇宛て書簡で引用しているHerbst(秋)という詩が念頭にある。)そのために主観と客観は、誤用や混用が甚だしいという。

さて、人間が無意識を言語化して、意識の俎上に載せようというときに、主観と客観が分離してひとつの次元を構成するのだ。この主観と客観は有意味だろうか、それとも無意味だろうか。この問いに対する解答は、肯定と否定とふたつある。しかし、安部公房は第3の主観と客観の関係があると主張する。

客観は、主観を通じて存在する。「主観的体験のみが、あらゆる意識を言葉たらしめるのである。」こうして無意識が言語を通じて意識化される。その意識化の程度は、その人間の「生存者としての人間各個の内面的展開次元の相違に従って、その言葉の重さ(含まれている次元数)の相違が考えられる。」即ち、その言語化された文が、何次元の文かによるといっている。「では、此の主観のつもり行く次元展開の究極は、一体何を意味するのであろうか。」と自問自答し、安部公房は、その究極の、次元数を求める果てに、客観的に独立して外面にあるのではない、個人の内面にある(当然削るという行為を通じてあらわれる)客観が現れるのだと言っている。そのような客観には、「吾等の初源の声がある。」「そこには一瞬に凝縮された、実存的な永遠がある。そしてこれこそ客観の存在論的解釈として正当なものではないだろうか」といっている。このような客観を自らのものにする人間のことを「完成された宇宙的詩人」と呼んでいる。また、その客観を「第3の客観」と呼んでいる。

(*)1946年12月23日付中の肇宛て書簡では、このような詩人を自分に擬して、次のように書いている:「詩人、若しくは作家として生きる事は、やはり僕には宿命的なものです。ペンを捨てて生きるという事は、恐らく僕を無意味な狂人に了らせはしまいかと思います。勿論、僕自身としては、どんな生き方をしても、完全な存在自体――愚かな表現ですけれど――であればよいのですが、唯その為に、僕としては、仕事として制作と言ふ事が必要なのです。これが僕の仕事であり、労働です。」

さて、それでは、再び真理とは何だろうか。これが第3節の題である。しかし、安部公房は詩人であって、まづ冒頭にこのように書かねば、論理の展開ができないのだ。

(続く)