2015年10月4日日曜日

俳句誌『逸』しばし休眠す


俳句誌『逸』しばし休眠す

花森こまさんから最新号の『逸』が到着。早速開いてみれば、目次には、これが「今号で終刊」との一行あり、驚きぬ。

毎号、楽しみにして読んでをりましたものを。

こまさんにも感想をと言はれて、書きますと答へ、書かう書うとして、書かずにしまつて、到頭この日に至つたといふのは、こまさん、誠に申し訳ありません。

しかし、その「はじまりとそれから」といふ、この俳人の、言葉と俳句の道についての来し方の回想を拝見しますと、人生茫々といふ感じがしますが、同時に他方また、確かな道が、如何やうに有為転変、曲折があらうとも、一筋続いてゐると思はれます。

わたしももぐら通信を毎月発送してゐますので、クロネコヤマトのメール便の廃止は、経費節減にとつては誠に痛いものがあり、これが終刊のすべての理由ではないにせよ、それは全くその通りだと思ひます。

この「はじまりとそれから」の最後に、「休刊、終刊、いずれの言葉もここでは使わないでおこう。/また逢う日まで、どうかお元気で、とのみ言わせて下さい。」とお書きになつてゐるやうに、次号をまた茫々たる時間の中で、ゴドーを待つが如く待つことに致します。

これが、やはり、言葉の道、文藝の道であるやうに思はれる。永遠のしばし、しばしなる永遠を。

この永遠のしばしの号の「明るい闇の方へ」と題した花森こまさんの77句のうち、わたしが感じた句を以下に挙げて、こまさんへのお礼と致します。


悼・俳人和田吾朗

肋骨にとまる草矢の蒼さかな
喇叭水仙かたくなに空に向く
花の頃過ぎて昔の文を読む
風薫る兼高かおる声甘く
自転車を降りて花薊に出逢ふ
耳順とや香魚を食べそこなひしこと
曲り角曲れば馬の影がある
風鈴を鳴らす彼岸に届けよと
永遠を短くしたり鯉幟
隧道を夏のにほひで駆け抜ける

いつもと同じ夜

絶え間なく南部牛追ひ唱流
一日に深さあること梅雨入かな

以下、木霊句会、迅雷句会の題詠

「鉄」

ミンダナオ島も夏めく鉄冑
夏座敷鉄道模型走らせて

「里」

岐阜提灯ほのかに故郷照らすなり
里程標に夏帽子をかけ置きぬ

「空」

七月の父らを乗せる空母かな
時計草空気読めないひととして

「見」

あねいもうと秋の鏡を見尽しぬ

「八」

八つ橋を土産に買ふて京の秋

「犬」

秋霖や犬小屋に犬眠りけり
露けしや毛並み艶やか警察犬
野良犬に矜持あるべし稲光
酔芙蓉このごろ母の夢を見る

悼・愛犬ハンス、十五歳五ヶ月

踝のあたりはももいろの闇か


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