2015年10月6日火曜日

リルケの『形象詩集』を読む (連載第6回) 『乙女たち』『Von den Mädchen』

リルケの『形象詩集』を読む (連載第6回) 『乙女たち』『Von den Mädchen


【原文】

      

Andere müssen auf langen Wegen
zu  den dunklen Dichtern gehen;
fragen immer irgendwen,
ob er nicht einen hat singen sehn
oder Hände auf Saiten legen.
Nur die Mädchen fragen nicht,
welche Brücke zu Bildern führe;
lächeln nur, lichter als Perlenschnüre,
die man an Schalen von Silber hält.

Aus ihrem Leben geht jede Türe
in einen Dichter
und in die Welt.


      II

Mädchen, Dichter sind, die von euch lernen
das zu sagen, was ihr einsam seid;
und sie lernen leben an euch Fernen,
wie die Abende an grossen Sternen
sich gewöhnen an die Ewigkeit.

Keine darf sich je dem Dichter schenken,
wenn sein Auge auch um Frauen bat;
denn er kann euch nur als Mädchen denken:
das Gefühl in euren Handgelenken
würde brechen von Brokat.

Lasst ihn einsam sein in seinem Garten,
wo er euch wie Ewige empfing
auf den Wegen, die er täglich ging,
bei den Bänken, welche schattig warten,
und im Zimmer, wo die Laute hing.

Geh!… es dunkelt. Seine Sinne suchen
eure Stimme und Gestalt nicht mehr.
Und die Wege liebt er lang und leer
und kein Weisses unter dunklen Buchen, -
und die stumme Stube liebt er sehr.
(unter Menschen, die er müde meide)
und: sein zärtliche Gedenken leidet
im Gefühle, dass euch viele sehn.



【散文訳】

      

他の者たちは、長い道々を
暗い詩人たちのところへと行かねばならず
いつも誰かに訊くのだ
詩人が歌っているのを見ませんでしたかと
或いは、琴の弦に両の手を掛けておりませんでしたかと。
ただ娘たちだけが、訊かないのだ
どの橋々が形象たちへと通じているのかを
娘たちは、ただ微笑んでいる、真珠の紐よりも軽く
銀の器に留める其の真珠の紐よりも軽く

娘たちの命の中から、どの扉も入り行くのだ
ある詩人の中へと
そして、世界の中へと。

      II

娘たちよ、詩人たちというのは、お前たちから
お前たちが孤独であることを云う、そのことを学ぶ者たちであり
そして、詩人たちは、お前たちに触れて、遥かな距離を生きることを学ぶのだ
夕べ夕べが、偉大な星々に触れて
永遠というものに慣れるように。

どの娘も、詩人という者に身を捧げてはならない
仮令(たとえ)詩人の目が、女性たちに求めたとしても
というのは、詩人は、お前たちを唯娘たちとして考えることができるだけなのであり、即ち、お前たちの両の手の手首の関節の中に感情があれば
金襴緞子を打ち壊すことだろうからなのだ。

詩人というものを、その庭の中で、孤独であるがままにさせて置いてくれ
お前たちを、永遠なる者として迎え容れた其の庭の中で
詩人が日々行く道という道を通つて
影あって待ち受けるベンチの傍で
そして、竪琴の掛かっている部屋の中で。

行け!....暗くなって来たぞ。詩人の五感は求めることが、もはや、ない
お前たちの声と姿を。
そして、道という道を、詩人は愛する、長く、そして空虚に
そうして、暗い山毛欅(ぶな)の木々の下の白い色は愛さない
そして、沈黙した部屋を、詩人は非常に愛する
(詩人が避けて疲れてしまった其の人間たちの中にあっては)
そうして、つまりは、詩人の柔らかな思想は、苦しむのだ
多くのものたちが、お前たちを目にするという感情の中で。



【解釈と鑑賞】

前の詩が乙女についての詩でしたので、この詩も乙女についての詩です。

リルケは、よくこのような連想の繋がりを大切にして、詩を配置します。

第I章では、娘たちがどのような者たちであるかが歌われております。この場合、娘たちというドイツ語の意味は、乙女であり、まだ男を知らぬ生娘という意味であります。

このような純潔の乙女に対して、第II章では、夫を持ったご婦人たち、成熟した女性たちが登場致します。

第I章では、娘たちとはこのような者だということを言い、第II章では、今度は其のように歌った娘たちに向かって、語りかけるのです。

これが、この第I章と第II章の関係です。

乙女というものが、そうなのではなく、詩人という男が乙女という純潔の女性に接すると、遥かな距離という詩人の創作に大変重要な契機を知り、それを詩にすることができるのだと、リルケはいうのです。

だから、


どの娘も、詩人という者に身を捧げてはならない
仮令(たとえ)詩人の目が、女性たちに求めたとしても


というのです。

上の二行目の「女性たち」と訳したドイツ語の言葉の意味は、結婚した女性という意味であり、そういう意味で大人の女性たちという意味、或いはまたそのような世俗の、世の成熟した女性たちという意味です。

しかし、乙女たちは、そうではない。

第I章で、娘たちが詩人の居場所を訊かないのは、そのままに居れば、詩人の方が向こうからやって来るからでありましょう。何故ならば、娘たちは、「どの橋々が形象たちへと通じているのかを」よく知っているからです。

やはりこのような純潔の乙女、即ち性を知らない、或いはもっと小さな子供に近い女性もドイツ語の乙女は言い表しますから、例えば赤頭巾ちゃんのような娘もドイツ語でいう「乙女」(Mädchen)ですから、安部公房の十代の認識の言葉によれば、これらの乙女は未分化の実存として存在に存在しているということになります。

存在の存在していると言い表して明らかなように、娘たちの存在は既にして再帰的なのであり、従い循環する生命を備えているのです。

そのような存在である乙女たちは、詩人の形象の源泉であるのです。この詩集は『形象詩集』と題されておりますので、これからも、乙女たちという主題は歌われることでありましょう。

そのあり方から言っても、既にして「どの橋々が形象たちへと通じているのかを」知っている乙女たちなのです。

橋とは、川に掛かり、こちらの世界から別のもう一つの異界へと渡るための接続です。安部公房が小説の中に挿入する詩に、よく橋を、橋の下を歌うことは、あなたもご存じありましょう。

この同じ接続は、第I章の最後の連では、扉と呼ばれております。


娘たちの命の中から、どの扉も入り行くのだ
ある詩人の中へと
そして、世界の中へと。


この連の詩の歌いかたもまた、順序が倒置されていて、乙女たちの生命が、扉を通って、詩人や世界の中に入って行くというのではなく、扉の方が、乙女たちの生命の中から外へと出てきて、詩人や世界の中に入って行くというのです。外部と内部の交換、これがリルケです。

詩人の次に世界の中へという順序で歌われているのは、リルケの考えで、詩人の中には一個の世界があるからです。これについては『安部公房の変形能力9:ハイデッガー』(もぐら通信第11号)で論じましたので、お読み下さると有難い。

普通には、詩人が扉を通って、乙女たちの生命の中へと歩み入るというか、または世界が扉を通って、乙女たちの生命の中へと入ると表すことでしょう。

しかし、遥かな距離を歌うリルケは、その順序を倒置し、交換して、乙女たちが、詩人の言葉の循環の源泉であることをいうために、この交換と倒置を行うのです。何故ならば、詩人たちは、乙女たちに「触れて、遥かな距離を生きることを学ぶ」からです。

そのような詩人の姿を、


夕べ夕べが、偉大な星々に触れて
永遠というものに慣れるように。


と歌っております。

そうして、「仮令(たとえ)詩人の目が、女性たちに求めたとしても」「どの娘も、詩人という者に身を捧げてはならない」のです。というのは、


詩人は、お前たちを唯娘たちとして考えることができるだけなのであり、即ち、
お前たちの両の手の手首の関節の中に感情があれば
金襴緞子を打ち壊すことだろうからなのだ


からです。

金襴緞子とは、まだ男を知らぬ乙女たちのことを言っているのです。それほどに、それだけで美しい者、それが乙女である。

リルケは、乙女の手首に、男としての性愛を覚えていたのでありましょう。トーマス・マンは、乙女の、手首を含み肘までの腕に、性愛を覚える男でした。それは、fetisch(性愛的な部位執着)といってよいもので、繰り返し、その小説の中に現れます。リルケも同様ではないかと思われます。リルケとマンは、1875年という同じ年の生まれです。

お前たちの両の手の手首の関節の中に感情があれば
金襴緞子を打ち壊すことだろうからなのだ

という意味は、そのような意味なのです。

詩人は、娘たちとは交わってはならないのです。

これを禁欲と呼ぶか、はたまた此の論理を引っ繰り返して、性愛の経験の豊かな、場合によっては娼婦のような、そのような女性をリルケが愛したのかも知れないと想像するかは、ともにあり得ることのように思います。

1967年、安部公房43歳の時に、六本木のキャンティという有名なレストランで、リルケの息子と言われるバルテュスという後年有名な画家になる女誑(たら)しの噂の高い男を目撃して、安部公房は次のように書いています。先の戦争中にリルケを耽読して我が身を護ったことを述べてから、このエッセイの最後に、次のようにいうのです。

「 そして、ぼくはリルケと別れる。『形象詩集』の作者の息子の女狂いを聞き、詩人自身も、多分そうだったに違いないと想像して、笑いこけたりする。かと言って、別に後悔はしていない。リルケはぼくに、精神の自殺術を教えてくれた。(略)

 苦痛の時代の、ぼくの古巣のことなど、思い出すのはもうごめんだ。だが、あらためて、一文学作品として『マルテの手記』を思いなおしてみると、なるほど、女たらしの名人の、長いくどきの文句のような気がしないでもない。とくに、年上の女をくどいたりするのには、たぶん最高の手口だろう。六本木のレストランでの、あの大笑いのおかげで、ぼくはリルケを、自分の苦痛の記憶と切り離して考えることが出来るようになったようである。
 ペテン師リルケ……やはり愛すべき詩人だったような気もしてくる。」(全集第21巻、438ページ)

しかし、「ペテン師リルケ」と別れることが如何にできなかったか。

この年は、『燃えつきた地図』を出し、後期20年への転回点となる1970年まで後3年を控え、3年度に再び、人生を転回させて、再び存在へと回帰し、自分の詩の世界、また従いリルケの純粋空間へと回帰することになるとは、安部公房も知らないことでありました。

安部公房スタジオの演技概念『ニュートラル』を語る安部公房の言葉の中に、再び積極的な意義を以ってリルケが登場することは、その概念説明の言葉の中に読むことができます。[註1]

[註1]
『奉天の窓の暗号を解読する(後篇)』(もぐら通信第33号)より以下に抜粋して、お伝えします。:

「また、安部公房スタジオを立ち上げた1973年に、安部公房は上の俳優たちに示した例題と同じことを、リルケに学んでいることとして、実にリルケを論理的に且つ生理的な感覚として理解をしたことを次のように語っています(『〈安部公房との対話〉』全集第24巻、473~474ページ)。

インタビュアーは、『安部公房の劇場』を書いたナンシー・S・ハーディンです。位相幾何学と安部公房の形象(イメージ)の関係を理解した此の女性には、安部公房はいつも率直に自分の本心を打ち明けています。ここでも、これほどリルケについて率直に語っていることは、ほかにはないものと思われます。やはりここれは、『箱男』を書き、安部公房スタジオを設立して、詩人の時代に自家薬籠中のものとしていた存在への回帰を決心したときの安部公房であるからでしょう。

リルケという詩人が、存在の意義(sense)と意味(meaning)とそれらの関係を、奉天の窓を知っていた数学の世界にいた安部公房に教えたのです。傍線を付し又は強調した文字の発言に注目して読めば、そうしてこの奉天の窓の意味をよく知っているあなたには、安部公房が何を言っているのか即座に理解されるでことでしょう。安部公房は世界は差異の集合だと、世界は差異で出来ていると考えているのです。安部公房はいつも間(あいだ、はざま)を観るのです。強調文字は筆者。

「---写真だけでなく、あなたの小説にも詩的なところがありますね。詩を書かれたことはありますか。
安部 たしかにぼくの作品は詩的な傾向があると思います。でも自分が詩人だというには抵抗がありますね。詩と比べると小説にはある種自己矛盾する要素がある。その要素とは、小説の「眼」の機能です。その眼が直視するのは、詩的なものと詩的でないものとのあいだの領域です。
---詩的でないものとは、現実的なもののことですか。
安部 いえ、そういう意味ではないし、客観的なものという意味でもありません。一方ではある対象は簡単に意識を通り過ぎて行きます。でも他方では通過しないで引っ掛かってしまう対象もあります。ある時には対象は意識の中にあるものと同一視することができますが、別な時には、それは意識にとって障害物と見なされます。この両極端のあいだを表現するのが、小説の役割です。
---あなたが興味をもっている詩人がいるとしたら、それはリルケではないかと思っていましたが。
安部 若い頃はリルケを読みました。戦時中には特に強い興味をもって、詩はもちろんのこと、『マルテの手記』もよく読みました。『マルテ』は好きですが、どうも彼の世界観はエゴイスティックすぎるきらいがあります。でもリルケは、詩的なものと反詩的なものとのあいだにある対象を観ることにかけては、天才的な才能をもっていたと強く思います。
---わたしはいつも、あなたの迷路や迷宮、檻や箱などのイメージの使い方は見事だと思ってきました。舞台や小説でこのように具体化されたイメージを目の当たりにする時、詩的感覚が湧き起こってくるのを覚えます。
安部 中世の封建社会に比べれば、今のぼくたちは解放された社会に暮らしています。しかし、別の意味では自分で自分を入れる檻、または一種の監獄を作ってしまったとも言えます。ひとりの作家としてぼくが努力していることは、ものをそのもの自体としていかに扱うかということです。もしぼくが、それらのものを使ってある世界観を提示しようなどとしたならば、極めて退屈な物語になっていたでしょう。重要なのはそのものの中にむかって思考することです。多くの人間がするように、意識を素通りさせてしまうのではなく、そのものが意識にとって障害物となるようにすることです。一度でもものの内側にむかって思考すれば、驚きを覚えるでしょう。もう一度言わせてもらうなら、リルケはこの点にかけては本当に天才でした。彼の世界観は好きになれませんが、芸術家としての力量と才能があったことは認めます。」(傍線は原文傍点)

この「ものの中にむかって思考する」ということが、安部公房がリルケに教わった思考の方法であり、安部公房スタジオの俳優たちに示した意識の列と行を、みかんとりんごを、自分が果物になって自由に往来する交差点に立つための例題が、そのための方法そのものなのです。つまり、リルケに学んで自得した詩の骨法を、即ち観ることによって玄関を通らずに窓の中に入る方法を、安部公房は教えたのです。

上記の引用で言っているリルケが天才的に有する、「詩的なものと反詩的なものとのあいだにある対象を観ることにかけては、天才的な才能をもっていたと強く思」うという其のリルケの識別能力は、差異を観る能力のことですから、実は安部公房が奉天の窓で見たことと同じことを、安部公房は言っているのです。

しかも、その直前で、「『マルテ』は好きですが、どうも彼の世界観はエゴイスティックすぎるきらいがあります。」と言っていることから言っても、これが仮にリルケに対する非難や反発の言葉だと捉えたとしても、「『マルテ』は好きですが」と、まあ、これは一種の、安部公房の告白、誠に珍しい率直なる、リルケが今でも好きなんだという安部公房のconfession(告白)なのです。

即ち、安部公房はリルケが好きであり、その中でも、その詩は勿論ですが、何よりもリルケの『マルテの手記』が好きなのだと言っているのです。

1973年の時点での此の告白は、『箱男』は、実は、一つ目の『名もなき夜のために』の後に書いた、二つ目の『マルテの手記』であると、安部公房は言っているのです。

前期20年の、詩人から小説家になるために其の最初にリルケを克服するために、リルケの方法で書いた『名もなき夜のために』の後に、更に再びリルケの『マルテの手記』の方法でもう一度書いたのが、この『箱男』でありました。

何故ならば、その前期20年にあっては人間と現実を信じすぎたために夢破れて存在の革命を言語の側から起こすことができなかったという絶望と幻滅を深く反省して、後期20年を生きるための戦略として、今度こそ存在の革命を言語によって、チェ・ゲバラが起こそうとしたことに相当するような、国家と社会と人間に、即ち現実に対する言語による革命を起こそうとして書いたのが、『箱男』なのです。

前者の期間は、社会的な関係の中にマルクス主義というイデオロギーの元に、そうして日本共産党という人間の権力の欲深い組織に純真に頼って存在を求めて失敗したのに対して、後者の期間は、それを逆転させて、存在の中に社会的な関係を求めることによって、個人である人間がそれぞれ独立的・自律的にありながら総合的に現実を生きたものとして再生し蘇生すること(これが安部公房スタジオ創設の安部公房のこころです)を求めることを決心して。

そうしてみれば、「詩的なものと反詩的なものとのあいだにある対象を観ることにかけては、天才的な才能をもっていたと強く思」うというリルケについて安部公房の言う此の差異の識別能力は、実はそのまま安部公房が、詩人から散文家に変貌することによって獲得した、或いはこの能力を獲得することによって詩人から散文家に変貌できた安部公房自身の能力のことを言っているのです。」



さて、詩人と乙女たちの話に戻りますと、以上のことから、詩人というものを、「その庭の中で、孤独であるがままにさせて置いてくれ」と詩人はいう。詩人は乙女たちと交わってはならない。だから、立ち去れというのです。それも、夜がやって来るからです。

夜の闇がやって来れば、「詩人の五感」は娘たちの「声と姿を」「求めることが、もはや、ない」。何故ならば、詩人は、戸外の広い野や森の中に立つ「暗い山毛欅(ぶな)の木々の下の白い色」を求めるものではなく、同じ闇に在っても、戸内に、その「沈黙した部屋」に求めるものであるからです。

こうして、最後の連の次の行を読みますと、


そうして、暗い山毛欅(ぶな)の木々の下の白い色は愛さない
そして、沈黙した部屋を、詩人は非常に愛する
(詩人が避けて疲れてしまった其の人間たちの中にあっては)


とあるからには、白い色とは、沈黙のことであり、これはリルケが詩のあちこちに「……」と記号で表した沈黙であり、十代の安部公房が一生の財産とした此の沈黙のことでありましょう。白い色とは、白紙のこと、全くの新(さら)の、無のある場所のこと、存在のある空間の隙間のことにほかならないのです。

これが、安部公房のいう「”物”と”実存”の対話」ということです。

そして、詩人とは、1980年代以降、箱根の仕事場に籠もった安部公房のように、「詩人が避けて疲れてしまった其の人間たちの中に」あることを厭い、嫌って、孤独にいることを選択するのです。

「そうして、つまりは、詩人の柔らかな思想は、苦しむのだ
 多くのものたちが、お前たちを目にするという感情の中で。」

と最後の連にある通りに、そのような詩人にとって、純潔の、未分化の実存にある乙女たちが、剥き出しで人々の目に触れるということは、誠に苦痛なのです。

この最後の二行には、何かこう、リルケという男に、やはり、成熟した男としての安部公房が上のエッセイでいうように、揶揄したくなるような弱さを抱えていることがお解りでありましょう。

しかし、このリルケの弱点はまた、安部公房の弱点でもあったのです。

そうでなければ、1970年を境にして、存在の革命を起こすために『箱男』は書かず、また同時に『愛の眼鏡は色ガラス』を、自分の劇団を率いて上演するということはなかったことでありましょう。

安部公房のこころの中には、存在の中に生きる少年が棲んでいるのです。耽読したリルケその人と同じように。

次回は、『飾り彫りのある柱の歌』(『Das Lied der Bildsäule』)です。


やはり、愛が歌われ、循環が歌われております。

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