三島由紀夫の十代の詩を読み解く25:二人の理髪師
目次
1。『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係』を読み解く
2。『理髪師』を読み解く
3。「理髪師の衒学的欲望」とは一体何か
4。「フットボールの食慾」とは一体何か
5。フットボールとは一体何か
6。「理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係」は、一体どのやうな関係なのか
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三島由紀夫は、1958年といふ剣道を本格的に始めた年33歳の一年前、即ち32歳のときに、16歳の時に書いた詩『理髪師』に手を入れ、これを改作し、改題して『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係』を書いてをります(決定版第37巻、767ページ)。これは、次のやうな詩です。
1。『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係』を読み解く
「理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係
理髪師が
来る
彼は舌なめづり
する。
手足を だらりと 垂らし
ながら
地上の
ありと
あらゆる林
あらゆる森
あらゆる人類
あらゆる尖塔
を
刈つてゆく。
シナの女の
黒い流眄(ながしめ)と
纏足(てんそく)の
橙色の臭気と
シナ宝石の
肉の匂ひと
これらの
ものが
フットボールの
食慾を
そそつた。
彼は
夕焼の不吉な空をなめた。
赤い鏡に
舌が映つた。
歯は
おごそかに並び
苦悶してゐる太陽を
噛み
嚥(の)み下した。」
この詩の第一連が「理髪師の衒学的欲望」を歌つたものであり、第二連が「フットボールの食慾」を歌つたものであり、第三連が、これら二つの欲望と食慾の「相関関係」を歌つたものです。
16歳の同じ主題、即ち蛇である理髪師を歌つた『理髪師』と題した詩との大きな相違は、この32歳の時の蛇である理髪師を歌つた同じ詩では、十代の詩『理髪師』と同様に、三島由紀夫があれほど大切にしてゐた塔までをも、理髪師たる蛇は「刈つてゆく」ことです。しかも、その殺人が徹底的であることには、やはり同様に「あらゆる尖塔」を「刈つてゆく」のです。
これは、自殺に等しい行為であると、わたくしには思はれる。
16歳のときに何故その詩を書いたかについては、既に『三島由紀夫の十代の詩を読み解く15:イカロス感覚5:蛇』で詳細に論じた通りです(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_12.html)。
しかし、32歳の三島由紀夫が何故同じ詩を改作して、再度自分の中の殺人者を確認しなければならなかったのか、その殺人者を新しくしなければならなかつたのか。三島由紀夫は、さう思はないほどに真剣に思ひ、命を懸けてなすべき何かがあつた。それは、何か。
16歳の『理髪師』を読み、次に二つの詩を比較をして論じ、この32歳の改作の意図を論じます。16歳の『理髪師』です。
2。『理髪師』を読み解く
「理髪師
あまりにすべすべな皮膚のうちに白昼(まひる)の風の流れを見、呼
吸は漁(すなど)られた魚のやうにあさましく波打ち、遠く銀白の地
平を摩擦して行く空気の翼に似た音……
壺のなかにひろがる闇のひろさよ、零(こぼ)れ出てくる闇のおび
たゞしさよ。線は線に触れ、髪は夜の目のやうな暗い光に
濡れ……。
《真の幸福は神の餌にすぎない》
人間の幸福は求め得たものゝすべてであり、
(幸福がその日の呼吸なのだ)
と儂は言ふ。虚偽?......神様はよおく御承知だ(唾のなか
に幸福を吐き出し、汚なさうに投げ捨てる)
沙漠と鉱山の縦坑と、尾根と、尾根の抱く朝と、広いも
のは窒息させる、其処で、……蛇は空を自分の毒牙で量つ
てゐた。……理髪師がくる。彼は舌なめづりする。手足を
だらりとたらし乍ら、地上のありとあらゆる林、あらゆる
森、あらゆる尖塔を刈つてゆく。―――鐘の
うしろに夜が居る……わしは赤インキを顔にぶつかける、
そこで正午(まひる)が呆けた人形のやうにぶら下がる。」
(決定版第37巻、685ページ)
『三島由紀夫の十代の詩を読み解く15:イカロス感覚5:蛇』(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_12.html)から引用して、以下に、この16歳の蛇の解説を致します。:
「この理髪師の蛇は、手に其の剃刀を持つて、ありとあらゆるものを道すがら剃刀で切り、刈つてしまふのです。
この詩も論じると尽きませんが、今話を蛇がどのやうなものであるかに留めて論じますと、最初から蛇といふ名前は登場しないのです。それは、理髪師といふ名前の何かの振る舞ひが叙され、読者はこれは何だらうと不思議に思ひならが読み進めますと、次のところに至ります。随分と技巧を凝らした詩だといふことになります。
「沙漠と鉱山の縦坑と、尾根と、尾根の抱く朝と、広いも
のは窒息させる、其処で、……蛇は空を自分の毒牙で量つ
てゐた。……理髪師がくる。彼は舌なめづりする。手足を
だらりとたらし乍ら、地上のありとあらゆる林、あらゆる
森、あらゆる尖塔を刈つてゆく。」
この引用の最初の「……」までの前半は、上の『三島由紀夫の世界像2』の地上の水盤、地盤であることがお判りでせう。そこは広く、「広いものは」理髪師を「窒息させる」のです。さうして、「……」とは、既に『三島由紀夫の十代の詩を読み解く11: イカロス感覚2:記号と意識(1):「………」(点線)』でお話しましたやうに、三島由紀夫の意識が現在から見て過去へと追想し追憶することを示しますから、そのときに必ず例外なく三島由紀夫はこの「……」を使用しますから、「……」の後の後半の「理髪師がくる。彼は舌なめづりする。手足をだらりとたらし乍ら、地上のありとあらゆる林、あらゆる森、あらゆる尖塔を刈つてゆく。」といふ行がやつて来て、そこで初めて其れ以前の現実が反転して、「……」の後の現実が謂はば本当の、真実の現実になることができるのです。それ故に、理髪師は其の正体を現して、蛇といふ本来の名前で呼ばれ、「蛇は空を自分の毒牙で量」ることができるのです。
或ひは、「……蛇は空を自分の毒牙で量つ/てゐた。……」とあるやうに、「蛇は空を自分の毒牙で量つ/てゐた。」は「……」に挟まれてありますので、この蛇は空を自分の毒牙で量つ/てゐた」ことが、既に過去への追想追憶であるといふ解釈も可能です。
「蛇は空を自分の毒牙で量」ることのできる以上、この詩では天翔る姿は書かれてをりませんが、いづれは空を飛ぶのでありませう。
しかし、このやうに三島由紀夫の蛇の形象を見てきても、実に残酷な謂はば平然たる殺人者であり、「光りと影に分かたれた人々をば、/蛇は熱帯の岩の上から、/冷たい嘲笑でみつめてゐる。」といふ、そのやうな相反する矛盾と対立の中にゐる人間たちを「冷たい嘲笑でみつめてゐる」ものといふことになります。
上の『三島由紀夫の世界像2』に示される全体は、三島由紀夫の人生でありますから、この蛇は、さうしてこのやうな蛇の詩を読んで参りますと、やはり三島由紀夫自身の姿を歌つたものだと解するのがよいのではないでせうか。或ひはまた、その心象の論理と感情を蛇に形象化したといふことです。
これら14歳と16歳の蛇の詩を比較しますと、二つの詩に差異があり、後者には明らかに、[註3]に書きましたやうに、「十代の少年の詩想は、いつも海や死に結びつき、彼が生きようと決意するには、人並以上に残酷にならなければならないといふ消息」、春日井健氏の消息ではなく、三島由紀夫自身の消息が、わたくしたち読者には「手にとるやうにわか」ることに驚きます。
この詩『理髪師』といふ詩は、18歳の『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』に直接つながる詩だといふことが判ります。既に16歳の此の詩を書いたときには、三島由紀夫は「生きようと決意するには、人並以上に残酷にならなければならないといふ」その決意を固くしてゐたといふことになります。
とすれば、それは既に『花ざかりの森』を書きながら、そのやうな決心があつたといふことを意味してをります。この16歳の短編小説にも、18歳の『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』に登場する恰も海賊頭の口にするが如き言葉が出てきます。
「『海?海つてどんなものなのでせう。わたくし、うまれてよりそのやうなおそろしいものを見たことはありませぬ。』
『海はただ海だけのことだ、さうではないか。』さう云つて男は笑はつた。」
『花ざかりの森』の主人公は、まだ殺人者にはなつてゐない。しかし、同じ16歳に書いた『理髪師』といふ詩では、三島由紀夫は蛇を歌つて既に殺人者になつてゐる。」
さて、16歳のときに歌つた蛇は、このやうなものです。これに対して、32歳の蛇はどのやうな蛇でありませうか。
3。「理髪師の衒学的欲望」とは一体何か
その詩の題名が「理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係」となつてゐて、この理髪師たる蛇は「衒学的欲望」の持ち主であるといふことがわかります。
「衒学的欲望」とは一体何でありませうか。その第1連を読んでみます。:
「理髪師が
来る
彼は舌なめづり
する。
手足を だらりと 垂らし
ながら
地上の
ありと
あらゆる林
あらゆる森
あらゆる人類
あらゆる尖塔
を
刈つてゆく。」
16歳の『理髪師』と比較をしたときの一番の違ひは、この詩には「……」といふ記号がない。即ち、追想と追憶の中に蛇がゐるのではないといふことです。
この蛇は、今といふ時間の中に生きてゐるのです。
この蛇のすることは、この詩を読むと、次の3つのことです。
1。来る
2。する
3。刈つてゆく
これが、この蛇たる理髪師の「衒学的欲望」の実現なのです。
16歳の『理髪師』では、
「其処で、……蛇は空を自分の毒牙で量つ
てゐた。……理髪師がくる。彼は舌なめづりする。手足を
だらりとたらし乍ら、地上のありとあらゆる林、あらゆる
森、あらゆる尖塔を刈つてゆく。」
とあつて、「其処」と呼ばれる場所で、蛇と理髪師は謂はば二重の形象(double image)のものとして描かれてゐますが、32歳の蛇と理髪師は全く一体となつてゐて、そのやうな見かけ上の曖昧な二重性は全く持つてをりません。
そして、「地上のありとあらゆる林、あらゆる/森、あらゆる尖塔を刈つてゆく」ことについては、変はらない。変わつたのは、追加されて「あらゆる人類」が「刈つてゆ」かれることです。
16歳の詩と32歳の詩に共通な「手足を/だらりとたらし乍ら」とある理髪師の格好は、恐らくは、三島由紀夫にとつては非常に醜い、厭ふべき、不気味な格好なのでありませう。
そのやうな殺人者の蛇として、歌はれたる者は、追想と追憶の中にではもはやなく、今といふ時間の中に生きて、「あらゆる人類」を「刈つてゆく」。
これが、32歳の三島由紀夫の殺人者としての決心といふことになります。
そのやうな格好をして歩き行く、蛇たる理髪師の「衒学的欲望」とは、さうすれば、「衒学的」とは普通に言へば、細かくいろいろなこと知つてゐて、その知識をひけらかす者のことですから、「衒学的」の解釈は、次のふたつになりませう。
1。「刈つてゆく」といふ行為によつて、そのやうな知識を仕入れ、吸収する。
2。「刈つてゆく」といふ行為が、そのまま、自分の精細な知識の、生きた人間に対する披瀝となる。
4。「フットボールの食慾」とは一体何か
しかし、「衒学的」であることは、やはり学究的な一面であつて、どこか生きた人間の世間とはずれてゐる。このずれを補ひ、その現実の差異を0にするのが、「フットボールの食慾」を表はす第2連といふことになります。
「シナの女の
黒い流眄(ながしめ)と
纏足(てんそく)の
橙色の臭気と
シナ宝石の
肉の匂ひと
これらの
ものが
フットボールの
食慾を
そそつた。」
このフットボールといふ楕円形の球(ボール)は、食慾を持つてゐる。さうして、その食慾は、
1。シナの女の/黒い流眄(ながしめ)と
2。纏足(てんそく)の/橙色の臭気と
3。シナ宝石の/肉の匂ひ
これら3つのものに向かつてゐる。
これは、フットボールが、外国の女に性欲を覚えて、性交したいといふ連であることになります。しかも、この女は、纏足でありますから、移動の自由がない。他方、フットボールは、移動して、動くことができる。
しかし、3つ目の「シナ宝石の/肉の匂ひ」といふ2行を読めば、この異国の女は生きた女ではなく、死んだ女であり、あるひはまた生きながらに死んだごときの女であるといふことになります。そのやうな女に、フットボールは性欲を覚えるのです。
5。フットボールとは一体何か
さて、フットボールとは一体何でありませうか。
『三島由紀夫の十代の詩を読み解く1』(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html)から引用してお伝へします。:
「[註3]
三島由紀夫は、十二歳から十三歳にかけて、十代で独楽という題の詩を二つ書いております。一つは、詩集『HEKIGA』にある「玩具」の中の連作の最初の「a 独楽(「それは……」)」であり、もう一つは『聖室からの詠唱』所収の「幼き日」の中の最初の詩「独楽(「音楽独楽が……」)」という詩です。
こうして、この二つの詩の表題(形式)を眺めてみますと、題名の次に括弧がしてあって、「……」が必ずあり、これは安部公房の詩にも登場する同じ「……」という符号の使い方に省みて解釈をすれば、文字通りの余白であり、沈黙であり、そこにこそ自己の本来の姿が宿っていることを意味しております。十代の安部公房の場合は、この余白と沈黙に隠れ棲む自己を「未分化の実存」と呼び、即ち存在に生きる自己と言っております。しかし、この自己は、この世の人たちからみると、ほとんど死者のありかたに見える人間のありかたです。
三島由紀夫の場合も、同様であったように思われます。
なぜならば、この独楽の詩も、登場する縁語を此処に挙げますと、それは、白銀色の金属の独楽であり、悲しい音を立て、その悲しい音は音楽であり、落ち着きもなく狂ひ廻り、従い独楽は酔ひどれであり酔漢であり、そのようにして踊りを踊るものであり、踊りたくないのに一本の縄に「その身を托されて」いる。その立てる音は、梟の不気味なほ!ほ、という夜の声である。そうして、体は小刻みに震えている。(この体の小刻みに震える震えは、『木枯らし』や『凩』の木々の震えに通じているのだと思います。)
同じ『HEKIGA』の中にある「古城」という廃墟の城を歌った詩を読みますと、ここにも梟が出て参ります。この梟は、やはり”Hoh!”と鳴きます。この梟は、話者が廃墟の城の中に向かって問いかけることに対して、この声で応えるのです。また同じ詩集の「壁画」と題した詩では、梟は「梟が鳴く/一本調子の、/嗚咽するやうな、/物悲しい、啼き声、」と謳われていて、やはり、廻転する独楽に通じる悲しみを歌っております。廃墟の古城の梟のHoh!という鳴き声もまた、同様の感情を表しているのです。
それは、廃墟の、空虚の、何もないものに対する悲しみの感情というものでありましょう。そうして、それは、一本の縄に「その身を托されて」酔漢のように踊り、廻転している悲しみであるというのです。
『聖室からの詠唱』所収の「幼き日」の中の最初の詩「独楽(「音楽独楽が……」)」という詩で「ほ!ほ」啼いている梟の声は、詩集『HEKIGA』にある「玩具」の中の連作の最初の「a 独楽(「それは……」)」で歌われている”Hoh!”と啼く梟の声に比べて、後者が説明的であるのに対して、前者は説明ではなく隠喩で歌われているだけに一層、何か酷く不気味な感じが致します。
三島由紀夫の独楽は「……」という余白、沈黙、もっと言えば、廃墟、廃絶、喪われて其処にあるもの、過去としてしか追憶できないものの中に廻っている。
これらのことが、十六歳で『花ざかりの森』を出版するまでの、十代の前半の三島由紀夫の感情生活の一端であるということになります。
『花ざかりの森』の最後にあるように、「生(いのち)がきわまって独楽の澄むような静謐、いわば死に似た静謐」、これが独楽の目に見えない程の廻転の意味なのです。」
このフットボールは、『花ざかりの森』の最後に繰り返し廻つてゐる独楽なのです。しかし、異なるところは、上で見たやうに、移動することができるといふこと、即ち、「生(いのち)がきわまって独楽の澄むような静謐、いわば死に似た静謐」である独楽の「生(いのち)がきわまっ」た姿でありながら、静止することなく、常に運動の生命に放り投げられ受け取られて移動し続け、宙を飛び続ける楕円形の球体、「いわば死に似た静謐」を実現した動く球体なのです。
ここまで読み解いて参りますと、三島由紀夫が此の時期に肉体を鍛え、さうして翌年33歳のときに本格的に剣道に打ち込み始めるといふ、そのこころが、そのままに写され、現れてをります。
しかも、この楕円形といふ形象は、十代の三島由紀夫の好む形象でありました。それは、13歳の『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』といふ詩です(決定版第37巻、206ページ)。『三島由紀夫の十代の詩を読み解く5:三島由紀夫の小説と戯曲の世界の誕生:三島由紀夫の人生の見取り図2(詳細な見取り図)』(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post.html)より引用して示します。:
「[註1]
桃葉珊瑚(あをき)といふ題の言葉と、この老いの記の内容との関係を稿を改めて明確にすること。この時期、三島由紀夫は桃の詩を幾つも歌つています。桃と桃色の意味を解く事を後日致します。今ここで少しく考察を加えてをけば、次のやうになります。
桃葉珊瑚(あをき)といふ植物は、「葉は厚くつやがある。雌雄異株。春、緑色あるいは褐色の小花をつけ、冬、橙赤(とうせき)色で楕円形の実を結ぶ。庭木とされ、品種も多い。桃葉珊瑚(とうようさんご)。」[『大植物図鑑』>「アオキ Aucuba japonica 桃葉珊瑚(1034)」:https://applelib.wordpress.com/2009/05/09/1034/]
この説明をみますと、三島由紀夫は、この当時楕円形といふ形が好きであつたやうに思はれます。何故ならば、この実は楕円形をしてをり、小説『詩を書く少年』の中で、13歳ではなく15歳といふ年齢設定ではあるものの、主人公の製作する詩集は「ノオトの表紙を楕円形に切り抜いて、第一頁のPoesiesといふ字が見えるやうにしてある」表紙を備えてゐるからです。」
おそらく、これ以外にも楕円形の形象は詩の中で歌はれてゐるに違ひありません。フットボールのことを考へますと、やはり13歳の三島由紀夫は、楕円形の桃葉珊瑚(あをき)に生命の充実と発露を見たに違ひありません。
フットボールとは、そのやうな形象なのです。
6。「理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係」は、一体どのやうな関係なのか
さて、さうだとして、「理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係」は、一体どのやうなことになるのでせうか。それを歌つたのが、第3連です。
「彼は
夕焼の不吉な空をなめた。
赤い鏡に
舌が映つた。
歯は
おごそかに並び
苦悶してゐる太陽を
噛み
嚥(の)み下した。」
この第3連の最初の4行は、
「彼は
夕焼の不吉な空をなめた。
赤い鏡に
舌が映つた。」
とあつて、このやうな夕焼けと不吉といふ言葉が来ると、三島由紀夫は既にここで何か「凶ごと」が起きないかと期待してゐるのです。15歳の『凶ごと』といふ詩があります。[註1]
「凶ごと
わたくしは夕な夕な
窓に立ち椿事を待つた、
凶変のだう悪な砂塵が
夜の虹のやうに街並の
むかうからおしよせてくるのを。
枯木かれ木の
海綿めいた
乾きの間(あひ)には
薔薇輝石色に
夕空がうかんできた……
濃沃度丁幾(のうヨードチンキ)を混ぜたる、
夕焼の凶ごとの色みれば
わが胸は支那繻子の扉を閉ざし
空には悲惨きはまる
黒奴たちあらはれきて
夜もすがら争(いさか)ひ合ひ
星の血を滴らしつゝ
夜の犇(ひしめ)きで閨(ねや)にひゞいた。
わたしは凶ごとを待つてゐる
吉報は凶報だつた
けふも轢死人の額(ぬか)は黒く
わが血はどす赤く凍結した……」
(決定版第37巻、400~401ページ)
[註1]
この『凶ごと』と類似の詩に、14歳のときに書いた『訃音(ふいん)』といふ詩があります。:
「訃音(ふいん)
黒ずんだ金粉のうちより死びとは目覚め、
眸(ひとみ)は死灰の色する冬海の渦のあなたから
わきおこる海底の音のやうに灰白(はひじろ)の粘りに熟れて
力なく夜空をたゝへ……
腐れ腕(かひな)に盲(めし)ひの蛆
声もなく青ざめてはひまはれば、
かわいた赤黒の血の層は黄泉(よみ)のみ神、
染め出でたまひしおん衣(ぞ)のあや。
この五体、
ほこり堆(うづたか)き夜闇(やあん)の室の一隅に
奇(く)しき都の如く沈めども、
そのかばせ長きのぞみにみたされた
ねむりの如く
指さす指の爪先には
赤い血わづかにのこつて糸さながら
かけまはりやがて消え去り、
空の空気窓より蒸発したのであつた。
死は恐ろしくない
無限が可怕(こは)いのだ
死人はおそろしくない
偶像がこはいのだ
わたしはおまへに言つた
「死人は目覚め、夜の時計を繰つた、
またカレンダァは息絶えるのだ」
訃音をきくのは心たのしい
誕生のしらせをきくよりも。
さればわたしはわたしの影を
白い焔でやきつくす……」
(決定版第37巻、377~378ページ)
第1連の、
「わたくしは夕な夕な
窓に立ち椿事を待つた、」
といふ最初の二行をみると、やはり椿事である凶事は、窓辺に詩人がゐるときに、向かふからやつて来るのです。そして時間は夕べでなければならない。
更に次の第2連、第3連を読みますと、凶事は、「薔薇輝石色」の夕空を背景に「夜の虹のやうに」押し寄せて来るのですし、「夕焼の凶ごとの色」は「濃沃度丁幾(のうヨードチンキ)を混ぜたる」赤色をしてゐるのです。
最後の連、第4連に、
「わたしは凶ごとを待つてゐる
吉報は凶報だつた
けふも轢死人の額(ぬか)は黒く
わが血はどす赤く凍結した……」
とありますので、凶事の報はどのやうな報かといへば、1日の時間の中に「轢死人の額(ぬか)は黒く/わが血はどす赤く凍結した……」とある凶報なのです。
この「轢死人」は、十代の三島由紀夫の詩では、いつも十字路で自動車や列車に轢かれて死ぬ者のことなのです。[註2]
この十字路の轢死人を歌つた詩に、『轢死《モンタアジュ型式》』と題した詩があります(決定版第37巻、470~473ページ)。
[註2]
この十字路の轢死人を歌つた詩に、『轢死《モンタアジュ型式》』と題した詩があります(決定版第37巻、470~473ページ)。
この詩の中に、文字通りの十字路の絵が書いてあり、その交差点で死ぬ轢死人の星印で描かれてをります(同巻、472ページ)。
また同じ此の形象は、小説『盗賊』(1947~1948年)の中で、「危ふうく昨夜轢死者のゐた道へ足を向けかけて引返し、港へ通ずる遠まはりの小路を選んだ。それはやがて奇妙に歪んだ四つ角へ出た。その四つ角からひたすらに海へ向つて降りてゆかうとする道が背の高い北京料理の建物で遮られた横手に、彼は絵硝子のやうな短冊形の海を見たのである。」(決定版第1巻、53ページ)
これは小説にも出てくるので、その後もまた出てくる形象ではないでせうか。即ち、
凶事(窓、夕暮、夜、闇、十字路、轢死人、死、血、赤い色、支那、x)
といふ概念連鎖に、三島由紀夫にはいつも思はれてゐるといふことなのです。
この十字路の轢死人を歌つた詩に、『轢死《モンタアジュ型式》』と題した詩の最初の1行は、「彼は時間を噛みしめて歩いてゐた」といふのです。
この「彼は時間を噛みしめて歩いてゐた」といふ一行は、三島由紀夫の詩によく現れる表現です。「時間を噛みしめ」るのです。従い、『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係』の第3連で、
「苦悶してゐる太陽を
噛み
嚥(の)み下した。」
とあることは、大変重要な意味を持つてゐるのです。
一言でいひますと、三島由紀夫が「時間を噛みしめ」るといふことで言ひたいことは、現在の此の時間に堪えて生きるといふこと、それも詩人の高みを保証する窗(まど)または高窓のある空間(部屋)にゐて[註3]、そのままで、その落差を一身に身に引き受けて、その辛さに堪えて生きるといふことを言つてゐるのです。[註4]
これが、上の引いた第3連の最後の3行の意味なのです。何故ならば、太陽は、日々の運行を司る天体でありますから。
しかし、その太陽は「苦悶してゐる」。
[註3]
[註3]
三島由紀夫にとつて、塔といふ高みにある窗(まど)といふ文字で表した高窓が、如何に詩人としての命を保証し保障してくれる大切な窗であるかは、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く13:イカロス感覚4:塔と窗(まど)』で論じましたので、ご覧ください。:
[註4]
15歳の『石切場』といふ詩にも、
「天に向き 陽をおそれず
ぎりぎりな いやらしい生を噛み」
といふ二行があります(決定版第37版、567ページ)。
これ以外にも、次のすべて15歳の時の詩が、同じやうに、時間や生や太陽を「噛みしめる」と歌はれてゐる詩です。
1。『火』:「さうして歩調を火はかみしめてゐた」(決定版第37巻、642ページ)
2。『地史』:「蜥蜴は白堊期の陽を噛んでゐる」(決定版第37巻、647ページ)
3。『強靭の耽溺』:「歯は厳かに並び、苦悶してゐる太陽を噛み/のみ下した。」(決定版第37巻、688ページ)
4。『生の曲』:「さうしてそれはさびしい生を噛みしめながら」(決定版第37巻、703ページ)(*)「それ」とは、火山の煙のこと。
5。『影の曲』:「寂びた醸酒(かみざけ)のやうに」(決定版第37巻、704ページ)
また、ハイムケールの時代の最初の歳、1964年、39歳の時の小説『絹と明察』の最後の二行をご覧ください。傍線筆者。:
「岡野は耳にしつかりと噛みしめて聴いた。
「これを機会に、君もそろそろ世間の表面へ出ることを考へたらどうなんだ。」」
岡野が世間の面へ出てくるとは、生の時間の中で生きることを意味してをり、当然のことながら、岡野は其の時間を噛みしめなければ生きて行けない、あのヘルダーリンの自然を歌つたアルプスの山の高みのあの『帰郷』の世界との大きな落差に堪えねばならないのです。
この、岡野が此の世の地盤、水盤の水平面で生きることの意味と其の逆説については、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論としての『絹と明察』(1):殺人者たち』(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_22.html)をご覧下さい。
その太陽が「苦悶してゐる」とは、既に三島由紀夫自身の姿でありませう。詩人の高みの塔の窗の辺にゐて、隠喩の豊饒なる形象の世界、世界創造の世界にゐながら、その太陽は地上に生きなければならず、さうであれば、上で述べたやうに、時間を噛みしめながら生きなければならないのです。
ここに既に早や、『太陽と鉄』の主題があります。
上の[註3]に挙げた詩は、しかし、16歳の『理髪師』の詩で、まだからうじて追想と追憶の中で刈り取った大切な塔、「あらゆる塔」を、32歳の三島由紀夫は現実の時間の中で実際に今生きてゐる、時間を噛みしめながら生きる其の自分自身、即ち仮構しない生身の自分自身の言葉として、「刈って」しまった。
従い、天へと上昇することはできなくなり、この地盤、水盤の、時差の遍在する水平方向の面の上で、縁(ふち)を目指して、海賊頭(行動家)になつて、生きることになるのです。勿論、言語藝術家との二足草鞋を履きながら。
即ち、32歳に再度16歳の『理髪師』を改作して『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係』を書くことによつて、イカロスのやうに天へと上昇することを断念した、さうして文字通りに其れは後者の詩に歌ふやうに血を流すことであり血を流した三島由紀夫にとつては、肉体を鍛えるとは、その分だけ、詩の言葉をこの世で実現することと同じ意義と意味を有してゐたのです。それ故に『太陽と鉄』の第一行目で「わたしはかつて詩人であつたことがなかつた。」と断言するのです。さうして、詩そのもの、繰り返しの時間の中に在る時差の中の永遠の静謐、即ち美そのものになると宣言するのです。
さうして、何故切腹するのか、それは何を意味するのかは、既に三島由紀夫の不可視の林檎論で述べた通りです。[註5]
[註5]
三島由紀夫の切腹の意味については次の考察をお読み下さい。
(1)『三島由紀夫の十代の詩を読み解く9:イカロス感覚1:ダリの十字架(1):三島由紀夫の3つの出発』:http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_23.html
(2)『三島由紀夫の十代の詩を読み解く13:イカロス感覚4:塔と窗(まど)』:http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_5.html
これが、冒頭の問ひ、
「しかし、32歳の三島由紀夫が何故同じ詩を改作して、再度自分の中の殺人者を確認しなければならなかったのか、その殺人者を新しくしなければならなかつたのか。三島由紀夫は、さう思はないほどに真剣に思ひ、命を懸けてなすべき何かがあつた。それは、何か。」
といふ問ひに対する、わたしの答へです。
もう一度、『三島由紀夫の世界像1』をご覧になつて、この経緯と事情をご自分のこころの中で反芻なさつて下さい。
第1連の過去の自分との時間を現在に移すことによる決別と、第2連の静かな独楽ではなく絶えず移動するフットボールといふ形象である自分との、これら二つのそれぞれの問題を解決して自分を一つにする連、二つの自分を一つにする連、これが第3連であるのです。
第1連を文藝、第2連を武道といつてもよいでせう。また、前者を詩人である自分自身、後者を小説家としての、時代に向き合つて敏感に反応し、活動する散文家である自分自身といつてもよいでせう。
さうして、第3連が文武両道を一身に体現した三島由紀夫といふことになります。
これが、「理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係」なのです。
さて、さうして話を少し第3連に戻しますと、何故歯は「苦悶してゐる太陽を/噛み/嚥(の)み下」すことが出来るかといひますと、それはその前段にありますやうに「歯は/おごそかに並」んでゐるからなのです。三島由紀夫の読者であるあなたは、同じ空間的な繰り返しの配列を、十代の小説『彩絵硝子』の最初の一行にあることをご存じでありませう。ここでは、歯の代わりに香水の壜が並んでをります。:
「化粧品売場では粧つた女のやうな香水壜がならんでゐた。人の手が近よつてもそれはそ知らぬ顔をしてゐた。彼にはそれが冷たい女たちのやうにみえた。」(傍線筆者)
同じやうにして、冷たく、最も自己に残酷に「歯は/おごそかに並び/苦悶してゐる太陽を/噛み/嚥(の)み下した」のです。[註6]
[註6]
この青春にある若者が必死で生きるために編み出す殺人者の論理については、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く15:イカロス感覚5:蛇』[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_12.html]から[註3]を其のまま抜粋して、お伝へします。:
「[註3]
「言葉は現実を抽象化してわれわれの悟性へつなぐ媒体である」といふことを、三島由紀夫は、33歳の時、剣道を始めた年のエッセイ『裸体と衣裳』の「十一月二十五日(火)」で、次のやうに述べてをります。
「いづれにしても詩は精神が裸で歩くことのできる唯一の領域で、その裸形は、人が精神の名で想像するものとあまりにも似ていないから、われわれはともするとそれを官能と見誤る。抽象概念は精神の衣裳に過ぎないが、同時に精神の公明正大な伝達手段でもあるから、それに馴らされたわれわれは、衣裳と本体とを同一視するのである。」
三島由紀夫の此の言葉と詩の関係についての理解を読みますと、実は、三島由紀夫の散文の世界が、詩の精神に拠つて書かれてゐるといふことが判ります。詩作といふ抽象概念化の裸体に、誰にでも悟性で理解ができる散文的な言葉の衣裳を纏(まと)はせたと、さう言つてゐるのです。これが、三島由紀夫の小説であり、戯曲であるといふことになりませう。
三島由紀夫のすべての散文を、言葉の本質、即ち再帰性を備えた繰り返しといふ観点から、十代の詩群と比較をして論ずることは、やはり意義も意味もあることなのです。
上の同じ日の引用の直前には、次の言葉があつて、それ故の上の引用の「いづれにしても詩は」とつながるのですが、何故三島由紀夫が小説家にならうとしたことが、生きることであつたかといふ消息の明かされてゐる文章となつてゐます。これの実現が、18歳のときに書いた『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』であり、ここに極端に造形された、そしていつも対比されて描かれる海賊頭(行動家)の友人である、殺人者(藝術家)といふ主人公です。
「春日井健といふ十九歳の新進歌人の歌に感心」をして、一連の歌を列挙したあとに、(以下傍線筆者)
「 かういふ連作は、ソネットのやうなつもりで読めばいいのであらう。私は海に関する昔ながらの夢想を、これらの歌によつて、再びさまされたが、十代の少年の詩想は、いつも海や死に結びつき、彼が生きようと決意するには、人並以上に残酷にならなければならないといふ消息が、春日井氏のその他の歌からも、私には手にとるやうにわかつた。」
春日井氏の歌のいくつかを選んでお目にかけると、次のやうなものです。
「テニヤンの孤島の兵の死をにくむ怒濤をかぶる岩肌に寝て
渦潮が罠のごとくに巻く海の不慮の死としてかたづけられき
潮ぐもる夕べのしろき飛込台のぼりつめ男の死を愛(いと)しめり」」
このエッセイを書いた33歳の一年前、即ち32歳のときに、何故か三島由紀夫は16歳の詩『理髪師』に手を入れ、これを改作し、改題して『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係』を書いてをります(決定版第37巻、767ページ)。これは、次のやうな詩です。」
しかし、この32歳の改題改稿では、このやうに、最後に話者が、太陽を噛んで、嚥下することになつてゐます。これは、太陽を体内に取り込むといふ意味であると同時に、何か不吉なものがあります。何故ならば、それは「苦悶してゐる太陽」であるからです。
「苦悶してゐる太陽」とは、上で述べましたやうに、三島由紀夫自身のことでありますから、自分が自分を咀嚼し、嚥下する。『太陽と鉄』の最初と最後に描かれる、自分で自分の尻尾を噛む蛇の形象、あの地球と其処に住む「あらゆる人類」に巻きついてゐる殺人者の理髪師たる宇宙の蛇の形象は、三島由紀夫の書斎の机上にあるあの蛇の類である蜥蜴と同じもので、間違いなく、ありませう。
この蛇は、その剃刀で「あらゆる人類」を刈り取って、さうして、同時に殺人者たる言語藝術家の三島由紀夫は、F104ジェット戦闘機に搭乗し、全く孤独に成層圏の宙天にまで駆け昇つてさへも、イカロスとして、あの十代の塔、自己の隠喩の豊饒を保証し保障してくれるあの詩の高みへと行かねばならなかつた。
もう一度十代の詩人に戻りたかつた、「もし誠実というものがあるとすれば、人にどんなに笑われようと、またどんなに悪口をいわれようと、このハイムケールする自己に忠実である以外にない」と思ふほどにまで。[註7]
[註7]
『三島由紀夫の十代の詩を読み解く1』(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html)から引用してお伝へします。:
「しかし、最後の最後に、死の1週間前に、古林尚によるインタビューの中で次のように「十代の思想への回帰」を言う、これも率直なる三島由紀夫がいるのです。このインタビューは三島由紀夫の死後一週間後に記事となって図書新聞の掲載されましたので、当然のことながら、安部公房も読んでいることは間違いがありません。
8。十代の詩のこころへの永劫回帰
「ひとたび自分の本質がロマンティークだとわかると、どうしてもハイムケール(帰郷)するわけですね。ハイムケールすると、十代にいっちゃうのです。十代にいっちゃうと、いろんなものが、パンドラの箱みたいに、ワーッと出てくるんです。だから、ぼくはもし誠実というものがあるとすれば、人にどんなに笑われようと、またどんなに悪口をいわれようと、このハイムケールする自己に忠実である以外にないんじゃないか、と思うようになりました」
「苦悶してゐる太陽」とは、三島由紀夫自身のことでありますから、自分が自分を咀嚼し、嚥下する。
三島由紀夫の文武両道の形象もまた、どこまでも、またいつでも、再帰的なのです。安部公房と全く同じやうに。
最後に、『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係』の詩のなかの、この再帰性を歌つた連を眺めて、お終ひに致します。それは、次の第3連、即ち、最後の連の最初の4行です。
「彼は
夕焼の不吉な空をなめた。
赤い鏡に[註8]
舌が映つた。」
[註8]
三島由紀夫の持つ鏡と再帰性について、『 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論としての『絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷』』から引用して以下にお話しします(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_24.html)。:
「三島由紀夫の十代の15歳の詩に、踊り子の出てくる『孤独(『夕暮は……』ある戯曲の一節)』と題した詩があります(決定版第37巻、552ページ)。この踊り子も、美しいのでありませうが、しかし、『道成寺』の踊り子と同様に貧しい踊り子です。傍線筆者。
「「夕暮は煙草のやうな匂ひがしますね
……どつか、とほい、……あのピアノの音は
ドとファがぬけてゐます
古いピアノのある、……褪せたカァテンの……古い家、
大きなおほきな木彫の卓子(テーブル)がおいてあるのぢゃありませんか?
(樅がなゝめになつて……梢に夕陽のもえのこりをとまらせて……)
明取(あかりと)りのうへの空は」
ひらたい……ひらたい……なんて扁たいんでせう
みどろの一種のやうに、もつれたまゝ動かないのでせう……
ああ あなた こゝにゐらして下さい、
どこへいらつしやるんです
(おのがれになれないのですよ)
孤独はこゝろのなかにはゐません、
あなたをとりまくみえない帷(とばり)です
かはいさうに……さびしいので……こゝろははしやぎまは
るでせう
みすぼらしい踊り子のやうに
でもそれにつれて、孤独は厚くなるばつかりです、
シイツの皺にも
夜が訪れてきたのですね、」
そのとき鏡の内部(なか)には滔々と水が流れてくる、部屋はひた
され始める」
煙草の匂ひを嗅いで過去を追想するところから、この詩は始まります。煙草がそのやうな作用をもたらすことを、15歳の少年は知つてゐたことになります。
追想でありますから、「……」といふ点線による過去の追憶が始まり、この詩が過去の時間のなかで歌はれることになります。[註3]
[註3]
「……」といふ点線の詳しい意味については、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く11: イカロス感覚2:記号と意識(1):「………」(点線)』(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post.html)を参照下さい。
それも、「ドとファが抜けた」といふ、その抜けた空虚の音が響く時差の存在する古い家の中の空間が舞台です。時刻は夕暮れである。
さて、その追想の過去の時間のなかで、この詩の話者が自分の姿を現して、作中の「あなた」に、このピアノの空虚の時差の響く空間へと誘ふように呼びかけます。この「あなた」は、「踊り子のやうに」と直喩で言はれてゐますので、顔も体も若い美しい女性なのでありませう。これを今「踊り子」と呼ぶことにして論を進めます。
また、最後の二行を読みますと、どうもこの部屋は鏡の部屋、即ち壁面四面が鏡であるか、天井も床も鏡の張つてあるか、いや、それらをひつくるめても、部屋は「鏡の内部」を持つ空間であると想像されます。
この鏡の内部を備へた空間に入ると、そこには孤独がなくなるのか、または孤独になるのか、二つに一つでありませう。
「孤独はこゝろのなかにはゐません」といふ一行を考へれば、孤独は、あたなの心の中にではなく、この部屋に「あなたをとりまくみえない帷(とばり)」としてあると読むことができます。この部屋は、「鏡の内部」ですから、この部屋の「鏡の内部」にやつて来ると、踊り子は孤独になり、踊り子は「孤独は」自分の「こゝろのなかにはゐ」ないことを知るのでせう。
「シイツの皺にも/夜が訪れてきたのですね」といふ言葉には、何か非常に性愛の気配が濃厚にあります。それ故の踊り子でもあるのでせう。
この踊り子を美しい踊り子だと仮定すると、この「鏡の内部」にゐることは、実は「孤独は」自分の「こゝろのなかにはゐ」ないことを知ることであると知れば、夜が訪れるのですから、暗闇になりますので、鏡には自分の(不変の)美しい顔や肢体も映ることはなく、自己への再帰性をみることができなくなりますから、『道成寺』の踊り子のやうに鏡の部屋の外部に出て(自分の美を時間の再帰性の繰り返しの中において)積極的に自然と和解し、美としての自己を傷つけることなく男と性愛を交わすことを決心するわけではありませんが、しかし、「鏡の内部」にゐたまま消極的に、「夜が訪れてき」てみえないベッドの「シイツの皺」の上で、男と性愛を交わす準備はできてゐるといふことになります。
何故ならば、夜が訪れると、「そのとき鏡の内部(なか)には滔々と水が流れてくる、部屋はひたされ始める」からです。即ち、このとき、この踊り子の美は、夜の水の流れ、といふことは夜の河の流れと言ひ換へてもよく、更に言ひ換へれば、夜の時間の河の流れに浸されて、その時間の再帰性(繰り返し)に身を委ねて、自分の顔の美を毀損することなく、男との性愛を交わすことができる。
これが、15歳の三島由紀夫の早熟の論理であつたのではないでせうか。
この夜の論理をひつくり返すと、『道成寺』の昼間の衣装箪笥の「鏡の内部」での、踊り子の心変わりの説明になります。何故ならば、衣装箪笥の「鏡の内部」には、夜の時間の浸潤はないからです。
清子といふ踊り子は、昼間に「鏡の内部」から外に出て、そこが夜である思つてゐる若い女であるといふことになりませう。春の季節の時間の循環、その季節のたびに咲き誇る桜もまた、これらは皆夜の季節であり、夜の桜なのです。清子の叫ぶ「春はかうしてゐても容赦なく押しよてくるんだはね。こんなにおびただしい桜、こんなにおびただしい囀(略)」といふ科白に、15歳の詩の「そのとき鏡の内部(なか)には滔々と水が流れてくる、部屋はひたされ始める」といふ言葉と同じ調子を、同じ時間といふ河の水の浸潤をみることができます。
それ故に、この劇は最後に清子が「でももう何が起らうと、決して私の顔を変へることはできません。」とふ一言で、この芝居は幕になるのです。
確かに、『孤独(『夕暮は……』ある戯曲の一節)』と此の詩の副題にあるやうに、三島由紀夫は、ハイムケールの時代の初年に当たつて、この詩の主題を戯曲に仕立てたのです。
さうして、この「孤独はこゝろのなかにはゐません、/あなたをとりまくみえない帷(とばり)です」と歌はれる鏡は、14歳の次の詩にも、やはり同じ鏡として歌はれてをります。これが、おそらくは終生変わらぬ、三島由紀夫の鏡の形象であり、鏡の概念であつたのでありませう。
その詩は、『或る朝』といふ詩です(決定版第37巻、424ページ)。
「まつ白な裾長い闊衣で
彼女は芝生を駆けて行つた。
なにかすらつとした鳥たちは
透明な肉体のまゝ、
朝霧を切つて行く。
あらゆる鬱金色の花のおもて、
すべての森や湖や、
噴水や糸杉(サイプラス)を包んで、
目に見えぬ鏡があつた。」
『道成寺』も『孤独(『夕暮は……』ある戯曲の一節)』も部屋の中の鏡ですが、この詩を読みますと、これは世界が鏡であるといつてをります。
世界は目に見えない鏡に包まれてゐる。さうして、その中にゐるものは、白い色であつたり、すらつとしてゐたり、透明であつたりしてをり、また、さうして自然を包んでゐる。
自然が鏡を包むのではなく、鏡が自然を包んでゐるそのやうな鏡、そのやうに「あなたをとりまくみえない帷(とばり)」である鏡はいつも女性と性愛と孤独と時間の再帰性(自己への、また自己の繰り返し)と、そして夜と、連鎖してゐる。
これが、鏡との関係では、14歳の三島由紀夫の世界認識でありました。
このやうに考へて参りますと、三島由紀夫にとつての自然との和解とは、鏡の世界との和解といふことになります。
即ち、自己との、自分自身との和解です。一体三島由紀夫は自己の何を赦し難いと思つたのでありませうか。
さうしてみますと、わたしの思ひ描いた『三島由紀夫の世界像』は、見えない帷としての鏡に包まれてゐるといふ世界像になります。」
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