2015年6月23日火曜日

【Eichendorfの詩122】 Nachtfeier(夜の祝祭)1810


Eichendorfの詩122 Nachtfeier(夜の祝祭)1810
  

【原文】
Nachtfeier(夜の祝祭)1810

Decket Schlaf die weite Runde,
Muss ich oft am Fenster lauschen,
Wie die Ströme unten rauschen,
Räder sausen kühl im Grunde,
Und mir ist so wohl zur Stunde;
Denn hinab vom Felsenwand
spür ich Freiheit, uralt Sehnen,
Fromm zerbrechend alle Bande,
Über Wälder, Strom und Lande
Keck die großen Flügel dehnen.

Was je Großes brach die Schranken,
Seh ich durch die Stille gehen,
Helden auf den Wolken stehen,
Ernsten Blickes, ohne Wanken,
Und es wollen die Gedanken
Mit den guten Alten hausen,
Sich in ihr Gespräch vermischen,
Das da kommt in Waldesbrausen.
Manchem füllt’s die Brust mit Grausen,
Mich soll’s laben und erfrischen!

Tag und Regung war entflohen,
übern See nur kam Geläute
Durch die monderhellte Weite,
Und rings brannten auf den hohen
Alpen still die bleichen Lohen,

Ew’ge Wächter echter Weihe,
Als, erhoben vom Verderben
Und vom Jammer, da die dreie
Einsam traten in das Freie,
Frei zu leben und zu sterben.

Und so wachen heute viele
Einsam über ihrem Kummer;
Unerquickt von falschem Schlummer,
Aus des Wechsels wildem Spiele
Schauend fromm nach einem Ziele.
Durch die öde, stumme Leere
Fühl ich mich euch still verbündet;
Ob der Tag das Recht verkehre,
Ewig strahlt der Stern der Ehre,
Kühn in heil’ger Nacht entzündet.



【散文訳】
夜の祝祭 1810

眠りが、広い一座を覆ふと
私は、よく窓辺で聞き耳を立てずにはゐられない
川といふ川の流れが下方にて潺湲たる音を立ててゐるかに
水車たちは、冷たく地中にごとごとと音を立ててゐるかに
そして、私には、いい時間なのだ;
なぜならば、巌(いわを)の縁(へり)から下を見ると
わたしは自由を感じ、太古の憧れを感じ
敬虔に、すべての束縛を破りつつ
森といふ森、川といふ川、そして土地といふ土地の上に
勇敢に、鳥の大きな両翼が延びてゐるのを感じるから。

大きなものが、数多くの制限を嘗(かつ)て壊したものが
沈黙の中を通つて行くのを、わたしは見る
英雄たちが、雲の上を行くのを見る
真剣な眼差しで、しつかりとして
そして、数々の思想が
よき古き懐かしき者たちと一緒に
住みたいと言つてゐる
その者たちの会話の中に混じりたいと言つてゐる
それこそ森のざわめきの中へと入つて行く其の会話の中に。
それは、多くの者の胸を、ぞつとする感情で満たすが
間違いなく、わたしの疲れを恢復させ、そして新鮮にするのだ!

昼と活動が飛び去つた
湖を超えて、ただ来るのは、鈴の音であつた
月の明るく照らす広がりを通つて
そして、周囲には、高いアルプスの山々の上には
静かに、蒼白の火炎が烈しく燃えてゐた。

本物の神聖な霊力の、永遠の番人たちが
絶えず、腐敗によつて高められ
そして、悲嘆によつて高められ、すると、3人の者が
孤独に、郊外へと出て行つた
自由に生きるために、そして死ぬために。

そして、今日、大勢の者たちが目覚める
その苦痛のために孤独に、
悪しき微睡(まどろ)みから癒されることなく、
交代して次々と変わる粗野な遊戯中から目覚める
ある目標を敬虔に眺めながら。
荒涼たる、沈黙の空虚を通じて
わたしは、お前たちが静かに結びき、連合してゐるのを感じる
昼間が、権利を違へて転倒させても
永遠に、栄誉の星は輝いてゐる
勇敢に、聖なる夜の中で、点火されて。


【解釈と鑑賞】

題字の横にある1810といふ数字は、1810年に書かれた詩といふ意味でありませう。

この年には何があつたものか。いづれにせよ、この詩にあるやうに、夜の祝祭を歌はねばならなかつた。

第1連の最後の行の勇敢にといふ言葉と、最後の連の勇敢にといふ
言葉は相呼応してをります。それぞれ、keck、kuehnと語彙は異なりますが。

やはり、この詩人も夜に生きる詩人なのです。

この詩は、リルケの詩と同様に、既に一つの世界となつてをり、一つの世界でありますから、そのままの感じ、そのままに覚えるのがよいのではないでせうか。


この位に言葉が象徴性を帯びると、言葉の概念が独立してゐて、生きてゐるといふ気持ちが頻りに致します。

そのことを実現するために、この詩人の必要としてゐるのは、夜、眠り、森、さやけき音、岸壁から下を眺めることのできるやうな高み、空高く飛ぶ鳥、静寂、思想、古き懐かしきもの、鈴の音、高い山々、聖なる炎、地上の上に天に輝く星々、そしてやはり夜、といふことになりませう。

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