2015年6月27日土曜日

Das Blau(青):第26週 by Ali Al-Sharqawi(1948~)



Das Blau(青):第26週 by Ali Al-Sharqawi1948~



【原文】


Das Blau

(des Meeres) wirft meine Worte zurück
wenn es der Welt unter der Haut kribbelt
wenn der Haifisch, im Liebesübermut, die Wegen durchschnellt
um überwältig zu ruhen in den Armen der Leuchtquallen
in einer Nacht, die so still ist wie die Stille des Morgens
ich aber sehne mich nach dem, as weit über das Blau
(des Meeres) hinausgeht



【散文訳】




(海の)は、わたしの言葉といふ言葉を投げ返して寄越す
世界の皮膚の下がむずむずと痒いときにはいつでも
鮫が、愛の放恣の中で、道といふ道を速く泳ぎ抜けるときにはいつでも
圧倒的に憩ふために、光の海月(くらげ)たちの腕の中で
朝の静けさのやうに静かである或る夜に
わたしは、しかし、青(海の)を超えて遥か向かうに出て行くものに
憧れるのだ


【解釈と鑑賞】


この詩人は、アラビアの詩人です。

英語のWikipedia:


これによれば、劇作家でもあります。

ネットでは、どうもよい写真が見つかりません。同じ名前で似た顔がたくさん出てきます。


鮫が、愛の放恣の中で、道といふ道を速く泳ぎ抜けるときにはいつでも

といふ一行は、鮫も性愛を交わしながら、しかし海の中の道といふ道を泳ぎ廻るのでありませう。

アラビアの詩人は、海の鮫の生態を知つてゐる。

この海は、アラビアの海なのでありませう。



Was ist die Welt?(世界とは何か?):第26週 by Hugo von Hofmansthal(1874~1929)



Was ist die Welt?(世界とは何か?):第26週 by Hugo von Hofmansthal(1874~1929)






【原文】


Was ist die Welt? Ein ewiges Gedicht,
Daraus der Geist der Gottheit strahlt und glüht,
Daraus der Wein der Weisheit schäumt und sprüht,
Daraus der Laut der Liebe zu uns spricht

Und jedes Menschen wechselndes Gemüt,
Ein Strahl ists, der aus dieser Sonne bricht,
Ein Vers, der sich an tausend andre flicht,
Der unbemerkt verhallt, verlischt, verblüht.

Und doch auch eine Welt für sich allein,
Voll süß-geheimer, nievernommner Töne.
Begabt mit eigner, unentweihter Schöne,

Und keines Andern Nachhall, Widerschein.
Und wenn du gar zu lesen drin verstündest,
Ein Buch, das du im Leben nicht ergründest.



【散文訳】


世界とは何か?永遠の詩だ
その中から、神聖の霊が光を発し、そして輝く
その中から、智慧の葡萄酒が泡立ち、そして飛び散る
その中から、愛の音(ね)が、わたしたちに話かける

そして、どの人のであれ、その人の替わり続ける情緒であり
この太陽の中から外へと破り出る一条のそれは輝きであり
千の他の詩句に編み入る一つの詩句であり
気づかれることなく、響き消え行き、光消えて、花萎(しぼ)む詩句である。

しかし、また、一つの世界といふものは、それ自体で一人なのであり
甘く秘密の決して聞き取れぬ音の数々で満ちてゐて
独自の、神聖にあること止まぬ美の才に恵まれてゐて

そして、他の誰の者でもない残響、反射光であり
そして、お前が、その中に読まうとして理解できるとしても(そんなことはないのだが)
生命の中にあって、決して、お前の極めることのない一冊の書物なのだ。


【解釈と鑑賞】


この詩人は、オーストリアの詩人です。有名な詩人であり、作家です。


ドイツ語のWikipedia:


日本語のWikipedia:



まさかホフマンスタールの詩を訳すことがあらうとは。

この詩人は、十代の終わりに知った詩人であります。しかし、読むに至らず、わたしは散文の世界の研究と探索と探検に忙しかつた。

確かに、ゲーテが『西東詩集』で歌ふやうに、人生は繰り返す。

その感、深し。

さうして、やはり、世界を一冊の書物に喩える、この歴史的伝統的な詩人がゐるのです。




2015年6月23日火曜日

【Eichendorfの詩122】 Nachtfeier(夜の祝祭)1810


Eichendorfの詩122 Nachtfeier(夜の祝祭)1810
  

【原文】
Nachtfeier(夜の祝祭)1810

Decket Schlaf die weite Runde,
Muss ich oft am Fenster lauschen,
Wie die Ströme unten rauschen,
Räder sausen kühl im Grunde,
Und mir ist so wohl zur Stunde;
Denn hinab vom Felsenwand
spür ich Freiheit, uralt Sehnen,
Fromm zerbrechend alle Bande,
Über Wälder, Strom und Lande
Keck die großen Flügel dehnen.

Was je Großes brach die Schranken,
Seh ich durch die Stille gehen,
Helden auf den Wolken stehen,
Ernsten Blickes, ohne Wanken,
Und es wollen die Gedanken
Mit den guten Alten hausen,
Sich in ihr Gespräch vermischen,
Das da kommt in Waldesbrausen.
Manchem füllt’s die Brust mit Grausen,
Mich soll’s laben und erfrischen!

Tag und Regung war entflohen,
übern See nur kam Geläute
Durch die monderhellte Weite,
Und rings brannten auf den hohen
Alpen still die bleichen Lohen,

Ew’ge Wächter echter Weihe,
Als, erhoben vom Verderben
Und vom Jammer, da die dreie
Einsam traten in das Freie,
Frei zu leben und zu sterben.

Und so wachen heute viele
Einsam über ihrem Kummer;
Unerquickt von falschem Schlummer,
Aus des Wechsels wildem Spiele
Schauend fromm nach einem Ziele.
Durch die öde, stumme Leere
Fühl ich mich euch still verbündet;
Ob der Tag das Recht verkehre,
Ewig strahlt der Stern der Ehre,
Kühn in heil’ger Nacht entzündet.



【散文訳】
夜の祝祭 1810

眠りが、広い一座を覆ふと
私は、よく窓辺で聞き耳を立てずにはゐられない
川といふ川の流れが下方にて潺湲たる音を立ててゐるかに
水車たちは、冷たく地中にごとごとと音を立ててゐるかに
そして、私には、いい時間なのだ;
なぜならば、巌(いわを)の縁(へり)から下を見ると
わたしは自由を感じ、太古の憧れを感じ
敬虔に、すべての束縛を破りつつ
森といふ森、川といふ川、そして土地といふ土地の上に
勇敢に、鳥の大きな両翼が延びてゐるのを感じるから。

大きなものが、数多くの制限を嘗(かつ)て壊したものが
沈黙の中を通つて行くのを、わたしは見る
英雄たちが、雲の上を行くのを見る
真剣な眼差しで、しつかりとして
そして、数々の思想が
よき古き懐かしき者たちと一緒に
住みたいと言つてゐる
その者たちの会話の中に混じりたいと言つてゐる
それこそ森のざわめきの中へと入つて行く其の会話の中に。
それは、多くの者の胸を、ぞつとする感情で満たすが
間違いなく、わたしの疲れを恢復させ、そして新鮮にするのだ!

昼と活動が飛び去つた
湖を超えて、ただ来るのは、鈴の音であつた
月の明るく照らす広がりを通つて
そして、周囲には、高いアルプスの山々の上には
静かに、蒼白の火炎が烈しく燃えてゐた。

本物の神聖な霊力の、永遠の番人たちが
絶えず、腐敗によつて高められ
そして、悲嘆によつて高められ、すると、3人の者が
孤独に、郊外へと出て行つた
自由に生きるために、そして死ぬために。

そして、今日、大勢の者たちが目覚める
その苦痛のために孤独に、
悪しき微睡(まどろ)みから癒されることなく、
交代して次々と変わる粗野な遊戯中から目覚める
ある目標を敬虔に眺めながら。
荒涼たる、沈黙の空虚を通じて
わたしは、お前たちが静かに結びき、連合してゐるのを感じる
昼間が、権利を違へて転倒させても
永遠に、栄誉の星は輝いてゐる
勇敢に、聖なる夜の中で、点火されて。


【解釈と鑑賞】

題字の横にある1810といふ数字は、1810年に書かれた詩といふ意味でありませう。

この年には何があつたものか。いづれにせよ、この詩にあるやうに、夜の祝祭を歌はねばならなかつた。

第1連の最後の行の勇敢にといふ言葉と、最後の連の勇敢にといふ
言葉は相呼応してをります。それぞれ、keck、kuehnと語彙は異なりますが。

やはり、この詩人も夜に生きる詩人なのです。

この詩は、リルケの詩と同様に、既に一つの世界となつてをり、一つの世界でありますから、そのままの感じ、そのままに覚えるのがよいのではないでせうか。


この位に言葉が象徴性を帯びると、言葉の概念が独立してゐて、生きてゐるといふ気持ちが頻りに致します。

そのことを実現するために、この詩人の必要としてゐるのは、夜、眠り、森、さやけき音、岸壁から下を眺めることのできるやうな高み、空高く飛ぶ鳥、静寂、思想、古き懐かしきもの、鈴の音、高い山々、聖なる炎、地上の上に天に輝く星々、そしてやはり夜、といふことになりませう。

2015年6月13日土曜日

【Eichendorfの詩121】 An…(誰某へ)


Eichendorfの詩121 An…(誰某へ)
  

【原文】
Wie nach festen Felsenwänden
Muss ich in der Einsamkeit
Stets auf dich die Bleck wenden.
Alle, die in guter Zeit
Bei mir waren, sah ich scheiden
Mit des falschen Geuztes Schaum,
Du bliebst schweigend mir im Leiden,
Wie ein treuer Tannenbaum,
Ob die Felder lustig blühn,
Ob der winter zieht heran,
Immer finster, immer grün -
Reich die Hand mir, wacker Mann.


【散文訳】

誰某へ

固い岩壁を求めるやうに
わたしは、孤独の中に
絶えずお前の方へ、眼差しを向けずにはゐられない。
総ての、良き時代の中で
わたしの側にゐた人たちが皆、別れるのを見た
間違つた幸福の泡と共に
お前は、沈黙して、わたしの苦悩の中に残つた
一本の、忠実なる樅(もみ)の木のやうに
野原といふ野原が陽気に花咲かうが
冬がやつて来ようが
いつも陰(かげ)あり、いつも青々としてゐてー
お前の手を寄越しなさい、勇敢なる男よ。


【解釈と鑑賞】

この詩は、このやうな友がゐたといふやうにとつてもよいし、さうでなくとも、この友を詩人のもう一人の自分だととつてもよいでせう。

そのやうな自己の外の他者、自己の中の他者を、樅木に喩えるといふ此のドイツの詩人の譬喩(ひゆ)から、わたしたちは、ドイツ人が此の木をどのやうに思つてゐのかを知ることができて、興味深いものがあります。

樅木は、時節にも流行にも流行り廃りにも変わることなく、そこに立つ樹木としてあるのです。しかあればこそ、わたしも樅木でありたい、勇敢なる男よ。




Liebe (1) (愛(1)):第25週 by Maria Pawlikowska-Jasnorzewska(1891~1945)



Liebe (1) (愛(1)):第25週 by Maria Pawlikowska-Jasnorzewska(1891~1945)






【原文】


Seit einem Monat sah ich dich nicht.
Nun gut. Bin schweigsamer eben,
etwas schläfrig, blaßer im Gesicht,
Doch man kann ohne Atem leben!


【散文訳】


一ヶ月来、わたしはあなたを見かけなかつたは。
わかつた、もう、それはそれでいいの。わたしは、だから、前よりも黙しがちになつてゐるのだし、何かかう眠気がするのだし、顔は前よりも蒼白であるのだし、と、だからといつて、息をせずには生きることはできないのよ!


【解釈と鑑賞】


この詩人は、ポーランドの詩人です。Wikipediaは、次のところです。ポーランド語のものしかありませんでした:



最後の!の後には、だからわたしに会つて頂戴といふ言葉が隠れてゐるのでせう。


あなたに会へば、息がつけるのだから。

ちつとも実は、

わかつた、もう、それはそれでいいの。

などとは思つてはゐないのです。

この差異に、題となつてゐる愛があるといふことなのでせう。

であれば、最後の!の後に続く言葉は、また、だうしてくれるのよ、早く来てよ、会ひたいの!という言葉になるのでありませう。

さう思はれる思はれ人たる其の男こそ、幸せな男でありませう。

しかも、この詩の題は、(1)とあるやうに、その一番目の愛の詩なのでありますから、これから(2)(3)と続くのでありませうから、尚一層に。



2015年6月6日土曜日

Der Löwe. Der Fuchs (獅子と狐):第24週 by J.W.L. Gleim(1719~1803)


Der Löwe. Der Fuchs (獅子と狐):第24週 by  J.W.L. Gleim(1719~1803)






【原文】


Herr Löwe, sprach ein Fuchs, ich muss es dir nur sagen, mein Verdruß hat sonst kein Ende. Der Esel spricht von dir nicht gut; er sagt, was ich an dir zu loben fände, das wüst' er nicht; dein Heldentum sey zweifelhaft; auch gäbst du keine Proben von Großmut und Gerechtigkeit; du würgtest ohne Unterscheid, er könne dich nicht loben.
En Weilchen schwieg der Loewe still, dann sprach er: Fuchs, er spreche, was er will; denn was von mir ein Esel spricht, das acht ich nicht!


【散文訳】


獅子殿、と狐は言つた、わたくしはあなたには唯かういはねばならないのです、さもなければ、わたしの不愉快は収まらないものですから。驢馬があなたについて良く言はないのです。驢馬の言ふには、わたしがあなたについて褒めるところは、自分はさうは思はないといふのです。あなたの英雄的精神は疑はしい、またあなたは、勇猛心と正義を試すこともない、あなたは誰彼の区別差別をせずに絞め殺す、だから驢馬はあなたを褒めることはできない、とさう言ふのです。
少しの間、獅子は静かに沈黙し、かう言つた:狐よ、驢馬は自分の言ひたいことを言はせてをけ。といふのは、一頭の驢馬如きがわたしについて言ふことを、そんなものに注意を払ふことはしないのだ!(そんなことは、どうでもいいのだ!)



【解釈と鑑賞】


この詩人は、ドイツの詩人です。Wikipediaは、次のところです:


これは、イソップ物語と同じで、動物を立てて人の世を言ふといふ趣向の詩でありませう。

この詩に何を読むか、どのやうに寓意を読み取るかは、あなた次第といふことになります。


【Eichendorfの詩120】 Klage(嘆き)1809



Eichendorfの詩120 Klage(嘆き)1809
  

【原文】

Klage
1809

O könnt ich mich niederlegen
Weit in den tiefsten Wald,
Zu Häupten den guten Degen,
Der noch von den Vätern alt,

Und dürft von allem nichts spüren
In dieser dummen Zeit,
Was sie da unten hantieren,
Von Gott verlassen, zerstreut;

Von fürstlichen Taten und Werken,
Von alter Ehre und Pracht,
Und was die Seele mag stärken,
Verträumend die lange Nacht!

Denn eine Zeit wird kommen,
Da macht der Herr ein End,
Da wird den Falschen genommen
Ihr unechtes Regiment.

Denn wie die Erze vom Hammer,
So wird das lockre Geschlecht
Gehauen sein von Not und Jammer
Zu festem Eisen recht.

Da wird Aurora tagen
Hoch über den Wald hinauf,
Da gibt's was zu singen und schlagen,
Da wacht, ihr Getreuen, auf.



【散文訳】

嘆き
1809


おお、わたしは身を横たへることができれば
遥かに、最も深い森の中へ
数多くの首級のある場所で、佳き剣(つるぎ)を下に置くことができれば
父祖伝来の、古い剣を

そして、この愚かな時代の中で
全てについて何も感知する必要のない其の剣を
父祖たちが、あの下界で、神に見放されて、散りぢりになりながら
取り扱ふてゐる全てについて何も感知する必要のない其の剣を

君侯の、王者の数々の行ひと成果に見放された其の剣を
古い名誉と荘厳に見放された其の剣を
さうして、魂が、夢うつつに時を過ごしながら
この長い夜を強めてくれるもの(剣)を!

といふのは、或る時代が必ずや来るのであり
すると、主は決着をつけて終はりにするのであり
すると、悪い偽善どもから
その到底(とうてい)本当ではない支配が取り上げられるのだから。

といふのは、鉱石が、槌(ハンマー)によつてさうなるやうに
従順な種族は
その苦難と嘆きによつて、打ち込まれ、切り込まれて
硬い鉄に、正(まさ)しく、なるのだから。

すると、そこに、オーロラの日が明けて
高く、森の上へと明けてゆくことになるのだ
すると、そこに、歌い、太鼓を敲(たた)くべきものが生まれ
すると、そこで、お前たちの忠実なる臣下たちが、目覚めるのだ。


【解釈と鑑賞】

この詩の題名に年代が書かれてゐて、この歳は、この詩にあるやうに、何か苦難の、最悪の歳であつたのでありませう。さうして、時代がまた、そのやうな苦難の時代でもあつた。

この詩は此のまま、今の世にも歌はれ通じる詩であるやうに思はれます。

第一連の、

数多くの首級のある場所で、佳き剣(つるぎ)を下に置くことができれば

とある此調子は、誠に凄惨な感じがゐたします。しかし、これがあいヒェンドルフの実感なのでありませう。この戦さの剣を森の中で、自らが挙げた数々の首級のもとで、下に置くとは、その戦ひが終わつたといふことを意味してをりますが、未だ其の時ではないのです。

さうして、そのやうな敵と戦ふ剣は、父祖伝来の剣(つるぎ)である。

となれば、古き佳き時代のドイツの習俗が、精神が、なほざりにされてゐた時代なのでありませう。

第2連も第3連も、すべて此の剣に関係して文法的にも掛かつてゐるのです。それほどに、アイヒェンドルフは、この剣を歌ひたかつた、歌はねばならなかつた。

最後の連の、

お前たちの忠実なる臣下たち

とある此のお前たちとは、その前の連で、従順な種族と呼ばれてゐる種族の者たちといふ意味です。

この従順なと訳したドイツ語のlockといふ形容詞は、狩りの用語です。

狩りの世界で従順なといふ形容詞を冠せられるのは、猟犬でありませう。神の猟犬に、この詩人は其の種族を擬してゐるのです。

第一連にあるやうに、この戦ひは未だ終はつては全然ゐないのです。それ故に、接続法II式で、その最初の一行が始まり、延々と剣についての形容が続くのです。それでけに、この長い形容には、この詩人の思ひが籠つてゐることがわかりませう。