2011年7月30日土曜日

Letzter Sommer(最後の夏):第31週

Letzter Sommer(最後の夏):第31週

by Rolf Bossert (1952 - 1986)


【原文】

Das Maul is faul
Im Sonnenschein.

Die Zunge
ist ein heisser Stein.

Das Ohr haengt
den Geraeuschen nach.

Mal schlaeft das Hirn,
mal ist es wach.


【散文訳】

人間の鼻面は
太陽の光の中で怠惰だ。

舌は
一個の熱い石だ。

耳は、雑音に
耳傾けている。
時には、脳が眠り、
時には、脳は弱い。


【解釈】

この詩人は、わたしと同じ歳に生まれた詩人だ。

そうして、この詩人が先に死に、わたしは生きているということは、説明がつかない不思議なことだ。

わたしは父の死の歳から10年今余計に生きているが、これも説明がつかない不思議なことだ。

(父の死は、わたしの思想と人生に、深い影響を与えた。トーマス・マンにとっての、父親の死と同じように。)

生きているということが不思議である。

そうして、死ぬということも説明がつかない不思議なことだ。

ドイツ語のWikipediaがあります。

http://de.wikipedia.org/wiki/Rolf_Bossert

このひとの写真が、Googleの画像検索でみることができます。

http://goo.gl/JAlxB

今、この詩をあらためて読むと、その題名の解釈にはふたつあり、

1.ひとつは、去年の夏という意味での、最後の夏、あるいは最近の夏、最も過去において今に近い夏という意味の夏、
2.もうひとつは、これが最後の夏であって、もうこの後は、あるいはこれ以外にはこのような夏はなかった、ないという意味の、夏。

そのようにして、この詩の本文を読むと、人生の夏、人生の最後の、典型としての夏とも読める。つまり、毎年繰り返される夏ではない。

また、この詩は、各連が、体のパーツ(部分)を主題にしているので、身体を中心に考えたときの、その人間というものの夏、という解釈もできる。

つまり、いづれの場合にも、時間の中で変化する、毎年来る夏ではない。

逆にいうと、変化しない、繰り返さない夏だ。

しかし、夏とは、時間の中での盛りの季節である筈ですから、またそうであるが故に、題名には、最後の、Letzt、Last(英語ならば)という形容詞を冠して、時間の流れを止めたとういうことなのでしょう。

何故か、この詩人の、この詩のセンスには、全然派手ではなく、むしろ逆の趣きですが、惹かれるものがあります。

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