リルケの『形象詩集』を読む(連載第7回)
『飾り彫りのある柱の歌』(『Das Lied der Bildsäule』)
~リルケ・戯曲『石の語る日』・大坪都築・ラジオドラマ『棒になった男』・小説『S・カルマ氏の犯罪』~
【原文】
Wer er ist es, wer mich so liebt, daß er
sein liebes Leben verstößt?
Wenn einer für mich ertrinkt im Meer,
so bin ich vom Steine zur Wiederkehr
ins Leben, ins Leben erlöst.
Ich sehne mich so nach dem rauschenden Blut;
der Stein ist so still.
Ich träume vom Leben: das Leben ist gut.
Hat keiner den Mut,
durch den ich erwachen will?
Und werd ich einmal im Leben sein,
das mir alles Goldenste giebt, -
————————————————-
so werd ich allein
weinen, weinen nach meinem Stein.
Was hilft mir mein Blut, wenn es reift wie der
Wein?
Es kann aus dem Meer nicht den Einen schrein,
der mich am meisten geliebt.
【散文訳】
それはだれであろうか?、わたしをかくも愛するがために、
自分の愛(いと)しい生命を撥(は)ね付け、退(しりぞ)ける者は。
誰かがわたしのために、海の中で溺れ死ぬならば
わたしは、石から帰還するのだ
生命の中へ、生命の中に入って、わたしが救われるのだ。
わたしは、さやけき音を立てて流れる血に憧れる
石は、かくも静かだから。
わたしは、生命を夢見る。即ち、生命は、良いものだ。
勇気のある者は、誰もいないのか?
その勇気を通り抜けて、わたしが目覚めたいと思う其の者は。
そうして、わたしは、いつか生命の中にあることになれば、
わたしに最も金色(こんじき)のもの総てを与える生命の中に、
――――――――――――――――-
さすれば、わたしは独りで
泣いて、泣いて、わたしの石を求めて泣くことになる。
わたしの血が、何になろう?、もし血が熟するのであれば、
葡萄酒のように。
血は、海の中から外へとは、唯一者を大声で呼出すことはできない。
わたしを、一番愛した唯一者を。
【解釈と鑑賞】
前の詩が乙女という未分化の実存にいて、騎士という旅する男との背理的な関係についての詩でしたので、この詩でも引き続き、そのような乙女を愛する詩人の、生との関係にある境涯についての詩となっています。
リルケは、このような連想の繋がりを大切にして、詩を配置します。これによって、互いの詩の間に関係が生まれて、詩集として全体のまとまりをなすのです。
この詩の詩人は、石でできた柱の中に棲んでいる、浮き彫り(レリーフ)の像のひとつなのです。その石の中の、本来は生命のある筈のない像が、言葉を発している。
第1連では、この石に棲む詩人を愛するが余りに、自分が海に沈んで、溺死するものは、誰かと歌っています。海とあるのは、石は水に重く、海に沈むからでありましょう。
さすれば、その人の命を代償にして、この詩人は石の中から、この世の生命の世界へと帰つて来ることができるというのです。そうして、そのことによって、詩人の命は救われる。
第2連では、それほどに、生きた生命の此の世界で、自分の体に血の流れることを憧れることが歌われております。
Rauschen(ラオシェン)という音は、既に『リルケの『形象詩集』を読む(連載第3回)/ハンス・トマスの60歳の誕生日に際しての二つの詩』』の二つの詩のうちの最初の『月夜』という題の詩で、説明した通りです(もぐら通信第34号)。この成熟というリルケの言葉の意味(正確には概念)について、次のように書いたことを再度引用して、その含蓄を味読致しましょう。
「さて、「さやけき音」と訳した此のドイツ語では、rauschen、ラオシェンと発音される言葉の説明を致します。何故ならば、この言葉と此の発声の音は、ドイツ人にとっては、大変神聖な尊い言葉であり音であるからなのです。
どの詩人の詩を読んでも、このrauschen、ラオシェンという言葉が出てくると、それだけで一つの世界が生まれるのです。この音は、ドイツの森の中で樹木の葉擦れの音であり、自然の中を流れる潺湲(せんかん)たる川の流れの音なのであり、何か神聖性を宿している事物の立てる音だと詩人が思えば、そこに其のような神聖なる事物として存在が現れるのです。勿論、詩のみならず、散文の世界でも同様です。ドイツ人は何かこう、自然の中で閑(かん)たる中にささやかに響く、何か神聖な感覚を、この言葉と其の響きに、持っているのです。
わたしたち日本人の世界の言葉で言えば、さやさや、さやけさ、皐月(さつき)の此の五月の月の「さ」、早乙女の「さ」に当たるような神聖なる音なのです。この「さ」の音を、そっとあなたの口から息とともに発声してみると、あなたは安部公房スタジオの一員になることができるでしょう。」
これに対して、石の中は森閑として静かである。
最後の連の
「さすれば、わたしは独りで
泣いて、泣いて、わたしの石を求めて泣くことになる。
わたしの血が、何になろう?、もし血が熟するのであれば、
葡萄酒のように。
血は、海の中から外へとは、唯一者を大声で呼出すことはできない。
わたしを、一番愛した唯一者を。」
という言葉をこうして読み解いて参りますと、
わたしという詩人を自己の死と引き換えにするほどに愛してくれるのは、唯一者なのであり、この唯一者が海に溺れて、石の中の静寂に棲む詩人を生命の中へと救済してくれるのでありましょう。
リルケは、安部公房の大好きだった『秋』という詩でも、神(Gott、ゴット)とは呼ばずに、唯一者(Einer、アイナー)と呼んでおりますので、これはやはり、Gott(神)ではなく、何かある者、それも最初の文字を大文字で書き表すに足る唯一の者であり、その意味では絶対の者でありましょう。[註1]
[註1]
安部公房の大好きであったリルケの『秋』という詩です。傍線筆者。
「秋
数々の葉が落ちる、遠くからのように
恰(あたか)も、数々の天にあって、遥かな数々の庭が凋(しぼ)み、末枯 (すが)れるか
の如くに
葉は、否定の身振をしながら、落ちる
そして、数々の夜の中で、重たい地球が落ちる
総ての星々の中から、孤独の中へと。
わたしたちは皆、落ちる。この手が、落ちる。
そして、他の人たちを見てご覧 落ちるということは、総ての人
の中に在るのだ。
そうして、しかし、この落下を、限りなくそっと柔らかく、
その両手の中に収めている唯一者がいるのだ。」
さて、唯一者が海で溺れ死んだとして、わたしはどうなるのでありましょうか。
「さすれば、わたしは独りで
泣いて、泣いて、わたしの石を求めて泣くことになる。」
というのです。
「わたしの血が、何になろう?、もし血が熟するのであれば、
葡萄酒のように。」
という二行の意味は、こうしてみれば、血は葡萄酒のように成熟するのであり、成熟するとは、同様に上で述べた『月夜』という題の詩では、この成熟というリルケの言葉の意味(正確に言えば概念)は、次のようなものでした(もぐら通信第34号)。
「この最初の一行で、大事なことは、月が熟しているということなのでありました。これは普通の言い方をすれば、その月は満月でありましょう。しかし、リルケは満月という月並みな言葉は使わずに、成熟した月というのであり、この成熟の月は、上でみた性的な感覚を含んで、尚且そのそのような月の中に、夜があるという此の順序なのです。普通ならば、夜の中に月が浮かんでいると歌うことでありましょう。ここでも、リルケは、普通の順序である筈の内部と外部を交換しているのです。
そうして何故この交換が可能であるのか、即ち何故夜の方が、月の光の中に在ることが可能であるのか、その理由は、月に掛かる形容詞である「熟している」という此の形容詞に拠っているのです。
『形象詩集』にあるreif(ライフ)、日本語で熟する、熟しているという形容詞と、reifen(ライフェン)、熟するというreifに関連する動詞を探しますと、これらの言葉を含む詩は、以下の通りに全部で8つ出て参ります。既に、最初に読みました『入口』という詩にも確かにreifen(熟する)という動詞が出ておりました。以下、これらの8つの語と其の詩の名前を列挙してから、その先へと解釈を進めます。
1。『Eingang』(『入口』)
2。『Das Lied der Bildsäule』(『飾り彫りのある柱の歌』)
3。『Abend』(『夕暮』)
4。『Verkündigung Die Worte des Engels』(『布告 天使の言葉』)
5。『Die heiligen drei Könige』(『神聖なる三人の王』)
6。『Das jüngste Gericht aus den Blättern eines Mönchs』(『ある僧侶の手紙の中からの最後の審判』)
7。『Der Sohn』(『息子』)
8。『Die Blinde』(『盲目の女』)
これら8つの詩に歌われてある成熟という言葉の意味を列挙すると、次のようになります。
1。沈黙の中に成熟はあること。言葉は沈黙の中で熟すること。(『Eingang』(『入口』))
2。石でできた彫像の人物像の体の中に血液の流れへの憧れがあつて、それは葡萄酒のように熟成していること。そして、その像を愛する生きた人間がいて、その人間が海に没して死ぬようなことがあれば、石の体を脱して、生命の中に蘇り、救済されること。葡萄酒の成熟とは、沈黙する彫像のこのような思いであること。(『Das Lied der Bildsäule』(『飾り彫りのある柱の歌』))
3。夕暮れに、その人間の生命が不安であり巨大であり成熟するままに委(まか)せておくと、生命はその人間の中で石になる、そのような成熟であること。『Abend』(『夕暮』)
4。その人間の両手は祝福されてあり、その祝福された両手は、女性の手を借りずに成熟して、(衣服の)縁(へり)の中から外に出てきて輝く、そのような成熟であること。そうして、そのような成熟した両手を持つ人間の私(一人称)は、天使が日であり露であるのに対して、樹木であること。(『Verkündigung Die Worte des Engels』(『布告 天使の言葉』))
5。聖母マリアがイエス・キリストを産む其の厩(うまや)に来る三人の王たちは、その長い(羊飼いのするような)旅の途上で其々(それぞれ)の支配している成熟した王国を喪失する其のような成熟であること。そして、その喪失は聖母マリアのような聖なる女性の胎内で起きること。(『Die heiligen drei Könige』(『神聖なる三人の王』))
6。その人間の成熟した愛を、光の中から生まれる朝は決して創造しないこと。同様に叫び声からは、成熟した愛は生まれないこと、さやけき音、さやさやという音、川の水音ならば潺湲(せんかん)たる流れの音から成熟した愛は生まれること。(『Das jüngste Gericht aus den Blättern eines Mönchs』(『ある僧侶の手紙の中からの最後の審判』))
7。雌馬は早朝の露の中で強くなり、そのように在る雌馬の血管の中には力と高貴が眠っていて、この馬は騎乗者が乗ることによって其の重さを成熟させる其のような成熟であること。(『Der Sohn』(『息子』))
8。世界は、事物、物の中で花咲き成熟すること。(『Die Blinde』(『盲目の女』))
これらを一連なりにすれば、成熟は、沈黙の内部にあり、石像の内部の像の持つ生命への思いにあり、自己の命を投げ出す誰かの無償の愛によって救済されるという願いであり、縁(周辺)から輝き出る両手(安部公房の大好きだったリルケの『秋』という詩に歌われている、落下するすべてのものを優しく受け止める唯一者(神)の両手))であり、その両手を持つ人間は樹木であり、神聖なる存在の誕生の祝福のために所有する王国の喪失を代償とする其のような王の手にするものであり、聖なる女性の胎内で起こるものであり、それは夜に在る愛であり、さやけき音の内部から生まれる愛であり、雌馬が騎乗者の重さを成熟させることなのであり、事物の内部で世界が熟する其の成熟である、という意味になるでしょう。」
上の列挙した中で、この詩に一番当てはまるのは、
「3。夕暮れに、その人間の生命が不安であり巨大であり成熟するままに委(まか)せておくと、生命はその人間の中で石になる、そのような成熟であること。『Abend』(『夕暮』)」
という生命と石と成熟の関係でありましょう。
従い、
「わたしの血が、何になろう?、もし血が熟するのであれば、
葡萄酒のように。」
という二行の意味は、血がそもそもそのように人間の中で石になるわけですから、これは、やはり「わたしの血」だと主張しても、それはなるべくしてそうなるわけですから、今単に憧れて、生命の中へと入ることを願っていても、いづれは同じになるという意味になります。
従い、血がそのような定めになっているからには、
「血は、海の中から外へとは」、「わたしを、一番愛した唯一者を」大声で呼出すことはできない」のです。
リルケの海は、それだけで存在する再帰的な存在ですから、即ち、海の水は決して別れることがなく、また別れても再び必ず一つになる、1になる、即ち存在でありますから、さうしてこの概念と形象を安部公房はそのまま受け入れて自己のものとなし、後々の小説(『洪水』『水中都市』その他)や安部公房スタジオの舞台(『水中都市』)に生きるわけですけれども、そこで溺れて死ぬことになる唯一者の形象こそは、リルケと安部公房の共有した詩人の像なのであり、自己の死によつて、生命が蘇えり、宇宙が賦活され、世界が蘇生するという詩想なのです。
してみると、
「わたしの血が、何になろう?、もし血が熟するのであれば、
葡萄酒のように。」
という此の二行の意味は、詩人はいづれは其の血が成熟して石になるのであるから、海に沈むことは必定、それは詩人の運命なのであり、そうであるならば、やはり、「血は、海の中から外へとは」、「わたしを、一番愛した唯一者を」大声で呼出すことはできない」のです。
ここでもまた、従い、わたしと唯一者とは、再帰的な関係にあることが歌われております。
さらに、そうすれば、「血は、海の中から外へとは」、「わたしを、一番愛した唯一者を」大声で呼出すことはできない」とは、詩人であるわたしは、石の浮き彫りの姿で静寂の時間の無い世界にいて、既に唯一者の名前を沈黙の中に呼び出すことのできる者であるという意味になりましょう。
もし些か図式的な、解りやすい言い方をしてみれば、石に棲む詩人は実存の者(未分化の実存)、海は存在であり、海に没して溺れ死んだ唯一者は、他者の命のために自己を犠牲にしてまでして存在になった実存者であるということができましょう。これは、安部公房のあらゆる作品の主人公のこころの根底にある考えかた、無償の、無名の人間の生き方です。
さて、従いまた、そうして、詩人と唯一者は二つの者ではない。
海がそうであるように、もし石が安部公房の小説に出てきたら、それは此のリルケの石であり、存在(海)を思っているのです。
リルケの石の中に一人静寂の空間にいる詩人と生命と海と没落(海に沈んで溺死すること)と救済のことが、その根底にあるのです。
今全集の第30巻で検索をして、石の文字のある題名の作品を探しますと、1960年の小説『石の眼』、同じ年の戯曲『石の語る日』があります。これらも、このリルケの詩の詩想の構図を根底に置いて展開した作品だということができるでしょう。例えば、後者の最後の合唱を:
「大内 その日まで
人々は石のように
孤独だった。
合唱 自分が 石であったために
他人までが 石にみえ
それで自分は
一人だと思っていた
大内 しかし
一つの石が
もはや石ではないことが分かったとき
合唱 自分も
石の呪縛から解放される
石から解きはなたれた人間の
その輝かしい頬の色
大内 石の外にあったものが
石になり
石がもはや
石でなくなった今日
合唱 僕らはもう一人ではない
僕らはもう一人ではない
闘いに
もはや
敗北はありえない
(登場人物全員現れ大合唱となる。スライド、国会をとり囲む大群衆となる)
全員 石の外にあったものが 石になり 石がもはや 石でなく
なった今日 僕らはもう一人ではない 僕らはもう一人で
はない 闘いに もはや 敗北はありえない」
安部公房の前期20年は、小説家としては『終りし道の標べに』以来、社会と存在の関係をどう考えるかに苦しんだ時代ですから、そうしてみれば、この合唱とはいえ、詩というべき此の歌の意味は明らかでありましょう。
リルケの詩にあるようには、石に対するに海はありませんが、それがここでは存在としてあるべき筈の社会であるのでしょう。しかし、海に溺死する唯一者である筈の登場人物の自己を、安部公房は一体どのように救済したのか。
安部公房が、この作品を書いたのは1960年10月26日。日本共産党を除名されるのは、翌年1961年9月6日。ほぼ1年後です。
19歳の安部公房がエッセイ『〈今僕はこうやって〉』でリルケに教わって認識するに至った動態的な外部と内部の交換が復活し、蘇生して、息を吹き返すまでに、さうして、詩人が唯一者として砂の海(存在)に没して、溺死して、自己を恢復するまで、即ち1962年6月8日の転回的傑作『砂の女』、即ち社会的関係の中に明確に存在を求める決意をした此の傑作が書かれるまで、この作品迄あと2年。
安部公房全集をみますと、安部公房は生涯に二つの弔辞を読んでおります。
一つは、勿論存在の中での師として仰ぎ、存在の中で師弟の礼をとった石川淳のための弔辞[註2]、もうひとつは、大坪都築というラジオ・ドラマの世界で一緒に仕事をした友人のための弔辞です。
後者は、次のようなものです(全集第17巻、287ページ)。傍線筆者。
「弔辞-–-大坪都築追悼
君の死は、私にとっても、単に身近な友人の死という以上の大きな出来事でした。私もまた君によって、ラジオの世界の本当の面白さを教えられた一人だったからです。君に演出してもらった「棒になった男」いらいラジオは私の仕事のなかの、かけがえのない重要な部分になりました。それにつけても、悔やまれてならないのは、あれ以来、君と一緒に、ほとんど仕事らしい仕事をしていないことです。たぶん、私たちが、互いに尊重し合いすぎていたせいかもしれません。それほど、君の死もまた、耐えがたく重いものでした。いま、君と最後の別れを告げるにあたって、私は、大きな支柱が一本折れてしまったような不安と虚ろさをおぼえずにはいられません。
しかし、これだけは約束できるように思うのです。君の残した仕事は、ながくラジオの世界に生きつづけることでしょう。生きることは死ぬことよりも難しいといわれますが、とりわけ困難なこの時代を、君は見事に生きたのです。生死の貸借表のうえでは、君はいまなお、生きつづけているというしかありません。私たちは、まだここ当分君のことを、生きている者のように語りつづけることでしょう。
昭和三十八年八月五日」
わたしは、この弔辞の「しかし、これだけは約束できるように思うのです。」という転調の言葉の調子に、十代の安部公房が、成城高校時代の哲学談義を交わした親しき友、中埜肇に宛てた手紙の調子を感じます。
この友人は、間違いなく、『棒になった男』のラジオドラマ化をするに当たって、安部公房に何か、十代の表立って詩人の時代のことに触れていた友人であったのでしょう。
この友人への弔辞には、石川淳の弔辞のような、存在に関係する安部公房の典型的な語彙と形象の言葉は現れてはおりませんが、この友人はもし仮に(仮にです)言えるとしたら、それは、存在の中の友人(安部公房の論理ではこのような友人は遠く遥かに離れている以外にはあり得ませんが、そうだとしても)といいえるかも知れないという程の、身近にいた、大切な友人であったのでありましょう。
そうして、この1950年代の後半の時期に、ラジオ・ドラマは、それほどに安部公房にとっては大切な領域の仕事であった。
この弔辞を読んで判ることは、次のようなことです。
1。この友人がそのような友人であったということ。
2。ラジオドラマ『棒になった男』は、安部公房にとって、詩の世界を思わせるような科白の劇の世界であったということ。
3。やはりここでも、安部公房は人間の生死を「貸借対照表」と言っているように、正と負で数学的に、しかし譬喩(ひゆ)として、従い詩的に、考えていること。この友人との関係を、詩の世界との関係で考えていること。[註3]
[註2]
『奉天の窓の暗号を解読する(後篇)』(もぐら通信第33号)より、該当部分を引用します。
「[註41]
これらのことを考えて参りますと、安部公房の師、石川淳の葬儀の場で安部公房の読んだ弔辞の、次の言葉が思い出されます。この弔辞に使われている語彙は、この論考をここまで書いて参りますと、実に安部公房好みの語彙が選択されており、その世界に石川淳を、いつもの陰画の呪文を唱えて結界を張り、蘇生させて、呼び出したいという安部公房の強い思いが伝わって参ります。
そうして、ここで石川淳との関係を深海の中での関係として述べていることは、そのまま『無名詩集』の(既にこの論考で読んだ)『心』や、同じ詩集の『防波堤』や『孤独より』の「其の七」という詩や、『水中都市』や『第四間氷期』や、安部公房スタジオの『イメージの展覧会』の布(存在)や『水中都市(GUIDEBOOK III)』の布(存在)や『人命救助法』の水(存在)の形象(イメージ)や『S・カルマ氏の犯罪(GUIDEBOOK IV)』の砂漠(存在)、即ち裏返しの海(存在)の形象や『仔象は死んだ(イメージの展覧会)』の布(存在)で安部公房が表現した存在の中での師弟関係であったといっているのです。
これは、すべてリルケに学んだ存在という概念なのです。何故ならば、海の水は、どんなに物に衝突して離れても、また向こう側で必ず一つになるもの、即ち存在であるからです。([註12]の提灯や入籠構造を備えた器であなたに示した言語の形象を思い出して下さい。)リルケが同じ性質を有するものとして褒め称え、荘厳した存在に、風があり、人間の風である息があり(息が機縁となって人間の内部と外部が交換されるから)、動物としては、空を飛ぶ鳥と其の鳥の群れがあります。これらに共通していることは、分かれ別れても一つになるということなのです。それから、植物、循環して生き、垂直に成長して無時間の空間を生きる植物である木や花が、風と同様に、リルケの純粋空間に生きる生き物なのです。自然がそうであり、動物や植物がそうであれば、一体人間はどうなのでしょうか。存在としての人間が、即ち繰り返し循環しながら無時間の純粋空間に果てしなく垂直に成長して行く存在である人間がいるのではないでしょうか。それが、すべての安部公房の主人公たちなのです。リルケが『オルフェウスへのソネット』で歌った神的な青年、即ち自己を喪失して刻一刻果てしなく変身を続けて存在の中に隠れ続けて、誰にも知られることのないオルフェウスのような(垂直方向に樹木のようにいつまでも成長し続ける)存在が、即ち差異(時間の無い純粋空間)に棲む人間たちが、すべての安部公房の主人公たちなのです。
こうしてみますと、安部公房がリルケに学んだ存在の概念は誠に深く深く、安部公房のこころに生きております。
さて、長くなりましたが、存在の中での師弟関係を読んだ、安部公房の弔辞です。傍線筆者。
「 いわゆる弔辞をのべるつもりはありません。弔辞というものは、ナメクジにかける塩のようなものです。危険なもの、不穏なものを消してしまうための呪文にすぎません。
石川さんには危険で不穏な存在のままでいてほしい。石川さんが亡くなったという実感がまるで湧いてこない、この気分をそのままに維持しておきたいのです。文壇という村構造に異議申したてをつづけ、潜水作業中の孤独な作家に酸素を送る仕事を引き受けた石川さんになお休息は許されない。石川さんのポンプから送られてくる救命用酸素を待つ者はいまなお跡を絶たないのです。
ぼくも石川さんの救命ポンプに救われ、はげまされた一人です。(略)
(略)あるべき表現を「精神の運動」と言いきった石川さんは、孤独な深海作業者のための命綱であっただけでははなく、自分自身もまた孤独な深海作業者だったのです。
そして救命ポンプは現に作動中です。
一九八八年一月二二日
安部公房」」
[註3]
安部公房は初期の名作『名もなき夜のために』(1948年)で、同様の考えを、次のやうに書いてをります(安部公房全集第1巻、553ページ)。
「(略)気をつけて見れば、どんな傷からでも、生と死を含めた全存在の傷が成長するのに気づくはずだ。これが貧しい僕にはせい一杯の贈物であるらしい。
そしてもしそれが役立つものだとすれば、負数の時間を歩むことは丁度人間が胎児のあいだに生物の全歴史を繰返すように、すべての人に繰返される物への復帰の道だと考えてみたらどうだろう。死は生の終わったところにあるのでなく、その二つは常に等量に保たれていてそのあいだの振幅が現世であるように、正数の時間は等量の負数によって僕らを絶えず脱皮させるのではないかと……。この負数の道が、物への没落が、単に傷つき破れた少数のものだけの道ではなく、実に人間そのものが大きな傷であり、その道だと考えるのはもう傷ついたものの自己弁護になってしまうであろうか。僕は知りたい。ものに落ちてゆき、あるいは高まった人びとの叫びが、もう現世にはどどまり得ぬ儚いものにすぎなかったか、ほんとうに現世にとどまることがなかったか?そして反省や疑いや批判や、または嘲りや自虐がもうついて来られぬほど深い物の世界を予感し、無名になった部分だけであえてその中へ落ち沈み、融け去り、いままで自己の外部だとおもっていたものが、突如自分自身であることを主張しはじめるのに驚いた人の、例えば詩人たちの声が、ほんとうに傷ついた人びとの心を覆ってやる力を持たなかったかどうか、知ってみたい。」(傍線筆者)
戯曲『石の語る日』から小説『砂の女』までの此の二年間の距離を縮めることに預かって力のあったのが、全く誰によっても論ぜられることがありませんが、この大坪都築という友人であり、この親しき友人との共同で制作したラジオ・ドラマ『棒になった男』(1957年)であるのです。
さて、しかし、話をまだ此の『石の語る日』という戯曲に焦点を当てて考えますと、この戯曲の最後の合唱には、はや次の通り、安部公房の詩が再び芽吹いております。それは、全員の合唱という形式で、次の詩を歌うからです。
「石の外にあったものが 石になり 石がもはや 石でなく
なった今日 僕らはもう一人ではない 僕らはもう一人で
はない 闘いに もはや 敗北はありえない」」
この最後尾におかれた詩には、奉天の安部公房が恐らくは一桁の学齢のときに書いた『夜』と題した「クリヌクイ クリヌクイ」と繰り返す呪文の言葉と同様の、この詩の同じ言葉の繰り返しの間(ま)、その隙間にある一文字分の空白のあることが、それを物語っております。
この最後の合唱の詩から、『砂の女』の中で砂の女が歌う、
「ジャブ ジャブ ジャブ ジャブ
何んの音?
鈴の音
ジャブ ジャブ ジャブ ジャブ
何んの声?
鬼の声」
(『砂の女』全集第16巻、156ページ)
という、差異を設けて存在を招来するための呪文の繰り返しの此の詩まで、もう距離がほとんどないということができます。
もう一度、この一文字分の空白が、詩人である安部公房にとってどんなに必須であり不可欠であり本質的なものであったかを、『奉天の窓の暗号を解読する(後篇)』(もぐら通信第33号)より引用して、記憶を新たにしたい。
「[註38]
ここまで来ると、もうこの『砂の女』の前身の短編小説の題名が『チチンデラ ヤパナ』という題名であって、「チチンデラ」と「ヤパナ」という二つの名詞の間に一文字の空白のあることから、これは安部公房の呪文なのであり、この呪文を唱えて登場するニワハンミョウ(Cicindela Japana)が、主人公のためであるばかりではなく、読者のあなたのための案内人であることも、この案内人が導く先の砂の穴が、差異に存在する存在であることも、その女が存在の女であり、『燃えつきた地図』の窓(奉天の窓)の向こうの部屋(存在)の中に存在する依頼人の女と同じ性質の女であることも、よく得心が行くことでしょう。
この作品の題名に安部公房が暗号化して隠した作品は、他にも探すと出て参り、そのこころが解ります。例えば、この一連の表通りの作品群とは少し時間が相前後致しますが、1950年代の後半、1957年に発表したラジオ・ドラマ『キッチュ クッチュ ケッチュ』という児童向けのシナリオの此の題名にも、安部公房がマルクス主義と日本共産党という閉鎖空間から脱して、再度自分の小説家としてのスタートラインである『壁』所収のシュールレアリズムのあの軽い文体、即ち形象(イメージ)だけがあって、言葉そのものに意味という実体のない文体を再興しようとして其のように名付けた安部公房のこころが、よく解ります。『キッチュ クッチュ ケッチュ』という呪文を唱えて、マルクス主義と日本共産党に奪われた自己と子供のこころを蘇生させようとしたのです。実際に此のドラマは、子供が空を飛び、様々な冒険を重ねる『S・カルマ氏の犯罪』や『バベルの塔の狸』と同様のシュールレアリズムの作品になっています。
また、このようにして『チチンデラ ヤパナ』が学名の英文字で「Cicindela Japana」と、二語の間に一文字の空白を有する名前であるならば、同様に『デンドロカカリヤ』という題名も、実は「Dendrocacalia crepidifolia」と言うように、二語の間に一文字の空白を有する名前であるから、安部公房はこの小説を着想したのだということが判ります。これが安部公房の着想であり、発想であり、いつも差異に着目するときに、安部公房は発想と想像力が豊かになり、名作を物する作家なのです。この短編小説の最後にも、やはり此の名前の英文字の立て札が立てられて、話が終わっております。」
更に、『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)にて、この間の安部公房の変化を次のように、わたしは書きましたので、引用して再掲します。
大坪都築とのラジオドラマ『棒になった男』は、1957年11月29日の発表であることを念頭において、引用をお読み下さい。
「[註23への註]
『猛獣の心に計算機の手を』を書いた1955年2月25日から、柾木恭介との1958年10月1日の対談「詩人には義務教育が必要である」で「詩は破滅したジャンルだ」(全集8巻、187ページ)と断言するまでの間に何があったのか。このときには、この詩を否定する断言によって、完全にマルクス主義と日本共産党から脱している。
従い、1957年2月15日の紀行文『東欧を行くーハンガリア問題の背景』の第1章「出発」で「コミュニストである私」と自分のことを呼び(全集第7巻、28ページ)、ソヴィエトによるハンガリーの反共産党の運動を武力によって弾圧した事実を「だから私は、ソ連軍の介入を原則的に支持したい」(全集第7巻、105ページ上段)と言って肯定する安部公房と、この1958年10月1日の柾木恭介との対談までの2年の間に、安部公房が正気に戻る何かの事件が、『猛獣の心に計算機の手を』を書いた後に、安部公房のこころの中で、更に起こったのだと考えらえる。
そうして、その対談の後から1962年の『砂の女』刊行の1年前、1961年9月6日に除名されるまでの間、或いは遅くとも『砂の女』完成までの、3年から4年の間に、詩人長田弘の指摘する、存在に関する考え方の変質が、これも、何かの理由、何かの事件によって起こったのです。それ故に『砂の女』が生まれました。
[註18]の表をみてこのことを考えますと、この事情は、次のようになると思います。
社会的な関係の中に存在を探求して、その果てまで行き着くと物事がいつもそうであるように、極端から極端に振り子が振れて、世界が反転して、その関係が引っくり返って、安部公房は今度は、存在(関係概念)の中に社会的関係を発見したのです。
『砂の女』で至った存在と社会の関係を根底からひっくり返して、社会的関係の中に存在を求めるのではなく、存在の中に社会を求めることを決心するのです。その第1作が、『箱男』です。
『箱男』は国家や社会から「逃げ出してしまった者の世界、失踪者の世界、ここに住んでいるという場所を持たないくなった者の世界を描こうとし」て(『国家からの失踪『日本読書新聞』のインタビューに答えて』。全集第21巻、429ページ下段)、安部公房の作家活動の前期20年の究極の場所(『燃えつきた地図』)に至ったわけですから、これは、安部公房の、人間としての思考論理の必然です。物事を徹底的に考え抜くと必ず、人間はそうなります。
そうして、これは、このまま、存在という関係概念の中に劇場を求めることでもありますから、安部公房スタジオの創設は、そのまま、リルケの純粋空間への回帰であり、1970年から最晩年までの小説と戯曲の方向となるのです。
この場合、1970年11月25日の三島由紀夫の市ヶ谷での死が、その振り子を更に大きく振らせる原因をなしました。」
この引用を整理して、時系列で、この間の作品を並べてみますと、
1955年2月25日:『猛獣の心に計算機の手を』
1957年2月15日:紀行文『東欧を行くーハンガリア問題の背景』
1957年6月3日:ラジオ・ドラマ『キッチュ クッチュ ケッチュ』
1957年11月29日:大坪都築とのラジオドラマ『棒になった男』
1958年10月1日:柾木恭介との対談「詩人には義務教育が必要である」
1960年10月26日:戯曲『石の語る日』
1961年9月6日:日本共産党を除名される
1962年6月8日:『砂の女』
ということになります。
そうして、この作品の時系列的な配列の中にあるラジオドラマ『棒になった男』に挿入されている詩を読みますと、この仕事で、安部公房は完全に詩人として息を吹き返したことが判ります。
それゆえに、1958年10月1日:柾木恭介との対談「詩人には義務教育が必要である」に於いて「おれの考えでは、詩というジャンルはすでに破滅したジャンルだね。」という最高に辛辣な発言があるのです。(安部公房の詩の評価規準はリルケです。このリルケの詩の規準から見て、もはや戦後の詩というジャンルは破滅したといっているのです。)
このように、このラジオ・ドラマは、安部公房にとって非常に重要な位置を占める里程標(マイルストーン)というべき作品なのであり、この作品が、ラジオ・ドラマという藝術の範疇(カテゴリー)にあることは、銘記さるべきことだと、わたしは思います。[註4]
[註4]
安部公房の子供向けラジオドラマについて。
安部公房は、次のような子供向けのラジオドラマを書いています。
1 キッチュ クッチュ ケッチュ 1957.6.3-21 (全集第7巻、209ページ)
2 おばあさんは魔法使い 1958.1.2 (全集第8巻、221ページ)
3 豚とこうもり傘とお化け 1958.12.31 (全集第9巻、371ページ)
4 ひげの生えたパイプ 1959.5.11-9.4 (全集第10巻、7ページ)
5 くぶりろんごすてなむい 1960.1.1 (全集第11巻、331ページ)
6 お化けの島 1960.12.25 (全集第12巻、469ページ)
7 時間しゅうぜんします 1962.1.2 (全集第15巻、399ページ)
これを見ますと、共産党員であった10年間の時代の後半の5年間に集中しているという特徴のあることがわかります。これには、やはり何か理由のあることでしょう。これは、追々考えて参りたいと思います。
安部公房全集第30巻の「放送目録」をみますと、最初のラジオドラマは、1954年3月の「人間を喰う神様」です。ということは、どうも、安部公房は1950年代の大体中頃からラジオドラマを書き始めたということになります。
この「放送目録」を打ち眺めますと、安部公房のラジオドラマは、次のようになっていることがわかります。
(1)新たにラジオドラマとして創作した作品
(2)自分の小説をもとに、それをラジオドラマにした作品
この2種類のラジオドラマがあります。
子供向けのラジオドラマは、前者になります。
安部公房は、子供向けラジオドラマをどのように考えていたのでしょうか。それのわかる言葉が、「放送目録」に次のように作者自身の言葉として言われています(全集第30巻、667ー668ページ)。これは、最初の子供向けラジオドラマ『キッチュ クッチュ ケッチュ』について語ったものです。
「大人の見た子どもの夢ではなくて、りくつぬきに楽しんでいただけるような、楽しい童話の国にお連れしたいとハリキっています。」
また、
「ブン子ちゃんは、学校でならったことをさっそく応用していみせるので、ドロボウさがしはこんがらがるばかり、世の中の仕組みを知らないからなんです。人間が成長していくのに、こうして世の中の仕組みを知っていくのは大切なことです。」
これらの言葉から、安部公房は、子供向けのラジオドラマを、童話だと考えていた事、またこの童話を通じて、読者である子供達に世の中の仕組みを知ってもらいたいと思っていたことがわかります。
安部公房は、童話という子供向けのお話について、ドナルド•キーン先生との対談『反劇的人間』の中で、後年、次の様な考えを述べています(全集第24巻、256ページ上段)。1973年、安部公房49歳。
「(略)ぼくがリヤ王だのオイディプースだのと言ったのは、忠兵衛(筆者註:近松門左衛門の『冥土の飛脚』の主人公)でもいいんだけれど、要するに平均値を尊重するというモラルと、同時に平均をはずれたものを造りだして、平均をはずれたものの悲劇を描くということによって、いまのみんなの置かれている平均的状況というものに、想像力のなかで窓を開けてやる、というか、抜け道をつくってやるということですね。
これは高級な小説、文学だけじゃなく、お伽ばなしとか童話とか伝説とか、すべてにそういう要素があると思うのです。お伽ばなしとか伝説とかそういうものを含めて―これは必ずしも悲劇とは限らない。「桃太郎」でもいい―そういう日常生活の外に、あるプロットを設定することで、平均値を意識しないでいる場合はいいが、平均値を意識したとたんに、非常にそこには苦悩が、つまり恐ろしさみたいなものが生まれますね。それに窓を開けてやるという作用です。」(傍線筆者)
安部公房がここで使っている窓という言葉にいかなる意味を籠めて言っているのか、その深い意味は、既に『もぐら感覚5:窓』で論じましたので、もぐら通信第23号にてお読み下さるとありがたく思います。:http://goo.gl/6YoXiX
ここで言っていることは、平均値を大きく逸脱して、極端な話を造り、その平均値の生活から脱出する道を創造するということ、その脱出口が、窓であるという考えです。
窓という言葉については、既に安部公房は10代の『無名詩集』の時代から、この言葉を概念化し、その詩の中にも使って参りましたので、よく知っての言葉であり、従い、『キッチュ クッチュ ケッチュ』を書いた、この1957年、安部公房33歳のときにも、よく知った上で、この言葉を使っていることを覚えておくことにしましょう。
これが、子供向けの、安部公房のラジオドラマの考え方なのです。安部公房という作家が童話を書こうと思ったら、ラジオドラマになったというところが特殊、特徴のあることだということになります。それが何故なのかは、ひとつひとつの作品を読み解くことで、判るのではないかと思います。
そうして、子供達に世の中の仕組みを教えるとともに、そこからの脱出口である窓の所在を教えるということ。そのような童話になるのでしょう。
以下、この作品からの詩を引用してお伝えします。これらの詩を読めば、安部公房が完全に息を吹き返したという意味がお分かりでしょう。透明なる上位接続、即ち存在を意味する一文字分の空白は、勿論、正確に置かれております。
「月は よごれた 弁当箱の色
うつむいて 街は 渦まき
今日もまた 男が一人
棒になって 姿を消した」
「街は千の目玉を伏せて立ち
男は棒になって横たわる
道ばたの
溝の中……」
「月は セメント色の空に 忘れられ
棒は溝の中に 忘れられた
街は うつむいて 渦をまき
少年は 消えた父親を さがすのだ」
「夜が湧きだす 溝の中に
男は棒になって 横たわり
棒の形に とじこめられて
身動きもできず 心配なのだ
もし 体のどこかが
痒くなりでもしたら
どうしよう……」
「夜が湧きだす 溝の中に
棒になった男が 倒れていると
盲とびっこが、やってきて
ひろって 行った」
「夜が湧きだす 溝の中から
棒になった男が ひろわれて行き
すると変な男たちがやってきて
しきり行方を かぎまわる
(……かわってヨロイ戸の重いきしみ)
やがて デパートが あくびする
さびた 蛇腹の まぶたを閉ざす
すると少年が駆け出してきて
街に……おびえる……
(よろい戸がしまる)
棒は 誰かに 持ち去られ
少年は
消えた父親を
さがすのだ……」
「空は防腐剤をまいた沼の色によごれ
地獄の男たちは行ってしまった
冷たくしめった地面の上に
棒になった男をほうりなげて
確認はされたが登録はされず
男は棒の形にとじこめられて
身動きもできず心配なのだ
もし体のどこかが
痒くなりでもしたら
どうしよう……」
「夕暮の 白い 三日月
セメント製の なまくらナイフ
成長しすぎた 運命のしっぽ
姿をかえて 棒になった男
確認はされたが
登録はされず
棒の形にとじこめられて
暗い地面に 横たわる彼」
この作品中の詩は、安部公房の主題が満載の詩です。如何に、安部公房はリルケを自家薬籠中のものとなしたか。そうして、それはまた、このラジオ・ドラマが、安部公房の詩の復活としても、如何に重要な作品であったかを示しています。その主題を列挙します。
1。失踪
2。迷路としての渦巻く存在の街
3。千の目玉を持つという存在の街
4。棒という閉鎖空間:『箱男』の箱に等しい棒という存在、即ち「投影体」
5。溝という周辺部、縁(へり)の、接続点の、そして、穴である溝
6。その溝から湧き出る夜:接続点から生まれる夜と闇
7。盲とびっこという異形の者:夜の世界にこそ相応しい者たち
8。誘拐:人さらいという、安部公房の終生の主題のひとつ
9。幕の開く音、閉まる音(鎧戸の開閉の音):時間的な接続の音:『箱男』『密会』
10。襞、隙き間(「蛇腹の まぶた」):安部公房の世界認識である差異
11。失踪した父親:『棒になった男』その他:存在になった透明な父親:贋の父親
12。沼、底なし沼:『鴉沼』、エッセイ『アリスのカメラ』の奉天の沼、『方舟さくら丸』の便器
13。乞食未満の男:「確認はされたが登録はされ」ない人間、即ち、未分化の実存
14。夕暮という縁(へり)の、周辺の、昼と夜を接続する時間。時間的な接続点
15。三日月:エッセイ『笑う月』の主題。夜の闇の中の、宙に浮いている(全体を欠いた)何かの一部。次の16の「運命の尻尾」と同じ形象。即ち、夜の闇には時間が存在しないと安部公房が考えていたということがわかる。
16。相反するものの透明なる上位接続(「セメント製の なまくらナイフ/成長しすぎた 運命のしっぽ」:硬いものと柔らかいもの(なまくら)、時間の中
で(予測不可能な、従い未決定の状態である)過剰になったこととと、(この世での時間とは無関係に)最初から決定されている(時間とは無関係にある)尻尾という(尻尾の帰属している当の全体を示すには)不足のもの
話が随分と遠いところまで行きました。
最後に此の『飾り彫りのある柱の歌』に戻って、この詩をこうしてあらためて読みますと、『砂の女』の最後の場面を思い出し、砂の穴という存在の中に留まることを決意した仁木順平と、妊娠して砂の穴の外に運び出される砂の女との関係を考えながら読むことは、安部公房がリルケから何を学び、この詩に歌われたリルケの存在の再帰的な論理をどう精妙に換骨奪胎したかを考える格好の材料と、この『飾り彫りのある柱の歌』という詩は、なりましょう。これを考えることもまた、文学(literature)、文藝(literature)の楽しみでありましょう。
「それはだれであろうか?、わたしをかくも愛するがために、
自分の愛(いと)しい生命を撥(は)ね付け、退(しりぞ)ける者は。
誰かがわたしのために、海の中で溺れ死ぬならば
わたしは、石から帰還するのだ
生命の中へ、生命の中に入って、わたしが救われるのだ。
わたしは、さやけき音を立てて流れる血に憧れる
石は、かくも静かだから。
わたしは、生命を夢見る。即ち、生命は、良いものだ。
勇気のある者は、誰もいないのか?
その勇気を通り抜けて、わたしが目覚めたいと思う其の者は。
そうして、わたしは、いつか生命の中にあることになれば、
わたしに最も金色(こんじき)のもの総てを与える生命の中に、
――――――――――――――――-
さすれば、わたしは独りで
泣いて、泣いて、わたしの石を求めて泣くことになる。
わたしの血が、何になろう?、もし血が熟するのであれば、
葡萄酒のように。
血は、海の中から外へとは、唯一者を大声で呼出すことはできない。
わたしを、一番愛した唯一者を。」
この詩の中の石を砂に、私という話者たる一人称を砂の女と読み替えて読んでみることは、興味深いことです。あるいはまた、海を砂に読み、私という一人称を仁木順平という読み方もまた、面白い。この場合、石とは砂の穴でしょうか、それとも砂の女でしょうか。
勿論、このように考えてみたとして、これらの言葉に割り当てた意味(役割と言っても良いでしょう)が、一意的に一つ一つの意味になって確定するわけでは、勿論、ありません。そうではなく、わたしが、安部公房の読者であるあなたに伝えたいことは、逆に、関係、即ち言葉と言葉の間にある差異こそが、これらの言葉の意味を確定するのだということです。関係(差異)の総体、即ちcontext(文脈)が。その言葉に意味があるのではないのです。意味は関係に宿る。
これが、安部公房がリルケに言語について学んだことの真髄、本質(essence)です。
従い、安部公房の作品は寓話ではなく、寓意もなく、言葉そのもの、即ち関係、即ち差異の構造をのみを表した言語有機体なのです。何故箱根の仕事場には英国製の紙でできた骸骨の模型が置いてあるのか、何故安部公房はそれを好んだのかの、これが理由です。それは骨格であり、骨同士の関係の総体であり、従い実際に骸骨がそうであるように、それは差異の構造であり、安部公房が最もこころ安らかになり、静謐を感じ、リルケのいう言葉で言えば、時間の存在しない純粋空間を見ることのできる(これを見た瞬間に、シャッターと撮影されることとの時差を計算に入れて、一瞬の判断によって、安部公房はカメラのシャッターを押すのです。これが安部公房の写真です)、また写真は現物として実際に手で触ること(もぐら感覚!)のできる、より自分の身体に近しい、差異の総体として其の構造を表す投影体の一つであるからです。
さて、このような言葉の意味の確定のために、あなたが問うべき問いは、石とは何か、海とは何か、私とは何かという単純な問いなのであり、これらの問いを立てて、日常の時間の中でこれらの問いに答えることに堪えて堪えて堪えて遂に答えることよって、言葉の意味(正確には概念)の関係の構造を知ること、これが、上でお薦めした『砂の女』との関係を考えてみるということなのです。この関係の考察には、唯一の正解などはありません。これを自分自身によって知れば、あなたは言語の構造を知ったことになり、安部公房の思想の核心を知ることになるのです。
これを実際に行うことが、十代の安部公房がリルケに学んだと後年言っている「”物”と”実存”の対話」なのです。
次の、箱根の仕事場にある創作のために安部公房の作成したカードに書かれた問いは、このような、安部公房の、誰にも知られぬ、存在の部屋での、孤独な営為を示しております。このカードは、『密会』か『カンガルー・ノート』執筆のためのものでありましょう。
右上のカードには、進歩とは何か、幸福とは何か、下に置かれているカードには、患者とは何かという本質的な、即ち関係の在り方の全体(context)を求める問いが書いてある。これは、ヨーロッパの文明圏の人間たちにとつては、古代ギリシャの哲学の始祖ソクラテスの問うた、西洋の哲学の時代を超えて問われ続けている根本的な問いの形式です。即ち、それは何かという問いに答えればよいのです。この答えを主語と述語の形式の一行で表せば、これを定義(definition)と云いまた命題(proposition)といいます。[註5]
[註5]
この単純な問いに答えることを、安部公房はデジタル変換と呼びました。このことはあちこちで述べていることですが、今『内的亡命の文学』から以下に引用します(全集第26巻、383ページ下段)。
「文学というものは、言語というデジタルを通じていかに超デジタル的なものに到達するかという、自己矛盾の仕事なんだ。デジタルを通じて超デジタルに、つまり、最終的にその先のアナログに到達するための努力なんだね。そうすると、文学はものすごく苦しい作業でなければならない。だから、小説家は音楽家に非常にねたみを感じるんだよ。そのねたみの本質は何かというと、音楽家がストレートにアナログに到達できるのに小説家は苦しい廻り道をしなければならないからだ。」(傍線筆者)
この「最終的にその先のアナログに到達するための努力」とは、上の写真のカードにある問いに正面から答え、あらゆる角度から点検して穴のない完璧な定義を得て、即ち一つのcontext(世界)を発見して、そのあとに、今度は逆に、リルケに学んだ通りに外部と内部を交換して、その論理だけのデジタルの骨格の一行をcontextの中に置いて今度は其れが作者の形象(イメージ)と化すばかりではなく、読者にとっても日常の形象(イメージ)と化さしめる行為なのであり、安部公房は此れをアナログ変換といっているのです。これがバロックの精神だといっています。
この『内的亡命の文学』の「物語性と反物語性の衝動」の章(同巻、381~386ページ)に、安部
公房による此のバロックの精神とデジタル変換・アナログ変換についての説明があります。興味のある
読者はお読み下さい。安部公房の創作方法に関する考えを知ることができます。
ヨーロッパの哲学者たちは、16世紀のルネサンスの後、17世紀のバロック時代以降現在に至るまで、それが何語で思考され論ぜられ書かれようとも、当人が知っても知らなくても、また意識しようが無意識であろうが、近代の資本主義と民主主義と共産主義(マルクス主義)の生まれ出た同根キリスト教の唯一絶対全知全能のGodから如何に離れて、そうして自分の頭でものを考えた場合に、一体どのような論理があり得るのかということを考えているのです。
即ち、この近代の文明を創造した人間たちが、キリスト教の、即ち信仰の、神学の世界で、そうして哲学の、即ち思考と論理の世界で、延々と2500年間議論してきたことは、言語の観点から言葉の眼で眺めれば、たった次の二つのいづれを選ぶのか、どちらが正しいのかという議論なのです。
1。言葉(言語)に備わる再帰性の肯定:哲学:汎神論的存在論:多神教の世界:古代
2。言葉(言語)に備わる再帰性の否定:キリスト教:唯一絶対の全知全能のGod:一神教の世界:古代後
上記2は、God(仮に「神」と訳しましょう)が絶対的な命令を人間に下し、人間が神自身に絶対的に服従することを命ずる世界、即ち神みづからへ戻ることを神自身が禁ずる世界、即ち神がみづからの再帰性を否定する世界であり、これに対して上記1は、神ならば、人間によって神と名付けられ神と呼ばれるならば、神は神へと戻ることができると考える世界、即ち神の再帰性を肯定する世界です。
哲学者の考えることは、必然的に汎神論的な存在論と認識論へ、また宗教としては、この問いを立てたソクラテスの生きた古代ギリシャの宗教がそうであるように、多神教へと向かつています。二十一世紀も引き続き、彼らにとってはそうでありましょう。しかし、八百万(やおよろず)の神々のすまふ日本の国に住む私たちには自明の事であり、特別に事を荒立てるべき論では、哲学は、ないのです。
このソクラテスの立てた問いに、言語と論理の視点から、正面から回答したということ、これが、安部公房の文学の持つ、時代を超えた世界的な普遍性です。
私たちは、何か苦しい時には、俺は俺だとか、わたしはわたしよとか、そのように言いたくなり、そのような文をよく作るでしょう。これが、あなたの生成する再帰的な文です。この文は、理屈からは生まれない。あなたの魂の、その叫びの発露です。
そうして、あなたが社会に出て、世の中で働くと、この再帰的な文の生成を禁じられ、忘れることを強いられる。即ち、わたしはわたしであるという文では、自己が自己である証明ができないと、他人に言われる。自己が自己であるという此のあなたにとっての根源的な生来ある再帰性を証明するために、差異を設けて、即ち自己とは別のものを持ってきて(例えば免許証や保険証や証人)其れを証明することを強いられるのです。そうして、同時に自分のことを忘却する。即ち、自己を喪失するのです。その代償に、「わたしは生きている」と思っている。そうして、他人のために、会社のために、社会のために、国のために生きる(あなたは毎月源泉徴収されて税金も納めているでしょう)。勿論、これは、かけがえのない、この世を生きる尊い人間の行為です。平俗な言い方をすれば、あなたは現に、我を忘れて、毎日毎日、他人によってあなたの名前を「~さん」と呼ばれて、人のために生きているのです。たとへ、あなたがどんなに其の日々の現実に不平不満があろうとも。
ここまで書くと、安部公房の読者であるあなたには、既に『S・カルマ氏の犯罪』の主題、即ち言語と自己の存在証明の話が、これであることにお気づきでしょう。この小説もまた、こうして最初から、差異のことを、即ち自己と自己の差異の忘却と覚醒のことを書いた小説なのです。
この「再帰性を証明するために、差異を設けて、即ち自己とは別のものを持ってきて其れを証明することを強いられる」「そうして、同時に自分のことを忘却する。即ち、自己を喪失する」ことに気づいた主人公の意識は、既に『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する』(もぐら通信第32号及び第33号)で明らかにしたように冒頭から超越論的に「既にして」、自己の喪失、即ち自己の忘却によって、また忘却による差異の覚醒、差異の自覚として、次のように書かれております。『S・カルマ氏の犯罪』の冒頭です。
「目を覚ましました。
朝、目を覚ますということは、いつもあることで、別に変わったことではありません。しかし、何が変なのでしょう?何かしら変なのです。」
この後に、主人公のお腹の満腹と胸の空っぽという差異を書いて、この生理的身体的な差異の自覚を表し、それ故に読者にとっては入りやすい入り口を開いて、そのあとで、次の文がやって来ます。
「 ふと、ぼくはペンを握ったまま、サインができずに困っていることに気づきました。ぼくは自分の名前がどうしても思い出せないでいるのでした。それがそのためらっている理由なのでした。しかしたいして驚きはしませんでした。」
主人公が、この時「たいして驚きはし」なかったのは、「既にして」超越論的に、再帰的な人間になっているからなのです。差異に生きることが日常であり、それが日常感覚である人間、即ち十代の安部公房の至った言葉で言えば、未分化の実存に生きる人間に、即ち無名の人間に、「既にして」超越論的に、なってしまっているからです。
これが冒頭であれば、その論理的な必然として、最後の結末では、主人公は、(日常的な)時間の存在しない(砂漠という)空間の中で、これも時間の存在しない方向である垂直方向に、即ち天に向かって永遠に成長を続ける壁になってしまうのです。
さて、この先へ進みますと『壁』論になってしまいますので、宇宙の無時間の構造の話から、筆を戻して、有時間の中の、即ち歴史の中のキリスト教と哲学の話に戻ります。
さて、従い、ヨーロッパの哲学者たちは、このように神の再帰性を肯定することによって、従い神の絶対命令に従わないことによって、キリスト教の異端者として、必然的に汎神論的な存在論へ、また宗教としては、この問いを立てたソクラテスの生きた古代ギリシャがそうであるように、多神教へと向かいます。二十一世紀も引き続き彼らはそうでありましょう。しかし、私たち神々の国に住まふ日本人には古来自明の事であり、取り立てて騒ぐ事ではないのです。それは『奉天の窓から日本の文化を眺める』を書いて、言葉の眼で観れば、哲学が何も特別な学問ではないという事を、お伝えしている通りです。
このソクラテスの立てた単純な問いに、言語と論理の視点から、正面から回答したということ、ヨーロッパの歴史に残るすべての神学者と哲学者たちを相手にして、ただ一人均衡して秤(はかり)のこちら側に日本人の言語藝術家として孤独に在ること、そうして、この秤の上の安部公房の孤独の持つヨーロッパ文明に対する情け容赦のない徹底的な批判の力(安部公房の晩年称揚してやまなかったエリアス・カネッティと同質の、この文明に対する強烈な批判の力)、これが、アジアにいて日本語で書いた安部公房の文学の持つ、ヨーロッパ文明にとっての圧倒的に本質的な重要性なのであり、時代を超えた世界的な普遍性なのです。
全集第25巻の贋月報にあるように、安部公房についてドナルド・キーンさんが一人娘のねりさんに語った「まあ、しかし、お父さんには大変な野心がありました。というのは、長いこと日本の現代作家は、ヨーロパ人から学ぶということが、非常に大切だったのです。外国文学を読んで、なにか新しい日本文学を作るという考え方がありました。お父さんはむしろ、先駆的なことをやってみたい、まだ西洋人が考えたこともないことをやってみたい、未来の西洋文学者たちは、自分をまねするだろうなどと考えていました。」という此の安部公房の自負の念は、上述の言語と世界の差異に関する認識に基づいていて、それは、既に述べてきたように、十分な理由が、あり過ぎる位にあるのです。安部公房の先駆性は、従い、
1。人間の言語(言葉)には、本来再帰性が宿っていること
2。この再帰性が、人間と言語の構造の在り方であること、従い、
3。この構造をそのまま物語に仕立てて、多次元的な宇宙を表すこと
4。上記1から3のことを実現すれば、唯一絶対の神による(言語の)再帰性の否定によって成り立っている近代ヨーロッパの文明(資本主義と民主主義とマルクス主義)を超えて、再帰性の肯定を超越論的に求めて汎神論的存在論へと向かうことになる「未来の西洋文学者たちは、自分をまねするだろう」
と考えたところにあるということなのです。
安部公房の文学の世界性、地球の上の文明のレベルでの普遍性があるのは、この批判の地点であるのです。それが、その近代の、このことを最初に明確に文字にして表現したヨーロッパのバロック時代の精神に全く通っているのです。何故ならば、バロックの人間の精神は、どの領域であれ、それが文学であれ、絵画であれ、庭園であれ、建築物であれ、数学であれ、哲学であれ、ただただひたすらに差異だけに着目し、差異だけを探究し、差異だけを表す精神だからです。それ故に、バロックの人間は、例外なく、この差異という一点のみを通じて逸脱し、越境し、業際間を自由に往来し、多領域で活躍する多能の人間なのです。即ち、100人のうち99人が自己の再帰性を否定して生きているのに対して、再帰的な人間とは、自己が再帰的である事を全面的に肯定して生きる人間なのです。安部公房のように。それが、文学であれ、劇作であれ、演技論であれ、ラジオ・ドラマであれ、シナリオであれ、映画であれ、写真であれ。安部公房にとっては、奉天の窓(という言語と存在の窓)から眺めると、どの領域も皆同質のものであり、同じ質を備えた価値(value)を持っているのです。再帰的な構造は、どの領域にあっても、言葉の眼で眺めれば、全く変わらないのです。
私が、安部公房の文学は、世界文学のレベルでは、バロック文学だという理由が、ここにあります。
一桁の学齢の小学生の安部公房の知った、あの奉天の窓の相対的な、超越論的な存在論の価値(value)の世界、即ち宇宙の生命の横溢する世界です。(『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する』(もぐら通信第32号と第33号)で詳細に論じましたのでお読み下さい。)
バロックの精神と安部公房について論じるのは、また後日とします。