Der Lackbaumgarten(漆の木のある庭園):第22週
by Wang Wei (701 - 761)
【原文】
Kein aufgeblasener Beamter war jener Mann des Altertums,
Er hielt sich fern von allen Staatsgeschaeften.
Sein unbedeutend Poestchen verpflichtete ihn nur,
Im Auf-Und-Ab-Schlendern die Baumstaemme zu zaehlen.
【散文訳】
高慢な官吏はだれも、古代のあの男ではなかった、
この男は、すべての国家の仕事から遠く身を遠ざけていた。
その取るに足らない軽少な地位は、彼に、
行ったり来たり、ぶらぶらとしながら歩いて、ただ、
樹木の幹の数を数える義務を課しただけであった。
【解釈】
中国の詩人です。
生年と没年がカレンダーと次のWikipediaでは数年違っていますが、これは、王維のことだと思います。
王維の詩は、いい。わたしの好きな詩人のひとりです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Wang_Wei_%288th_century_poet%29
原詩は、どういう詩なのか。
ご存じの方がいらしたら、お教えください。
古代のあの男というのは、誰のことであろうか。
わたしは、こういう人生に惹かれる。
それは、無名に徹した人生であるからでせう。
それは、どのような人生でせう。
1,2,3、..と数を数える人生です。繰り返し、繰り返し。
普段わたしたちは全然意識していませんが、数を数えるということは、重要です。そのことによって、人間は何か宇宙の本質に関わることをしている。あるいは、宇宙の秘密を実は知っているということを表している。
1,2,3と数を数えると、限りがない。(あるいは、どういう順序で、1,2,3と数えるのか?)限りがないということを知る。そうすると、次元という概念に至るでしょう。
この詩に詠われたような人間が、実は文明の根底に生きている。
と、わたしは、そう思います。
王維の日本語のWikipediaです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E7%B6%AD
王維の詩を以下に。
鹿柴
空山不見人
但聞人語響
返景入深林
復照靑苔上
送元二使安西
渭城朝雨裛輕塵
客舍青青柳色新
勸君更盡一杯酒
西出陽關無故人
追記:
2011年05月21日
10:09
ban
もう(車に網の旁)川集という連作の一首。
漆園
古人非傲吏
自闕経世務
偶寄一微官
婆娑数殊樹
古人(荘子)は傲慢な官吏ではない
彼は自ら世を治める仕事を避けたのだ
私もまたささやかな官職にこの身をあずけ、
荘先生の哲学にあやかって、何本かの庭の木の下で気ままにぶらぶらする。
2011年05月21日
10:42
タクランケ
banさん、
引用、ありがとうございます。
この古人は、荘子でしたか。
同じ漢詩から訳して、ほぼ意はともに尽くしてはいるものの、
微妙に違うところが面白いですね。
漢詩最後の行は、やはり数えるという動詞があって、これを字義通りに
解したか、また譬喩的に、その転義で解したかの違いが、ドイツ語訳と日本語訳には、ありますね。
いづれも可也だと思いますが、わたしは、やはり、字義通りに、数を数えたいところです。
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