2011年5月7日土曜日

今日の一日(ドイツ語、ファウスト、ドラえもん:三題噺)

今日、関口存男のドイツ語大講座下巻を読了す。

裏表紙に読了の年月日を書き入れる。

また次回読むときの感慨を、これらの文字が、催せしめることであらう。

ゲーテのファウストを、昨日に続き、今日も読む。

正確に言えば、いわゆるファウストではなく、その前のUr-Faust、ウルファウスト、原ファウストである。

ファウストとメフィストーフェレスの関係で、よく似た関係があったな、あれだれだったけかなあと、頭の中であれこれ思い出してみて、想到したのが、何あらう、のび太君とドラえもんの関係である。

これは、現代のファウスト、現代のメフィストーフェレスなのではないだろうか。

相当デフォルメされていて、つまり、それだけ、堕落した典型ではあるのだが。(その分、読者、観客には心地がいい。)

現代のファウスト、のび太は、しずかちゃんの寝室のクローゼットに、見えないようにして、忍び込ませろとは、ドラえもんには決して命令しないのである。そうして、のび太は、しずかちゃんが夜、その部屋で着物を一枚また一枚と脱いでゆく姿をみることはないのであるが。しかし、ファウストは、命令し、その姿を見るのであるが。

(ああ、わたしにもメフィストーフェレスがいればなあ。と思はしめるところ
が、この作品の普遍性の、即ちエロスの宿るところであろう。

このウルファウストを読むと、グレートヒェンは、処女ではなく、既に一子をなしている。これは、言わば現代風に言えば、不倫の関係である。

しかし、ゲーテというひとは、女の恋情というものを巧みに言葉にするものだ。やはり、女が好きだったのであるなあ。わたくしも、この歳になって、よくその気持がわかるのである。)

これは、戯曲であるので、ドイツ、ヨーロッパの、既に読者や観客の無意識に持つ、ある了解を前提に、組み立ててあると思う。

しかし、メフィストーフェレスが悪魔といっても、悪魔という形姿は、なかなか、日本人である我々の日常の中には思い浮かばれないのである。芥川龍之介の作品の中に煙草と悪魔というのがあって、ここに出てくるが。

ウルファウストを読んで、ファウストのフルネームが、ハインリッヒ・ファウストであるということを知った。

ファウストとは、拳骨(げんこつ)という意味であるが、ハインリッヒとはまた平凡な名前を付けたものだと思う。

ここにも、ゲーテの思慮は働いているのだろう。

明日中には、ウルファウストを読了することであろう。

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