2011年4月9日土曜日

Gaststube in der Provinz(田舎のレストラン):第16週

Gaststube in der Provinz(田舎のレストラン):第16週

by Jan Wagner (1971年生まれ)


【原文】

hinter dem tresen gegenueber der tuer
das eingerahmte foto der fussballmanschaft:
laechelnde helden, die sich die rostenden naegel
im ruecken ihrer trikots nicht anmerken lassen.


【散文訳】

テーブルの後ろ、入り口の反対側に
額に入れられた、サッカーチームの写真。
笑顔の英雄たち、そのメリヤスのスポーツシャツの背中にある
錆びて行く釘を
気づかせられること無く


【解釈】

Gaststubeをレストランと訳したが、本当はそう訳したくない。

Gaststube、ガスト・シュトゥーべという場所の持つ、割合と狭い空間、安楽な雰囲気、懐かしさのある場所という感じが、日本語のカタカナでいうレストランにはないからである。

GaststubeのStubeという名詞が、小じんまりとした、何かに親密な空間を思わせる。

Kinderstube、キンダーシュトゥーべといえば、子供部屋という意味です。

また、GaststubeのGastとは、英語でguest、客、賓客という意味です。

Gaststube、ガストシュトゥーべがどのような空間であるか、次のGoogleの画像検索で見てください。

http://goo.gl/huwYp

わたしが、このGaststubeという言葉に、これだけ言葉を割くのは、この言葉が、この詩の大きな一部になっているからです。

田舎のGaststubeというだけで、のんびりした、鄙びた、くつろいだ、懐かしい雰囲気を感じ取ることができます。

休日などには、日がな一日、トランプなどをしながらビールも飲むというような地元のひともいることでしょう。

この短い名詞ふたつだけでできている詩は、田舎のガストシュトゥーべの、そんな気だるい雰囲気を醸(かも)し出しています。

この詩は、額縁入りの写真と、笑っている英雄たちというふたつの名詞だけからなっています。

このふたつの名詞に、それぞれ掛かっている形容があるのです。

錆びて行く釘と訳したドイツ語は、die rostenden Naegelというところですが、これは現実に錆びてゆく時間を表しています。

錆びている釘というのではないところに、この詩人の工夫と言いたいことがあると思います。

笑顔のサッカー選手たち、若い英雄たち。

その写真の額の後ろに見えない釘があって、写真はこの釘に掛けられている。

そうして、その釘が錆びて行く、錆びて行きつつある。

他方、この店ではゆったりとした時間が流れている。

何か、日本語で書かれた詩を読むような、余情があります。

この若者たちは、今どうしているのでしょうか。

この余情はいい。

Jan WagnerのWikipediaがあり、ドイツ語ですが、次の通りです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Jan_Wagner

また、Googleの画像検索をすると、次の通りです。

こんな若者です。

http://goo.gl/U7QUT

0 件のコメント: