Gaststube in der Provinz(田舎のレストラン):第16週
by Jan Wagner (1971年生まれ)
【原文】
hinter dem tresen gegenueber der tuer
das eingerahmte foto der fussballmanschaft:
laechelnde helden, die sich die rostenden naegel
im ruecken ihrer trikots nicht anmerken lassen.
【散文訳】
テーブルの後ろ、入り口の反対側に
額に入れられた、サッカーチームの写真。
笑顔の英雄たち、そのメリヤスのスポーツシャツの背中にある
錆びて行く釘を
気づかせられること無く
【解釈】
Gaststubeをレストランと訳したが、本当はそう訳したくない。
Gaststube、ガスト・シュトゥーべという場所の持つ、割合と狭い空間、安楽な雰囲気、懐かしさのある場所という感じが、日本語のカタカナでいうレストランにはないからである。
GaststubeのStubeという名詞が、小じんまりとした、何かに親密な空間を思わせる。
Kinderstube、キンダーシュトゥーべといえば、子供部屋という意味です。
また、GaststubeのGastとは、英語でguest、客、賓客という意味です。
Gaststube、ガストシュトゥーべがどのような空間であるか、次のGoogleの画像検索で見てください。
http://goo.gl/huwYp
わたしが、このGaststubeという言葉に、これだけ言葉を割くのは、この言葉が、この詩の大きな一部になっているからです。
田舎のGaststubeというだけで、のんびりした、鄙びた、くつろいだ、懐かしい雰囲気を感じ取ることができます。
休日などには、日がな一日、トランプなどをしながらビールも飲むというような地元のひともいることでしょう。
この短い名詞ふたつだけでできている詩は、田舎のガストシュトゥーべの、そんな気だるい雰囲気を醸(かも)し出しています。
この詩は、額縁入りの写真と、笑っている英雄たちというふたつの名詞だけからなっています。
このふたつの名詞に、それぞれ掛かっている形容があるのです。
錆びて行く釘と訳したドイツ語は、die rostenden Naegelというところですが、これは現実に錆びてゆく時間を表しています。
錆びている釘というのではないところに、この詩人の工夫と言いたいことがあると思います。
笑顔のサッカー選手たち、若い英雄たち。
その写真の額の後ろに見えない釘があって、写真はこの釘に掛けられている。
そうして、その釘が錆びて行く、錆びて行きつつある。
他方、この店ではゆったりとした時間が流れている。
何か、日本語で書かれた詩を読むような、余情があります。
この若者たちは、今どうしているのでしょうか。
この余情はいい。
Jan WagnerのWikipediaがあり、ドイツ語ですが、次の通りです。
http://de.wikipedia.org/wiki/Jan_Wagner
また、Googleの画像検索をすると、次の通りです。
こんな若者です。
http://goo.gl/U7QUT
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