Die Prozession in Capri(カプリの葬列):第17週
by Bertolt Brecht (1898 - 1956)
【原文】
Zur Zeit, wo er noch nicht vergessen
Trugen sie zum Gedenken an ihm zwar jedes Jahr
Seine Bilder durch ihre Staedte.
Voraus aber trugen sie alles, was
Noetig war, ihn zu toeten
Naegel, ihn zu zerfleischen
Den Hahn, ihn zu verraten
Die Wuerfel, sein Kleid zu teilen
Aber hinter dem Bild seines Leichnams
Trugen sie seine Mutter
So hoch, dass der Himmel zu nieder war
Und hinter ihr her getragen werden
Musste.
【散文訳】
彼がまだ忘れられていない時分に
彼らは、彼を記念して、なるほど、毎年
彼の像を幾つも掲げ、担って
彼らの町々を練り歩いた。
だが、何よりも、彼らは、彼を殺すのに必要なもの
すべてを担(かつ)いで歩いた
彼の肉をずたずたに引き裂くための釘
彼を裏切るための雄鶏(おんどり)
彼の衣服を分けるためのサイコロ
しかし、彼の死体の像の後ろに
彼らは彼の母を担いでいた
余りに高く掲げ担いでいたので、天が低過ぎる程に
そして、天が、彼の母の後ろに担がれて運ばれなければ
ならなかった程に
【解釈】
この詩は、このカレンダーの中の53の詩のうちで、わたしの好きな3つの詩のうちに入れたい詩のひとつです。
何故この詩が好きなのか、この詩に惹かれるのかわからない。
多分、犠牲としての死が歌われているからだろう。
それも、祭礼としての。それから、明るさの中で。
この彼も彼らも、だれとは言われていない。人称代名詞で歌われているだけである。
彼は、イエス・キリストのようである。
彼らは、その信者達であろうか。
そうだとして、彼らは、信じたひと当人を殺すための道具、殺した後に、彼の遺物を分けるための道具(サイコロ)などを担いで、練り歩く。
そうして、その犠牲者の母が担がれて、その後に続いていたということ。
これは、このまま読めば、生きている実の母親ということである。
もし彼がキリストならば、マリアが生きているということになる。
そうして、その母親を、天が低くなる程に、天高く掲げ、担った。
そうして、天が彼の母親の後に担われて従うようになるほどに。
第3連の、担う彼ら、彼の死体の像、生きた母親、天のイメージと、それらの関係は、誠に想像力を刺激する。
カプリという島は、このような島です。
多分、この美しい景色、風光明媚な景色を思い描いて初めて、この詩の葬列は躍動するのだと思う。
風光明媚の中の葬列。
http://goo.gl/7T9on
作者はいうまでもなく、ブレヒト。ブレヒトのWikipediaです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Bertolt_Brecht
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