Nachmittag eines Dichters(ある詩人の午後):第9週
by Robert Gernhardt
【原文】
Horch! Es klopft an deine Tuer:
“Mach auf und lass mich rein!”
“Wer da?” “Die Einfallslosigkeit!”
“Das faellt mir gar nicht ein.”
Schon steht sie neben deinem Tisch:
“Was wird das? Ein Gedicht?”
“Ein Lob der Kreativitaet.”
“Das, Freundschen, wird es nicht.”
Da faehrst du auf und sagst bestimmt:
“Das wird es wohl, Madame!”
“Dann leg mal los!” “Ahemm, ahemm …”
“Und weiter?” “Aeh … Ahamm …”
Da kuesst sie strahlend deinen Kopf:
“Ciao, ich muss weiter, Kleiner.
Doch hab ich einen Trost fuer dich:
So schoen besang mich keiner!”
【散文訳】
おや、だれかがドアを叩いているぞ。
「開けて頂戴、中に入れてよ」
「誰だい?」「わたし、思いつき無し(の女)よ。」
「そいつぁ、全然思いもつかなかったよ。」
既に彼女は、お前の机の傍に立っている。
「何やってるの?詩?」
「創造性の賛歌を書いているのさ。」
「それゃ、坊や、でき無いわよ。」
それを聞いて、お前は頭に来る、そして決然としてこう言うのだ。
「それが、できるんだよ、マダム!」
「じゃあ、やってごらんよ!」「あーへむむ、あーへむむ。。。」
「それから?」「えー。。。あーはむむ」
それを聞いて、彼女は喜んでお前の頭(おつむ)にキスをするのさ。
「チャオ、次へ行かなきゃならないのよ、坊や。
でも、あんたに慰めのことばがあるのよ。
こんなに美しくわたしのことを歌ってくれたひとは誰もいないわ!」
【解釈】
詩人のドアを叩いて、前触れなく入ってくるのは、ドイツ語では女性名詞で、詩の中でも、女性ということになっているdie Einfallslosigkeit、アインファルスロージッヒカイト、着想なしということ、思いつかないということ、という名前の女性なのです。
この名前そのものが、既に詩人を茶化している。
でも、こうして思うのは、ある概念に名前をつけて、それを擬人化することが容易にできる、ヨーロッパの言語の、ドイツ語という言語の、中世以来の伝統です。中世では、擬人化などではなく、確かに概念が生きていた。それを、Hartmann von Aueの購読を通じて、学生のころ、知りました。これは、これで、言語の問題としては、実に深い主題です。Frau Minne (Mrs. Love)とは、Frau Welt (Mrs. World)という言葉が実際に生きているのです。
さて、この女性としてあらわれた、無着想のおばさん(おばさんなのだろうか?)は、詩人をどうも、子供扱いしているようです。
あーはむむ、えーはむむ、などというのは、詩人が呻吟して、言葉の出ないときの言葉、着想の浮かばないときの、思いつき無しのときの言葉でしょうが、それが題して、創造性の賛歌というのですから、笑うべし。詩人の方も結構な詩人です。
この詩人は、1937年生まれ。2006年に亡くなっています。
詩作をしていて、気晴らしのために書いた詩なのかも知れません。そんな詩も、詩にしてしまうのですから、これは詩人というべきひとでしょうね。
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