2011年2月11日金曜日

Fruehling(春):第8週

Fruehling(春):第8週

by Wolfgang Hilbig

【原文】

Endlich gehen meine Fuesse
Wieder durch den Schlamm
Der aufgetauten Erde.
Die ersten Voegel senden ihre Gruesse.
Ein umgestuertzter Stamm,
Dessen Leben der Winter versehrte,
Liegt schweigend,
Wie jeder Tote,
Im Morast.
Unbeweglich zeigend,
Reckt sich in rote
Abendluft sein einziger Ast.
Da gruent das erste Distelblatt,
Die Luft ist zauberrein und frisch;
Die Atmosphaere ist wie neugeboren.
Der Winter, der weisse Spuk entwich,
Meine arme Seele hat
Nun lang genug gefororen.


【散文訳】

到頭、わたしの足が
雪も氷も解けた大地の泥濘(ぬかる)みに
再び入ったぞ。
最初の鳥たちが挨拶を送っている。
倒れた幹、
冬がその生命を傷つけたのだが、
その幹は泥の中に
どの死者もそうであるように
沈黙して横たわっている。
動かずに指し示しながら
赤い夕方の空気の中へと
手脚(てあし)を伸ばしているのは
その幹の唯一の枝だ
そこに、最初の薊(あざみ)様の葉っぱが
緑をなしていて、
空気は、魔法にかけられたように純粋で、新鮮で、
雰囲気は、新たに生命が生まれたかのようだ。
冬、あの白い幽霊は、退き、
わたしの哀れな魂は
こうしてもう十分長い間凍えていたのだ。


【解釈】

冒頭、Endlich、エントリッヒといって、遂に、到頭で始めたところに、長い間春を待ち望んでいた気持ちの爆発がある。

遂に、到頭だけでは、その気持が伝わらないと思ったので、文の最後に強意の助詞、ぞ、を付けた次第。

最初の鳥たちという言い方にも、新しい歳の始まり、季節の最初の始まりが強く思われる。鳥の飛び方も、春であればこそ、冬とは違うのだろう。

倒れた木の幹の、そこから生まれた一枝に緑が萌え染めるというところが、よい。春の兆しを表しているのでしょう。

この萌え染める緑から(あるいは青というべきか)、文は連続して、次と次の文まで、一気に流れて、続いています。

また、

冬、あの白い幽霊は、退き、
わたしの哀れな魂は
こうしてもう十分長い間凍えていたのだ。

と訳した最後の一行も、ふたつの文から敢えてなっています。

冬という白い幽霊が退くことと、わたしのかわいそうな魂が、冬に耐えて凍えていたことと、このふたつのことの関係を、読者にも感じてもらいたかったのでしょう。

この詩人は、1941年から2007年を生きたひとです。

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