2010年4月14日水曜日

Hart Craneつれづれ草2

今日も「Hart Crane and the homosexual text New Thresholds, New Anatomies」(Thomas E. Yingling著)を読む。同時にThe Complete Poems of Hart Craneもポケットに忍ばせる。

解ったことと思ったことを今日も書くようにしよう。大したことではないかも知れないけれども、今書かないと二度と書かないかもしれず、忘れてしまうかも知れないから。

解ったことは、この研究論文の著者の副題である、New thresholds, New Anatomiesという言葉は、Hart Craneの最初の詩集「White Buildings」の18番目の詩、The Wine Menagerieという詩の第7連第1行目にある同じ言葉からとったのだということ。

Thresholdという言葉は、The Bridgeという詩集の中の最初の詩、To Brooklyn Bridgeの第8連第3行目にもterrific thresholdとして単数形で出てきます。これは、Craneにとっては概念化した深い意味を持つ言葉のひとつです。

これがどのような概念であるかは、その概念を展開して以前訳したところを見ていただければと思います:http://shibunraku.blogspot.com/2010/03/to-brooklyn-bridge-8.html

Anatomyは、The Broken Towerという詩の中の最後の連にThe matrix of the heartと書いているように、このmatrixという意味です。Craneは、確かにあるmatrixによって詩を書いているのです。男色者として、また自分独自に概念化した言葉を使って。天体のマトリクス、色彩のマトリクス、鉱物のマトリクス、それかた何よりもWhite Buildingsという題名そのものが正直に示している通りの詩作の構造のマトリクス。これについても、上のURLアドレスのページで解説をしておりますので、ご覧下さるとうれしい。

こうしてみると、このYinglingという著者は、同性愛者のこれらの言葉の意味を充分過ぎる位に知っていて副題としたのだと思われる。同性愛者たちの愛の行為のマトリクスを知っているのだ。

ThresholdやAnatomyという言葉のあるThe Wine Menagerieという詩の題名も、wineという言葉、葡萄酒という言葉の裏の意味は、Sunday Morning Applesという詩の解読からいえば、男色者の性行為の移り行く様を春夏秋冬という四季の遷移に比していて、夏の盛りにペニスが熟して実りとなる亀頭(これを林檎、Appleと呼んでいる)から溢れる精子のことを言っているということがわかりましたから、そのことを言っているのですが、menagerieという言葉との組み合わせで、Craneが何を言っているのかは、詩そのものをこれから読む必要があります。ちなみに、menagerieとは、いつもお世話になっているWebster Onlineによれば、次のようなものです。

(上で言ったAppleも暗号になっていて、これは、A People、すなわち男色者達という意味でもあるのでした。Ppleは、Peopleのneumonicー母音を落とした子音の羅列の仕方ーな表現。)

Main Entry: me·nag·er·ie
Pronunciation: \mə-ˈnaj-rē, -ˈna-jə- also -ˈnazh-rē, -ˈna-zhə-\
Function: noun
Etymology: French ménagerie, from Middle French, management of a household or farm, from menage
Date: 1676
1 a : a place where animals are kept and trained especially for exhibition b : a collection of wild or foreign animals kept especially for exhibition
2 : a varied mixture (a menagerie of comedians ― TV Guide)


男色者たちが、男色の行為をするときに、周りで囃し立てているのだということは、Craneの詩から読みとった通りです。それが、for exhibitionという意味だとして、男色者を動物に見立てたのか、いづれにせよ、そのような場所を暗に意味しているのでしょうか。わが筆が先走らぬように、解釈のための推測はここまでとして、後日に解釈を委ねましょう。

もうひとつ、思ったことをしるすことにします。それは、最初に挙げた論文に打たれているページ番号のことです。

奇妙なことに、普通の本ならば、大抵はページの一番下にある番号がいつも、どのページも例外なく一番上に、そして行の真ん中の位置に打たれているのです。これは、意味のあることではないでしょうか。

Pageという言葉は、ページと読めば、その通りの意味ですが、パージュと読めば、お小姓という意味になるからです。Websterからまた引きますと、

Main Entry: 1page
Pronunciation: \ˈpāj\
Function: noun
Etymology: Middle English, from Anglo-French
Date: 14th century
1 a (1) : a youth being trained for the medieval rank of knight and in the personal service of a knight (2) : a youth attendant on a person of rank especially in the medieval period b : a boy serving as an honorary attendant at a formal function (as a wedding)
2 : one employed to deliver messages, assist patrons, serve as a guide, or attend to similar duties
3 : an act or instance of paging (a page came over the loudspeaker) (got a page from the client)

この意味にもあるように、またChaplinesqueを読めば、男色者たちが、聖杯探究の中世の騎士にその身をなぞらえて性愛の行為に耽るということは、その裏の詩から読むことができたのでした。そうして、hostとguestという立場で歓待の限りを尽くす。そこには、お小姓もいたのでしょう。騎士に仕えて、その身の廻りの世話し、絶対的に服従する行為を受け持ったのだと思います。

(こうして今思ってみると、Chaplinesqueの最後の連にあるa grail of laughter、笑いの聖杯という言葉は、実際に性行為をして、性感極まり、wine、即ち精子の酒を注ぐhost役の相手から、口を聖杯に見立ててその歓待を受ける騎士役の受け手のその口のことを言っているのかも知れません。そのような連想が働きます。)

To Brooklyn Bridgeの第2連に、

Some page of figures to be filed away

として、出てきたpageです。

Pageの前にsomeがついているので、これも男色者の少年という意味になります。この解釈については、以前の詩文楽のページをみてください:http://shibunraku.blogspot.com/2010/03/to-brooklyn-bridge-2-version-20.html

これは、いつも若い子が一番上、最高という意味なのでしょうか。

Yinglingという人の言っていることは、極々当たり前のことで、gayの詩、男色者の詩は男色者の詩として読むということなのです。これはその通りですが、それが文学史の上ではどれほど難しかったかを、T.S.Eliotの詩人論、芸術家論(「伝統と個人」)の考えと対比的に、というよりも全くそれを否定する詩のありかたとして、正統的な伝統には連ならない詩のあり方として、Hart Craneを論じているのです。

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