2010年4月16日金曜日

トーマス・マンの闇について


詩の定義(多義性ある一文)と詩の非政治性について、あることから、引き続き自ら問うたこのふたつの関係を考えてみた。

現実の社会は、その権力者は、あるいは政府は(仮に国民国家、近代の国家ー日本も同様ーを考えると)、何かについてのコンテクストをひとつに限定したい、収斂させたいと考え、実行する。それが支配ということだと思う。法律の体系などというのは、その最たるものではないか。それは所有慾を前提にした所有を正当化するための、言語で記述され、ひとつひとつの言葉が定義されたシステムである。

これに対して、あるいは反して、詩は言葉の本来の性質と言語の構造に従うので、ひとつの文からして多義的であることをあたりまえとしている。

ここに詩が、政治と衝突する契機がある。散文家は、ことばを手段として政治的な批判をすることができるが、詩人は、言葉そのものの多義的な構造に忠実ならむとするので、破格文法的な表現であれ、文法的な表現であれ、その詩人のことばが現実に直接触れたときに生まれる表現が詩だという形をとるのではないだろうか。それはどのような詩の姿をとるのであるだろうか。

以前あるブログで言及した同じトーマス・マン論を移動書斎で読んでいるのだが、マンが、第1次世界大戦のときに書いた文章でFeldpost、訳せば戦場通信という文章がある。Feldは英語でfield、postはpostです。

ここで、マンは、戦時下において芸術家の自由とは何か、芸術家の運命とは何かを問うて、その問いに答えて曰く、それはGleichnis(似ていること)、すなわち比喩に生きることだというのがその答えなのだ。一例を挙げようといって、これがそのひとつだと、その語調からいって断定的に(いささか格好良く)、Soldarish zu leben, aber nicht als Soldatと言っている。訳せば、兵士的に(つまり兵士の比喩として)生きること、しかし(実際の)兵士としては生きないこと、だ。

このせりふの前提には、当時ドイツの作家たちが同様の問題を論じたときのテーマがあったようで、それはKunst als Krieg、戦争としての藝術という考え方があるといっている。芸術家が作品をつくることは、実際に血を流す戦争、血を流して戦場で倒れる兵士と同様の、そのような営為なのだという主張である。そのような議論をしたものであろう。

そのことによって、芸術家は戦争に参加するのかしないのか。

マンがいう兵士的に生きるが兵士としてはいきないという文は、いまこの年齢のわたしが読むと、これは明らかに詭弁だと思う。

今日上に置いた写真は、わたしの持っているトーマス・マン短編集に収められている、わたしがよく言及するマン18歳のときの散文の小作品、Visionを本文右側の隣のページにそれを図解したわたしの絵である。よく見えないかも知れない。うまく見えるとよいが。

主人公の周囲は闇である。夜。ある部屋にいて、主人公は椅子に座り机に向かっている。ランプが点いていて、そのランプからの光が円錐形をなしている。主人公は闇の中にいて、闇の中からその明るい円錐形の中を覗き見ている。そこを舞台にして、ふたつのものが過去の記憶の中から姿を現す。ひとつは、聖杯であり、もうひとつは女性の白い手と腕、青い血管が息づいているエロティックな女性の腕です。それが聖杯のそばにある。このような図を写真の中に読むことができるでしょうか。

従いまた、この男は男性としては性的には無能力者だということになります。実際マンの同性愛の傾向は抜きがたい。(同じ典型的な芸術家をわたしはHart Craneというアメリカの詩人にみますが、こちらはもっと現実的に、つまり肉体として男色者でした。)

この円錐形の光の世界でおこることは、闇の中にいる男は制御することができません。ただbegierig(熱心に)見ていることができるだけです。この熱心にというドイツ語に、わたしはマンの性欲、倒錯した性を感じます。単に熱心というだけではない、もっとエロティックな欲情ともいうべき熱情なのです。しかし、その対象、そのエロスを、外にいる男は所有することができないのです。作品、すなわち言語組織体は、そこで自己の意志を以って自己増殖する。マンが繰り返し述べているところです。どの作品もそうやって生まれる。

わたしは、この作品のいわんとしているところ、あらわしているところは、芸術家の、およそ言語にかかわる芸術家、散文家であろうと詩文家、詩人であろうと、そのようなひとの姿を真率にあらわしていると思っております。

このような構造を持った世界を前に、マンはただ倒錯的に、冒頭に述べたような普通の社会価値観からみれば、転倒した価値観をもって、そこにいるのです。マンを詩人に置き換えてみましょう。詩人が詩人であるのは、作品とこのような関係を持ったときだけです。わたしはそう思います。

昼の、明るい、周囲がそのようである場所で、目の前に起こる現実的な事件に対し、その人間はその事件を制御することが同様にできません。できませんが、それを周囲に闇があり、目の前で起きる言葉の自己増殖と同様だと敢て思いなし、そう考えて、現実の事件、すなわちこの場合は戦争も作品だとし、更に作品の比喩だとして考え違いをすると、詩人の言葉は力を喪失します。それどころか上で大人のマンが示しているように、無残なことになる。

上の論文を読んでいると、マンのBBCでのドイツ民族への呼びかけ(形式的には、ドイツ人に対する反戦のスピーチということになるのでしょうが。こうしてみると反戦などとはいい加減な言葉だ。自分は反戦詩人ではないといっている金子光晴の素晴らしさよ。金子光晴は自分をそのようにいう人たちを嗤っている)は、文字にしたそのたのエッセイなどの散文でそうであるように、言葉の意味、すなわち概念を整理しなおすということを、自分が納得するようになるまで繰り返すだけで、実際に現実に働きかけ、何かを動かすことばにはなっていないと論文の筆者は言っています。これはマンについては、第2次世界大戦時の文章も同様だといっています。

このことは、上のVisionの主人公の姿を見れば明らかなのですが、結婚をして(これをマンは, Ich bin verwirklicht、わたしは現実化したといっています。それまでの青年期のマンは、闇の中にいる人間、現実には死んでいる、死者としているような存在と考えているのでしょう)、国民国家の一員でもある生身の人間としては、戦争も不幸にして経験しなければならない、そのときに芸術家としてどうするか。

マンの失敗から受け取るべきわたしたちの教訓は、詩人が政治的なものに触れて言葉を発するときには、くれぐれも比喩を使うことに慎重でなければならないというものです。比喩はまた言語の本質から生まれるものです。(それでは言語とは何かという問いを問うことになりますが、これは詩誌tabに以前書かせていただいたので、ここでは敢て触れません。)

そして、詩人は比喩を使わずに詩を書くことができない。ここに、非常時の場合の陥穽、落とし穴があります。

闇の中にいて詩を書く場合には強みであるものが、昼の明かりの中に自分自身がいて、暗い世界に見る事件について政治的に発言するときには、その言葉が比喩を使うために逆に威力を失うのです。なんという皮肉でありましょう。前者の言葉は、政治力学と全く無縁ですが、後者の言葉は煽動の言葉となるでしょう。

わたしが詩に惹かれるのは、それが前者の言葉だからです。ひとによってみれば倒錯した、価値の転倒が当たり前の、目の前の光ある世界に対しては全くの無能力者の、18歳のマンが書いたVisionの世界のありよう、これが詩の世界の、というよりもまた言葉による表現の世界の何たるかをあらわしているのだと思います。

ある人に問われた問い、何故お前は詩を選んだのかという問いに対する答えは、今回うまくかけている文章だとは思いませんが、このような理由ではないかと思います。

ああ、それからもうひとつ。以上のべきたったことに大いに関係があるのですが、戦争の起源と性愛の起源とは、言語という観点からみると、これらは全く同じものなのです。(また、言語とは何かでありますが。)そうしてみると、詩人の政治や戦争に対する無能力な姿を、また性的にも政治的にも、もし論じるとすると、ここからもっと論を展開することができると思います。

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