2015年12月6日日曜日

三島由紀夫は仙川の安部公房邸のパーティに招待されていた

三島由紀夫は仙川の安部公房邸のパーティに招待されていた


安部公房が、大森の三島由紀夫邸に招待されて、その3階のサンルームと三島由紀夫が名付け、特別な関係にある、即ちその人間としての、また藝術家としての、力量を認めた人間でなければ招じ入れなかった其の太陽の部屋で、二人で親しく話をしたことは、『三島由紀夫邸での安部公房~太陽の部屋と月の部屋~』(もぐら通信第32号)でお伝えした通りです。

他方、三島由紀夫は仙川の安部公房邸を訪ねておりました。映画『砂の女』で主役を務めた岸田今日子が、次のように、1997年、安部公房没後4年後に『安部公房さんのこと』と題して、次のように語っております(『国文學』。特集「安部公房 ボーダレスの思想」、1997年8月号、7ページ)。

安部ねり著『安部公房伝』に書かれている安部公房の仙川でのパーティがどのような様子であったのか、その一端の知られる回想の一部です。

同著(215ページ)には、真知夫人が「40歳を過ぎた」頃から開かれることのなくなった、「作家、演劇人、学者など50人ほどを招いて、真知が得意の料理を振る舞った恒例の年末のパーティ」とあり、そこに岸田今日子がおりますから、真知夫人は1926年生まれ、従い、1966年を過ぎた頃以前の話といふことになり、1964年に勅使河原宏によって映画化された『砂の女』以降の時間の間のパーティです。

「それから、何度かおうちに招んでいただいた。安部さんは長椅子の奥に坐ったまま、会話の中心になっていらっしゃる。最初の時は真知さんが、グレーに黒いポケットの付いたロングスカートで、個性的なホステス振りだったのを思い出す。二度目は何のパーティだったのか、仔豚の丸焼きがお皿に乗って出て来た。小さな赤いカニの空揚げが、豚の耳から這い出そうとしていたりして、なかなか前衛的だった。三回目は、お家が満員になるほどのお客様で、三島由紀夫さんも見えた。安部さんは博識な上にユーモラスで暖かくて、黙ってお話しを聞いているだけでどんなに楽しかっただろう。」

安部公房は二回目のパーティには、三島由紀夫を招かなかったようです。それはもし、「小さな赤いカニの空揚げが、豚の耳から這い出そうとしていたりし」ているような料理が出てきたら、三島由紀夫は、さぞかし驚いてしまったことでありましょう。何故ならば、三島由紀夫は、蟹が大嫌いだたったからです。対して、安部公房は大好きだった。

しかし、その三島由紀夫のお顔もまた、そっと舞台の裾から拝見したかったものです。 

『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)より引用してお伝えします。:

「このような三島由紀夫を自分の同類、即ち「戯曲以前に」「俳優が言葉による存在(原文傍点)でなければならない」(『前回の最後にかかげておいた応用問題ー周辺飛行19』。全集第24巻、176ページ上段)ということを十分深く理解していた三島由紀夫に対する安部公房の言葉が、やはり『反政治的な、あまりに反政治的な』にありますので、これを引用して、紹介します(全集第25巻、374下段~375ページ)。これは、三島由紀夫の死後6年経って、やっと書くことのできた、安部公房による鎮魂の文章です。傍線筆者。

「ふと思う。ぼくらには案外根深い共通項があったのかもしれない。文学的にも思想的にも違っていたし、日常の趣味も違っていた。ぼくがカメラ・マニヤなら、彼は時計マニヤだった。ぼくが大の蟹好きなら、彼は大の蟹嫌いだった。しかし、ある種の存在(もしくは現象)に対する嫌悪感では、完全に一致していたように思う。いつか銀座のバーで飲んでいたとき、とつぜん二人同時に立ち上がってしまったことがある。同時にトイレに駆けこもうとしたのだ。理由に気付いて、大笑いになった。某評論家が入って来たところだった。
 ぼくらに共通していたのは、たぶん、文化の自己完結性に対する強い確信だったように思う。文化が文化以外の言葉で語られるのを聞くとき、彼はいつも感情的な拒絶反応を示した。しかもそうした拒絶反応が、しばしば三島擁護の口実に利用されたり、批判や攻撃の理由に使われたりしたのだから、ついには文化以外の場所でも武装せざるを得なくなったのも無理はない。それが有効な武装だったかどうかは、今は問うまい。安易な非政治的文化論の臭気に耐えるほど、鼻づまりの楽観主義者になるには、いささか純粋すぎたのだ。文化的政治論も、政治的文化論も、いずれ似たようなものである。
 反政治的な、あまりに反政治的な死であった。その死の上に、時はとどまり、当分過去にはなってくれそうにない。」

「反政治的な、あまりに反政治的な死であった。」と言って、二人で真剣に語りあった筈のニーチェの論文『人間的な、あまりに人間的な』の題名を本歌取りする安部公房は、本当に此の自分と同類の親しき再帰的な友を、深く正確に理解しておりました。



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