2012年5月26日土曜日

第23週:Ikaros (イカロス) by Hugo Claus (1929 - 2008)


第23週:Ikaros (イカロス) by Hugo Claus (1929 - 2008)

【原文】

Ikaros

Fertig? Fertig!

Er lachte seinem Vater zu, verräterisch.
(Und flog zu nah an die Sonne, seine Mutter,
und flog in die Hitze ihrer unermesslichen Lippen
und fiel wie eine Maus aus ihrem Maul
und zerschellte auf dem marmornen Meer.

Uebermut? Verzweiflung?

Das war viel eher die wattige Domäne des Daedalos.
Ikarus wollte ihre Wärme nicht scheuen,
wollte sich begraben in ihren weiten lohenden Haaren.)

Fertig? Fertig! Er lacht,
bindet sich Federn an die Knöchel, die Zeichen des Eros,
die Sporen des Greifs.



【散文訳】

イカロス

準備完了?準備完了!
イカロスは父親に笑いかけた、裏切りのこころで
(そして、太陽に余りに近く飛んで行った、母親のところへ、
そして、母親の測り難い唇の熱の中へと飛んで行った
そして、一匹の鼠のように、その口の中から落ちて行った
そして、大理石の海に打ち当たって音を立てて砕け散った。

傲慢?それとも、絶望?

いや、それは、父親ダエダロスの綿のように柔らかな領地であった。
イカロスは、その暖かさを嫌いではなく、
その広い、炎々と燃え上がる毛の中に自らを埋葬したいと思ったのだ。)

準備完了?準備完了! イカロスは笑い、
羽根を指の関節、エロス(憧憬)の徴(しるし)に結びつける、
(鷲の頭と翼とを持つ獅子身の怪獣)グリフィンの拍車に結びつける。


【解釈と鑑賞】

この詩人は、ベルギーの詩人です。しかし、その作品をオランダ語で書いた詩人です。

この詩人のWikipediaです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Hugo_Claus

劇作家、小説家、詩人、画家、映画監督として活躍しました。

1970年代には、シルビア・クリステルとの間に一子をもうけています。

色々な偽名、pseudonymを使って、作品を発表したひとでもあります。

晩年はアルツハイマー症に罹り、そのために自ら安楽死を選択して、2008年5月19日亡くなっています。

2012年5月20日日曜日

第22週:Psalm (聖歌) by Said (1947- )


第22週:Psalm (聖歌) by Said (1947-    )

【原文】

Psalm

herr
rühme mich
denn ich habe viel ausgehalten
ohne ein Zeichen von dir
vielleicht bist du nur das echo von meinem schrei
doch dann hilf mir
aus meiner klage ein lied zu machen
an dem sich kommende fremde erwärmen können



【散文訳】

聖歌

主よ
わたしを褒め称えよ
わたしは多くのことに堪えたのだから
お前の徴(しるし)なく
ひょっとしたら、お前はわたしの叫びの単なる山びこに過ぎないのかも知れない
しかし、そうであればこそ、わたしを助けよ
わたしの嘆きの中から、ひとつの歌をつくるために
その歌で、これから来る見知らぬ人々が我が身を温めることができるように


【解釈と鑑賞】

この詩人がどのような詩人なのか、その名で調べても、インターネットには何も出て来ません。

Psalm、賛美歌、聖歌とあるので、ユダヤ教やキリスト教圏の詩人のようです。

神はわたしの叫びの山びこに過ぎない、というところに、この詩のわたしの、何か大変な苦労が思われる。

何か、広い空間に住んでいるような人のように思われる。

とすると、中近東の砂漠に住むひとたちのひとりなのでしょうか。

2012年5月17日木曜日

埴谷雄高論3(自同律の不快)


埴谷雄高の言葉:わたしはわたしであるという文が成立しない、即ち同義語反復になるということを埴谷雄高は、自同律の不快と表現した。


わたしの言葉:同義語反復が不快であるということは、主語が機能化され、述語になり、わたしがわたしではないようになることが不快であるということ、演技すること、役割を演ずることの不愉快である。即ち、わたしがわたしであるという孤独を否定されるからだ。このことから幾千万幾千億の文が生まれてきたし、今も生まれているし、これからも生まれる。

2012年5月12日土曜日

第21週:Die Leiter zum Himmel (天への梯子) by Dschalal ud-Din Rumi (1207-1273)



第21週:Die Leiter zum Himmel (天への梯子) by Dschalal ud-Din Rumi (1207-1273)    

【原文】

Den Freund sah ich heute.
dem alles zum Verdienst gereicht.
am Himmel nahm er seinen Weg
wie die Seele Mohammeds!
Ich sagte, "Zeig mir die Leiter,
damit ich zum Himmel steige."
Er sagte, "Du selbst bist die Leiter,
du musst auf deine eigene Schulter klettern:
wen du dich meisterst,
sind dir die Sterne untertan!
Tausend Wege werden sich dir
am Himmel zeigen,
fliegen wirst du zu Morgenröten
wie ein Gebet."


【散文訳】

すべてを神へ奉納する
友に、わたしは今日会った。
天にあって、この友は我が道を行く者だった
モハメッドの魂のように!
わたしは言った、梯子をくれ
そうしたら天まで登って行けるから。
友は言った、お前自身が梯子だよ、
自分の肩に登らなければならないのだよ、即ち
自分を自家薬籠中のものとすると
星々もお前の臣下となるのだ!
天にあっては、千もの道が
お前に示されることだろう
お前は朝焼けに向かって飛ぶことになるだろう
ひとつの祈りのように


【解釈と鑑賞】

引用されているこの詩には題がついていなかったので、わたしが勝手につけました。

何故かドイツ語のWikipediaがあります。

http://de.wikipedia.org/wiki/Dschalal_ad-Din_ar-Rumi

ゲーテのDivan(西東詩集)を愛する読者としては、ドイツ語圏にアラビアの詩人のWikipeidaのあることは、自然なことのように思われます。

この詩人はペルシャ語の詩人とあります。原文はペルシャ語です。

また、神秘思想家ともあります。

この神秘思想家の思想は、宇宙の中心の力は愛であること、この愛に基づいて、宇宙は成立しているという思想です。従い、宇宙は、どのような部分も愛によって相互に関連した調和のとれた全体であるというものです。勿論、その愛の関連は、唯一無二、神にのみ向けられているというのです。

この神の愛あるがゆえに、宇宙の構成要素はなりたっているという。

神秘思想家であり、その素晴らしさは、その思想を美しい詩、詩の美しさに移して表したところにあるとのことです。

Wikipediaに以下の詩がありましたので、これを訳して、この詩人の思想の理解の一助とします。

Komm, wer du auch seiest!
Wanderer, Anbeter, Liebhaber des Loslassens, komm.
Dies ist keine Karawane der Verzweiflung.
Auch wenn du deinen Eid tausendmal gebrochen hast,
komm nur,
und noch einmal: komm.
【散文訳】
来い、お前がだれであろうとも!
旅人であれ、崇拝する者であれ、解放を好む者であれ、来い、
これは、絶望の隊商(キャラバン)ではない。
たとえ、お前がお前の(神への)誓いを千回破ったとしても、
来るのだ、
そしてもう一度、来い

これらの詩は、深い詩情(die Poesie)を湛えています。

今の日本の詩人には、無論、書く事のできない詩です。

それが何故かを考えることは、大切なことだと思います。

2012年5月9日水曜日

第20週:Wiederkaeuer(反芻者) by Rose Auslaender (1901 - 1988 )


第20週:Wiederkaeuer(反芻者) by Rose Auslaender  (1901 - 1988 )

【原文】

Wiederkauer

Im uebersaettigen
Hungerjahrhundert
kaue ich die Legende
Frieden
und werde nicht satt

Kann nicht verdauen
die Kriege sie liegen
mir wie Steine im Magen
Grabsteine

Der Frieden
liegt mir am Herzen
ich kaue kaue
das wiederholte Wort
und werde nicht
satt.


【散文訳】

反芻者(何度も何度も噛む者)

過剰な満足の
餓えの一世紀に
わたしは、平和という伝説を噛み締め
そして、飽く事がない

消化できない
数々の戦争を、それらは
わたしの心臓にあって
胃袋の中の石ころどもだ
墓石だ

平和は
わたしの心臓にあって
わたしは噛み締め、噛み締め
この、繰り返される言葉を噛み締め
そして
飽く事がないのだ

【解釈と鑑賞】

この女性詩人のWikipediaです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Rose_Ausländer

この詩人の詩は、去年のカレンダーにも採録されておりました。

このカレンダーの編集者のお気に入りの詩人なのかも知れません。

しかし、それとは別に、痛烈な皮肉の詩です。その通りのことを言っていて、21世紀の初頭の今、だれも、この言葉を否定するひとはいないでしょう。

どんなに愚かな夢を20世紀の人間達は夢みたことか。

20世紀を、過剰な満足の(従い、飽く事のない)飢餓の世紀と喝破しています。

詩人は、かくありたい。