第12週: Fruehjahr (春) by Karl Krolow (1915 - 1999)
【原文】
Fruehjahr
Es gibt noch kein Gras
zu besingen.
Landschaft, adjektives,
In der man
einen Fuss vor den anderen
setzt.
Nur in der Hand gesammelt:
Blau.
Weidenhaar einiger Mädchen.
Die Helligkeit ist frei
von Schatten.
Unruige Freiheit
der Perspektive:
Fruehjahr.
【散文訳】
春
歌うべき草もまだ無い。
他のひとに先んじて一歩を刻する
風景、形容詞の無い。
只、手の中に集められて:
青色
幾人かの乙女の、柳の枝の細さの髪の毛。
明るさは、影から
自由になっている。
遠近法の、見晴らしの開けた
まだ定まらぬ自由:
春
【解釈と鑑賞】
この詩人のWikipeidaです。
http://de.wikipedia.org/wiki/Karl_Krolow
ハノーファー生まれの詩人です。ハノーファーの墓地に眠っています。
ドイツの文学界の数々の賞を受賞しています。
フランス文学とスペイン文学の翻訳者でもあります。
青色と訳したドイツ語は、Blau、ブラオですが、これは日本語にも、目に青葉というように、青々とした緑色のことを言っています。
トーマス•マンの短編、トニオ•クレーガーに、青い幌馬車に乗ったジプシー、ツィゴゴネルという形象が出て参りますが、そのときの馬車もまた、緑の色という意味での、青色だと思います。
ドイツ人がどんな色をblauと言ったのか、今はGoogleの画像検索があるので、便利です。検索してみて下さい。
他のひとに先んじて一歩を刻する
風景、形容詞の無い。
とは、まだ何も始まっていない、何かを胚胎している季節という意味でしょう。
まだ、生命の競争の始まる前の、生命がこれから花咲く前の季節。
その後の2連も、春をこのように歌う、譬喩(ひゆ)するということは、素晴らしいことだと思います。
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