第5週:聖歌 by Paul Celan (1920-1970)
【原文】
Psalm
Niemand knetet uns wieder aus Erde und Lehm,
niemand bespricht unsern Staub.
Niemand.
Gelobt seist du, Niemand.
Dir zulieb wollen
wir bluehn.
Dir
entgegen.
Ein Nichts
waren wir, sind wir, werden
wir bleiben, blühend:
die Nichts-, die
Niemandsrose.
Mit
dem Griffel seelenhell,
dem Staubfaeden himmelswuest,
der Krone rot
vom Purpurrot, das wir sangen
ueber, o ueber
dem Dorn.
【散文訳】
聖歌
だれも、再び土と粘度から
わたしたちを捏(こ)ねてつくることはない。
だれも、わたしたちの塵に話かけない。
だれも。
だれでもない者よ、褒め称えられてあれ。
お前のために
わたしたちは花咲きたいのだ。
お前に
向かって。
無で
わたしたちはあった、わたしたちは無である、
わたしたちはこれからも無であり続ける、花咲きながら、即ち、
無の、
だれでもない者の薔薇として。
鉄筆を以て、こころ晴れやかに
塵の糸を以て、天国の荒廃の
冠、赤い色の
緋色の、その色を、わたしたちは歌った
幾度も、おお、幾度も
その棘(とげ)について
【解釈と鑑賞】
Paul Celanという詩人の日本語のWikipediaです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/パウル・ツェラン
英語のWikipediaは、こちらです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Celan
第1連目の
だれも、わたしたちの塵に話かけない。
と訳した文に意味は、言葉を尽くすと、塵であるわたしたちには話しかけないという意味です。
この詩の主人公は、niemand、英語いうnobody、だれでもない者、無名の者です。
天国の荒廃の、と訳したhimmelswuestは、ツェランの造語です。
Himmelは、天、天国、空であり、wuestは荒廃という意味です。
しかし、このふたつの語を結びつけたところに、この詩人の強い意志と、また反対の絶望を感じます。
わたしたちは、無名子の薔薇として咲いている。
その薔薇を、緋色という最高位の位の色をした冠にも喩(たと)えています。
その冠の緋色を、わたしたちは歌った。
歌ったと過去形でありますから、嘗(かつ)ては歌ったのです。今は歌っていない。
このことを歌った最後の連だけは、主語も動詞もない、即ちひとつの文を主文として構成しておりません。
そのような破格の表現法を用いて、緋色の冠と、その赤、わたしたちがその色の棘について歌ったその赤だけが強調されています。
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